2020年11月29日日曜日

自己実現(仮)のカタチ

  テレビを観るのはあまり好きじゃないので、控えているのですが、ここ数日何となくインタビューを伴う番組が放送されていたので、ぼんやりと眺めていた。あるアーティストは、おおよそプロトコルを作ったら支離滅裂にも感じられるような内容を堂々と語り、感情を全身で表現して歌を歌っていた。別の番組では若者がスマートフォンとアプリケーションとで作品を世に打ち出していた。

 全く異なる取り組みを眺めていたのに、頭に浮かんだのは「何がこの人達を成功に導いたのだろう。いや、『成功』じゃないな…」という共通した疑問。「成功」の定義は難しくて、勘違いもされやすいので、表題のように「自己実現」くらいがいいのかもしれないけど、これも誤読されそうだ。ただ、暫定的に「(自分が望んでいたかどうかは別として)自分の納得いく形で、社会に広く受け入れられる要素」は何なのだろう?と考えてみた。

 感情をむき出しにするだけでは、おそらく社会に受け入れられない。たぶん変な人、と思われてしまうだろう。私の仕事でも、相談者として支離滅裂なことを楽しく話す人がいたら、それは(私は)楽しいけれど、周囲にどう受け入れてもらえるかなぁ、と考えるし、そもそも負の感情をむき出しにされたら「関わりたくない人」みたいに思ってしまうし、広くそう思われてしまう、と考える。

 もう一つの側面はもっと難しい。だって、今や誰でもスマホを持っているから。SNSも使っているから。その中でチャンスをつかむ人っていうのは、「その他大勢」と何が違うのだろう。

 今の到達点としては、「ツールはどうあれ、人と人との関わり」と「感情の奥底を表現すること」が背景にあって、自分が何とか信頼できる場所と時間の中でそれを積み重ねた時に、表現した感情に「反応してくれる人」がいるということ、これがその他大勢との違いなのだろうと整理した。SNSで世界中とつながる、という実感は、それを実感する経験があってこそであって、私みたいな凡人にとっては、結局自分の周辺とのつながり、でしかないわけで。

 別に自分を卑下しているわけではなくて、同じものを使っていて、同じことをしている人の成果が全く異なっているという現実をどうとらえるのかなということに対する、自分なりの到達点ということで。