2026年1月2日金曜日

理由が要ること、要らないこと

 いつまで続くかわからんけど、思ったことをアウトプットしておこう。
 「情報があふれている」とか「膨大な情報の渦」みたいな表現が聞きなれるようになった。インターネットが普及して、スマートフォンが行きわたるようになって、さらに加速しているような気がする。しかしながら、自分にとって必要な情報量って今も昔もそんなに変わっていないんじゃないか、と思っている。
 ニュースサイトが見えたり、SNSのチェックなんかをしていると、なんか、それっぽく目をひく情報がある。ついつい見てしまったり、なぜ?と思わされてしまったり。そういうものに注目してしまうと、元々調べていたことや、デバイスを操作している目的がふわっと薄くなって、興味が移ってしまう。最近「これは、嫌だなぁ」と思う。行動の目的を見失うし、調べたり読んだり、見たりするのにえらい時間がかかってしまう。調べきれることなんかほとんどないし、余計にモヤモヤするだけだし、アウトプットには至らない情報ばかりだし。調べたいことを調べられることって、どれくらいかなと振り返るとちょっと怖い。
 「○○の視聴率が低かった理由」は、自分にとっては本当にどうでもいい話である。って考えた時に、自分にとって必要な情報って何だろう?と考える。自分の情報源を「オールドメディア」とか言われても、何の根拠もなければ、自分にとっての意味や価値が損なわれるわけではない。本屋さんが減っていることをもって、書籍が必要ないというのは、あまりに乱暴な意見だなぁと思いながら、いわゆるオールドメディアのお世話になっている。時事ネタを取り入れた漫才なんてのを観て、なんかよくわからない言葉が飛び交っているけれども、まぁ聴いた時に調べてみて、不要なら忘れてもいいと思えば、ずいぶん気楽になるよね。
 結局、情報社会であるとか、多種多様な情報と価値観にあふれているのが最近の日本っぽく語られているけれども、放っておいたら一生会わないような人からの情報に必要なものがどのくらいあるかと言われれば、そんなになさそうだし、身近な人が何かやっていたとしても、それが自分にとって意味のあるものなら付き合えばいいし、そうでなければ、自分の具体と相手の具体を突き合わせて付き合ってどうか判断すればいい。そんな風に考えたら、スマホ以前の自分と今の自分って、必要な情報にそんなに差がないんじゃないかと思えてきた。意味のないことが通り過ぎていくのは見守るだけにして、自分に不愉快等負の感情が生じるならそーっと距離をとればいい、矛先となって自分に向かってくるならそれはかわさないといかんけどね。そうして残る「必要な情報」をきちんと取り入れていきたいものです。