2024年6月22日土曜日

せめて自分からはいい発信をしよう

 都知事選でもすったもんだ、「これが面白い」と言われて見せられた動画もなんかピンとこない。人の言動をけなすこと、人をいじって笑うこと、感情的になった人を見ておもしろがること、「知らなかった」とルールを破ること、おそらくわざとルール違反をして注目を浴びること自体に何か価値を見出している人、見つからなければいいと趣旨を無視して個人的な利益を得ること、ほかにもいろいろあるけれど、理由がわかりそうでいて、たぶんそれとは違うことを求めていたり面白がっていたりする言動を見ていると、何か気持ち悪い。自分に関わることが少しでもあれば、避ける行動の一手である。

 ということで、それに気づいた今日からは、せめて自分からWebへの投稿は、中立~いいことに限定しようと思う。Webというのは(いいことも、わるいことも)増幅する装置なので、せめて0(ゼロ)、1でもプラスのことを自分からは発信しようと、ここで宣言しておくことにする。

 もう一回だけ、数か月書き溜めているものをアップしたときに、一部マイナス感情のものが入っているかもしれませんが、それはご了承いただくとして、今日以降、自分が書くことはいいことを書いていこうと思う。という宣言でした。世の中、よくなれ。悪い感情が一人歩きする空間はできるだけないほうがいい。

2024年6月1日土曜日

食事中の作法

 気になっていること、そして今のところ気に食わないことの一つに、「人が作ったものを食べる時に、スマホをいじるな」ということがある。暫定的ではあるが。

 個人的な経験から、食べながらスマホで何かやったり、本を読んだりすると、食事の味がしなくなる、というか味が気にならなくなってくる。食べることに集中できない、ということだ。これは、気づいたからわかることなのか、個人的なことなのか、厳密にはわからないのだが、少なくとも自分の経験では、何かをしながら食べるものは、その味に意識が向かない。感動もなければ、違和感も減じられる。要は感情が平坦になって、外界から口を経て食道へと流し込む行為になってしまう。それは機能的には必要を満たしているけれども、「食事」という視点に立ったならば、それが必要を満たしているか判断しかねることになる。

 だから、外食を含んで、人が作ったものを食べる時には、Iyokiyehaさんはスマホ禁止を自分に課している。ポイ活の動画再生はボタンを押すだけ(で観ていない)なので許容にしているが、家族で食卓を囲む時にはスマホを持たないことにしている。

 が、周囲を見回すと、家族を含め、そうでもないらしい。外食に出た時にも、多くの人がスマホとにらめっこ、が多い。だいじょぶなのかなぁ、と思ってしまう。基本的なことがないがしろにされてしまっているようにも思えてしまってならない。