2021年2月21日日曜日

佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』Kindle版。

 シリーズで通読した。おそらく15年ぶりくらいだろう。学生の頃に読んでいたのを思い出す。

(第1シリーズ 9巻(精神科編)より)

「弱くてかわいそうな患者達を、正義の味方の自分が守ってあげている。この感覚が差別といわれるものです」(No.111)

「守ろうとしている。これもある意味差別です」(No.114)

・守る意識が差別というなら、自分が仕事でやっていることは何なのだろうか。この引用を考慮すれば「差別」となる。スポイル、強制、依存、様々な感情の中でも、現場にいて「ふさわしくない」ものがあるのは分かっているつもりなのだけれども、「これでいい」と思った瞬間iに差別意識は入り込んでくる。

・だからといって、完全な自己否定は何も生み出さないし、純化した理論が現場の行動の妨げになることも、感覚レベルでは分かっている。

・おそらく、対人援助業務を続ける限り、ずっと付きまとう理屈だけれども、おそらく入り込んでくる差別意識に絡めとられないようにするためには、絶えず「~かもしれない」と考えることなのかと思う。考え続けて思考や行動が止まらないよう、自己矛盾を抱えながら行動し、考え続けることしかないように思う。

2021年2月20日土曜日

立場が変わると見えてしまうもの

 「しがらみ」って言葉があります。「いろいろなしがらみがあって…」と使いますが、調べてみたら、水流をせき止めるための柵のことなんですね。

しがらみ【柵】

1 水流を塞きとめるために杭を打ちならべて、これに竹や木を渡したもの。

2 転じて、柵(さく)。また、せきとめるもの。まといつくもの。

とあります。(広辞苑)

 人間関係につかう、冒頭の用例は辞書の2の意味の中でも、「望んでいなくても、まとわりついてくる」イメージで使っているということができます。

 人間関係って制御しきれないものですが、自分の立場が変わるとそれに伴っていろいろな人的環境の変化が生まれます。この内、自分の利益になる(と思える)関係を「人脈」、そうではなく面倒な、うっとおしいなど、不利益と位置づく関係を「しがらみ」などと言うのであれば、整理できるでしょう。

 さて、現実に目を向けてみると、Iyokiyehaは現在の職場の他にいくつかの人間関係があります。そのほとんどは上記「人脈」になっているのですが、ある立場関係で、自分の思いもよらない関わりが生じてくることがあります。「いやぁ、最近いろんなしがらみがあってさ」って感じです。漏れ聞こえてくることとすれば、地元の名士が私のある立場に関して「ご意見・ご質問」してくるとか、現状活動がまわりまわって全く事実無根の噂として「ご指摘」が入ってくる。なるほど、なかなか面倒だ。

 これまでの職場は、よくも悪くも理詰めが通用する社会が主流だったのだけれども、このいわゆる「よくわからない働きかけ」については、しょっぱなから殴り掛かられるような雰囲気で、何が偉いかわからないマウンティングを仕掛けられるので、慎重に距離をとっているのですが、相手が全く見えない(発信源が分からない)というのは、なんだか不気味ですね。まぁ、ご指摘の寄って立つ背景が全く事実無根なので、とりあえずは全く怖くないのだけれども、こんなやりとりがまかり通る社会を作り出してしまっている人達の思考が読めないので、なんだか面倒だなぁというのが本音です。事業の主旨ではなく、あくまで感情論の土俵で勝負されるのは、仕事だけで十分お腹いっぱいなんだけど、って感じで食傷気味なこの頃です。

 これって、しがらみ、でいいよね。

2021年2月13日土曜日

資料の共有

これまでに作成した資料等で、共有できるもの(公開されているもの、資料として提供しても問題ない加工を施したもの、もしくは私的なもの)を少しずつアップしていきます。ラベル「共有資料」で、この投稿にジャンプできます。リンクをクリックすると、資料閲覧・ダウンロード(ほとんどPDF)ができます。

○2020年4月23日(2020年5月6日、10日版に更新)
 職場で研修プロジェクトを立ち上げたのはいいのだけれども、コロナ騒ぎで集合研修がやりにくくなっています。悶々としながら、思いつきを形にしてみました。自動スライドショーにトークエディタ(CeVIOプロジェクト「さとうささら」)で作った講義音声を自動再生するようにしたもの。採用されたとしても、お蔵入りになったとしても、個人的には面白い成果物になりました。手ごたえがあるので、一部改変してアップします。好評なら第2弾があるかも。リンク先(Web上)だと組み込んだささらちゃんの音声(「普通」Ver.)が起動せず、スライドの閲覧だけになっちゃうので、お手数ですがリンク先ファイルをダウンロードして、スライドショーファイルとしてPowerPointがインストールされている端末で試してみてください。5月10日追記:なぜか全自動のプレゼンにこだわっていましたが、スライド切り替えは手動の方が便利だと思うので、手動版に調整しました。キーボードの↓キーで進めてください。
 研修資料 エピソード1 身体障害編
      エピソード2 知的障害編
      エピソード3 総合支援法編

○2020年3月5日
 プレゼンとかグループワークの心構え
 職場でプレゼンとかグループワークについて意見交換するのに雑感として吐き出したメモ。15分くらいで書き出したものなので、何のまとまりも根拠もないメモなのだけれども、なかなか面白いメモになったので、備忘録としてアップ。今後磨いていきたいもの。
 心構え(ドラフト)

○2020年1月25日
 北多摩北部地域 高次脳機能障害者支援ネットワーク協議会 主催
 市民交流事業「社会参加への道 ~高次脳機能障害を持った自分だからできること~」
 @まろにえホール(東久留米市立生涯学習センター)
 チラシ
 基調講演配布資料
 令和2年1月26日読売新聞多摩版朝刊26面
 業務外で基調講演なんかやってしまった。
 15年続いている市民交流事業に登壇させていただいた貴重な機会でした。私の講演内容はさておき、第2部のパネルディスカッションが秀逸でした。

○2017年
 今の職場で受験者のためにメッセージを書いてくれと言われ、原稿書いて作ってもらったもの。イラストレーターの仕事ってすごいな。パソコン環境によっては文字化けするかも。内容は「前職の仕事が漏れている」と評価されました。
 先輩メッセージ

○2016年
 日本職業リハビリテーション学会第44回大会京都大会プログラム・抄録集、124-125ページ。
 「精神障害者の雇い入れにおける事業所への支援プロセスの検討」
 本当はこの研究、完成させたいんだけどね。仕事が変わってしまい、障害者雇用の現場から離れて関われなくなっていることから、無期限中断です。興味がある方おられれば、共同研究者にきちんと紹介しますよ。

○2015年12月6日
 特定非営利活動法人 東京高次脳機能障害協議会(TKK) 主催
 高次脳機能障害実践的アプローチ講習会 第3回講習会
 @東京慈恵会医科大学 西新橋校
 講義3「高次脳機能障害者に対する就労支援」
 前職で最大規模の講師経験はこれです。今でも私の実名をGoogleで検索すると、この講習会の講師として登壇したことを全国各地で紹介されているものがヒットする。2020年の基調講演の時には、事務局が私のことをインターネットで調べて「各地で高次脳機能障害の講演をしているのですね」と勘違いされたという裏話がある。

○2015年10月
 伊藤郁乃、大塚麻里子、内田裕子、新藤直子、柳澤朋秀「医療・職業リハビリテーションのシームレスな介入により就労に至った高次脳機能障害の1症例」『医療 Vol.69』国立医療学会、2015年10月、438~442ページ。
 「医療・職業リハビリテーションのシームレスな介入により就労に至った高次脳機能障害の1症例」
 2020年1月25日の市民交流事業の基調講演につながる、2015年の市民交流事業のシンポジウムの事例について、一緒に登壇した先生方が専門雑誌に事例報告したもの。

○2015年
 日本職業リハビリテーション学会第43回大会東京大会プログラム・発表論文集、168-169ページ。
 「障害者雇用における事業所の取り組み状況の検討」

○2014年
 日本職業リハビリテーション学会第42回大会岩手大会プログラム・発表論文集、122-123ページ(共著)。
 「事業所の障害者雇用の取り組み状況に関する調査」
 2014年から2016年にかけて取り組んだ、業務外のこの研究は楽しかった。ものすごい勉強になったし、心の底から楽しかった。ただ、論文は共同研究者が99%作成したものです。

○2013年12月18日
 業務研究会 Bグループ論文集16-21ページ。 報告論文
 ノリノリで推薦されて、ノリノリで突っ込んでいったにも関わらず、本部でブ厚い壁にぶちあたったいい経験。長い目で見たら、ここで鼻をへし折られて私のキャリア的にはよかったんだけど、当時は公私ともどうかなりそうなくらいでした。ほとんど原型をとどめないこの原稿は、ほぼお蔵入りでしたが、反省の意味を込めてアップしておきます。

○2013年10月
 企業向け説明資料(障害特性・職業的課題編)
 そういう調子に乗りまくっていた頃だったからこそ、怖いもの知らずでした。良くも悪くも勢いがあったから、資料刷新に結びついたのかもしれません。テキストとスライドを分けるという手法は、この頃から始まったように思います。ここで作った資料は、プレゼンのスタイルとも合ったようで、今(2020年頃)でも使っている部分があります。

○2013年6月1日
 ノーマライゼーション促進研究会
 話題提供資料
 当時の障害者雇用の状況や制度についてまとめて報告するとともに、業務外ならではの持論を場に出させていただいた貴重な時間でした。この時の報告内容が学会報告(2014~2016@職リハ学会)につながりました。職業リハビリテーションに携わっていた時期の中で、一番尖っていた頃だったかもしれません。

○2004年 2003年度修士論文
 「精一杯生きるために ――森岡「生命学」がいのちの教育に与える新たな視野――」
 抄録
 全文
 今読み返すと恥ずかしい。修士課程2年間は目一杯ゆらいだ時期で、卒業論文で取り上げた体験活動はどこへやら。課外活動は熱心で、最もフットワークが軽い時期だったのに、真面目に読んでいる本は自分自身の内面に切り込んでいくような重みのあるものばかり読んでいました。論述は稚拙ですが、私の原点はここにあるな、と振り返れば確かに感じられる文章です。

○2002年 2001年度卒業論文
 「体験活動の可能性 ――自然体験活動とプロジェクトアドベンチャーを中心に――」
 全文
 勢いだけで書き上げたような、自ら参加した体験活動をこれでもかこれでもかと言語化した壮大な記録。何事にも本気で楽しんでいた20代前半戦の若さだけが輝いている文章です。こんな体験を論文の形にまとめさせてくれた指導教官には感謝しかありません。

2021年1月24日日曜日

夏目漱石『夢十夜 他二編』岩波文庫、1986年。

 ・文学にも触れようと、手に取ったもの。夏目漱石の「入門書」みたいに紹介されていたのと、大学入試問題なんかで取り上げられていたように記憶していたので読んでみた。

・率直に、難しいです。「夢十夜」は夢の話だから、比喩表現や「本来ありえないこと」が入り込んでくる。日常の何かを表しているのだろうとは察するのだけれども、出来事が突飛過ぎて、理解が追い付かない。

・それでも、おそらく人間の複雑な感情や、当たり前の感情を、言葉巧みに表現する日本語の使い方には、時々うなってしまうほどの迫力があった。「永日小品」に収められた短編には、特にその傾向が強い。

・しばらく経ってから、また読んでみることにしよう。小説は読み慣れていないこともあり、なかなか難しいものだとも思ってしまった。

2021年1月11日月曜日

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』ハート出版、2013年。

・終戦時の引揚者による手記。朝鮮半島に住んでいた家族が、社会の不穏な雰囲気を察し、きっかけを経て、故郷日本まで逃亡する。その時に、生き別れとなってしまった兄と再開するまでの体験に基づくノンフィクション。
・以前、アメリカでは賛否両論あったようだが、確かに記述の内容がものすごい迫力である。特殊な技能も何もない普通の女性3人(著者、母親、姉)が、家を出て兄と合流しようとしながらも、鉄道、船舶の出発機会を逃さず、京都までたどり着く。朝鮮半島では、目の前で人が絶命する場面を目の当たりにし、日本人であることを隠しながら逃げ続ける。日本においても、京都では引揚者に対する差別の渦中で、わずかな理解者に支えられながら、たくましく生き延びる様を描く。
・淡々と経験を語るこの本は、読む人に淡々と響くものだろう。同情とかかわいそうとかでは片付けることのできない圧倒的な感情の渦を感じられた。戦争のどうしようもない、そしてとんでもない側面すら、生活に取り込まれてしまう、生活に位置づかざるを得ない状態を受け入れながら、その中で生き延びるためにはそうしたとんでもないことをも利用せざるをえない。「たくましい」という言葉には、これほどの覚悟をもって行動した人の歴史や背景があることも強烈に感じさせられた。

石田淳『行動科学を使ってできる人が育つ!教える技術』かんき出版、2011年。

 「教える」とは、相手から”望ましい行動”を引き出す行為である(25ページ)


 人に何かを教える時に、その成果を測る観点として「行動」がある。Iyokihehaは前職で「応用行動分析」を習って、現場でその考え方を適用して物事を分析してきたので、当たり前と言えば当たり前の観点であるが、転職して周囲を見ているとそうでもない、ことに気づく。多分、立場が違えば、必要な技能も違うから仕方がないこと。とはいえ、対人援助を生業とする上では、相談におけるクライアントの言語表現の他に、生活上の行動を丁寧に把握し、分析していくことは、その人への支援を検討する上で不可欠である。

 などと、支援技法の一つとして「行動分析」を使ってきたが、本著はこの基礎理論ともいえる「行動科学」をビジネス現場、それも社員教育に応用することを紹介したものである。そりゃそうだ、新入社員や異動者に仕事を教える行為は、突き詰めていけば「対象者の行動を変える」ことであり、行動が変わるための方法論の中に「行動分析」が位置づいても全く不思議ではない。なんで、こんな簡単なことにいままで気づかなかったんだろう。

 褒める、叱る、その技法と背景となる信頼関係(ラポール、とか)。行動分析的アプローチに不可欠な、先行条件→行動→結果、その結果が次の行動の先行条件になる、とか、作業(行動)分析の手法や応用など、抱負な事例とともに、非常にわかりやすくまとめられている。基礎理論は実験系の心理学なのだろうが、その成果を現実に適用するのに役に立つヒントが詰まった一冊でした。

 Audiobook.jpで、オーディオブック版も販売していたかと記憶しています。併せてご利用ください。

2021年1月1日金曜日

2020年総括、2021年の抱負

 あけましておめでとうございます。

コロナ禍でも相変わらずなIyokiyehaです。
淡々と2020年総括と、2021年の抱負をアップします。

2020年当初に掲げた抱負は以下の通り。
1 読書の継続
 40冊読書+Audiobook50冊分
2 身体を鍛え続ける
 10分体操+木剣22,000本(+ジョギング)
3 実家との関わり方
 調べる、帰省する
4 新しい仕事・勉強には進んで挑戦する

 読書については理由あって、朝読書を半分にしたため、少なくなりました。Audiobookは、感染症対策に関する情報収集のためにPodcastの利用を増やしたなどの変化がありました。結果、書籍は23冊、Audiobookは38冊分です。今年は下半期に読書時間を戻せる見込みなので、目標は据え置きで。また、昨年の傾向として、小説を読むことが増えたので、この傾向も維持していこうと思います。
 身体を鍛えることについては、木剣はコロナの影響で帰宅後すぐのそれまで定時だった時間にできなくなった(すぐに風呂に入ることにしていた)ことで4ヶ月ほど滞っていました。いろいろ模索して、朝の鍛錬の時間に組み込んでから数ヶ月となり14,340本まで挽回しました。今年は20,000本再挑戦ってことで。
 スマートフォンのアプリのおかげで、ラジオ対象+αの部分は、プランクやら開脚ストレッチを取り入れました。屋内でできるのがいいですね。
 懸案は合気道です。道場再開の目処が立っておらず、待つしかない。木剣がいい稽古にはなってますが、力の流れを意識する機会が減ってしまったので、何か取り組みたいところです。
 実家との関わりは、残念ながら今のところ実績なし、見込み未定となってしまいました。機会をつくって帰省しようと思っています。認知症や老化現象に関する学びは、読書と併せて継続していきます。
 新しい仕事や勉強について。去年初めの清瀬市の仕事(これは、謝金うんぬんでいろいろあったんですが、いい仕事させていただきました。資料は公開投稿を参照)後、資料回覧をきっかけにして、構想が動きました。今まで構想だけあった課内研修について、取り組みが形になりました。職場内での仲間付きといういい流れです。今年どんな展開になるかは、まだ動きながら作っていきますが、ここまでの成果は形としてリリースする準備も併せて進めています。実績ページでまた紹介できると思います。
 地域活動(PTA)は、一応取りまとめの年としました。今年もう一年がんばろうと思っていましたが、非常時のために規約超え(不正ではないよ)をやっている背景があるので、早めの交代がいい(歴史的にも独裁官は短期間しか維持されない!笑)と思ったことに加え、正直いろんなしがらみの中であまりいい思いをしなくなってきたので、ここら辺で一旦まとめておこうと思いました。
 勉強は、読書量とも関連してきますが、今年は一つ挑戦をするので、その結果で来年ふりかえることができると思います。昨年中は、コロナ関係で免疫系を中心に、人体や生物に関する勉強や情報収集が進みました。元々購読していた「ヴォイニッチの科学書」をハブに、中学校理科→人体へと学びが展開しました。課内の研修でも活かされましたね。
https://pages.audiobook.jp/podcast/voynich/index.html
 有料番組ですが、Podcastに登録できる(RSS配信)音声番組だけじゃなくて、PDF資料が毎週配信されるのもいいですね。
 あと、調べる過程でこんな老舗番組も見つけました。
 「医学講座」@ラジオNIKKEI 第18***回って、すごいですね。内容は少し難しいけれどもすごく勉強になる。
 この辺が、習慣に影響するいい発見かな。音声番組をもっともっと利用しつつ、書籍にもきちんと取り組みたいです。

 また、今年はおそらく異動になる年なので、どんな立場になったとしても、新しい環境に適応していくことを一番に考え、身体と家族を大切にしていこうと思います。

こうした総括を受けて、今年の目標です。
1 読書の継続(据え置き)
 40冊読書+Audiobook50冊分
2 身体を鍛え続ける(据え置き)
 10分体操+木剣20,000本(+ジョギング、合気道的なトレーニング)
3 機会をつくって帰省する
 帰省する、両親の様子をきちんと確認する
4 新しい仕事・勉強に前向きに関わり、柔軟に適応する

 基本的には昨年踏襲。コロナ禍と言われたって、それを切り抜けることのできる「いい習慣」を増やしていくことを意識して、「普通に」生活することを目標とします。
 今年もどうぞよろしくお願いします。

2020年12月19日土曜日

対人援助の本質に近づく

  雇用支援から福祉へと転身して5年目。様々な場面に直面させてもらっている。

福祉では、「要件を満たしたら補助」というものが多いのだけれども、一方で「生活の支えが少なくて不安定な人に対する援助」がある。今の私には、立場も手伝って後者のような雰囲気を感じとると、本質に近い仕事だ、と不思議な高揚感がやってくる。

 じゃあ、対人援助って何だ?と自問した時に、今まであまり言語化してこなかったことに気づく。最近考えているのは、生活に制度を貼りつける、という前に「対象者が支えの中で安定感を高めること」にあると言語化できた。

 「主訴を把握し、本人のニーズに沿った支援をする」ということが広まるにつれ、言語化・顕在化しているニーズに引っ張られがちだが、中には潜在ニーズについての言及もされている。最近の様々な経験から、この「潜在ニーズ」が見出せないクライアントも少なからず存在しており、言語化・顕在化の限界を感じているところである。

 要は、「人は何かを欲している」というのは必ずしも正しいわけではなく、「本当に何もない」ということもある。また、「欲していることに気づけない」ことも知的障害者を中心に、知的障害の有無を問わず、珍しくないことに気づいた。この「(今は)何もない」「ニーズに気づけない」ことが、意外と多いということを、支援者の立場の中にしっかり位置づけたことによって、上記言語化に至った。

 具体的な視点と段階は以下の通りである。

1 クライアントの中にあるエネルギーを見つける

2 エネルギーをクライアントの意識にあげる(増幅または言語化・顕在化)

3 エネルギーの範囲を確認して方向づけ

4 エネルギーの放出先を望ましい方向に促進する

 この「エネルギー」というのが特徴であり、曲者になる。私のイメージでは、その人の原動力・動き出すための意思・行動を起こすための何か、といったイメージである。

 何を働きかけても、口では「いいね」と言いつつ、結局動かない。動かないのではなく、動こうとしない。何か意思がありそうだけど、よくわからない。そもそも意思がそこにあるのかないのかわからない。生存のための行動はとるけれども、目的行動をとっているように見えない。こういう時に「エネルギーがない」と表現する。一方で、確認したことに同意をするのだけれども、とにかく違ったことをしてしまう。人に迷惑をかけてもお構いなし。言ったことはやらないのに、何かをしてしまう。問題行動が多かったとしても、こういう時には「エネルギーはある」と表現する。そういう使い方をする「エネルギー」である。

 対人援助というのは、この「エネルギー」を見据えて、このエネルギーに火を付けてあげる、クライアントに気づいてもらって、その原動力がいい方向に使われるように働きかけを続けていく、ということではないのだろうか、と考えるようになった。その見極めって、今まで自然に何となくやっていたのだろうな、と思う。

 あくまで主役はクライアントにあって、その行動が間違っていたとしても、支援者としてそれを罰するのはやはり間違っているのだろうな、と思うところでもある。とにかく「関わり続ける」「エネルギーを見据えて、関わっていく」ことが求められているのではないかと思うこの頃です。

2020年12月6日日曜日

知的能力が低いとは…

  前職でも現職でも「知的障害ってどういう人?」と問われることがある。前職では主に会社の人事担当者から、現職では悩んで窓口にやってきた当人からの質問にあるもの。障害のある人に対する支援に15年ほど関わっていて、折に触れて考えてきて、未だに「これだ!」という説明に出会えていない。

 確かに、都道府県毎の定めはあります。身近なところでは「18歳以前に発現している」「知能指数が70以下」「生活上の困難」という三要素があげられており、これを満たす人に療育手帳が交付されている。これを定義として紹介するのだが、よく考えている人はほぼ十中八九「知能指数が70以下ってどのくらいの人なんですか?」と継がれる。これに答えられない。よくある正規分布を取り出して説明していたこともあったけど、わかったようでわからない。「成長が止まってしまう」なんてことを言う人もいるけど、止まってないし、相対的だし、個人差あるし、としっくりこない。

 最近、研修講師をする機会があって、改めてこの点を説明する(しなければならない)機会があったので、考えて絵を描いて考えたところ、その人の認知機能(能力)に立脚して、

「見たり聞いたりして集める情報量の範囲が狭いことと、その判断や行動の方向の安定性が弱い」人達のこと。

 とひねりだした。要点は2つ。

 一つは、取り入れることのできる情報量が少なく、時に偏ってしまうこと。ヒトが五感を通じて情報収集することを、雨が降っている時に雨水をトレーで集めようとするイメージで考えると、そのトレーの大きさが小さいことと、トレーを置く位置がその時々で変わりやすいことである。知的能力が逆に高い人だと、トレーの面積が大きいだけでなく、そのトレーを配置する時に「効率よく雨水が集まる場所」における人になります。トレーが小さくて、その時々で置く場所が変わりやすいから、認識できる情報量とその種類の偏りが生じやすいということになる。

 もう一つは、認識したことを通じて判断したり行動する時の安定性である。こういう状態ならこうするのが常識、という結びつきの強さを「安定性」という言葉で表したものである。上記トレーのイメージを使うなら、集めた雨水の処理方法ということになる。「雨水はここに捨ててください」という指示があったり、貼り紙があったり、そもそもその町では雨水処理はこう!って決まっているなど、いわゆる「常識」の範囲で処理できるかどうかということである。「安定性」としたのは、問題行動も適応行動も説明できると思ったからである。すなわち、問題行動となる場合は、収集した情報から作った少ない選択肢の中から選んだ行動が常識の範囲を外してしまうことで表現できる。雨水処理をその辺にぶわっと捨ててしまう、楽しいからその辺に撒いてしまう、楽しすぎて人にかけてしまう、といったイメージである。一方で重度障害者であっても適応行動が定着している人については、収集した情報から作った少ない選択肢の中から選んだ行動が常識の範囲に収まっている、ということである。水が入っていたらここに捨てる、しか思いつかないようなイメージである。

 最重度の知的障害者でもかわいがられるような行動ができる人は、環境から得る情報はとても小さくても、自分がとりうる適応行動に必要なものだけ収集して、たとえ選択肢がちょっぴりでも、収集した情報と強い結びつきで適応行動となる(選ばざるをえない、それしかない、かもしれない≒安定)、という説明が成り立つ。一方で軽度知的障害者が問題行動を起こすということは、最重度の人と比べると収集できる情報も多く、そこから作る選択肢もいくつかあるのだけれども、そこからの選択に余計な情報が入り込みやすく、決まった行動に結びつきにくい(≒不安定)。

 内容も言葉もまだまだ磨く必要のある説明なのだけれども、「軽度知的障害者が問題を起こしやすい」とか、警察のやっかいになると「ボーダーだからね」と安易な発言に結びついて思考停止してしまわないように、あくまで能力と特性という観点から考えてみた現時点での到達点です。なんかね、正規分布との結びつきもピンとこないし、問題行動(←この定義もビミョー)と結びつけるのも安易だし、理解力っていっても適応行動と必ずしも結びつかないし(できることはできるもんね)、一歩俯瞰して考えているところです。

 いい説明あったら誰か教えてください。

2020年11月29日日曜日

自己実現(仮)のカタチ

  テレビを観るのはあまり好きじゃないので、控えているのですが、ここ数日何となくインタビューを伴う番組が放送されていたので、ぼんやりと眺めていた。あるアーティストは、おおよそプロトコルを作ったら支離滅裂にも感じられるような内容を堂々と語り、感情を全身で表現して歌を歌っていた。別の番組では若者がスマートフォンとアプリケーションとで作品を世に打ち出していた。

 全く異なる取り組みを眺めていたのに、頭に浮かんだのは「何がこの人達を成功に導いたのだろう。いや、『成功』じゃないな…」という共通した疑問。「成功」の定義は難しくて、勘違いもされやすいので、表題のように「自己実現」くらいがいいのかもしれないけど、これも誤読されそうだ。ただ、暫定的に「(自分が望んでいたかどうかは別として)自分の納得いく形で、社会に広く受け入れられる要素」は何なのだろう?と考えてみた。

 感情をむき出しにするだけでは、おそらく社会に受け入れられない。たぶん変な人、と思われてしまうだろう。私の仕事でも、相談者として支離滅裂なことを楽しく話す人がいたら、それは(私は)楽しいけれど、周囲にどう受け入れてもらえるかなぁ、と考えるし、そもそも負の感情をむき出しにされたら「関わりたくない人」みたいに思ってしまうし、広くそう思われてしまう、と考える。

 もう一つの側面はもっと難しい。だって、今や誰でもスマホを持っているから。SNSも使っているから。その中でチャンスをつかむ人っていうのは、「その他大勢」と何が違うのだろう。

 今の到達点としては、「ツールはどうあれ、人と人との関わり」と「感情の奥底を表現すること」が背景にあって、自分が何とか信頼できる場所と時間の中でそれを積み重ねた時に、表現した感情に「反応してくれる人」がいるということ、これがその他大勢との違いなのだろうと整理した。SNSで世界中とつながる、という実感は、それを実感する経験があってこそであって、私みたいな凡人にとっては、結局自分の周辺とのつながり、でしかないわけで。

 別に自分を卑下しているわけではなくて、同じものを使っていて、同じことをしている人の成果が全く異なっているという現実をどうとらえるのかなということに対する、自分なりの到達点ということで。

2020年11月23日月曜日

ZOOMを使ってみる

  スマートフォンを使い始めてもう15年弱になるのか。この期間、いろんなツールを使ってみたけど、継続して使い続けているツールってほんのごく一握りだなと思う。メモや情報管理の大半は、結局Eメール(下書きとか自分への送信とか)に落ち着いてしまった。動画共有サイトなんかは、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう割に得るものが少ないことに気づいてからは、信頼できる人が紹介してくれるものしか観なくなっている。スケジュール管理(私的)に「Staccal」というアプリを使っている程度だろうか。メッセージに関しては、個人的には端末共有ができるEメールとか「メッセンジャー」をメインに据えたいのだけれども、世の中の流れには逆らえず「LINE」は使っている。

 そんな個人的な背景がある中で、COVID-19の感染拡大防止が一気に広がり、「ソーシャルディスタンス」が掲げられたのが今年の3月頃。個人的には「ソーシャル」よりも、何だろう…身体とか物理的、みたいな言葉の方がしっくりくるんだけどね(ある人は「フィジカルディスタンス」と使い続けており、私は賛同しています)。身体接触・接近は避けつつ、社会的にはつながりを維持・拡大していくべきだと思うので。まっ、意味するところは「ソーシャルディスタンス」も変わらないだろうから、スルーしていますが。

 話が逸れた。便利なツールが紹介・利用される中、この感染拡大防止の一環として一気に認知されたWeb会議やWebを介した意見交換があります。個人的には以前から一部の作業にはとっても有効だと思っていたのですが、Zoom会議(や集まり)が注目されてから、世の中のバリアや固執した考え方、みたいなものが一部で氷解しはじめているように感じるところもあります。私が今、身を置いているPTAなんかは、古臭いイメージがつきまとっており、実際に古いところ無駄もたくさんあるのだけれども、形や組織が流動的であるからこそのフットワークの軽さがあって面白い。学校毎のPTAの上位団体として地域のPTA連合会というものがあるのですが、そこが今年度の研修をZoomで開催するので参加したみたのだが、これが意外と面白く、メリットが多いことに気づきました。

 調べてみると賛否両論いろんな意見があるので、それらを取り入れて敢えて放っておいて私見をシンプルにまとめると、こんな感じでしょうか。

○メリット

・講義型の研修や情報伝達に関しては、集合して行うものとあまり変わらない効果が期待できる。

・受講側としては、私的空間で気楽に参加できる、服装・飲食なども自由、眠気覚ましの行動も自由、(今のところ選んでいるのでそういうものはないが)取り組み姿勢も自由。

・質問はチャット機能を利用することで、整理したやりとりが一部可能になる。

・場所と時間を選ばないので、いいものは手軽に、しょうもないものはそれなりの対処ができる。移動コスト(費用・時間)の大幅な削減になる。

○デメリット

・発言はしにくい。雰囲気が伝える部分は大幅にカットされてしまう。この点についてはチャット機能がいい働きをするかもしれないが、意見を共有して練り上げるという相談・検討における雰囲気の役割が期待できない。


 といったところでしょうか。まだまだ、研修を数回受けた程度なので、会議(意見検討)については未知数です。質問に関しては、音声とチャットと試してみたのですが、チャットに軍配です。情報の流れがほぼ一方向になるような従来の集まり、には十分使えるツールだと思いました。いろいろ使えそうだよね。雑感まで。

2020年10月31日土曜日

行動によって伝わるメッセージ

  同じ人から名刺を何度もいただくことがある。私も仕事の中で、一度お会いした方に名刺を出してしまうことがある。理由は様々であるが、ちょっと申し訳ない。大人の知恵ではあるが、自分の記憶が何か発した時には「お会いしたことありましたっけ…?」と言いながら名刺を準備することにしている。相手も「どうでしたっけ…」などと応じてくれたら、「念のため」と名刺交換。人の顔と名前を覚えるのが苦手な私の、緊急事態への対処法です。

 とはいえ、世の中にはいろんな人がいるもので。

 先日、「顔を売るのが仕事なので」と言いながら名刺を出してきた方。私はもう4~5枚名刺をいただいているのですよ~と喉元まで出かかって、「いつもありがとうございます」と大人の対応をしたのですが、その名刺から伝わるその人のメッセージは「いつもお世話になります」じゃなくて「誰にでも私を知ってもらいたい」なんだよね。でも私が受け取るメッセージは「お前とは、そんなに関わってないよね」となってしまう。

 「顔を売るのが仕事」という言葉が、ものすご~く軽く浮いてしまう一件でした。多分、今後困ったことがあった時にも、助けてくれそうな人リストの上位には出てこないんだろうな。残念な件でした。私も気を付けないといけません。

2020年8月30日日曜日

A+B=C

 ある物事の結果は、背景と取り組みによって成り立つ。正確じゃないけど、数式で示すとこんな感じ。

A+B=C背景+取り組み=結果

 物事だから、加算、減算だけでは表しきれないけれども。よく「こうすればよかった」という失敗を悔やむことがある。それは「論理的には」Bに関することだから、Bが変化すればCが変化することになる。論理的には正しい。とはいえ、現実だから「そんなにうまくいかないだろう」ということはある。背景Aと関連のない取り組みBはあり得ないわけで、AとBは必ず関係がある。背景Aがわからなければ、闇雲に取り組みBを打つことになり、これは非効率である。仕事で言えばPDCAサイクルと関係してくるが、背景Aの分析ってすべての基本になる。結果Cを検討するには、背景Aと取り組みBを検討することになるが、順番としてはA→Bである。

 何を言いたいのかというと、「背景Aが変われば、取り組みBと結果Cは変わる」ということ。背景Aの変化が大きければ大きいほど、取り組みBも結果Cの変化も大きい。つまり、Aがひっくり返るほどの変化ならば、BもCもひっくり返るほど変化していい、ということになる。

 よく後輩に、「背景が変われば結果が変わるだろ?」という。支援計画においてはそういうことになる。もう一歩踏み込めば、背景が変われば取り組みだって変わるわけです。これって、結構普遍的なことだよな、って思う。

(加筆)
 この方程式は、不完全ながらいろんなことを示唆してくれる。
・C(結論、目標、ゴール…)を導くためには、B(手法、取り組み…)だけでなく、それが置かれているA(背景)が前提(不可欠)となる。
・Aが変われば、Cは元のままでなくなる。
・Bによって、Cの質が変わる。支援者の腕の見せ所。

ごほうびのありかた

 ごほうびのありかたって考えどころだなぁ、と思う。 それも大人へのごほうびとなると、これはエゴ(欲)と表裏一体のところがあるからなかなか難しい。

 例えば、自分が持っているりんごの数で、りんご畑の手入れの時間が変わるとします。1こ持っている人は1時間、2こ持っている人は2時間、3こ持っている人は3時間、、としましょう。 ちょっと前までは、3こ以上持っている人でも、とりあえず2時間やってくれたらそれでいいですよ、というルールだった。理由としては、1人で4時間、5時間行うよりも、みんなにりんご畑(木)のことを知ってもらいたいという理由もあるからだ、ということ。みんなそれなりに納得して、りんごをたくさん持っている人でも2時間やってみんなから「よし」としてもらったし、1時間やればいい人の中でも「もう少しやっていこう」と畑でアルバイトするようになったりしていました。1こ持っている人と複数持っている人、とで対応が異なっていたわけですね。 これが、「いやいや、2時間やるものしんどいから、みんな1時間でもいいんじゃない?」ということになる。大勢の人は「いいんじゃない」と賛成する。それはそうだ、負担は少ない方がいい。こうなるとそれまで1こ/複数とで少し対応違ったのだけれども、全員が同じ条件で「1時間やればいい」ということになる。こうなるとどういうことが起こりえるだろうか。・「1時間やった者同士」ではあっても、「私はきちんと義務を果たした(1この人)けど、あなた(複数の人)は特例でしょ」という感覚が生じる。・私はたくさん持っているけど、義務を果たしたし経験もあるから、まだ経験のない人に作業の仕方を教えてあげる、という物言いになる。

 作業が楽になるから「りんご畑作業は1時間でいいですよ」案はほぼ必ず可決されるようなものなのだけれども、りんごを持つ人達の中で分断が生じる可能性は高いと思います。 ルール作りにおいて、原則(1こにつき1時間)の作成と、ごほうび(作業免除=例外)の設定って、対象者間の関係に注目すると、慎重になりすぎて然るべきことだと思う。

2020年8月10日月曜日

篠田博之、月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』創出版、2018年。

 ・今思い出しても「気持ち悪い」事件である。2016年7月26日に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」に植松氏が押し入り、利用者19人殺害、27人を負傷させた事件である。

・初めてこのニュースを聴いた時に、ショックと同時に「気持ち悪さ」を感じたことを覚えている。昨年度、判決が出たことを機にこの「気持ち悪さ」に挑戦してみようと本著を手にとった。

・報道には表れてこなかった本著の記述を読んで感じたこと。1植松氏が語る内容は、「それ自体を切り取れば筋が通る」こと。2植松氏の主張は「社会にとって氏の言う意味でのメリットはある」こと。

・上記を受けて、私は現職を置いておいたとしても、これらの主張には賛同できないし、そもそも立っている前提が異なるので全く論外と考えている。私は生命至上主義をとっているわけではないので「生命は何を差し置いても尊い」とは言いにくい。とはいえ「すべての人がよりよく生きるための選択肢」を大切にしたいと考えている。

・氏の主張は、論理的にも「拡大解釈の余地を残しており、現に生きて生活している人の生きる選択肢を取り上げる可能性がある」ため論として不十分である。たとえ、心失者(下記説明)を社会から排除することで、社会的コストの削減になるとしても、それは金銭財政的な側面しか見えていないため、やはり不十分な論である。

・ 心失者=意思疎通の取れない人間。40、57ほか。与死=社会が一定の基準を満たした人に死を受容させるもの(松村外志張、2005)(『ギフト+-』のモチーフと同じだな)

・質的なこと。あくまで三人称の理屈である。氏は当事者となったわけだが、一人称、二人称の問いには至っていない。不安の中で生きることが人に与える影響が全く考慮されていない。優性思想とは異なるという主張ではあるが、評価しがたい。

・そもそも、根源に立ち返った時に「いのち、存在の価値」って何なのだろう?という疑問が生じている。氏はそれを認めていないのだろうが、ではこう考えている私はどう考えている/いないのだろうか?(136より)

・根本は「わからなさ」と「ためらい」、そして「優柔不断」。やはりどこかで「わからなさ」と「ためらい」というのは、歯がゆいほどの「優柔不断」になる。(中略)時間に追われ始め、時間泥棒が登場して時間に煽られるようになると、やっぱり合理と即決主義、あるいは能率ということが優先される。(156より)

 なにもかもわからなければいけないのか、人と非人を分かつ必要があるのか。それを分かつ必要があるという氏の主張に対して、私の態度は否定であるものの、ではどんな立場からそういう態度になるのか、というと特定の立場は定まっていない。そもそも、人が生きる、ということそのものに対して発するべき問いなのだろうか、立場を定めなければならないのか、という根本的な問いが生じる。併せて、社会的弱者と言われる人たちの中には、危機的状況下において、命を落とすリスクがある。

 人間のことって、わからないことばかりで、理屈で答えが出ていることにも感情や背景が介入して優柔不断になることは自然な反応だろう。古今東西のいろんな人が、そうした人間を様々な形で記述しているのであるが、未だその全てはわからない。わかったことがあるから更なる謎が生じることもある。そういう存在に対して、何もかも「知ったふり」をして、社会の効率を判断基準としてその生殺与奪を判断するという行為は、子どもが「よくわからないけど、食べてみよう」と消しゴムを食べてみる行為とそんなに変わらないような気がする。判断力のある大人がとるべき行動ではないと思う。


■以下引用

11(刑法39条)刑法39条では被告が犯行時、心神耗弱ないし心神喪失であったと判断された場合は、それぞれ罪を減じたり無罪にすることが決められている。

20(犯罪とは)犯罪とは、何らかの意味で社会に対する警告といえる。社会が今どんなふうに病んでいるのか、それを示した犯罪に私たちがどう立ち向かい、どんな対応をするのか。それまでの社会システムをどう改めて、悲惨な犯罪が起こらないように予防していくのか、この事件の投げかけた問題に、果たしてこの社会は答えることができるのだろうか。

57(心失者)自分は心失者とそうでない障害者との線引きはできると思っています。判断の基準は意思疎通できるかどうかです。例えば自分の名前と住所を言えるかどうか、です

84(7項目の提案)1.安楽死 2.大麻 3.カジノ 4.軍隊 5.SEX 6.美容 7.環境

197(共生社会)(松本)(略)理由は何であれ警察が容疑者を「他害のおそれ」の段階で逮捕し、刑務所送りにすれば、彼の危険思想は変わるのか、安全な市民に買われるのかという話なんです。「おそれ」の段階では無期懲役や死刑なんてとても無理です。つまり、いつかは地域に戻ってくるんですよ。(略)私としては、「それが犯罪防止に役立つかどうかはさておき、まずは地域での孤立を防ごうよ」と思うわけです。(略)隔離では何も解決しない。