職場という場所では「スピード感をもって…」という言葉がよく使われる。物事を成し遂げるのに必要な時間を短くする、という意味で使われ、「□□について、スピード感をもって取り組む…」のように使われる。政治家が好きな言葉なのかもしれない。
今まで当たり前のように見聞きしていたが、おそらく自分では使ったことがない。どうしてかと振り返ってみると、個人的な特性として一般的な意味での「スピード感」を持ち合わせていないと自己評価していることもあるが、それよりもこの言葉に対してそもそものところで疑問をもっていたのかもしれないと気づいた。気づいたら、途端にこの言葉が嫌いになった。
そもそもスピードって何だろう、仕事におけるスピードってなんだろう?思考にすれば考えて結論を出す時間の短縮、作業であれば完了までの時間の短縮、とにかくかかる時間を短く短くすることが「スピードがある」状態であり「スピード感をもって取り組む」というのは、「従来かかる時間よりも短い時間で完了させます」くらいの意味になるだろう。
私は、この「スピード感」が嫌いである。なぜか。それは言った人で完結しない言葉だから。
もはや疑うこともないが、誰かが「スピード感」といったときに、本当に一人で仕事をしている人はどれくらいいるのだろう?要はチームリーダーが「スピード感」といった時に、それはすなわち他人にも自分のスピードを押し付けるという側面が拭い去れない。そんなことが視野に入るのに、人前で「スピード感を持って取り組みます」なんて事前調整なしにはいえないはずなのに、無責任にスピード感を表明して、スピードがある=すばらしいと価値観を決定づけてしまう人が、世の中にはたくさんいるということだ。
ということで、「スピード感」は嫌い、「スピード感至上主義」のような認識は、ここにおいていこうと思う。早ければいいってもんじゃない。