2025年12月20日土曜日

ネットの世界との付き合い方

 矛先の方向が合っているのか、ということと、自衛が必要だなと思うこと。
 オーストラリアで、こどものSNSの利用制限が法制化されたらしく、ラジオをつけていると、その是非がどうこうという話が聞こえてくる。どうしてこういうやりとりになっているのだろうと疑問であることと、私は賛否いずれでもないということの確認ができたことと、まずは自分から、と再確認できたことがあった。
 自分の立場は「こどものSNS制限に対して賛否いずれの態度もとらず、その子がどう使うか自ら考えること。こどもに対する制限では、こどもの何を守ろうとしているのかわからない」ということ。平たく言えば、制限かけるならこどもに限定せず、大人も一緒に制限しちゃったら、とか、そんなことできないんだから、目的がよくわからない範囲の制限はやめたほうがいいんじゃない、こどもが大人と一緒に使い方を考えたらどうでしょう、ということ。
 Iyokiyehaは、これまでにも何度か態度を示してきたけれども、利用の賛否というよりは、自分はちょっと使い、で留めているだけ。自分のこどもには、あんまり使ってほしくないなぁとは思うけど、ガミガミ言いません、という立ち位置です。将来どうとか、そんな見えないことじゃなくて、SNSに限らずスマホいじっている時はとにかく話を聞いていない、音がだだ漏れで聴覚過敏な私には不快な刺激になる、という自分が受けている不利益に対する抵抗というわけです。子どもらがスマホで何しているのか、知らないし、知りたくもない。ただ、いわゆるリアル世界を生きるのにもなかなかいろいろあるのに、ネットの世界にも時間と労力を割かなきゃいけないなんて、大変だな。そんなにいろいろ手を出さなくてもいいんじゃない?と思うだけで。
 そんな大変さを煽って煽られて、SNSやネット情報でさらに煽られて。前にも言ったけどネットは「増幅装置」だから、そんなところに身を置かざるを得ない環境は、自分のリアル生活に割く時間を削るしかないのになぁ、と思うこの頃です。