2009年5月31日日曜日

橋本圭司『高次脳機能障害 ――どのように対応するか――』PHP研究所、2007年。

最近、注目されつつも、まだまだ治療・リハビリの体制に地域差のある「高次脳機能障害」について、その障害の基礎と近年の動向について概説されている。
障害については、要所をまとめてわかりやすく表現しており、満遍なく網羅している。
リハビリについても、ごく身近な人への対応を中心に、治療の狭間に陥りがちな理由やそのことへの対応方法まで、丁寧にまとめられている。

障害を学びなおそうプロジェクトの第2弾としての高次脳機能障害。
先日の発達障害とは違い、こちらは本来目的でもある「ハブ」機能満載の書籍だった。
非常に参考になった。
現在、仕事でも高次脳機能障害のケースを複数担当しているので、すぐにでも役立ちそうなこともあれば、もっと視野を広げるための記述も満載だった。

おすすめ度:★★★★☆

2009年5月26日火曜日

もがいていたら

すごくストレスフルなことがあった時も、困ったこまった。
まぁ、今できることはやっておこう。
後は野となれ山となれ。
キリキリでも気楽に構えると、意外と収まるところに収まるんですね。

ウチの職場のトイレの蛇口。
いつになったらお湯じゃなくなるかなー、なんて気楽に。

2009年5月24日日曜日

ノーマン・ドイジ著、竹迫仁子訳『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル、2008年。

先日、メモとして紹介した書籍。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2009/04/2008_29.html
(2009年4月29日投稿分)

脳の「神経可塑性」に注目し、脳に損傷を受け何らかのハンデを負った人たちのケース記録を通じて、人間の限りない適応能力と可能性を描いている。
全盲の人が、舌に電極をつけて視覚を取り戻した事例や、学習障害者が訓練によって弱点を克服する、過去の経験がトラウマとなって人との関係構築が難しい人の治療の過程、生まれつき脳が半分しかない人の言語能力取得など、事例は非常に興味深く、そして人間の神経可塑性が、具体的な事例とともに理解できる。
人間の脳や、学習、広い意味での成長、そして教育といった、人が変わっていくことに興味のある人であれば、興味深く読み込める一冊だと思われる。

この書籍の終章で、研究の結果として可塑性を4つに分類している。
1.マップの拡大
2.感覚の再配置
3.補償のマスカレード(代替戦略)
4.鏡映領域の引きつぎ
いくつかの異なる形式によって、損傷した脳や隘路に入り込んでしまった神経活動が変化していくことが事例によって示されている。
脳科学者の茂木健一郎氏は、解説の中で以下のように述べている。
「本書の最も大切なメッセージは、可塑性を通して脳を大きく変えるきっかけとなるのは、本人の意欲、それに周囲の人の愛だということだろう。(中略)前向きに生きようという精神力こそが、システムとしての脳の潜在的可能性を引き出す」
Iyokiyehaの感想は、この点とほぼ一致するので、これ以上の言及はしない。

普段人と接する仕事をしていて、人が変わっていくことを目の当たりにすることも多い。
一方で、全く変わらない人もいる。
その違いはどこからくるのかといえば、外的要因としてのプログラムの質、働きかけの質もさることながら、変わる原動力は他ならぬ「その人のやる気」とか「気持ち」に左右されるのだろうなと感じているところである。
人と関わることを仕事としている人間として、「いかにその人のやる気に火をつけることを『促進し見守るか』」というところに専門性があるように思うところである。


おすすめ度:★★★★★(人の変化、成長に興味がある人)

杉山登志郎『発達障害の子どもたち』講談社現代新書(1922)、2007年。

なぜか(といっては失礼かもしれないが)、ベストセラー棚で最近見かける書籍。
発達障害に関して、全般的な内容が豊富な事例とともに語られており、入門書としても次の一冊としても、とても参考になる。
「発達障害は治るのか」という問いと、「よくある質問」などとして、偏見で時々語られることに、事例から応えていく内容となっている。
治療の最前線だけでなく、治療によってその予後がどうなっていくか、という視点で発達障害が描かれるのは、新しい視点だと思う。

仕事でもう一度「発達障害」を学びなおす必要を感じ、とりあえず手に取った本。
参考文献を漁るハブとして読み始めた、というのが動機だったのだが、内容は非常に充実していて、とても「ハブ」としてではなく、この本で充分に学ばせてもらった。
もちろん、学びを発展させるための参考文献リストも充実しているので、満足できる一冊だった。
冒頭にも示したが、治療の経緯とその数年後の予後にまで事例から言及している読み物を、医師の立場から分かりやすく論じており、論理性とイメージが融合した良書だと思う。


おすすめ度:★★★★★(子どもや障がいを持つ方と接する機会の多い人)

中根治夫『サラリーマンパパの育児は楽しい! パパとゆうかのふたりでおでかけ』書肆侃侃房、2005年。

Web「サラリーマン育児」の管理人、中根氏の著書。
http://plaza.rakuten.co.jp/fairchild/
(Web:男の育児 頑張れサラリーマンパパ)

普通のサラリーマンの視点で、日々の子育てから考えることを率直に文章にしたもの。
「子どものペース」や「妻の負担」だけでなく、「父親の思い」も含め、総じて子育てを楽しんでいる父親の姿がある。

図書館で嫁さんが借りてきた本だけれども、この方本当に素敵なパパだと思う。
子育てパパになった今だから、Iyokiyehaにとってとても響く内容となっている。
子育てだけでなく、家庭生活が充実すると、私生活も仕事も充実する。
これって、意外と大切なことで、例えば嫁さんの機嫌が悪くなると、子どもだってその雰囲気を察してかぐずるし、結果として自分の機嫌も悪くなって、パフォーマンスが落ちる。
この連鎖に気づくと、「自分の時間」を確保するのに大切なのは、実は家事の手伝いに時間を割くことだったり、子どもの世話を楽しんでしまうことだったり、「急がば廻れ」じゃないけど、そんな感じの時間の使い方なのだと思う。

そんなことが共有できたような書籍の内容と、実際に「みんなが楽しくなる」知恵やアイデアが満載。
読んでとてもためになる一冊でした。


おすすめ度:★★★★★(子育て中のパパ・ママにおすすめ)

変化する力≒人の話を聞く姿勢

以前、組織が向上する条件として、変化できる柔軟性の有無について考えた。
http://iyokiyeha.blogspot.com/2009/03/blog-post_19.html
(2009年3月19日投稿分)

目下、考えることがあるため、余計にこんなことを考える。
打ち合わせをしていても、全く目的が共有されないことがある。
「どうしてかな」と考えてみたところ、現時点で到達した答えである。

「そうか、俺の話なんか聞いちゃいないんだ」と。

何か「ツン」として、人に緊張感を与える態度が目立つ。
一度目立つと、Iyokiyehaも気を遣う。
理不尽な苦情と、持論の展開、最終的には消極的な態度。
チームにも何もなってない。
かろうじて、支援チームと体裁だけ整えている感じである。

「わかっていない」は、「難くてわからない」という伝える側の問題と、「わかろうとしない」「変わろうとしない」という受信する側の問題とにわかれる。
結局のところ、目標が共有できていなかったから、とんちんかんなやりとりが続いているのだけれども、それによって不利益を被るのは誰か、ということである。
私の伝え方も見直さなければならないけれども、身内に対してなんでこんな労力を使わなきゃいけないのか、ということを考えると何だかやりきれない思いもある。

質がそれほど高くないことも視野に入れて、腰をすえてかからないと、何だかとんでもない方向へ行ってしまいそうです。

「とがった存在」へ

東京勤務の目標。
「とがった存在になる」という言葉で集約してみた。

「とがった」というところに、どんな意味を持たせるか、ということが重要である。
学生時代のIyokiyehaのように、世の中を斜に構えて見て、あれこれと納得しないのではなく、かといって、自分の専門性を無批判に肯定するわけでもない。

この一ヶ月で意識化したことは、
1.物事の合格ラインを、最短最速でクリアすることの有用性
2.得意なことは自信を持って、苦手なことは視野を広く、どちらも謙虚に臨む
3.やった方がいいことは「後回し」

この3月までの勤務場所と4月からの勤務場所とでは、業務量が全く違うので、単純比較するわけにはいかないが、だからといって「業務量が多いから」という理由で、クライアントとのかかわりが希薄になったり、ぞんざいにケースを捌くことは避けたい。
でも、今までと同じやり方、スタンスでは、時間がいくらあっても足りない。

いかに、有用となる目標を打ちたて、関係者で共有するか。
細かいことは、本当にクライアントと現場に任せてしまうくらいの関わりをしていくことが求められていく。
その合意のために割くことのできる時間は限られている。
これまでよりも、集中して自分のもつ資源を短時間で投下するような関わりが必要となる。

「やった方がいいことは『やらない』」とか、「アイドリング時間を排除する」といった、これまで取り組んできたことを、発揮していく勤務地なのだろう。
「とがった」という言葉でもって、目標を少しずつ深めていこうと思っている。

2009年5月21日木曜日

上野の街

東京勤務も、もうじき二ヶ月。
通勤には、慣れる気がしないので、このまま田舎者でいようと思います。
最近は、電車に冷房が入るようになり、最悪です。

仕事も、良質な応用問題に取り組んでいるような感覚があり、いろいろあ
りながらも、まずまずです。

東京は、いろんな意味で生活のステージが違うと日々実感してます。
そんなカルチャーギャップも、楽しめるようになってきました。

2009年4月29日水曜日

【メモ】 ノーマン・ドイジ著、竹迫仁子訳『脳は奇跡を起こす』講談社インターナショナル、2008年。

このレビューをアップする時には、まだ読み終わっていないが、興味深い内容があったのでメモを兼ねて。
「神経可塑性」をキーワードに、脳の変化について、様々な事例を紹介している。
学習障害が回復(という表現が正しいのかどうかわからないが)した人や、生まれながらに視覚障害を持つ人の視力が改善した例など様々である。
おそらくこれらの学術的成果というのは、脳の専門分野の第一線の学者が、その最先端の知見を用いて切り開いている領域だと思われるが、学者でない一般の人にもイメージしやすくわかりやすい内容となっているのは、この本が世に出た大きな成果の一つだと思う。

第4章「性的な嗜好と愛」で、一部触れられているオキシトシンというホルモンが結婚後の人間のしくみを大きく変えているといったくだりが非常に印象的だった。
Iyokiyehaが、結婚後の自分を振り返ると必ず浮かぶ疑問、「結構変わったよなぁ」と思うことがいくつかある。
性格、までいくと大袈裟だが、嗜好や趣味、気になることが、独身時代とはかなり変化していることに気づく。
「結婚って、やっぱり人生にあたえる変化は大きいんだな」とも思うが、一方で、IyokiyehaがIyokiyehaとして生きていることには、これっぽっちも変化はないわけで。

人は、環境の変化があると「なぜ」変わることができるのか?

という問いに対して、脳内の「神経調整物質(モジュレーター)」と呼ばれるものの一つオキシトシンが影響しているらしいという、解明の手がかりを見つけたように思えた。
神経伝達物質は「ニューロンを興奮させたり、抑制させるために、シナプスに放出される」物質だが、神経調整物質とは「シナプスの結合全体の有効性を促進させたり減少させたりして、持続する変化をもたらす」物資とのこと(同書148ページ)。
パートナーとの信頼関係や、子どもへの献身的な世話といった「やさしい感情」をもたらすだけでなく、新しいことを学習するために、これまでに築き上げた学習を手放す「脱学習」にも関与しているらしい。

つまり、これまでに築いてきた「大切だと思うもの」を、今に続く結婚の一連の過程において手放し、新しい価値観を取り入れている、その脱学習のためのホルモンが、どこかで体内に放出されていたとしたら、「大人になったなぁ」という形のない理由は、「身体の変化」から説明できることになる。

Iyokiyehaは、哲学とか思想も好きですが、自分のことを「しくみ」から知ることも大好きです。
最近読む本は、結構そのあたりを刺激してくれるものが多く、充実した読書ができています。

2009年4月26日日曜日

茂木健一郎『思考の補助線』ちくま新書、2008年。

テレビでもお馴染みになってきた、茂木氏の思考エッセイ。
学術成果というよりも、茂木氏が解明しようとしていることの壮大な仮説を、いくつかの角度から表出したものと読める。
随所に専門用語もあり、細部をきちんと読み解こうとするとホネだが、そこまでしなくても思考の軌跡は読み解ける。
生命の本質を、部分ではなく全体性、多様性、関係性に主眼を置いて考えていくものとし、従来の脳科学(と思われるが)の成果を否定せず、それをも引き受けながら、学術分野でいえば人文科学的な哲学・思想、芸術的な知見を「補助線」としながら自由に思索を展開している。

Iyokiyehaは、このブログでも時々引用する森岡正博氏の「生命学」や「無痛文明」に出会ってから、学際的な思考の広げ方、深め方には全く抵抗がなく、むしろ「生き方」を問うためには、各学術分野の成果を断片的につなぎ合わせるだけでは、物足りないと考えている。
そのため、茂木氏の「脳科学に立脚しながら、何でもやる」という姿勢には大いに共感するし、著書はできるだけ目を通すようにしている。
テレビでの露出や、脳科学の扱い方、論述の展開の仕方等、人によっては賛否両論分かれているらしいけれども、少なくとも上述したことがIyokiyehaにも届いたということが、学者としての本分を満たしつつあるのではないかと思う。

おすすめ度:★★★★☆

「ごんだ焼」

2009年4月20日作成

現在の埼玉の自宅は、会社の所有する集合住宅。
とにかく古い、意味のわからない間取り、風呂の水圧が弱い、水がまずい、収納が少ない、などなど、なかなかハイレベルな住居である。
その一つ一つでもネタになりそうだけれども、それはまた別の機会。

住居のハンデを補うかのごとく、周辺環境はすばらしい。
住宅地の中にあり、市役所まで徒歩3分程度、公共施設(図書館、市民ホール、広場、福祉関係の活動拠点みたいなところ)やバス停も同様、コンビニや弁当屋までは徒歩5分程度、スーパーも徒歩10分程度。
最寄駅まで徒歩25分という立地を除けば、なかなかの立地である。

その公共広場で、週末に「子どもフェスティバル」なるイベントが催される。
ステージでの出し物(太鼓や合唱など)あり、出店ありとなかなか盛り上がっていた。
Iyokiyehaも、買い物を済ませ、妻・子どもと共に出かける。
なかなかの熱気である。
バナナチョコが200円、たこ焼き6個で400円等と、縁日特有の価格設定をほほえましくながめながら、あるテントに目が留まる。

「ごんだ焼」

聞いたことのない名称に、Iyokiyehaの好奇心は釘付けである。
「なんだろうねぇ」と妻に話しかける。
「ちょっと、見てみようか」と妻。
縁日のテントでも、御当地物に掘り出し物があったりするような気がして、興味津々な二人。
ちなみに、娘はぐっすりと夢の世界。

ごんだ焼(そろそろバレました?)のテントに近づきながら、地元浜松の縁日で必ず出店している「いそ焼き」を思い出す。
なんてことない食べ物で、やはり縁日価格なので、冷静に考えればまず買わないものなのだけれども、小学生の頃から食べているものには、つい手が出てしまう。
甲府に住んでいたときには、御当地かどうかは不明だが「佐世保バーガー」なるものがあった。

テントに近づくと、串に刺さったダンゴ。
一番上が長男なら、一番下は四男。
だんご四兄弟が並んでいる。
まだ、醤油も塗られておらず、焼き色もついていない。
並んだダンゴの隣には、網が乗った炭火・・・

Iyokiyehaと妻は、顔を見合わせ、爆笑。
最近、こういうことが多いんだよなぁ。
脳機能が低下しているのかも。

その横で、娘はやはり夢の世界。
Iyokiyehaも、いろんなイメージを膨らませ、ある意味夢の世界へと旅立っておりました。

チームが機能する要件

2009年4月20日作成

昨日作成した「考えを『伝わるように』表現することと、人の話を『わかろうと』すること」に関連して。
そういえば、前の職場では、組織としての成功・失敗はともかく、いい意味で実のあるチームで事にあたることができていたなぁと感じる。
いろんな理由があるように思うので、ブレストを兼ねて、その要件を列挙してみる。

1.各々が自立した思考をしながら、「目的」とか「理念」でつながっている
 所属組織の構成により、一人一人に課せられる役割は異なるし、たとえ同じ役割を任せられていても、その経験や経歴は違うわけで、思考の癖や得意技はそれぞれ異なっている。異なる能力や思考、技を束ねるのは、指針というか動く「目的」であって、規則という「縛り」ではない。

2.目的遂行に関する、細部の決定・実行の権限は各々に委ねられる
 1.と関連するものだが、チームのリーダーは逐一細かい指示を出す必要なく、チームの構成員を信頼し、細部の決定はコンセプトキープのみ実施し、方法や内容は委ねられる関係が理想である。

3.目の前の課題解決に、その土地の課題への取組みが透けて見える
 職場の業務を遂行することを、狭義の目的遂行とすると、それを通じてその地域の課題がより明確になったり、一つでもその課題に取り組んだりという、より広い視野が広がってくることは広義の目的遂行といえる。広い視点から目の前の課題が見えることによって、その業務のゴールに微妙な変化が生じてくる。

4.より高度な判断をするための学習は、自主・自学が原則
 気になることは、自ら課題を設定し、自ら学び、調べ上げることによって解消していくことが、あらかじめ組み込まれていること。研修の機会を活用することも、意思ある人と集団を作ることも、人に聞くこともすべて含まれる。重要なのは、どんな機会であっても学ぶ意思が内発的な動機によるものであること。

5.常に仮説をもって行動する
 結論を急ぐことは、時間的制約のある仕事では特に問題とはならない。問題となるのは、必要な情報がない段階で安易な結論を求めてしまうこと。具体的な事例に対して「私は、このことをよく知っている」とは決して言えないだろうし、教科書的な学習は、一般的な傾向をつかんだ上で、具体的事例をよりよく理解する手助けになったとしても、教科書の内容をそのまま具体的事例に反映させてしまうことには、私は怖さを覚えるし、このことを含めて「思考停止」であると考える。

あらためて、列挙してみると、
・明確な目的設定とその共有
・目的に基づく自立した思考と行動
・視野の範囲を切り替えられること
チームを構成する要素を、自分なりに書き出してみたが、結局は「チーム」に関するビジネス書で論じられている内容と重なってくるものだと実感。
その「土地の課題」への視野という点が、市民活動をやってきた私にとってのオリジナリティかと思われる(多くは「思考のレベル」や「平行思考」「垂直思考」等という角度から、視野について論じられる)。

東京で働くにあたり、今までIyokiyehaが培ってきた上記要件が適応できるのか、それとも全く新しいものに生まれ変わるのか、新しい項目が追加になるのか、現時点では全くわからない。
ただし、とにかく業務量が多く、原理・原則にとらわれない柔軟な業務、土地に暮らす人が少ない、人の入れ替わりが多い、といった職場環境の中で、Iyokiyehaもさらに進化していかなければならない、ということだけは、ひしひしと感じているところである。

Webのない生活

2009年4月19日作成

厳密には、携帯電話や会社で、Webを利用しているので、まったくWebが利用できない環境ではないのだけれども、自宅でWebが利用できないのは、転居して右も左もわからない状況下では情報不足になることがわかった。
某N電話会社と、某@プロバイダとのコミュニケーションがうまくいかないため、電話番号も変更を余儀なくされ、Web環境も結局はADSL回線を利用することになる。

そういえば、仕事を始めてからの転居で、インターネット接続がスムーズに契約できたためしがない。
このあたりは、転居がライフスタイルに組み込まれているIyokiyehaにとっては、今後の課題である。
もっとWebが実用的な携帯端末を持つとか、公衆無線LANを利用することとか考えた方がいいのかも。

電話関係の会社各位に共通のことなのだけれども、サービスセンターみたいなフリーダイヤルに電話をかけたときに30分くらい平気で待たされる環境は、どうにかしてほしいなぁ。
で、そこの担当者さんからの留守番メッセージで、同じ番号に「電話ください」というのは、少し不親切ではないかと思ってしまう。担当が決まっているのなら、ダイヤルインの番号とかで対応してほしいものです。

山田真哉『女子大生会計士の事件簿』(前・後編)(Season2前・後編)【Audio Book】

2009年4月19日作成

角川書店から出版されている同名著書のオーディオブック版。
著者の山田真哉氏は、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』の著者で、自らも公認会計士として活躍している。

会計の知識が散りばめられた小説。
小説を楽しむのに、高度な会計知識は必要なく(Iyokiyehaは仕訳もわからないです)純粋な小説としても楽しめる。
Iyokiyehaは、以前書籍版を手にしたこともあったが、じっくり読むことなく書棚に並べてしまったことを記憶している。
Audio Bookで発売されていたので、再挑戦してみると、これがなかなか面白い。
会計知識を持っている人なら、もっと高度な読み方もできるのかもしれないが、私のような素人でも、からくりがわかりやすく解説されるので、聴いていて次が気になる内容であった。

Audio Bookの小説は、疲れている日の通勤電車などでも頭に入ってくるので、レパートリーには入れておきやすい利点もある。

おすすめ度:★★★★☆

考えを「伝わるように」表現することと、人の話を「わかろうと」すること

2009年4月19日作成

いろんな人がいるものだと思う。
何か訴えたいことがあるようには聞こえるのだけれども、こちらの回答によって話が深まるわけではなく、自らの訴えをやや一方的に畳み掛けてくる。

指摘を受け、お互いに情報収集することを約束し、意見交換をしたのだけれども、結局の訴えは変わらず、しまいには「おっしゃることが、よくわからないのですが」と結ばれてしまった。
・・・同じことを、そのままお返しして言ってあげたいなぁ、と思ってしまう。

振り返ってみて、このコミュニケーションの中で自分が得た教訓は、課題が明確に共有されていない段階での情報収集は、時間の無駄ということ。
お互い(今回はおそらく、私しか情報収集しなかったと思われるが)の時間が、目的のないことに使われてしまうことほど、組織として無駄な時間はないと思う。
質問の意図が共有できるまで、何をどこまで調べあげればいいのかということを明確にした上で、調べごとをする必要がある。

そのためには、自分が考えていることを、必要に応じて言葉を選びながら相手に「伝わるように」表現する必要があるし、人が言っていることを「わかろうと」する必要がある。
大切なのは「お互いに」このことを意識する必要があるということだ。
今回のように(いまいちだったけど)私だけが「わかろうと」していても空回りだし、逆に私が一方的にやりとりをもちかけても、意見交換は深まらないだろう。

信頼関係が構築されていない段階でチームを組むことへの不安と同時に、この先うまくやっていけるかどうかの不安も頭をよぎる。
まぁ、人に応じてやっていけばいいのだろうから、そう深刻になっていないけれども、こんなこと考えるのも、面倒くさいなぁ・・・