今年に入ってから合気道を始めました。
山梨県甲府市に住んでいた時に、学生時代の先輩に稽古をしてもらってから10年弱経って、新しい土地で、新しい人間関係の中での合気道再開です。楽しい。
甲府で習っていた時には、短刀乱取りありの昭道館合気道で、基本17本と乱取りを中心に稽古していたのですが、
https://shodokanaikido.com/
所沢では興武館合気道で、基本動作から技を一つずつ練習していくもの。
http://renshinkaitokorozawa.web.fc2.com/
最近は技の練習もするようになったので、少しずつ昭道館との違いを感じつつ身体を動かしています。
合気道の技のほとんどは、基本動作が組み合わさってできているので、わからなくなった時には基本動作に立ち返ってみると、いわゆる「正しい動作」のヒントが得られたりします。自分の立ち位置や相手の相手の立ち位置、体格なんかによってそれぞれ「正しい動き」が決まってくるのでしょうが、それに近づくと身体がすっと動く感覚は、他の運動では得られない身体感覚です。今のところ私はそれに「正しい線」という言葉をつけているのですが、これは稽古が進んでくれば、また違う言葉になるかもしれません。
基本動作一つとっても、膝を抜くタイミングによって、前に出る足の距離が変わったり、毎回自分の身体動作に発見があり、大変刺激的です。
2017年11月25日土曜日
2010年9月7日火曜日
頭痛?
昨日の朝から、後頭部左側に違和感がある。
なまじ勉強なんかしていると「そういや、こないだ手がしびれていたなぁ」とか「外傷がないのも変だなぁ」と、脳血管障害の可能性を疑って怖くなってしまうところですが、Webで調べる限りは、まぁ、とりあえず大丈夫だろうという結論に達する。
とはいえ、家庭を守る身ですから、今週たまたまとっていた年休の木曜日に病院でもいってくるとします。
何事もなければそれでよし。
それにしても、こういうときに、さっと病院に行けないのが、私を含めた日本のサラリーマンの現状なんだろうなと。
Iyokiyehaは、仕事も好きですが、その他も好き、特に家族は大事な人種ですから、年休はできるだけとるスタンスなんですが、何かの担当者としての肩書きが、そういったときの初動を遅らせる。
気づいていても、手が出せないという現状があるような気がしました。
健康第一。
なくしてわかる、親と健康とセロテープ(注:東海道新幹線「三河安城」線路北側に注目)、なんて言われますが、健康って普段はその「大事さ」になかなか気づかないものですね。
ガタがきている状態も、少しずつメンテナンスしていかないといかんと思った出来事でした。
なまじ勉強なんかしていると「そういや、こないだ手がしびれていたなぁ」とか「外傷がないのも変だなぁ」と、脳血管障害の可能性を疑って怖くなってしまうところですが、Webで調べる限りは、まぁ、とりあえず大丈夫だろうという結論に達する。
とはいえ、家庭を守る身ですから、今週たまたまとっていた年休の木曜日に病院でもいってくるとします。
何事もなければそれでよし。
それにしても、こういうときに、さっと病院に行けないのが、私を含めた日本のサラリーマンの現状なんだろうなと。
Iyokiyehaは、仕事も好きですが、その他も好き、特に家族は大事な人種ですから、年休はできるだけとるスタンスなんですが、何かの担当者としての肩書きが、そういったときの初動を遅らせる。
気づいていても、手が出せないという現状があるような気がしました。
健康第一。
なくしてわかる、親と健康とセロテープ(注:東海道新幹線「三河安城」線路北側に注目)、なんて言われますが、健康って普段はその「大事さ」になかなか気づかないものですね。
ガタがきている状態も、少しずつメンテナンスしていかないといかんと思った出来事でした。
2009年2月21日土曜日
ストレス発散装置
PSW通信講座の現場実習のため、帰省中。
実習先の勤務時間が、日勤8:30~17:30で、自宅から車で30分くらいの場所だが、朝は車のラッシュもあるため、普段よりも早い時間(7時30分過ぎ)に出勤する。
朝、運動をする習慣のあったIyokiyehaであるが、今週は全く運動することができていない。
理由としては、
1.この時期の朝方は非常に寒く、起きぬけに水を飲んで屋外に出ることが果たして身体にいいのかどうかわからないこと
2.実家に私の家族が泊まっているときには、要らん物音を立てて、子どもを起こしたくないこと
3.そもそも、この時期の朝運動は辛い
というものである。
実習終了後は、「できるだけ家に仕事を持ち帰らない」というIyokiyehaの原則に則り、帰宅前にマクドナルドに寄って実習日誌なるものの取りまとめをするため、帰宅が19時過ぎになる。
夕食後、可能な日は太極拳などをしたわけだが、充分な運動量になっているかというと、疑問もある。
こういった状況に加え、先日から考えていたことだが、屋内運動と屋外運動は、消費カロリーを同じにしても、ストレスの発散具合は違うように思う。
イメージとしては、物理的な制限がなく、身体機能を活用できる環境下では、開放感が精神的ストレスに影響を与えるように感じることがある。
運動量のあるプログラム(入隊とか、ダンスとか)の実施は、消費カロリーは高いのだろうが、この精神的ストレスの発散度合いは、屋外運動のそれと比較すると、少し劣るように思う。
屋内運動でも、思い切り走り回れる環境だと、また違うのだろうが。
やはり、週に2,3日は、屋外で思いっきり身体を動かしたいものである。
ひいては、それが心身ともに健康体でいるための秘訣のようにも思われる。
実習先の勤務時間が、日勤8:30~17:30で、自宅から車で30分くらいの場所だが、朝は車のラッシュもあるため、普段よりも早い時間(7時30分過ぎ)に出勤する。
朝、運動をする習慣のあったIyokiyehaであるが、今週は全く運動することができていない。
理由としては、
1.この時期の朝方は非常に寒く、起きぬけに水を飲んで屋外に出ることが果たして身体にいいのかどうかわからないこと
2.実家に私の家族が泊まっているときには、要らん物音を立てて、子どもを起こしたくないこと
3.そもそも、この時期の朝運動は辛い
というものである。
実習終了後は、「できるだけ家に仕事を持ち帰らない」というIyokiyehaの原則に則り、帰宅前にマクドナルドに寄って実習日誌なるものの取りまとめをするため、帰宅が19時過ぎになる。
夕食後、可能な日は太極拳などをしたわけだが、充分な運動量になっているかというと、疑問もある。
こういった状況に加え、先日から考えていたことだが、屋内運動と屋外運動は、消費カロリーを同じにしても、ストレスの発散具合は違うように思う。
イメージとしては、物理的な制限がなく、身体機能を活用できる環境下では、開放感が精神的ストレスに影響を与えるように感じることがある。
運動量のあるプログラム(入隊とか、ダンスとか)の実施は、消費カロリーは高いのだろうが、この精神的ストレスの発散度合いは、屋外運動のそれと比較すると、少し劣るように思う。
屋内運動でも、思い切り走り回れる環境だと、また違うのだろうが。
やはり、週に2,3日は、屋外で思いっきり身体を動かしたいものである。
ひいては、それが心身ともに健康体でいるための秘訣のようにも思われる。
2009年2月8日日曜日
ルールの違いと間合いの違い
合気道の稽古にて。
最近は、師匠との乱取り練習の中で10本に1本くらいは、自分の意思で技が出るようになった。
時々、脇固めや中途半端な下段が決まることもあり、ますます楽しい。
きれいに技をかけたはずなのに、きれいに返し技を決められると、くやしいがそれもまた上達の証かもしれない。
先日、通常ルールとは違う乱取りをしたときのこと。
「足を持って、正面当てをやっていい」(わからない人にはわからない表現でごめんなさい)ルールだったのだが、不思議なことに普段腰をかけられる時には安全な間合いで、見事に技を決められ、またすっとばされた。
多分、足一つ分くらいの微妙な間合いだと思うが、それでも狂わされると簡単に飛び込まれて技を決められてしまう。
不思議。
この微妙な差に気づけるようになったこと自体、多少は上達している証拠なんだろうし、合気道を始めた一年くらい前よりは神経反応も変わっているのだと思う。
最近は、師匠との乱取り練習の中で10本に1本くらいは、自分の意思で技が出るようになった。
時々、脇固めや中途半端な下段が決まることもあり、ますます楽しい。
きれいに技をかけたはずなのに、きれいに返し技を決められると、くやしいがそれもまた上達の証かもしれない。
先日、通常ルールとは違う乱取りをしたときのこと。
「足を持って、正面当てをやっていい」(わからない人にはわからない表現でごめんなさい)ルールだったのだが、不思議なことに普段腰をかけられる時には安全な間合いで、見事に技を決められ、またすっとばされた。
多分、足一つ分くらいの微妙な間合いだと思うが、それでも狂わされると簡単に飛び込まれて技を決められてしまう。
不思議。
この微妙な差に気づけるようになったこと自体、多少は上達している証拠なんだろうし、合気道を始めた一年くらい前よりは神経反応も変わっているのだと思う。
2008年12月23日火曜日
身体が連動して動く
先日の続き。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/12/blog-post_21.html
(2008年12月21日投稿)
合気道で技が発動する時、自分から出力される力はそのほとんどが「直線」ではない。
動作が直線に見えても、相手に伝わっている力はいくつかの別のベクトルによって生み出される複雑な力である。
合気道や太極拳によって繰り出される力が、他の打撃系の武術と違うのは、このあたりなのかもしれない。
下半身は、低い位置を這うように、先日考察した「前進」をしながら、腕は肩から大きな円を描く、それと同時に肩の回転とは違う回転量で腰のひねりが元に戻る。
それらが連動することで、自分の腕を通じて相手に加わる力は、勢いをつけて体当たりするのとは全く別質の力になる。
面白い。
身体の各部位の動作が、それぞれ独立しながらも、相手に加わる力としては合成され、それも独立した複数の動作から生成される力のため、力と力によって相殺されるような質の力ではない。
ある一点でかかる力に対し、それを相殺しようと思っても、時間の経過(一瞬だが)とともに、力の方向は変化を生む。
これが、合気道をやっていて面白さを感じるところでもある。
この「各部位の独立した動作が連動する」ということに関連して、毎日やっている木刀の素振りでの気づき。
最近、袈裟斬りがスムーズにできるようになった。
以前は、袈裟斬りの動作をすると、肩と肘に「つっかかり」を感じ、どうしても手首に負担がかかっていたのだけれども、ゆっくりと何度も肩を意識して練習したところ、以前よりもスムーズに肩と肘が連動するようになった。
手首に要らん負担はない。
自らの身をもって、人体の面白さを体感している。
神経系の動作は、奥が深い。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/12/blog-post_21.html
(2008年12月21日投稿)
合気道で技が発動する時、自分から出力される力はそのほとんどが「直線」ではない。
動作が直線に見えても、相手に伝わっている力はいくつかの別のベクトルによって生み出される複雑な力である。
合気道や太極拳によって繰り出される力が、他の打撃系の武術と違うのは、このあたりなのかもしれない。
下半身は、低い位置を這うように、先日考察した「前進」をしながら、腕は肩から大きな円を描く、それと同時に肩の回転とは違う回転量で腰のひねりが元に戻る。
それらが連動することで、自分の腕を通じて相手に加わる力は、勢いをつけて体当たりするのとは全く別質の力になる。
面白い。
身体の各部位の動作が、それぞれ独立しながらも、相手に加わる力としては合成され、それも独立した複数の動作から生成される力のため、力と力によって相殺されるような質の力ではない。
ある一点でかかる力に対し、それを相殺しようと思っても、時間の経過(一瞬だが)とともに、力の方向は変化を生む。
これが、合気道をやっていて面白さを感じるところでもある。
この「各部位の独立した動作が連動する」ということに関連して、毎日やっている木刀の素振りでの気づき。
最近、袈裟斬りがスムーズにできるようになった。
以前は、袈裟斬りの動作をすると、肩と肘に「つっかかり」を感じ、どうしても手首に負担がかかっていたのだけれども、ゆっくりと何度も肩を意識して練習したところ、以前よりもスムーズに肩と肘が連動するようになった。
手首に要らん負担はない。
自らの身をもって、人体の面白さを体感している。
神経系の動作は、奥が深い。
2008年12月21日日曜日
「前進」に関する一考察
合気道の師匠から教えられていたことで、どうにも不可解だったことの一つに対し、ひょんなことから気づきがあったのでメモ。
「前進」する際の、足の運びと身体の連動に関すること。
ちなみに「ひょんなこと」=「娘を抱いてあやしていた」である。
歩行や走行動作の際に、後ろ足を蹴って前進する方法では、後ろ足の蹴る力によって前進する力が生成される。
この場合、最も強い前進する力は、後ろ足で蹴った力が運動エネルギーへと変換され、身体動作速度が最大になった時に生まれる。
この力は、後ろ足を「蹴る力」によって生成されるため、力の大きさは足の筋力次第ということになる(部位に関する勉強は未実施)。
これまで、何となく「感じ」や「予感」はあっても、不可解だった合気道の理合(りあい)の一つは「後ろ足で蹴らずに前進する」ということ。
もちろん、全く蹴らないことはほとんど不可能であるとは思われるが、蹴る力ではない別の力を利用して、身体を前進させるという理合である。
娘を抱いて、揺らしてあやしている時に、ふと「つつっっ」と身体が前進した。
いつもと違う感覚に気づき、動作を何度か復習してみる。
ちなみに、娘はその感覚が快刺激なのか、ニヤニヤと笑っている。
理合を言語化すると、以下のように表現される。
つまり、体重のもつ「位置エネルギー」(重力に従い、真下に働く力)を、身体動作を調整することによって、身体全体を前進させる力として開放することである。
直立すると、体重の分だけ位置エネルギーは存在しているものの、直立する足の筋力と均衡がとれるため、エネルギーは解放されず留まったままである。これが「気をつけ」の姿勢。
通常の歩行・走行動作は、この真下に働いている位置エネルギーに対して斜め上気味に地面を「蹴る」ことによって、身体を前進させる。
一方、合気道的な動作では、腰と足の位置を「調整」することによって、位置エネルギーの「落ちる位置」を調整し前に押し出すことにより、結果として身体が前進する。
感覚としては、身体の中で「前に動こうとするエネルギーを溜め」つつ、膝の関節を調整し足を前にスライド「し始める」のに合わせて、腰が前進し、身体がそれについていく感じである。
位置エネルギーによって生成された前進エネルギーが、一旦身体内に溜まり、引き絞った弓が元に戻るときのように力が開放される。
この力が人に伝わると、伝えられた方は一瞬にしてものすごい力がのしかかってくるような感覚に襲われる。
師匠に正面当てをかけられたときに、ふっとんでしまう時のような感じなのだろう。
感覚を掴むためのとっかかりができたので、また動作によって意識化していこうと思う。
ちなみに、宮本武蔵が言ったこととして、師匠から「剣は身体動作についてくる」といったことを紹介されたが、そのことに関する思索もまた、深めたいと思う。
最近、袈裟斬りの動作が安定してきて、肩や肘のつかえもとれてきたことと、関係があるかもしれない。

「前進」する際の、足の運びと身体の連動に関すること。
ちなみに「ひょんなこと」=「娘を抱いてあやしていた」である。
歩行や走行動作の際に、後ろ足を蹴って前進する方法では、後ろ足の蹴る力によって前進する力が生成される。
この場合、最も強い前進する力は、後ろ足で蹴った力が運動エネルギーへと変換され、身体動作速度が最大になった時に生まれる。
この力は、後ろ足を「蹴る力」によって生成されるため、力の大きさは足の筋力次第ということになる(部位に関する勉強は未実施)。
これまで、何となく「感じ」や「予感」はあっても、不可解だった合気道の理合(りあい)の一つは「後ろ足で蹴らずに前進する」ということ。
もちろん、全く蹴らないことはほとんど不可能であるとは思われるが、蹴る力ではない別の力を利用して、身体を前進させるという理合である。
娘を抱いて、揺らしてあやしている時に、ふと「つつっっ」と身体が前進した。
いつもと違う感覚に気づき、動作を何度か復習してみる。
ちなみに、娘はその感覚が快刺激なのか、ニヤニヤと笑っている。
理合を言語化すると、以下のように表現される。
つまり、体重のもつ「位置エネルギー」(重力に従い、真下に働く力)を、身体動作を調整することによって、身体全体を前進させる力として開放することである。
直立すると、体重の分だけ位置エネルギーは存在しているものの、直立する足の筋力と均衡がとれるため、エネルギーは解放されず留まったままである。これが「気をつけ」の姿勢。
通常の歩行・走行動作は、この真下に働いている位置エネルギーに対して斜め上気味に地面を「蹴る」ことによって、身体を前進させる。
一方、合気道的な動作では、腰と足の位置を「調整」することによって、位置エネルギーの「落ちる位置」を調整し前に押し出すことにより、結果として身体が前進する。
感覚としては、身体の中で「前に動こうとするエネルギーを溜め」つつ、膝の関節を調整し足を前にスライド「し始める」のに合わせて、腰が前進し、身体がそれについていく感じである。
位置エネルギーによって生成された前進エネルギーが、一旦身体内に溜まり、引き絞った弓が元に戻るときのように力が開放される。
この力が人に伝わると、伝えられた方は一瞬にしてものすごい力がのしかかってくるような感覚に襲われる。
師匠に正面当てをかけられたときに、ふっとんでしまう時のような感じなのだろう。
感覚を掴むためのとっかかりができたので、また動作によって意識化していこうと思う。
ちなみに、宮本武蔵が言ったこととして、師匠から「剣は身体動作についてくる」といったことを紹介されたが、そのことに関する思索もまた、深めたいと思う。
最近、袈裟斬りの動作が安定してきて、肩や肘のつかえもとれてきたことと、関係があるかもしれない。

(仮説-左:通常の歩行・走行動作、右:合気道の理合による前進動作)
2008年10月15日水曜日
大きな水瓶のような・・・
師匠と合気道の稽古をする最中、崩しの練習をしているときに「極めかた」みたいな内容となる。
言葉でまとめるのは難しいのだけれども、例えば手の甲。
左手の甲を右手の親指で押さえていくと、他の部分とは違う痛みを伴う箇所がある。
そこは、おそらく「ツボ」みたいなところだと思うのだけれども、その場所を押さえる右手の使い方で、ただの圧迫か、突き抜けるような圧迫になるかの違いがある。
同じことは、足の甲にも起こりうる。
相手の足の「ツボ」みたいなところを、自分の足の親指で押さえていくと、やはり痛みが違う箇所があり、押さえ方によって突き抜ける痛みを発することがある。
「ツボ」みたいなところを「身体の継ぎ目」とでも、とりあえず呼んでおくことにする。
そして、押さえ方は、「体内の力の流れの出し方」とでも捉えておく。
この後者の表現は難しいところだけれども、圧迫する力に「気」を乗せるとでも言うのだろうか。
同じ押さえ方でも、それが手首を起点とした親指によって作り出される圧力なのか、それとも、目に見える動作を伴わなくとも、体内の骨格および筋肉、果ては血流みたいなものの動きが一体となって生みだされる圧力なのか、という点で、力の出方が全く違ってくるといえるのではないだろうか。
それは、水を多めに入れた水瓶を担ぐと、水瓶の中の水が動くことによって、重心が変化する様子に似た感覚のようにも思われる(完全に密閉した容器に水を入れた時に、内部で水が動くかというと、私は知らないところだが)。
太極拳の動作にも似たところがあるように思われる。
「身体の継ぎ目」に、「体内の力を集中して出す」ことによって、身体の内部にダメージを与えるらしいですから。
合気道は、「身体の継ぎ目」を利用して、「体内の力と移動力」によって相手の身体を制御するとでも言うか。
共通点はありそうですね。
言葉でまとめるのは難しいのだけれども、例えば手の甲。
左手の甲を右手の親指で押さえていくと、他の部分とは違う痛みを伴う箇所がある。
そこは、おそらく「ツボ」みたいなところだと思うのだけれども、その場所を押さえる右手の使い方で、ただの圧迫か、突き抜けるような圧迫になるかの違いがある。
同じことは、足の甲にも起こりうる。
相手の足の「ツボ」みたいなところを、自分の足の親指で押さえていくと、やはり痛みが違う箇所があり、押さえ方によって突き抜ける痛みを発することがある。
「ツボ」みたいなところを「身体の継ぎ目」とでも、とりあえず呼んでおくことにする。
そして、押さえ方は、「体内の力の流れの出し方」とでも捉えておく。
この後者の表現は難しいところだけれども、圧迫する力に「気」を乗せるとでも言うのだろうか。
同じ押さえ方でも、それが手首を起点とした親指によって作り出される圧力なのか、それとも、目に見える動作を伴わなくとも、体内の骨格および筋肉、果ては血流みたいなものの動きが一体となって生みだされる圧力なのか、という点で、力の出方が全く違ってくるといえるのではないだろうか。
それは、水を多めに入れた水瓶を担ぐと、水瓶の中の水が動くことによって、重心が変化する様子に似た感覚のようにも思われる(完全に密閉した容器に水を入れた時に、内部で水が動くかというと、私は知らないところだが)。
太極拳の動作にも似たところがあるように思われる。
「身体の継ぎ目」に、「体内の力を集中して出す」ことによって、身体の内部にダメージを与えるらしいですから。
合気道は、「身体の継ぎ目」を利用して、「体内の力と移動力」によって相手の身体を制御するとでも言うか。
共通点はありそうですね。
2008年9月10日水曜日
足で崩す
合気道で乱取りをやっていると、覚えた(型通りの)技は単発ではかからないことがよくわかる。
「くるな」と思えば、相手の技が発動してからそれがかからないように動くことで、相手の技をさばくこともできる。
バランスを崩していると、話は別だが。
この「バランスを崩す」がポイントで、師匠の動きを見ると、相手の肘を持って押し込んだり、引いたりと、いくつかの動きを組み合わせて、自分が技を出しやすい体勢に相手をコントロールする。
この「崩し」も難しいところで、上半身(腕や手)を使って押したり引いたりすればいいかというと、そうでもない。
師匠曰く「相手の肘とかに、自分の手を『ひっかけて』、足を動かすことによって力を伝えていく」とのこと。
なるほど「移動力を伝える」というのは、こういう小さな動作にも通ずるものかと。
やってみると、なるほどと思う。まだまだ無駄が多い動作だけれども、感覚は味わえた気がする。
「くるな」と思えば、相手の技が発動してからそれがかからないように動くことで、相手の技をさばくこともできる。
バランスを崩していると、話は別だが。
この「バランスを崩す」がポイントで、師匠の動きを見ると、相手の肘を持って押し込んだり、引いたりと、いくつかの動きを組み合わせて、自分が技を出しやすい体勢に相手をコントロールする。
この「崩し」も難しいところで、上半身(腕や手)を使って押したり引いたりすればいいかというと、そうでもない。
師匠曰く「相手の肘とかに、自分の手を『ひっかけて』、足を動かすことによって力を伝えていく」とのこと。
なるほど「移動力を伝える」というのは、こういう小さな動作にも通ずるものかと。
やってみると、なるほどと思う。まだまだ無駄が多い動作だけれども、感覚は味わえた気がする。
2008年9月7日日曜日
腰が動く力
8月下旬から、合気道を再開しているのだが、少しずつ身体を慣らしていく過程で感じた身体感覚がある。
それは、人間の「移動エネルギー」は、「腰」が最も効率がよいということになるのだろうか。
言語化がなかなか難しいのだが、師匠と手刀合わせをしていて感じたことである。
お互いに手刀を合わせて、相手を押し込んでいく稽古がある。
その時、手刀の形を維持することであるとか、正中線を保つとか、いくつか気をつけることはあるのだけども、それらを一致させていって、最も効率よく相手を押し込めた時の感覚を言葉にすると、「全身で腰の動きを支える」ということ。
具体的には、全身するときに、足を蹴った力で全身するのではなく、重心が前に移動していくのに合わせて膝をコントロールし、腰の全身を妨げないようにする。
同時に、上半身は正中線と手刀の形を維持し、「膝のコントロールによって開放された腰の移動力を、手刀を通して相手に伝えていく」とでもなるか。
これまでに自分がしてきた動作とは、少し身体感覚が違うので、ちょっと違和感があるのだけども、この身体の使い方を、自らの意志でコントロールできるようになったら、きっともっと強くなれると思う。
それは、人間の「移動エネルギー」は、「腰」が最も効率がよいということになるのだろうか。
言語化がなかなか難しいのだが、師匠と手刀合わせをしていて感じたことである。
お互いに手刀を合わせて、相手を押し込んでいく稽古がある。
その時、手刀の形を維持することであるとか、正中線を保つとか、いくつか気をつけることはあるのだけども、それらを一致させていって、最も効率よく相手を押し込めた時の感覚を言葉にすると、「全身で腰の動きを支える」ということ。
具体的には、全身するときに、足を蹴った力で全身するのではなく、重心が前に移動していくのに合わせて膝をコントロールし、腰の全身を妨げないようにする。
同時に、上半身は正中線と手刀の形を維持し、「膝のコントロールによって開放された腰の移動力を、手刀を通して相手に伝えていく」とでもなるか。
これまでに自分がしてきた動作とは、少し身体感覚が違うので、ちょっと違和感があるのだけども、この身体の使い方を、自らの意志でコントロールできるようになったら、きっともっと強くなれると思う。
2008年8月3日日曜日
横面打ち
毎日同じことをやっていても、考えながらやっていると、「ふっ」と気づくことがある。
今日は、木刀を振っていて気づいた「横面打ち」。
今まで、重い木刀(Iyokiyehaは2本の木刀を所持)で横面打ちをすると、手首が痛くなったのだが、軌跡を意識して正しい軌跡と足の動きを調整して振ってみると、これまでにない音で振り切れた。
横面打ちは、中段の構えから、上段に大きく振りかぶり、振りかぶった際、肘を微妙に前後にずらすことによって、軸を捻らずに刀がねじられ、肩から振り下ろす際に肘の軌跡を調整することによって、相手の頭の高さを側面から打つ振り方。
合気道の手刀動作で、片手で相手のこめかみを打つ動作を、木刀を持ったまま合成した時に生まれる振り方である。
振り方だけに注意すれば、手首は痛くないのだが、そうなると木刀を振る速度が落ちることには気づいていた。
今日はそこに、足の運び方を加えてみた。
すると・・・
「ぶぉっ」という鈍い音とともに、これまでにない軽さと速さで振りぬくことができた。
びっくりした。
移動力を手刀を通して相手に伝える合気道の応用によって、木刀の振り方も多少変化しているように思う。
この振り方、向かってくる相手には、移動力は小さくコンパクトに振りぬくことで、軸を外して相手の攻撃を避けるのと同時に相手を打つ方法として使えそうです。
移動力をフルに使う方法では、相手が何らかの形で後方に崩れたり、間合いを取ろうと下がったときに踏み込んで振りぬくことにより、一番効果的に使えそうな技になりそうです。
・・・とはいえ、剣道にはこの打ち方がないし、そもそも木刀をもって人とやり合うことはないので、あくまで想定の中での話ですが。
合気道の乱取りへの応用は、今後検討します。
自分の身体が変化していくのに気づくのが、面白い今日このごろです。
今日は、木刀を振っていて気づいた「横面打ち」。
今まで、重い木刀(Iyokiyehaは2本の木刀を所持)で横面打ちをすると、手首が痛くなったのだが、軌跡を意識して正しい軌跡と足の動きを調整して振ってみると、これまでにない音で振り切れた。
横面打ちは、中段の構えから、上段に大きく振りかぶり、振りかぶった際、肘を微妙に前後にずらすことによって、軸を捻らずに刀がねじられ、肩から振り下ろす際に肘の軌跡を調整することによって、相手の頭の高さを側面から打つ振り方。
合気道の手刀動作で、片手で相手のこめかみを打つ動作を、木刀を持ったまま合成した時に生まれる振り方である。
振り方だけに注意すれば、手首は痛くないのだが、そうなると木刀を振る速度が落ちることには気づいていた。
今日はそこに、足の運び方を加えてみた。
すると・・・
「ぶぉっ」という鈍い音とともに、これまでにない軽さと速さで振りぬくことができた。
びっくりした。
移動力を手刀を通して相手に伝える合気道の応用によって、木刀の振り方も多少変化しているように思う。
この振り方、向かってくる相手には、移動力は小さくコンパクトに振りぬくことで、軸を外して相手の攻撃を避けるのと同時に相手を打つ方法として使えそうです。
移動力をフルに使う方法では、相手が何らかの形で後方に崩れたり、間合いを取ろうと下がったときに踏み込んで振りぬくことにより、一番効果的に使えそうな技になりそうです。
・・・とはいえ、剣道にはこの打ち方がないし、そもそも木刀をもって人とやり合うことはないので、あくまで想定の中での話ですが。
合気道の乱取りへの応用は、今後検討します。
自分の身体が変化していくのに気づくのが、面白い今日このごろです。
2008年7月30日水曜日
当身技
昨晩の合気道教室では、当身技5本に取り組む。
http://homepage2.nifty.com/shodokan/kyogi10a.html
(昭道館本部Webより)
合い構え当て以外は、どれも一度は型で教わっていたが、どれも乱取りの動きの中では使えていなかった。
「移動力を手刀を通して伝える」ということが、頭ではわかっていても、感覚として理解しきれていなかったからだろう。
改めて技に取り組むと、正面当てと合構え当て、逆構え当てと下段との共通点が見えてくる。
もちろん、どれも「移動力」が鍵なのはわかっているけれども、前方への崩しから戻ろうとする相手の体重移動に合わせて飛び込む前者と、相手と組んで距離がないところから腰をぶつけながら相手の後ろ側へ移動するような足の運びで移動力を伝えていく後者。
加えて、手が相手に張り付くような感覚と、力の合成によりどんな力が相手にかかっているのか、いまいちよくわからない後ろ当て。
徒手乱取りの中で発動した下段は、これまでIyokiyehaが「やろうと思ってやってみた」下段とは一線を画していた。
「あっ、かかってるかも」と思いながら前進した結果、師匠の返し技に思いっきりひっかかったのだけれども、タイミングはとりあえずいいらしい。
http://homepage2.nifty.com/shodokan/kyogi10a.html
(昭道館本部Webより)
合い構え当て以外は、どれも一度は型で教わっていたが、どれも乱取りの動きの中では使えていなかった。
「移動力を手刀を通して伝える」ということが、頭ではわかっていても、感覚として理解しきれていなかったからだろう。
改めて技に取り組むと、正面当てと合構え当て、逆構え当てと下段との共通点が見えてくる。
もちろん、どれも「移動力」が鍵なのはわかっているけれども、前方への崩しから戻ろうとする相手の体重移動に合わせて飛び込む前者と、相手と組んで距離がないところから腰をぶつけながら相手の後ろ側へ移動するような足の運びで移動力を伝えていく後者。
加えて、手が相手に張り付くような感覚と、力の合成によりどんな力が相手にかかっているのか、いまいちよくわからない後ろ当て。
徒手乱取りの中で発動した下段は、これまでIyokiyehaが「やろうと思ってやってみた」下段とは一線を画していた。
「あっ、かかってるかも」と思いながら前進した結果、師匠の返し技に思いっきりひっかかったのだけれども、タイミングはとりあえずいいらしい。
2008年7月21日月曜日
第36回関東社会人合気道競技大会
昭道館南アルプスとして、師匠と共に関東社会人合気道競技大会に参加しました。

(大会パンフレット)
Iyokiyehaにとってはデビュー戦です。
合気道を習って一年と少し。
力試しを兼ねて、新しいことへの挑戦の意味を含め挑戦です。
結果は、順当に一回戦敗退でしたが、3分間の試合で一日分の疲れを作ってしまうほど、濃厚で充実した緊張を味わうことができました。
武道の試合って大体短時間ですが、短時間に見合ったことをするということも肌で感じられました。
個人的な結果は、練習して何とか使いものになりそうにしていた技(2つ)が全く発動できず残念だったというところです。
欲を言えば、一つくらい勝ちたかったというのが正直なところでしたが、何もやらせてもらえない相手(Iyokiyehaが負けた相手は、一般の部で優勝しました)にあたって、当面の目標が浮き彫りになったのは、長い目で見たら大きな収穫だったかもしれません。

(こんな雰囲気・注:私の試合ではない)
前半始まってすぐに、緊張なのか準備が充分じゃなかったのか、息切れしてしまって思考に身体がついていかなかったことがあり、「待て!」で場所につくのをゆっくりして息を整えたり。
突きが入らず、相手に距離を縮められ、下がる一方の試合になってしまったこと。横にさばくとか、相手より早く離脱して突く距離を稼ぐとか、何らかのスキルが必要です。
体捌きのパターンが読まれて、後半になって続けて二本とられてしまったこと。
そもそも、相手に多く突かせないように、距離を保つことを教えられていたのに、あまり足が使えていなかったこと。
などなど、課題はたくさんあがります。
組んだときに力は入っていたのだろうけれども、姿勢が割と良かったことを指摘してもらえたことと、至近距離で相手の逆構え当てっぽい技をかわせたのは、意外と冷静に対処できていた証拠かもしれないとも思いました。
時々、こういうのはいいかも、と思った次第です。
もっと腕をあげて、一般の部で上位に食い込めるようになりたいなぁと、素直に思っています。
そして、改めて「合気道って面白い!」と思えるようになりました。
応援してくださった皆様、ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
(大会パンフレット)
Iyokiyehaにとってはデビュー戦です。
合気道を習って一年と少し。
力試しを兼ねて、新しいことへの挑戦の意味を含め挑戦です。
結果は、順当に一回戦敗退でしたが、3分間の試合で一日分の疲れを作ってしまうほど、濃厚で充実した緊張を味わうことができました。
武道の試合って大体短時間ですが、短時間に見合ったことをするということも肌で感じられました。
個人的な結果は、練習して何とか使いものになりそうにしていた技(2つ)が全く発動できず残念だったというところです。
欲を言えば、一つくらい勝ちたかったというのが正直なところでしたが、何もやらせてもらえない相手(Iyokiyehaが負けた相手は、一般の部で優勝しました)にあたって、当面の目標が浮き彫りになったのは、長い目で見たら大きな収穫だったかもしれません。
(こんな雰囲気・注:私の試合ではない)
前半始まってすぐに、緊張なのか準備が充分じゃなかったのか、息切れしてしまって思考に身体がついていかなかったことがあり、「待て!」で場所につくのをゆっくりして息を整えたり。
突きが入らず、相手に距離を縮められ、下がる一方の試合になってしまったこと。横にさばくとか、相手より早く離脱して突く距離を稼ぐとか、何らかのスキルが必要です。
体捌きのパターンが読まれて、後半になって続けて二本とられてしまったこと。
そもそも、相手に多く突かせないように、距離を保つことを教えられていたのに、あまり足が使えていなかったこと。
などなど、課題はたくさんあがります。
組んだときに力は入っていたのだろうけれども、姿勢が割と良かったことを指摘してもらえたことと、至近距離で相手の逆構え当てっぽい技をかわせたのは、意外と冷静に対処できていた証拠かもしれないとも思いました。
時々、こういうのはいいかも、と思った次第です。
もっと腕をあげて、一般の部で上位に食い込めるようになりたいなぁと、素直に思っています。
そして、改めて「合気道って面白い!」と思えるようになりました。
応援してくださった皆様、ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
2008年6月25日水曜日
間合いの感覚
師匠と乱取りの練習をする。
組み合ったときに、押し込んでくる相手に対する脇固めのタイミングは少しつかめたかなと。
もう少し敏感になれば、おそらく実践でも使える武器になるだろう。
「突き」の番になったときに、面白いこと。
突きが入る気が全くしない。
なぜかというと、Iyokiyehaの突きの間合いは、師匠が飛び込む間合いの内側にあるように思うからだ。
Iyokiyehaがじりじりと距離を縮めて「ここなら突ける」と思ったときには、師匠に飛び込まれているという状態。
この飛び込んでくるタイミングにあわせて、突きを入れなきゃいけないんだなと。
一瞬で正確に突いて、間合いを外す動きが必要なように思う。
でないと、昨日のように、下段の餌食になってしまう。
また、感覚を鍛えないとです。
だから面白いんですが。
組み合ったときに、押し込んでくる相手に対する脇固めのタイミングは少しつかめたかなと。
もう少し敏感になれば、おそらく実践でも使える武器になるだろう。
「突き」の番になったときに、面白いこと。
突きが入る気が全くしない。
なぜかというと、Iyokiyehaの突きの間合いは、師匠が飛び込む間合いの内側にあるように思うからだ。
Iyokiyehaがじりじりと距離を縮めて「ここなら突ける」と思ったときには、師匠に飛び込まれているという状態。
この飛び込んでくるタイミングにあわせて、突きを入れなきゃいけないんだなと。
一瞬で正確に突いて、間合いを外す動きが必要なように思う。
でないと、昨日のように、下段の餌食になってしまう。
また、感覚を鍛えないとです。
だから面白いんですが。
2008年6月18日水曜日
居付き
武道全般で使われる言葉のようだが、次の動作ができない、または非常にしにくい体勢のことを指す。
例えば、身体が伸びてしまった時、次の一歩を踏み出すのが遅れてしまう。
師匠と乱取りをしていて、自分の突きの間合いに入ろうとすると、それよりも早く師匠に前に出られてしまう。
一度、お互いの間合いの外から正面当ての形で、真正面から突っ込んでこられたときに、おそらく居付いたのだろう。
「おっ」と思ったときには、自分の間合いに入り込まれていたので、あわてて下がるが、師匠の前進とIyokiyehaの後退とではスピードの差は明らか。
結局止まることも、切り返すこともできず、後退しながらバランスを崩したところに正面当てが軽く入り、その勢いも手伝ってズダーンと。勢いが良すぎて、一回転してしまった。
振り返ってみると、間合いの外から突っ込まれているわけだから、距離を合わせて突きを入れるか、体捌きで相手の側面に入っていくか、ということが考えられるわけだけれども、その一瞬というのは心身ともに「居付き」が生じているかのような状態となっている。
身体は伸びて動けなくなり、思考は「やばい」で埋め尽くされて、次の一手を考える隙間もない。
この一瞬の「迷い」が、実践では勝敗を分かつのだろう。
そして、打つ手を具体的に身体が知っているかどうかで「迷い」の量は減少するのだろう。
黒帯と白帯の決定的な差は、技を知っているだけでなく、それに伴う心の居付きが少ないことによる「迷い」の少なさ(なさ)なのかもしれない。
例えば、身体が伸びてしまった時、次の一歩を踏み出すのが遅れてしまう。
師匠と乱取りをしていて、自分の突きの間合いに入ろうとすると、それよりも早く師匠に前に出られてしまう。
一度、お互いの間合いの外から正面当ての形で、真正面から突っ込んでこられたときに、おそらく居付いたのだろう。
「おっ」と思ったときには、自分の間合いに入り込まれていたので、あわてて下がるが、師匠の前進とIyokiyehaの後退とではスピードの差は明らか。
結局止まることも、切り返すこともできず、後退しながらバランスを崩したところに正面当てが軽く入り、その勢いも手伝ってズダーンと。勢いが良すぎて、一回転してしまった。
振り返ってみると、間合いの外から突っ込まれているわけだから、距離を合わせて突きを入れるか、体捌きで相手の側面に入っていくか、ということが考えられるわけだけれども、その一瞬というのは心身ともに「居付き」が生じているかのような状態となっている。
身体は伸びて動けなくなり、思考は「やばい」で埋め尽くされて、次の一手を考える隙間もない。
この一瞬の「迷い」が、実践では勝敗を分かつのだろう。
そして、打つ手を具体的に身体が知っているかどうかで「迷い」の量は減少するのだろう。
黒帯と白帯の決定的な差は、技を知っているだけでなく、それに伴う心の居付きが少ないことによる「迷い」の少なさ(なさ)なのかもしれない。
2008年6月11日水曜日
体内に溜まったエネルギーを「活かす」
先日、「腰の内側の動き」を前進エネルギーに換える、などというイメージを投稿した。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/blog-post.html
(6月4日投稿:緊張状態と間合いの感覚)
昨日は、その実践編。
おそらく、理屈自体は間違っていないし、相手の突きを左側にかわした時に、左足で軸をずらし、それについてくる右足の軌跡を、膝で調整し、腰の内側を意識しながら右斜め前にスムーズに移動する感覚はわかったような気がする。
体内にあるエネルギーを、消してしまわないように、常に「アクティブ」のような状態にしつつ、その方向を制御する感覚。
「アクティブ」にしておくためには、「ストップ&ゴー」ではなく、腰の内側で常にそれが「動いている」状態を作っておくことが必要となる。
動作だけ見れば、「左後方→右前方」と移動しているわけだけれども、腰の動きを切り出せば、「半右回転→半円運動→平行移動」とでもなるか。
微妙な動きによって、常に「動き続けている」ことになる。
その出所を膝で調整することで、思う方向へ移動する力が生まれる。
自己満足の世界ですが、面白すぎる。
身体への気づきと、それができるようになった(わかった)ときに「ピン」とくる感じがたまりません。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/06/blog-post.html
(6月4日投稿:緊張状態と間合いの感覚)
昨日は、その実践編。
おそらく、理屈自体は間違っていないし、相手の突きを左側にかわした時に、左足で軸をずらし、それについてくる右足の軌跡を、膝で調整し、腰の内側を意識しながら右斜め前にスムーズに移動する感覚はわかったような気がする。
体内にあるエネルギーを、消してしまわないように、常に「アクティブ」のような状態にしつつ、その方向を制御する感覚。
「アクティブ」にしておくためには、「ストップ&ゴー」ではなく、腰の内側で常にそれが「動いている」状態を作っておくことが必要となる。
動作だけ見れば、「左後方→右前方」と移動しているわけだけれども、腰の動きを切り出せば、「半右回転→半円運動→平行移動」とでもなるか。
微妙な動きによって、常に「動き続けている」ことになる。
その出所を膝で調整することで、思う方向へ移動する力が生まれる。
自己満足の世界ですが、面白すぎる。
身体への気づきと、それができるようになった(わかった)ときに「ピン」とくる感じがたまりません。
2008年6月4日水曜日
緊張状態と間合いの感覚
不思議なもので、乱取りをするとものすごく緊張する。
普段、あれだけ「脱力」を意識しているのに、相手と対峙するとぐいぐいと力が入ってしまう。
もっとフワリと動きたいのに。
乱取りでは、いかに「自分の間合いを保つか」がポイントになる。
相手の突きが入らない距離か、逆に突けない距離に入り込む。
そのためには、突きをかわした後、相手との距離を一気に縮めていく動きが必要である。
私は、どうも突きを避けるのに、大きく避けすぎているようだ。
動きを分解して考えると、体捌きで、相手の外側に行こうとするのだが、左足で軸をずらして右足をひいた、その後の左足の運び方だと思う。
この左足で、相手との距離を詰めることができれば、一気に「突かれない」距離に入り込める。
しかしこの動作、一旦外側に移動エネルギーがたまっている状態から一気に前進エネルギーに切り替える必要がある。
ストップ&ゴーの筋肉の使い方をすると、どうしても「ゼロ」部分がでてしまう。
感覚としては、外側にたまっている移動エネルギーを、「腰の内側の動作で円を描くように」前進エネルギーに転換するようなイメージである。
難しいですけど、だから人間の身体は面白いです。
合気道も面白いです。
しかし、今日は筋肉痛です。。
普段、あれだけ「脱力」を意識しているのに、相手と対峙するとぐいぐいと力が入ってしまう。
もっとフワリと動きたいのに。
乱取りでは、いかに「自分の間合いを保つか」がポイントになる。
相手の突きが入らない距離か、逆に突けない距離に入り込む。
そのためには、突きをかわした後、相手との距離を一気に縮めていく動きが必要である。
私は、どうも突きを避けるのに、大きく避けすぎているようだ。
動きを分解して考えると、体捌きで、相手の外側に行こうとするのだが、左足で軸をずらして右足をひいた、その後の左足の運び方だと思う。
この左足で、相手との距離を詰めることができれば、一気に「突かれない」距離に入り込める。
しかしこの動作、一旦外側に移動エネルギーがたまっている状態から一気に前進エネルギーに切り替える必要がある。
ストップ&ゴーの筋肉の使い方をすると、どうしても「ゼロ」部分がでてしまう。
感覚としては、外側にたまっている移動エネルギーを、「腰の内側の動作で円を描くように」前進エネルギーに転換するようなイメージである。
難しいですけど、だから人間の身体は面白いです。
合気道も面白いです。
しかし、今日は筋肉痛です。。
2008年4月23日水曜日
怖さか覚醒か
師匠との合気道。
短刀(布製)を持たずに、徒手乱取りをする。
もちろん一方的に技をかけられるわけだが、今日は一本、神経にまで響くような正面当てをもらった。
http://homepage2.nifty.com/shodokan/kyogi10a.html
(昭道館合気道Web:一番上の技)
動画のような型ではなく、乱取りの動きの中で、一瞬。
「あっ」と思った瞬間に、目の前にものすごい速さで師匠が飛び込んできて、胸の上あたりにふわりと手が触れたかと思うと、あとは後ろに吹っ飛ばされる感覚しか残っていない。
かろうじて受身の動きだけはしたつもりだけれども、でーんと後ろに一回転。
おそらく「浮かされた」のだろう。
身体が「く」の字になったように感じていたけれども、師匠の話とあわせると、おそらく「ノ」の字の体勢で、腰の左側を押さえられたことで、左足が上がり、後ろに下がることもできなくなったところに、師匠の移動力が伝わってきたのではないかと察する。
一瞬で、右足で片足立ちの状態を作らされてしまい、バランスを崩したところに、移動力が押し寄せてくる。
一瞬、何が起こったかわからず。
倒れて、起き上がった時には、心拍数が異常に上がっていた。
この体験の後、自分の感覚に異常を覚える。
それまで、師匠との「間合い」が、「ここまでは大丈夫、ここはやばい」と、「自分なりに」判断していたのだが、一度ふっとばされてから、このセンサーの質が変わった。
それまで「大丈夫」と思っていたところが、「大丈夫でない」に変わる。
身体感覚と、意識とのずれとでも言うのか。
実際には、より「研ぎ澄まされた」のだろうが、ひょっとしたら「怖さ」が先立っているのかもしれない。
不安と覚醒との区別は、まだ整理できていない。
もしかしたら、紙一重・表裏一体の感覚かもしれない。
間違いなく言えることは、師匠の正面当てを受けてから、これまでにつながっていなかった神経が、いくつかつながったのではないかと。
不思議な感覚です。
今日は眠れるか心配。
短刀(布製)を持たずに、徒手乱取りをする。
もちろん一方的に技をかけられるわけだが、今日は一本、神経にまで響くような正面当てをもらった。
http://homepage2.nifty.com/shodokan/kyogi10a.html
(昭道館合気道Web:一番上の技)
動画のような型ではなく、乱取りの動きの中で、一瞬。
「あっ」と思った瞬間に、目の前にものすごい速さで師匠が飛び込んできて、胸の上あたりにふわりと手が触れたかと思うと、あとは後ろに吹っ飛ばされる感覚しか残っていない。
かろうじて受身の動きだけはしたつもりだけれども、でーんと後ろに一回転。
おそらく「浮かされた」のだろう。
身体が「く」の字になったように感じていたけれども、師匠の話とあわせると、おそらく「ノ」の字の体勢で、腰の左側を押さえられたことで、左足が上がり、後ろに下がることもできなくなったところに、師匠の移動力が伝わってきたのではないかと察する。
一瞬で、右足で片足立ちの状態を作らされてしまい、バランスを崩したところに、移動力が押し寄せてくる。
一瞬、何が起こったかわからず。
倒れて、起き上がった時には、心拍数が異常に上がっていた。
この体験の後、自分の感覚に異常を覚える。
それまで、師匠との「間合い」が、「ここまでは大丈夫、ここはやばい」と、「自分なりに」判断していたのだが、一度ふっとばされてから、このセンサーの質が変わった。
それまで「大丈夫」と思っていたところが、「大丈夫でない」に変わる。
身体感覚と、意識とのずれとでも言うのか。
実際には、より「研ぎ澄まされた」のだろうが、ひょっとしたら「怖さ」が先立っているのかもしれない。
不安と覚醒との区別は、まだ整理できていない。
もしかしたら、紙一重・表裏一体の感覚かもしれない。
間違いなく言えることは、師匠の正面当てを受けてから、これまでにつながっていなかった神経が、いくつかつながったのではないかと。
不思議な感覚です。
今日は眠れるか心配。
2008年4月15日火曜日
「コツ」を感じる
師匠との合気道教室にて。
「コツを掴む」の「コツ」とは「骨」のことという解釈がある。
身体動作を考え、実際に動くときに、「骨」の仕組みを意識すると、微妙な身体動作ができるようになる。
師匠は骨だけでなく、筋肉についても同じ事を言っていた。
例えば、歩くときに、踵から地面に足をつけることを意識して、踵からつま先へと重心が移動していくのを感じながら、重心移動によって生まれる前進の力を利用する。
例えば、歩くときに意識する筋肉は、身体の前側の筋肉ではなく、ハムストリングスを中心とした身体の後ろ側の筋肉である。
面白い。
これまで意識していなかった自分の身体が、そこに表れる感覚に、戸惑いながらも面白さを感じる。
技。
「腕返し」を習う。
ちょっとした肘の角度や踏み込み方によって、相手の手首が極まるか緩むかが変わる。
ほんの数センチだったり、手首をどう曲げるかといった微妙なものによって、相手をコントロールできるか否かが変化する。
移動力がそこに加わると、多少「コツ」を外していても、ひょいっと技がかかってしまう。
奥深い。
本当に、面白い。
「コツを掴む」の「コツ」とは「骨」のことという解釈がある。
身体動作を考え、実際に動くときに、「骨」の仕組みを意識すると、微妙な身体動作ができるようになる。
師匠は骨だけでなく、筋肉についても同じ事を言っていた。
例えば、歩くときに、踵から地面に足をつけることを意識して、踵からつま先へと重心が移動していくのを感じながら、重心移動によって生まれる前進の力を利用する。
例えば、歩くときに意識する筋肉は、身体の前側の筋肉ではなく、ハムストリングスを中心とした身体の後ろ側の筋肉である。
面白い。
これまで意識していなかった自分の身体が、そこに表れる感覚に、戸惑いながらも面白さを感じる。
技。
「腕返し」を習う。
ちょっとした肘の角度や踏み込み方によって、相手の手首が極まるか緩むかが変わる。
ほんの数センチだったり、手首をどう曲げるかといった微妙なものによって、相手をコントロールできるか否かが変化する。
移動力がそこに加わると、多少「コツ」を外していても、ひょいっと技がかかってしまう。
奥深い。
本当に、面白い。
2008年4月13日日曜日
やっちまったよ
知っている人は知っている、Iyokiyehaの朝のおつとめ。
木刀の素振りです。
コアな人は、ウチのカミさんも知らない、その振り方を知っているわけですが、ここのところ横面打ちもできるようになってしまいました。
まだまだ開発中ですが、少なくとも人の頭を狙って打ったら、大怪我になるだろうくらいの振り方ができるようになってしまいました。
その証拠がコレ。

(ウチの塀)
自分から向かって左面(打たれる側の右面)に入る横面打ちをしたら、目測誤り自宅(会社のモノ)の塀にヒット。
塀の角だったのに、木刀はほぼ無傷で、塀が欠けました。
我ながら、あなおそろしや。
まぁ、素振りと実践は全く異なるので、これができるから護身はOKというものでは決してないのですが、少しずつうまくなっているような「気がする」自分が、ちょっとだけ自信になってたりします。
合気道にも通ずるものがあるような気がしているので、まだまだ続けます。
…カミさんに怒られるまでは(笑)。
木刀の素振りです。
コアな人は、ウチのカミさんも知らない、その振り方を知っているわけですが、ここのところ横面打ちもできるようになってしまいました。
まだまだ開発中ですが、少なくとも人の頭を狙って打ったら、大怪我になるだろうくらいの振り方ができるようになってしまいました。
その証拠がコレ。
(ウチの塀)
自分から向かって左面(打たれる側の右面)に入る横面打ちをしたら、目測誤り自宅(会社のモノ)の塀にヒット。
塀の角だったのに、木刀はほぼ無傷で、塀が欠けました。
我ながら、あなおそろしや。
まぁ、素振りと実践は全く異なるので、これができるから護身はOKというものでは決してないのですが、少しずつうまくなっているような「気がする」自分が、ちょっとだけ自信になってたりします。
合気道にも通ずるものがあるような気がしているので、まだまだ続けます。
…カミさんに怒られるまでは(笑)。
2008年3月2日日曜日
神経系の動作
合気道の稽古で、受身の練習をするのだが、師匠からよく「ある日、急にできることだから、続けよう」と言われる。
師匠の例えは「ギターのFコードが押さえられる時のよう」とのこと。
IyokiyehaはギターのFコードについては一週間かからずに、何となく押さえられるようになってしまったため、ピンとくる感覚はなかったのだけれども、急にできるようになる感覚というのは分かる。
例えば、ダンスの練習を続けていたら、初めは全く動かなかった腰が、多少8の字に動くようになったこと。
最近の気づきである。
受身の練習も面白いもので、一日の中ではなかなかうまくなった気がしない。
背中を打ち付ける日は、何度か背中を打って痛い思いをして「今日はこれくらいにしよう」とか言って、次の週になると少しだけ楽になるなんてこともある。
身体動作というのは、本当に面白い。
それまでの自分の身体にとっては「ありえない」動きだったとしても、その部分を意識して動かすことによって、少しずつ稼動域が広がる。
気づけば、それまで「意識して動かせなかった」部分が「意識して動かせる」ようになる。
おそらく、頭の中で動作を司る回路に、新しい通り道ができたことによるものだろう。
合気道の動作に限らず、武道の動作はこの「神経系」の動作が大部分を占めるものと考えられる。
もちろん、その動作を支えるだけの最低限の筋力は必要となるわけだが、その筋力を「効率よく」動かすことと、筋肉の収縮速度を上げることによって「速く」動くのとは、質が違うように思う。
後者を「筋肉による動作」とするならば、前者は「神経系の動作」と言えるか。
そう考えると、受身の練習で何度も背中を打って痛い思いをすること、それ自体が頭の中に新しい回路をつくるきっかけになっているのではないかとも考えられる。
「いい刺激を与えると、いいことが考えられる」
Iyokiyehaはこんな風に考えているが、同じように、
「いい刺激を与えると、いい動きができるようになる」
とも言えるだろう。
師匠の例えは「ギターのFコードが押さえられる時のよう」とのこと。
IyokiyehaはギターのFコードについては一週間かからずに、何となく押さえられるようになってしまったため、ピンとくる感覚はなかったのだけれども、急にできるようになる感覚というのは分かる。
例えば、ダンスの練習を続けていたら、初めは全く動かなかった腰が、多少8の字に動くようになったこと。
最近の気づきである。
受身の練習も面白いもので、一日の中ではなかなかうまくなった気がしない。
背中を打ち付ける日は、何度か背中を打って痛い思いをして「今日はこれくらいにしよう」とか言って、次の週になると少しだけ楽になるなんてこともある。
身体動作というのは、本当に面白い。
それまでの自分の身体にとっては「ありえない」動きだったとしても、その部分を意識して動かすことによって、少しずつ稼動域が広がる。
気づけば、それまで「意識して動かせなかった」部分が「意識して動かせる」ようになる。
おそらく、頭の中で動作を司る回路に、新しい通り道ができたことによるものだろう。
合気道の動作に限らず、武道の動作はこの「神経系」の動作が大部分を占めるものと考えられる。
もちろん、その動作を支えるだけの最低限の筋力は必要となるわけだが、その筋力を「効率よく」動かすことと、筋肉の収縮速度を上げることによって「速く」動くのとは、質が違うように思う。
後者を「筋肉による動作」とするならば、前者は「神経系の動作」と言えるか。
そう考えると、受身の練習で何度も背中を打って痛い思いをすること、それ自体が頭の中に新しい回路をつくるきっかけになっているのではないかとも考えられる。
「いい刺激を与えると、いいことが考えられる」
Iyokiyehaはこんな風に考えているが、同じように、
「いい刺激を与えると、いい動きができるようになる」
とも言えるだろう。
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