2025年12月13日土曜日

音の扱い

最近は、と言うと、途端に歳をとった感じがするものの、それでも言いたい。音が多い。
まぁ、好みの違いによるところが大きいとは思うのだけれども、他人がいる場で自分の音を出したい人が、多いような気がする。喫茶店だけでなく、広く飲食店など。Wi-Fiが使えるお店が増えたこともあるだろうし、電車の中でも動画を観ている人も多い。観ること自体は、多分嗜好と世代の違いもあるから、文句は言わないことにしているけれども、イヤホン使ってよ、と思うことも少なくない。自分の嗜好の音を出すことには、そんなに抵抗感がないのだろうか、とも疑問に思う。
個人的には、自分の耳をジャックされた感があるので、不快感はある。たばこの副流煙と同じくらい不快に思うこともある。願わくは、公衆の場や食事中に「私に」聞こえるようにスピーカーから音を発しないでほしいのだが、科学的な身体的損傷がないことを理由に、禁止に振り切ることはないだろう。となると、意識的に「聞こえない」状態になることが、自衛の手段になるわけだけれども、これには訓練とコツが要る。うまくハマると、そういう場にいても平常心を保つことができるのだけれども、ちょっと調子が悪いと、この状態に入らず、やはりイライラしてしまう。私にとってはすでに健康被害だとは思うのだが、まぁ、これは自衛の範囲として、耳トレに取り組もうと思う。自分にとって楽しいことでも、周囲の人が不快に感じることは、やっぱりやっちゃいかんのだと思う。自らの行動の影響を意識しつつ、自衛がうまくなるように、平常心をよりバランスよく保てるようになりたいものだ。

2025年12月6日土曜日

スピード感の守備範囲

 「-感」という日本語の使い方は、「○○の感じ」という意味で使われる。
 職場という場所では「スピード感をもって…」という言葉がよく使われる。物事を成し遂げるのに必要な時間を短くする、という意味で使われ、「□□について、スピード感をもって取り組む…」のように使われる。政治家が好きな言葉なのかもしれない。
 今まで当たり前のように見聞きしていたが、おそらく自分では使ったことがない。どうしてかと振り返ってみると、個人的な特性として一般的な意味での「スピード感」を持ち合わせていないと自己評価していることもあるが、それよりもこの言葉に対してそもそものところで疑問をもっていたのかもしれないと気づいた。気づいたら、途端にこの言葉が嫌いになった。
 そもそもスピードって何だろう、仕事におけるスピードってなんだろう?思考にすれば考えて結論を出す時間の短縮、作業であれば完了までの時間の短縮、とにかくかかる時間を短く短くすることが「スピードがある」状態であり「スピード感をもって取り組む」というのは、「従来かかる時間よりも短い時間で完了させます」くらいの意味になるだろう。
 私は、この「スピード感」が嫌いである。なぜか。それは言った人で完結しない言葉だから。
 もはや疑うこともないが、誰かが「スピード感」といったときに、本当に一人で仕事をしている人はどれくらいいるのだろう?要はチームリーダーが「スピード感」といった時に、それはすなわち他人にも自分のスピードを押し付けるという側面が拭い去れない。そんなことが視野に入るのに、人前で「スピード感を持って取り組みます」なんて事前調整なしにはいえないはずなのに、無責任にスピード感を表明して、スピードがある=すばらしいと価値観を決定づけてしまう人が、世の中にはたくさんいるということだ。

 ということで、「スピード感」は嫌い、「スピード感至上主義」のような認識は、ここにおいていこうと思う。早ければいいってもんじゃない。

2025年12月1日月曜日

最近の出来事 12月編

 ずっと仕事が落ち着かず、帰りも遅いため、しわ寄せが週末にきて、更新もできず。

 そんな日々が続きましたが、とはいえ、いろんなことがあり、いろんなことを考えたので、メモとして。ちなみに、今日は年末(多分)最後のお休みをいただきました。

○LINEの広告が不愉快

 のっけから、あまり悪い話題は嫌なのだけれども、LINEの画面で上の方に出てくる広告がどうにも不愉快でなるべく見ないようにしているのだけれども、時々古い友人の誕生日が出てくるので完全に無視できず、ちょっと困っている。とはいえ、基本的には無視する方向で鍛錬中。

○合気道の演武会

 結局、ここ2か月をふりかえると、割と全力で演武会に向けて身体を動かしてきたのだなと思う。課題となる基本技を通して、ドリルのように何度も何度も同じ技に取り組むことで、理合いが身にしみてくるというか、感覚レベルで細かなことに気づけるように(少しは)なってきたというか。今までずっと未知の領域だったところに、これまで常識だと思っていたことが覆るような気づきが眠っていたり、癖のように身についていた動作も微妙な違いがあったり、とにかく始めた頃のように新しいことが次々と見えたり隠れたり、やってみて納得したり余計にもやもやしたりと、いつまで経っても新鮮な気持ちで取り組めるということに、また気づいてしまった。これからも、いろんなことに挑戦はするのだろうけれども、多分錬身会の合気道は一生接し続けるのだろうな、と思いました。結果として、競技演武は2回戦敗退で、決勝進出を逃して残念ではあったのだけれども、それでも周りが「納得いかん」と言ってくれたのは、それなりにいい演武ができたということなのだと思う。順当にいけば来年は違う(黒帯の)カテゴリーになってしまうけれども、これはこれでまた挑戦したい。いやぁ、面白い。

○母親

 実母が、夏休みに急に開腹手術を行うことになり、入院、そのまま入所(今はいわゆるロングショート)するに至っている。認知症の症状は暫時進んでいるようで、今は見当識がかなり厳しいところにある。身体的な欠損がないのと、古い記憶(家族の名前とか)は、ある程度保たれている(時々まだら感があるものの、会えばそのうち名前を思い出す)のが、せめてもの救いか。客観的な分析の上での学びは、認知症+ストマ(大腸)は相性が悪いということ。自己管理、家族管理をぶっちぎって、本人の記憶がまだらで、不快感があると夜間に自己離脱してしまうと、周囲は悲惨だということが観察できている。離れて暮らす私は、これも客観的には影響を受けていないが、その立場に置かれていることへの負い目というかなんという感情なのか、どこかほっとしている自分もいて、そんなことに嫌悪感もあったり、何か複雑である。

○仕事

 今年は受験を見送り、来年改めて検討しようと思う。なんというか、今年の主担当の仕事は、間違いなく自分のキャリアに有益なのだけれども、上位官庁の意向や、業界の政治的なやりとりだったり、主旨が伝わらないもどかしさなど、マイナス要素が多くちょっと戸惑っている。一方で、「本当にくだらないこと」にも複数巻き込まれており、モチベーション低下も甚だしい、が、さっきの主担当の業務に救われているような気もする。

といったことを感じつつ生活しています。

2025年10月22日水曜日

書店のよさ

学生の頃から、本屋さんが好きで、今でもお世話になっている。
ついついAmazonが便利でこちらも長年使っているのだけれども、本屋さんに入ると何時間でも居ることができる。ショッピングセンターの中の本屋さんなんかは最高だ。

とある書籍を探しているのだが(感想文はこれからの本)、Amazonでも在庫切れ、近所の本屋さんは軒並み在庫なし。県外の店舗には在庫が点々とあるのだけれども、買いに行くとなるとなかなか難儀ということがわかる。娘に贈ろうとする本なので、「ノーブランド品」とかで値段が吊り上がったような商品を買うのは、信条にも感情的にもどうにもいただけない。出版社にも問い合わせてみるが、在庫なし。
その出版社への問い合わせで、カスタマーの担当者から「在庫はないですが、書店で予約して待つという方法があります。いつになるかはお約束できませんが~」といった丁寧なお返事があったので、何十年かぶりに書店で取り寄せの注文をしてみる。あまり期待せずに待っていました。

そんなこんなで、そんなに期待もせず、期日がきたらさらに待つか、多少高い商品を買うか考えようと思っていたら今日書店から連絡。「在庫の取り寄せができたので、取り置きしておきます」とのこと。いや、いい感じで驚いて、ちょっといい気分になりました。Eコマースって便利だけども、こういう既存のネットワークに、事情を伝えて待つ、というのもまだまだ現役のいい方法なのだなと感じました。人を介するやりとりは迅速さに欠けることがあるけれども、今はやりのAIよりももっと柔軟に、いろんなことをやってくれるのだなと、いい気持ちになりました。新品本、週末に取りに行ってきます。

2025年10月14日火曜日

本多正識『1秒で答えをつくる力 -お笑い芸人が学ぶ「切り返し」のプロになる48の技術』ダイヤモンド社、2022年。

 特に若い子が使う言葉遣いは、言葉の意味に解釈が入る余地があるので、十分に注意している。とはいえ、最近聞いていて好きな言葉は「秒でやります」というもの。時にこうるさいIyokiyehaが許容!としてしまうようないい感じがあります。
 いろんな話題に対して「秒で返す」ことに長けた人に、芸人さん、がいます。その世界は、映像を見ていてもわからない競争社会で、それこそ芸人さんたちは、そこにある機会(チャンス)にかけて「秒で返し」続けているようにも見えます。
 では、それはその人が生まれもったセンスによるものなのかというと、それを否定するつもりはないんですが、どちらかというと技能として磨き続けていることが、それぞれにあるように思います。トップクラスの芸人さんたちには、それぞれのトレーニング方法を実践しているのでしょうが、本著はNSC講師の本多氏が、長年にわたる芸人さん養成校で磨いてきたメソッドをこれでもかこれでもかと紹介しています。
 普段見聞きする情報をほめまくったり、言い換えてみたり、真似からエッセンスを見つけ出すとか、語彙を磨くとか、いつでも準備しておくなど、地味で地道なのだけれども、なるほど、問いに対して即座に「秒で回答する」妙技は、こういう積み重ねによって支えられているのだと感じられる内容ばかりです。

最近思うこと 251014

 今年の夏場は、仕事の中では「悪意」のことしか考えられなかったな。本当に、なんというか自分本位というか、相互理解を放棄して理解「できる/できない」ではなく「する/しない」のレベルで感情がぶつかりあうケースが散見されて、もうなんというかモチベーションがだだ下がるということばかり起こっていた。いや、今も継続しているのだけれども、さすがに呆れや諦めを一通り通り過ぎて、もはや「関わり合わない」ことを選択している自分がいる。これが福祉の現場で、今困っているその人を助けるためのやりとりであれば、もう少し変わったアプローチをするのだろうけれども(してきたのだけれども)、今の仕事で起こるのは「困っている」の意味がそれとは異なるように思う。すなわち、生活上のどうしようもない困りごとに対して「助けて」ではなくて、困りごとに自分の欲をのせて「どうにかしろ」が横行する。これは、(やりたくないけど)全面戦争の様相にしかならず、「どうしようもない、外れ論理で、反撃できない相手を責め立てる」側と、「背景が変わる中でやむを得ず守らざるを得ないことを守らないといけない」側との、不毛な言い争いが続くだけである。
 なるべく距離をとりつつ、うまく守って切り抜けるしかないのだな、と思うこの頃である。

 後ろ向きな話はここまでにして、生活自体の改善点。
 情報インプットのバランスを見直し続けている。もう少し活字からインプットしたいところであるが、もう少し割り切って聞く情報に頼ることを意識している。PODCAST、Voicy、ラジオあたりであるが、こうしたものに触れる時間を意識して増やしている。家事をしながらインプットできるいい習慣である。
 一方で、アウトプットはというと、書き捨ての日記を見直している。このBLOGの更新もがんばりたいところであるけれども、デバイス使用の時間を減らしている経緯もあり、手書きでちょっとした日記を続けている。寝る前のリラックスになるし、記録としていつまでも残るわけではないけれど、頭の中には残りやすい実感がある。
 で、上記を踏まえた学びについて、身体動作を組み合わせることの効能を改めて感じている。合気道のお稽古がとってもいい事例になっているのだけれども、もともと仏教分野では心身それぞれの修行は同格という考え方がある。頭だけではダメ、身体だけでもダメということである。双方のバランスをとることで昇華していくもの、と考えるのならば、私の合気道のお稽古にも通じるし、日々のトレーニングにもつながっていくものだと思います。少なくとも、朝のルーチンと歩き通勤とで、そこそこの運動量を保てている。
 改めて、「ゆっくり」読むことを味わっている。速読がいいと思い込んできたのだけれども、言葉にこめられてた意味を考えながら読む「熟読」のよさを、何十年かぶりに味わっているところである。

大人とはどんな人?

頭のいい人が、世の中に必要な人とは限らない。
ちょっと違和感あるよね。世の中作るには、頭がいい人は必要です。
じゃあ、頭がいい=勉強ができる+やるべきことをできる+他人を思いやることができる という分解してみたらどうだろう?
△勉強ができる人が、世の中に必要な人である。
○やるべきことをできる人が、世の中に必要な人である。
○他人を思いやることができる人が、世の中に必要な人である。
少し解像度があがってきたね。もっとやれば、もっと解像度はあがりそう。「頭がいい」という言葉は、使いやすいからよく使ってしまう。反対の意味を自分に当てはめて「自分バカだからさ」とかつなげると、なんだかそれっぽく聞こえるから不思議である。

ここのところ、そうしたことを感じ取る場面があって、表現だけ紹介すると、
「勉強ができる人が、世の中のためになるとは限らない」ときたから、思わず柏手。
そういうことなんです。目的を失った理屈っていうのは、ただの屁理屈であって、一つ一つは相手に詰め寄る刃になるのかもしれないけれども、全体で見たら大きいだけの鈍器みたいなもので、そんなに切れ味が鋭いわけじゃない。そんなものを振り回す理由が、相手に伝わらないとなると「…あなた、何やってんの?」ということになる。で、そんなことに付き合わされている人が、世の中のためになることができるか、というと、そんなことはないわけで。
仕事の流れを A→B→C→D→E(完了)と考えた時に、Aがたとえ必要なことであったとしても、Bでそれを無用なものにしてCに引き継いだとしたら、Cはその仕事を継続する限りC→D→Eと無用なものが流れていき、無用なアウトプットが生じることになる。流れの上流で無用なものを流したら、その下流は無用なものが流れていくだけで、だれかがそれをやめにしてやりなおさない限り、無駄なものがただただ生産されていく。
まぁ、iyokiyehaさんが、今その下流にいる感覚を受けているのであって、日々「自分の仕事が世の中のためになっているのか?」と自問しています。

大人って、物事を有用なまま飲み込んで次に渡すことができる人なのでしょうし、もちろん物事を理解する頭のよさは必要ですが、やるべきことを自信をもって進めていくことができるべきで、かつそういうことを周囲や対象の視点を活かして進められる人のことだと思うのだよね。「頭がいい」を成熟したといった意味で使っていた人たちは、このあたりで認識を改めた方がいい。時に勉強ができる人の中には、他の要素を失っていることに気づかないまま、受け止めたことを「自分本位」で塗り替えて次に放り投げる人がいる。そして、その場面で変容する人間関係があったり、以下の仕事がすべて世の中のためにならない仕事になってしまうことすらある。いいたいことばっかりやっているのは未熟な証拠、できるといって微妙なことをやってしまうのも未熟な証拠。本当の意味での大人は、納得いかないことも一度は腹に収められる人のこと、言わなきゃ気が済まないことも言わないようにできる人、言うべき時にきちんと相手に届くように言える人、そういう人なのだと思う。それができない内はまだまだ未熟・おこちゃまと言われるのだろうよ。

2025年9月7日日曜日

悪意再考

人の悪意は避けがたいということは、先に考えた通り。そもそも「やっつけてやろう」という気持ちで向かってくる人に対して、説得を試みたり、何かを説明して分かってもらおうとすることは、ほぼ徒労に終わるのだと、Iyokiyehaさんは最近あきらめに近い学びを得た。動機や目的は特定し難いけれども、たとえ事の発端が「何かを成し遂げよう」とすることであっても、何かのきっかけで矛先を相手に向けることそれ自体が目的とすり替わって亡霊化する。亡霊化した悪意は、促進剤を使ってその相手が対応しにくいように手段をデザインして攻めにいく。相手方というのは、どうしても「想定外」というか「守備範囲外」の悪意が攻めてくるのだから、防戦一方となる。なんとしても分が悪い。

ということを考えながら、最近の気づき2。私の相談スキルは「相手の思考を変化させる」ものとはちょっと違って、「相手の思っていることを促進する」のが一歩本質に近づく説明になるのだろうと思った。要は、ポジティブな気持ちが少しでもあるなら、プラスの方向に伸びていくが、ネガティブな気持ちがあるとそれが促進されて悪意となったり、亡霊化することになる。攻めてくる人に反撃するというスキルとは違って、きちんと気持ちのある人を支えていくことが私のストレングスなのだろう。一方で、苦情の主からは、ネガティブ感情が増幅していくゲートにもなりかねない。要注意です。

2025年7月23日水曜日

悪意から逃れるのは難しい。

 すべての価値を金銭に置き換えると、他と比べる余地が大きくなる。資本主義っぽい近代国家っぽいことって、案外そういうところに基本原理があるのかもしれない。
 人をけなすことや、強い指摘を行うことって、その相手に不快な感情を抱かせるのだけれども、そうして感情が動いてしまった人が、理由はどうあれ反撃に転じた瞬間、主張の主と同じ土俵に立つことになってしまう。その理由が、たとえ「自分の身を守ること」だとしても、だ。真に自分の身を守るならば、一方的な刃に対し、捌いて無効化できれば優、刃が届かないところまで距離をとってそれを保つことができれば良、無視しきれれば可、といったところだろうか。「一矢報いる」「やられなければやられる」「これ以上やられる前にやっておく」みたいな、凡人の中にふと芽生えやすい感情は、それそのものが相手の刃の範囲内に取り込まれていくことになる。
 それで、同じ土俵に乗ったら、あとは比較の思想が奔流とともにやってきて、あれがいい、これが欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しいと、どこぞの歌詞のように(あの歌は名曲です、本論とは関係なし)本来不必要なこと・ものに「必要」「大事」のレッテルを貼って、自分自身を煽り立ててくる。こういう構造があるように思えるこの頃。

 あと、自分の中ではちょっと似たことで最近のトレンド、「悪意は防げない」。根拠がない、あるいはトンデモ話やデマというのは、「言ったもん勝ち」の側面が大きくて、自分の間違いをしくみの不備や不可能なことに転嫁してそれに関係する相手を責め立てる、というのが、ここのところ身の回りで起こっていることに共通する構造だと思う。ただ、その向こうで一貫しているのが、「間違えたのはあなた(方)のせい」「わたしはこう思っていた」「○○と読めてしまう」というあたりの感情と(屁)理屈だろう。言ったもん勝ち。
 周囲の出来事を透かして、(限定的に私が見聞きする)世の中の言説を当てはめてみると、○○ファーストとか、■■優先とか、そんな言葉になって広がっていく。だいたい「日本人ファースト」ってどこに線引いて、何をしようとしているのだ?ヘイトや差別の発想がカウンターバートから提出されているけれども、それを追い風にしつつ、「あなた(方)の言う『日本人』って誰よ。どの範囲なの?Iyokiyehaさんは当てはまるのかい?」と問う。私の身近な知り合いにも、外国ルーツの方はたくさんいるし、その人たちに「日本人ファーストだから、あなたはダメよ」とは言えない。もちろんそれに一言「俺もいいのか知らんけど」とつけることになるが。そのくらいおかしなことが、(私にとっては見苦しい)動画になって政治にも広く影響を与えているのが、本当に「気持ち悪い」と思った最近です。
 とはいっても、私の生活は変わらない(変えない)ようにしたいのだけれども。先日、ひょんなことで体験した「温活」が、身体によさそう。
 

話し方のレッスン

 ひょんなことからご縁があって、話し方のレッスンを受けてきました。
 これまでの経験もあって、プレゼンや人と話すこと、それ自体にはそれなりにスキルに自信はあるのだけれども、とはいえ、仕事以外のところできちんと教えてもらったことはないので、いい機会でした。
 学んだことは、言葉にすると月並みなんですが…
・(その話の中で)一番伝えたいこと/抽象度を高めた 一言をそえる。
・フィラー、語尾フィラーを減じる
 ということです。言葉にすると、どこかで聞いたことがあって、いろんな場面でいろんな人が言っている、ことですが、これをきちんとトレーニングする機会はとても貴重でした。
 頭使うし、話し方を気にするととっても窮屈だし…
 でも、録画してもらった自分の話し方を見て、たくさんの気づきがありました。印象的だったのは、「自分が思っているよりも窮屈さは見えにくい」こと。むしろ、自分が「窮屈」と思った話の方が、聞いている立場としては「話に集中できる」。内容が浮き彫りになる話し方、なんて言えるのだろうと思いました。
 「一言」ワークは、時々、丁寧に言葉選びをするようにしたら、きっと私があこがれる「難しいことを端的にずばっと言える」人に近づくのだろうな、と可能性を感じることができました。
 出不精な私にとって、研修とかセミナーってどうしても一歩踏み出すのに力が要るのだけれども、生活のベクトル(方向性)が合ったものは、必ず学びがあるな、と改めて思う次第です。仕事で参加する(しなくちゃいけない)説明会とか講習会に当たりはずれを感じるのは、このベクトルの重なり具合なんだろうな、とも感じる機会になりました。
 何より、今の言葉で言うならば「推し」が提供している講座に参加できたのは、自分にとっては、とってもとってもいい経験になりました。偶然とはいえ、こんな機会をいただいたことに、ほんと感謝です。

新庄耕『地面師たち ファイナル・ベッツ』集英社、Audiobook版。

 「地面師たち」というドラマがネットフリックスで公開されており、妻の勧めで一話を観て、それっきりになっていた。同名の小説が紹介されていたので試してみる。
 とにかく「気持ち悪い」と「人間が本能むき出しになる瞬間」が交差する。ドラマのエピソードとは異なるのか?とはいえ、ハリソンが主要な登場人物として現れるなど、どちらかがモチーフとなっているのだろう。
 ハリソンの人間描写やちょっと倒錯した性癖など、元アスリートが成績不振をきっかけにギャンブルに身を投じ、通常の思考あるいは本人が落ち着いた時の思考では「ありえない」行動を、自分の欲(感情)に従って選択してしまう様と、その結果によって現実を突きつけられ、後悔と他責と自責が混在して混乱しつつも冷めていく様子など、人間にありがちな感情の動きを、振れ幅大きく、とかく「気持ち悪く」描かれている。
 とにかく「気持ち悪い」のだが「気になる」読み物だ。登場人物一人一人のキャラクターが尖りすぎていて、元気のない時には気持ち悪さが優位になってしまう。ちょっと注意です。

米国戦略諜報局(OSS)著、越智啓太、国重浩一訳『サボタージュ・マニュアル:諜報活動が照らす組織経営の本質』北大路書房、Audiobook版。

 ちょっと変わった一冊。
諜報(ちょう ほう) 敵の様子をひそかに探り、味方に知らせること。また、その知らせ。(デジタル大辞泉より)

 イメージしやすいのは「スパイ」なのかもしれないが、様々な諜報活動があるなかで、その技術や知見を利用して「組織にダメージを与える」ことを知ることにより、組織の在り方を考えることを促す一冊。いろんな方法で、人間関係や組織の雰囲気に悪影響を与える方法、物理的に物的資産を故障、不具合、破壊する方法、ハードにもソフトにも、様々に紹介されているが、これらの内容は「自分がそれを試してみる」ではなくて「敵はこう考えて組織を壊しにくるから…(どうする)」と続く思考を促す一冊といえる。
 印象に残ったのは以下の部分。
・諜報員が見て、分析する、組織の弱点。
・諜報活動として、質的に円滑さを失わせて不協和音を生む方法と、物理的に資産を壊す方法がある。
・例えば、規則を頑なに守る、というのはそれによってクライアントや組織内に不便が生まれる。頑なに厳守を主張することにより、組織内の円滑さが失われる。
・機械ものは、砂や過剰な油分(ちょっとしたこと、あるいは適量ならば必要なもの)に弱い。

ジェイエル・コリンズ著、小野一郎訳『父が娘に伝える自由に生きるための30の投資の教え』ダイヤモンド社、Audiobook版。

 投資に関する考え方について、資産形成に成功した著者が未来を生きる娘に語る形で説明するもの。謙虚な姿勢が貫かれており、まさに投資のイロハと目標設定、考え方について論じる一冊。奇をてらう内容ではないが、着実にためることによって何を目指すのかということが語られている。要点は以下の通り。

・投資は、基本的に「箱にすべてを入れて待つ」のが、資産形成には有用。

・X%の金利で運用するとした時に、貯蓄のX%が年収に当たるところまで貯めることで、人生のステージが変わる。

・人生に選択肢がある安心感。

・まずは、半年分の収入を貯蓄すること。

2025年5月24日土曜日

もっとシンプルでいい。もっと現実から受けるものを大切に。

 毎年この時期に歳をとるので、目標を微調整したり、ちょっと振り返ったりするわけです。
 ここのところ、毎年職場環境が変わるため、あまり奇をてらったことは考えておらず、成り行きでどうするか考える、ということを繰り返しているわけですが、一方で自分の能力について考えさせられる機会も多く、ますます自分の立ち位置というのがわからなくなっています。
 とはいえ、それで悩んでいるかというとそうでもなくて、元々偏差値が高いわけではないので、やっぱり今の仕事は膨大すぎて時間がかかる。そういう側面だけ切り取ると、歳をとったことを理由にしたがる人ばかりなのだけれども、そうじゃなくて物事の扱いを、自分で複雑にして、自分にそれを課してしまっているのではないかな、と思うわけです。
 いい、悪いではなく。体調を崩したら「悪い」だけど、そこまではいっていない。ただ、生活上の負担はカミさんに寄ってしまっているので、それはやっぱりよくない。
 やらなきゃいかんことはあるけれども、もっと「やり方」「受け止め方」をシンプルに、一つ一つのことを丁寧にやっていきたい。

2025年5月11日日曜日

木澤千『雪の朝の約束』文芸社、2021年、Kindle版。

 これは、おそらくノンフィクションだろう。事実は小説より奇なり。木澤氏の生活には、家族との深い愛情と、それをきちんと守ってきた跡が感じられる。
 早逝された父親の最後となった一言「頼んだぞ、約束だ」という一言、そして母親からの「二人を頼むね」と、おそらくこの時には何気ない一言だったのだろうが、著者の記憶にずっと留まり続け、60年以上を経て母親が亡くなられた時に、その言葉の意味することを全うしたと実感をもったことが、小説を貫くモチーフとなっている。
 生まれ育った町の歴史、知人との付き合いと関わり、家族の関係、自分の生活、そして母親を介護する生活。いろんなことに押しつぶされそうになりながらも、そのたびに予期せぬ、決して大きくはないけれども、いろんな人の助けがあり、それでもうまくいかなくなりそうになったり、それにも助けが現れたり。決して楽でない、決して明るくない内容ではあるけれども、この話に含まれる感情は、人の生活そのものが表されていて、生々しい実感とともに伝わってくる思いが、行間の端々から読み取れました。静かに迫力がある読み物でした。