所沢市では今日が小学校の始業式。
ムスメ1号とムスコは登校の予定でしたが、残念ながらムスコはアデノウイルス感染と見られる、下痢と発熱により欠席。先週末から長引いています。Iyokiyehaもその影響か、昨晩は夜中トイレで冷や汗をかくという、黄信号の状態です。
そんな夏休み終盤でしたが、今年は車の買い替えもあり、いろんなところへ行った夏休みでした。
帰省の途中で相模原市のパカブーへ行きました。フランスから輸入した、投網を使ったアクティビティです。森の中に縦横無尽に張られた投網の中で飛んだり跳ねたり。三半規管が弱いIyokiyehaは完全に酔ってノックダウンしていましたが、子どもたちは珍しく汗びっしょりになるまで走り回っていました。
浜松でも毎年恒例のナイトZOOなど、ほとんど外にいたかな。今年の帰省はIyokiyeha家の介護保険関係の相談とかあったから、ちょっとカミさんにお願いしすぎたかもしれない。
少し早めに帰省を切り上げ、所沢市へ戻ってからは、西武園プール、多摩六都科学館、練馬アニメーションスタジオなど、新しい遊び場も開拓できました。室内遊びも探してみたらリーズナブルにいろいろいけるし、子どもは子どもなりにどこへ行っても遊べるのだと実感した夏休みでした。ただ、西武園のプールは最も混雑が予想されるところにぶつけたため、芋洗いプールで不完全燃焼だったかな。天気もイマイチでムスコはこの時もノックダウンしていました。
後半はどうにも天気に恵まれず、私の体調も優れなかったこともあり、自宅で過ごすことが多くなってしまいました。子どもの宿題を見たり、近所で遊びに出たりして過ごしたのですが、終盤になり冒頭のムスコノックダウンが重なり、無事に(?)お休み終了となりました。
私自身が今後のキャリア形成を見直す機会もあったため、いろんな意味で充電期間になったのかなとも思います。今年もなかなか楽しい夏休みでした。
2017年5月14日日曜日
母の日
昨日の酒の失敗を埋め合わせるだけではないけれども、長女が「ご飯を作りたい」と言うので、母の日コラボで妻に一日休日を送ることにした。食事は朝晩娘に作ってもらい、家事はとりあえず私。長男には自宅の飾りを作ってもらう。
根気よく物事に取り組める長女と、飽きっぽい長男。予想通りの動き方をしてくれて、立派な夕食と、完成度イマイチの発表会(バスケットの3ポイントシュート?)。長女については、慣れないところはあるけれども、基本的には口出しと買い物の手伝いをすればよかったので、私はダラダラ庭掃除と靴磨きをすればよく、のんびりした休日になりました。
普段休日は家族でどこかへ行くことばかり考えがちだけれども、こんな休日も悪くない。
根気よく物事に取り組める長女と、飽きっぽい長男。予想通りの動き方をしてくれて、立派な夕食と、完成度イマイチの発表会(バスケットの3ポイントシュート?)。長女については、慣れないところはあるけれども、基本的には口出しと買い物の手伝いをすればよかったので、私はダラダラ庭掃除と靴磨きをすればよく、のんびりした休日になりました。
普段休日は家族でどこかへ行くことばかり考えがちだけれども、こんな休日も悪くない。
2017年2月12日日曜日
鮮度を保つ
「自分の市場価値を高める」
前の職場に在籍していた頃、転職を視野に入れたときによく考えたことである。障害者職業カウンセラーとしての力量はそれなりに付けてきた実感はあるが、他で通用する自分の強みは何だ?という具合である。
当時のメモを振り返ると、核心をついたものから、こじつけのものまで様々な棚卸しの跡が残っている。
縁あって、今の職場の特別職とご一緒する機会があり、刺激的な時間を過ごすことができた。幹部たちは、今の職場に染まりながらも自分の核を大切にしてきた人たちであることを感じ取れた。それは、ただ異を唱えるだけでなく、調和を乱すのではなく、一人で突っ走るのではない。それは、異なる視点を常に持ち、連携によってより大きな力を生みだし、組織の力を増幅していくような、そんなイメージである。
さらに、一つ響いたのは、
「自らの鮮度を保つ」
ことを意識させられたことである。冒頭で「市場価値」という言葉を使ったが、市場を意識するのではなく、あくまで自分にとってどうか、自分の鮮度はどうか、周囲にいい影響を与えられるかという観点で、能力開発をしていくイメージである。
おごらず、それでもプライドをもって仕事したいものである。昔も今も変わらないことではあるが、やはりどこまでも謙虚にどこまでも真っ直ぐありたいものだ。
前の職場に在籍していた頃、転職を視野に入れたときによく考えたことである。障害者職業カウンセラーとしての力量はそれなりに付けてきた実感はあるが、他で通用する自分の強みは何だ?という具合である。
当時のメモを振り返ると、核心をついたものから、こじつけのものまで様々な棚卸しの跡が残っている。
縁あって、今の職場の特別職とご一緒する機会があり、刺激的な時間を過ごすことができた。幹部たちは、今の職場に染まりながらも自分の核を大切にしてきた人たちであることを感じ取れた。それは、ただ異を唱えるだけでなく、調和を乱すのではなく、一人で突っ走るのではない。それは、異なる視点を常に持ち、連携によってより大きな力を生みだし、組織の力を増幅していくような、そんなイメージである。
さらに、一つ響いたのは、
「自らの鮮度を保つ」
ことを意識させられたことである。冒頭で「市場価値」という言葉を使ったが、市場を意識するのではなく、あくまで自分にとってどうか、自分の鮮度はどうか、周囲にいい影響を与えられるかという観点で、能力開発をしていくイメージである。
おごらず、それでもプライドをもって仕事したいものである。昔も今も変わらないことではあるが、やはりどこまでも謙虚にどこまでも真っ直ぐありたいものだ。
研修のまとめ(初任者1年目)
170128_補足
組織人としての筋と公務員としての筋は違うということ。
前職と変わることはない。原典に立ち返り、自分の頭できちんと考えるということだ。
170127_研修から感じたこと
以前の職場は全国各地に勤務地があったり、国の外郭団体だったこともあり、集合研修は大変充実していたのだけれども、今の職場もなかなか研修が充実していると思う。
講師が先輩職員であったり、法律の授業はどうしても文字の羅列になってしまいがちではあるのだが、大変よく検討され、準備に時間がかかっているのだろうということはよく伝わってくる。それに加え、講師の「熱」が伝わってくるものも多く、よく聞く「○□△は堅苦しい」という(固まった)イメージをいい意味で壊してくれるものも少なくない。
そういう「熱」に触れると、これまたいい意味で「これじゃいかんぞ」と思う。何に思うか?自分の仕事に対する姿勢であったり、自分の身の回りで起こっていることだったり、様々である。
今回特に感じたことは二つ。一つは、自分の仕事は何を得るものなのか。答え「信頼」であるということ。なぜそんなに頑張れるのかというと、そこに損得があるわけではなく、そこに自慢できる実績があるわけでもなく、ただ、仕事をこなすことについて、プライドがあるかないかによって個人の動機付けは大きく左右する。
もう一つは、自分は「どのように使われているのかわからない」という現状である。総合計画はあるが、課としてグループとしてチームとしての目標は何なのか。私が所属する課は、どんな方向へ業務を方向づけているのか。周囲に聞いても「そんなことは知らない」と嘘か真かわからないような答えが返ってくる。
組織人としての筋と公務員としての筋は違うということ。
前職と変わることはない。原典に立ち返り、自分の頭できちんと考えるということだ。
170127_研修から感じたこと
以前の職場は全国各地に勤務地があったり、国の外郭団体だったこともあり、集合研修は大変充実していたのだけれども、今の職場もなかなか研修が充実していると思う。
講師が先輩職員であったり、法律の授業はどうしても文字の羅列になってしまいがちではあるのだが、大変よく検討され、準備に時間がかかっているのだろうということはよく伝わってくる。それに加え、講師の「熱」が伝わってくるものも多く、よく聞く「○□△は堅苦しい」という(固まった)イメージをいい意味で壊してくれるものも少なくない。
そういう「熱」に触れると、これまたいい意味で「これじゃいかんぞ」と思う。何に思うか?自分の仕事に対する姿勢であったり、自分の身の回りで起こっていることだったり、様々である。
今回特に感じたことは二つ。一つは、自分の仕事は何を得るものなのか。答え「信頼」であるということ。なぜそんなに頑張れるのかというと、そこに損得があるわけではなく、そこに自慢できる実績があるわけでもなく、ただ、仕事をこなすことについて、プライドがあるかないかによって個人の動機付けは大きく左右する。
もう一つは、自分は「どのように使われているのかわからない」という現状である。総合計画はあるが、課としてグループとしてチームとしての目標は何なのか。私が所属する課は、どんな方向へ業務を方向づけているのか。周囲に聞いても「そんなことは知らない」と嘘か真かわからないような答えが返ってくる。
2017年1月22日日曜日
インフルエンザ
息子が通う幼稚園で、先週の水曜日(18日)から息子の学級が閉鎖しています。息子は二日間「退屈だぁ〜」と言っていたのですが、同金曜日に発熱。土曜日に「検査にはでないけど、おそらくインフルエンザ」という診断を受け、インフルエンザの治療が始まりました。
インフルエンザの感染については、発熱した日を「0日」として5日間かつ解熱後3日間の登園(出勤)停止と定められているため、息子の場合は今週の水曜日までは登園できないことになります。しかも、22日現在、まだ解熱していない状況です。
いつもはやらなくていいことをやって怒られている息子ですが、食事もとれずにぐったりしている姿を見ると、さすがにかわいそうに思えてきます。
それを見ている長女と次女。それぞれに構って光線を放ってきます。こちらとしては、長男第一に考えて動いてしまいがちなのですが、長女・次女にもきっと負担はかかっているのだろう、と振り返り思い至りました。
最近、課外活動も忙しく、なかなか子どもにじっくり関わっている時間がないのも事実。2月までバタバタするけど、一段落したらみんなでおいしいものでも食べに行こう。
インフルエンザの感染については、発熱した日を「0日」として5日間かつ解熱後3日間の登園(出勤)停止と定められているため、息子の場合は今週の水曜日までは登園できないことになります。しかも、22日現在、まだ解熱していない状況です。
いつもはやらなくていいことをやって怒られている息子ですが、食事もとれずにぐったりしている姿を見ると、さすがにかわいそうに思えてきます。
それを見ている長女と次女。それぞれに構って光線を放ってきます。こちらとしては、長男第一に考えて動いてしまいがちなのですが、長女・次女にもきっと負担はかかっているのだろう、と振り返り思い至りました。
最近、課外活動も忙しく、なかなか子どもにじっくり関わっている時間がないのも事実。2月までバタバタするけど、一段落したらみんなでおいしいものでも食べに行こう。
マティーニの研究
年始に帰省していたときに父親からの一言。
「毎日晩酌すればいいじゃないか」
何気ない一言だったのですが、カクテル熱が再燃するきっかけになってしまいました。
そこで、所沢へ帰ってきてドライベルモット(Noilly Prat Dry)を買い、マティーニを作ってみる。
・ジン 3/4
・ドライベルモット 1/4
・ステア
「カクテルの王様」と呼ばれており、バーへ行くと何となく雰囲気でオーダーしてしまうのだが、あんまりおいしくない。あるバーテンダーさんにそのことを聞いたら「それは永遠の課題だ」と万能な答えが返ってきたことがある。
マティーニの味をどう表現するか。これは結構難しいのだけれども、「甘くもすっきりもしていない、独特の香りが鼻を刺してくる」飲み物である。ジンの香りとベルモットの香りは、それぞれ原料となる植物の(強い)香りなのだけれども、それらが「調和」しているマティーニがきっとおいしいマティーニなのだろうと思う。
それで調べてみると、
・ベルモットの比率を下げると「ドライマティーニ」
・ベルモットをスイート系のものにすると「スイートマティーニ」
・ベルモットをドライとスイート半々にすると「ミディアムマティーニ」
・ベースをウォッカにしてオニオンを添えると「ウォッカマティーニ」
・ジン、ウォッカ、リレを材料にシェイクすると「ヴェスパー Vesper」
と、マティーニには様々な種類があることがわかる。
シンプルなレシピだからこそ、アレンジの幅もあり、バーテンダーさんが腕を振るっているのだろうと思うところである。
色々作って試したけれども、今のところ私としては、マティーニのおいしさは材料の「調和」度合いで測られるのだという仮説に立つに至る。
私の好みは「ベルモット少な目」、ドライマティーニなのだろうと思うこの頃である。
「毎日晩酌すればいいじゃないか」
何気ない一言だったのですが、カクテル熱が再燃するきっかけになってしまいました。
そこで、所沢へ帰ってきてドライベルモット(Noilly Prat Dry)を買い、マティーニを作ってみる。
・ジン 3/4
・ドライベルモット 1/4
・ステア
「カクテルの王様」と呼ばれており、バーへ行くと何となく雰囲気でオーダーしてしまうのだが、あんまりおいしくない。あるバーテンダーさんにそのことを聞いたら「それは永遠の課題だ」と万能な答えが返ってきたことがある。
マティーニの味をどう表現するか。これは結構難しいのだけれども、「甘くもすっきりもしていない、独特の香りが鼻を刺してくる」飲み物である。ジンの香りとベルモットの香りは、それぞれ原料となる植物の(強い)香りなのだけれども、それらが「調和」しているマティーニがきっとおいしいマティーニなのだろうと思う。
それで調べてみると、
・ベルモットの比率を下げると「ドライマティーニ」
・ベルモットをスイート系のものにすると「スイートマティーニ」
・ベルモットをドライとスイート半々にすると「ミディアムマティーニ」
・ベースをウォッカにしてオニオンを添えると「ウォッカマティーニ」
・ジン、ウォッカ、リレを材料にシェイクすると「ヴェスパー Vesper」
と、マティーニには様々な種類があることがわかる。
シンプルなレシピだからこそ、アレンジの幅もあり、バーテンダーさんが腕を振るっているのだろうと思うところである。
色々作って試したけれども、今のところ私としては、マティーニのおいしさは材料の「調和」度合いで測られるのだという仮説に立つに至る。
私の好みは「ベルモット少な目」、ドライマティーニなのだろうと思うこの頃である。
想像し難い
先日、ラジオから流れてきたニュースに、生後3ヶ月の娘に暴行を加え、湯船に沈めて殺害したというものがあった。
このニュースを聞いたときに、何か思うところがあったのか、その場面を想像してしまって背筋がぞくっと寒くなった。
三人称の立場に立って、この親御さんと同居人と言われる人を避難するのは簡単だ。けれども、ちょっと視点を変えてみる。
この現場はどんな雰囲気だったのだろうかと。
生後3ヶ月の子どもが泣くのに、手を上げなければ「ならなかった」のはなぜだ。抵抗できたかどうかはわからないが、文字通り必死で動く子どもの命を奪わなければ「ならなかった」理由には何があるのか。湯船に沈めてぐったりしていく子どもを見なければ「ならなかった」のはなぜなのか。その現場には何があったのか。
この事件だけじゃない。最近報道される自分の子どもを殺害するという事件には、「そうしたかった」という身勝手な救う価値のない人が(いないと信じたいが)いる一方で、「そうしなければならない」と追いつめられた人が自分の中の何かを守るために、自分の最愛の存在を手にかけなければならないという出来事が起こっているような気がしてならない。
この後者については「自己責任」という安っぽい言葉だけでは片づけられない、社会の病的な部分や、世の中に垂れ流されているくだらない言説等の影響は否定できないと思う。
福祉に携わるようになって、「ソーシャルワーク」という言葉の意味が、少し自分なりに感じられ、考えられるようになってきたように思う。ただ、その深さと広さを感じる度に途方に暮れることを繰り返している。
このニュースを聞いたときに、何か思うところがあったのか、その場面を想像してしまって背筋がぞくっと寒くなった。
三人称の立場に立って、この親御さんと同居人と言われる人を避難するのは簡単だ。けれども、ちょっと視点を変えてみる。
この現場はどんな雰囲気だったのだろうかと。
生後3ヶ月の子どもが泣くのに、手を上げなければ「ならなかった」のはなぜだ。抵抗できたかどうかはわからないが、文字通り必死で動く子どもの命を奪わなければ「ならなかった」理由には何があるのか。湯船に沈めてぐったりしていく子どもを見なければ「ならなかった」のはなぜなのか。その現場には何があったのか。
この事件だけじゃない。最近報道される自分の子どもを殺害するという事件には、「そうしたかった」という身勝手な救う価値のない人が(いないと信じたいが)いる一方で、「そうしなければならない」と追いつめられた人が自分の中の何かを守るために、自分の最愛の存在を手にかけなければならないという出来事が起こっているような気がしてならない。
この後者については「自己責任」という安っぽい言葉だけでは片づけられない、社会の病的な部分や、世の中に垂れ流されているくだらない言説等の影響は否定できないと思う。
福祉に携わるようになって、「ソーシャルワーク」という言葉の意味が、少し自分なりに感じられ、考えられるようになってきたように思う。ただ、その深さと広さを感じる度に途方に暮れることを繰り返している。
2017年1月9日月曜日
遠方から来た友人と語る
投稿履歴の件数を眺めていたら、年々投稿数が減少しているようなので、もともとこのブログのスタンスでもあった、思いついたことを思ったまま書き続けてみようと思います。
正月に地元(静岡県)に帰省していたのですが、その時の出来事から。
前の職場の友人が浜松に遊びに来てくれました。
前職では後輩だったのですが、お互い転職して、同業者としては今度は私が後輩になりました。
歳の差は変わりませんが。
転職の背景は、若干の差こそあれ、自分のキャリアデザインの中に「家族」という存在を位置づけた結果であること。
そして、全国転勤による生活の拠点が定まらないことに対するストレスというか違和感が、前職を離れることと新しい職場探しの時に大きな位置を占めていたということを、改めて確認できたような気がします。
浜松駅前のプロントで、開店直後からビールをあおり、駅南のむつぎくで餃子大(16個)を食べて撃沈するあたり、歳をとったことを確認しつつも、有意義な時間を過ごすことができたように思います。
話をしていて一つ気づいたことは、自分の頭で考えて、自分なりに納得して選んだことについて、立場や背景は違ったとしても「賛同者」がいる、ということはとても心強いこと。驕らず、謙虚に、人に対する感謝を忘れずに、しかし納得感をもって我が道を歩き続けることが、精神安定上大切なことなのだと、考えさせられた出来事でした。
正月に地元(静岡県)に帰省していたのですが、その時の出来事から。
前の職場の友人が浜松に遊びに来てくれました。
前職では後輩だったのですが、お互い転職して、同業者としては今度は私が後輩になりました。
歳の差は変わりませんが。
転職の背景は、若干の差こそあれ、自分のキャリアデザインの中に「家族」という存在を位置づけた結果であること。
そして、全国転勤による生活の拠点が定まらないことに対するストレスというか違和感が、前職を離れることと新しい職場探しの時に大きな位置を占めていたということを、改めて確認できたような気がします。
浜松駅前のプロントで、開店直後からビールをあおり、駅南のむつぎくで餃子大(16個)を食べて撃沈するあたり、歳をとったことを確認しつつも、有意義な時間を過ごすことができたように思います。
話をしていて一つ気づいたことは、自分の頭で考えて、自分なりに納得して選んだことについて、立場や背景は違ったとしても「賛同者」がいる、ということはとても心強いこと。驕らず、謙虚に、人に対する感謝を忘れずに、しかし納得感をもって我が道を歩き続けることが、精神安定上大切なことなのだと、考えさせられた出来事でした。
2017年1月8日日曜日
新年あけて初めての投稿
ログを見たら、4か月弱更新が滞っていた。
ちょくちょくチェックしてくださっている方、申し訳ありませんでした。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
作業後に開いているので、昨年の振り返りとか新年の抱負は後日とします。
今日(昨日になってしまった)は、結婚式記念日につき、外出してそのまま家族でシュラスコをいただいてきました。
東武東上線若葉駅前の「カッピンドゥラード」というブラジルレストランです。
食べ過ぎて動きが鈍くなったので、今日は用事だけ済ませて寝ます。
ちょくちょくチェックしてくださっている方、申し訳ありませんでした。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
作業後に開いているので、昨年の振り返りとか新年の抱負は後日とします。
今日(昨日になってしまった)は、結婚式記念日につき、外出してそのまま家族でシュラスコをいただいてきました。
東武東上線若葉駅前の「カッピンドゥラード」というブラジルレストランです。
食べ過ぎて動きが鈍くなったので、今日は用事だけ済ませて寝ます。
2016年9月20日火曜日
いつでもどこでも、の罠
手放すと見えるようになるものがある。
最近はスマートフォン。
見回すと、どこでも、誰でも、みんなが画面に見入っている。
7~8年前からどんどん広まって、今ではスマホ持っていない方が目立つようになってきたように思う。
私も、以前はiPhoneユーザーだったから、その便利さと手軽に楽しめるアプリがたくさんあることは知っている。
うまく使っている人にとっては、ビジネス・プライベート問わず手放せない道具になっているのだろうし、確かにいつでもどこでもインターネットにつながっているという、一種の安心感みたいなものは感じたことがある。
ただ、この手軽に便利な機能が、そこから抜け出せなくしてしまっている側面もあるように思う。
別にデバイスの文句を言うわけじゃなくて、なんというか、ギャンブルに低所得者からお金を巻き上げるシステムがあるように、スマホにも「ある環境」を脱する機会と気持ちを吸い上げていくシステムがあるように感じてしまった。
30年前はテレビゲーム、20年前にはポータブルデバイス、15年前にはインターネットというように、その時々に人々を熱中の渦に巻き込み、そしてそこから還らぬ人がいたことも間違っていないだろう。これらのツールには、それがなければ生活維持が困難になってしまう程度にまで脳へ衝撃を与える力がある。いや、デバイスの持つ力を増幅させる別の力が人間にも備わっていると考えるのが妥当だろうか。
壊れていくことを望む人はいないのだろうが、いないといのは理屈の話であって、デバイスがいつもある環境を選びとる意思があって、それを際限なくよしとするときに目の前に現れる(ように見える)幻想や快楽は、その世界へ入り込む動機となるに違いない。そして、そこから目を背けたり、脱しようとする人に、更なる誘惑が待ち構えている。
・・・とまぁ、無痛文明っぽい立ち位置から、最近見えるスマホ社会をスケッチしてみました。
便利な道具だけどさ、それを理由にやるべきことをやらない人が、一丁前の口をきいても、あんまり響かないよね、ってことが立て続けにあったので、メモ書きしてみました。
最近はスマートフォン。
見回すと、どこでも、誰でも、みんなが画面に見入っている。
7~8年前からどんどん広まって、今ではスマホ持っていない方が目立つようになってきたように思う。
私も、以前はiPhoneユーザーだったから、その便利さと手軽に楽しめるアプリがたくさんあることは知っている。
うまく使っている人にとっては、ビジネス・プライベート問わず手放せない道具になっているのだろうし、確かにいつでもどこでもインターネットにつながっているという、一種の安心感みたいなものは感じたことがある。
ただ、この手軽に便利な機能が、そこから抜け出せなくしてしまっている側面もあるように思う。
別にデバイスの文句を言うわけじゃなくて、なんというか、ギャンブルに低所得者からお金を巻き上げるシステムがあるように、スマホにも「ある環境」を脱する機会と気持ちを吸い上げていくシステムがあるように感じてしまった。
30年前はテレビゲーム、20年前にはポータブルデバイス、15年前にはインターネットというように、その時々に人々を熱中の渦に巻き込み、そしてそこから還らぬ人がいたことも間違っていないだろう。これらのツールには、それがなければ生活維持が困難になってしまう程度にまで脳へ衝撃を与える力がある。いや、デバイスの持つ力を増幅させる別の力が人間にも備わっていると考えるのが妥当だろうか。
壊れていくことを望む人はいないのだろうが、いないといのは理屈の話であって、デバイスがいつもある環境を選びとる意思があって、それを際限なくよしとするときに目の前に現れる(ように見える)幻想や快楽は、その世界へ入り込む動機となるに違いない。そして、そこから目を背けたり、脱しようとする人に、更なる誘惑が待ち構えている。
・・・とまぁ、無痛文明っぽい立ち位置から、最近見えるスマホ社会をスケッチしてみました。
便利な道具だけどさ、それを理由にやるべきことをやらない人が、一丁前の口をきいても、あんまり響かないよね、ってことが立て続けにあったので、メモ書きしてみました。
2016年8月22日月曜日
実家に帰省して感じる変化
先週から浜松に帰省していました。
普段所沢に住んでいて、実際に起こっている変化にも気づかずに日々過ぎていくのですが、帰省して環境を変えると気づくこともあります。
・会う人が減ること
子どもがそこそこ大きくなってきたこともあるのですが、帰省してやることといえば浜松近辺で家族(子ども)を連れて遊びに出ることが中心になってきました。私の用事というのは、年1回静岡へ行って、知人と会ったり、母校へ行ったり、当時の飲み屋さんでダラダラ過ごすということくらいになってしまったなぁ。以前は地元の友人とも遊びに行っていたのだけれども。浜松のみなさま、申し訳ない。
・デジタルデバイス利用頻度が減ったこと
このことは、一昨年末にiPhoneから電話回線を抜いた頃からの変化だと思うのだけれども、もっと自宅でパソコンを使うようになると思っていたら、実際は全く逆で余計にパソコンを使わなくなりました。帰省する時には(惰性で)パソコンを持って帰るのだけれども、実際には帰宅する前日夜(今)ようやくパソコンを立ち上げました。必要ないのかもしれない。生活の中にKindleは入り込んでいるのだけれども、スマートフォンやパソコンの占める割合はぐっと減りました。使わないから減ったのかもしれないですが。
・睡眠時間の増加
帰省して昼間目いっぱい遊ぶと、実家では特にやること(家事)がないので、夜は自分の時間になります。ただ、そこでパソコン使って何かやるかというとそうでもなく、結局眠いから寝てしまう。結果睡眠時間は多くなりますし、それを欲している自分がいることにも気づかされます。
・読書の時間は・・・
静岡で恩師と飲み屋で雑談していた時の話題でもあるのですが、自分の読書時間(活字)は増えているのか減っているのか、ちょっとわからないところではあります。帰省しても、あまりはっきりしません。一つはっきりしているのは、学生~社会人数年の頃よりも、「座って活字を読む」時間ははっきりと減少していることと、その「読書体力」が減っているような感覚はあります。読まないから読めなくなったのか、あるいは読めないから読めなくなったのかはわかりませんが、身体の変化ということを少し意識しておかないと、ただただ読書時間の減少に嫌気がさしてしまうようにも感じています。
こんなことを考えることができた一週間でした。
明日は所沢へ帰宅し、最後の夏休みを楽しんで仕事に戻ることにします。
普段所沢に住んでいて、実際に起こっている変化にも気づかずに日々過ぎていくのですが、帰省して環境を変えると気づくこともあります。
・会う人が減ること
子どもがそこそこ大きくなってきたこともあるのですが、帰省してやることといえば浜松近辺で家族(子ども)を連れて遊びに出ることが中心になってきました。私の用事というのは、年1回静岡へ行って、知人と会ったり、母校へ行ったり、当時の飲み屋さんでダラダラ過ごすということくらいになってしまったなぁ。以前は地元の友人とも遊びに行っていたのだけれども。浜松のみなさま、申し訳ない。
・デジタルデバイス利用頻度が減ったこと
このことは、一昨年末にiPhoneから電話回線を抜いた頃からの変化だと思うのだけれども、もっと自宅でパソコンを使うようになると思っていたら、実際は全く逆で余計にパソコンを使わなくなりました。帰省する時には(惰性で)パソコンを持って帰るのだけれども、実際には帰宅する前日夜(今)ようやくパソコンを立ち上げました。必要ないのかもしれない。生活の中にKindleは入り込んでいるのだけれども、スマートフォンやパソコンの占める割合はぐっと減りました。使わないから減ったのかもしれないですが。
・睡眠時間の増加
帰省して昼間目いっぱい遊ぶと、実家では特にやること(家事)がないので、夜は自分の時間になります。ただ、そこでパソコン使って何かやるかというとそうでもなく、結局眠いから寝てしまう。結果睡眠時間は多くなりますし、それを欲している自分がいることにも気づかされます。
・読書の時間は・・・
静岡で恩師と飲み屋で雑談していた時の話題でもあるのですが、自分の読書時間(活字)は増えているのか減っているのか、ちょっとわからないところではあります。帰省しても、あまりはっきりしません。一つはっきりしているのは、学生~社会人数年の頃よりも、「座って活字を読む」時間ははっきりと減少していることと、その「読書体力」が減っているような感覚はあります。読まないから読めなくなったのか、あるいは読めないから読めなくなったのかはわかりませんが、身体の変化ということを少し意識しておかないと、ただただ読書時間の減少に嫌気がさしてしまうようにも感じています。
こんなことを考えることができた一週間でした。
明日は所沢へ帰宅し、最後の夏休みを楽しんで仕事に戻ることにします。
2016年7月18日月曜日
最近の読書2冊+4AudioBook
最近はこんな本に手を出しています。
○外山滋比古『思考の整理学』筑摩書房、1986年。
数年前から「東大生に読まれている」などのポップがついて書店に積まれている文庫本。最近少しずつ読んでいるが、30年前に出版されたものとは思えない内容といえる。よほど「自分で考えてきた人」なのだろうと実感させられる。
・テーマ(卒論)は一つだけでは多すぎる。(43ページ)
・わかるときになれば、わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。(同上)
・全体は部分の総和にあらず。
・発想の母体は触媒としての個性である。(58ページ)
○【AudioBook】小川仁志『人生が変わる哲学の教室』
哲学書を読み始めると、言葉にひっかかって読み進めなくなり、わからないまま本を閉じてしまうことがあるのだけれども、このAudioBookは哲学者達の講義形式をとっていることで、「なんとなく」わかった気にさせられる内容といえる。だからといって、内容が薄いのかというと、きちんとキーワードを読み砕いて現代の経験に合うように説明されているため、各人の要点となる論点はわかりやすく説明されている。再度聴いてみたくなる内容でした。
○【AudioBook】中野信子『脳はどこまでコントロールできるか?』
茂木健一郎氏が「脳科学」を世に広めてから、一般書としても脳に関する内容のものが多くなったように思う。私も精神疾患のある方に長年接してきた経験から、脳に関する読み物はなるべく意識して読むようにしているが、本書は脳科学(?)や心理学の知見を取りまとめて大変読みやすく説明している。特に「脳の癖」と言うべき、「こうなりがち」な人間の行動を脳の働きから説明しており、さらに悪癖から脱するための方法についても提案されている。
これらの提案がすべてできるようになるには、節制や我慢も必要であるが、自分でも気づかない癖を客観的に見つめ、それを好ましい行動へと修正していくための一助となるように思われる。
○【AudioBook】喜多川泰『君と会えたから』『上京物語』
最近お気に入りの作家。自己啓発本を何冊も上梓されているようだが、単純な物語でありながら、ちょっと心を打つ内容で、思わずもう一回聞きたくなってしまう。
以下、『上京物語』から、「破るべき5つの常識」をメモしておく。
1.幸せの基準を他人と比較して決めること。
2.今ある安定がずっと続くものであること。
3.幸せと行動の基準が「お金」になること。
自分の価値観を持つための3つの方法
・時間を投資する。
・頭を鍛える。
・心を鍛える。
4.稼げることの中からやりたいことを選ぶ。
真にやりたいことは、経験して工夫して本気で取り組んだことの中から出てくる。
5.失敗しないように生きる。
○青木裕司『青木世界史B講義の実況中継①』語学春秋社、2005年版。
大学受験の時からお世話になっていて、去年買いなおしたもの。今でも何回目になるかダラダラ通読中。
世界各国、どの国や地域でも、イギリスやフランス、後年はアメリカやロシアがやってくると大体戦争になって内戦が続くことになる、なんてことが読み解けるようになってきたのだけれども、最近そこに中国が入ってくるように感じられるようになってきた。中国って「帝国主義」って感じはしないのだけれども、歴史を読み解くと(①の内容)この国はずーっと国内で争いが続いているんですね。イギリスに(一部を)支配されたようなイメージがあったのだけれども、それだけではないということと、近年の近隣諸国への外交態度なんかを重ねてみると、受験の頃に学んだ中国とは全く違うそれが見えてくるようになりました。
最近、歴史が面白いです。
○外山滋比古『思考の整理学』筑摩書房、1986年。
数年前から「東大生に読まれている」などのポップがついて書店に積まれている文庫本。最近少しずつ読んでいるが、30年前に出版されたものとは思えない内容といえる。よほど「自分で考えてきた人」なのだろうと実感させられる。
・テーマ(卒論)は一つだけでは多すぎる。(43ページ)
・わかるときになれば、わかる。わからぬときにいくら説明しても無駄である。(同上)
・全体は部分の総和にあらず。
・発想の母体は触媒としての個性である。(58ページ)
○【AudioBook】小川仁志『人生が変わる哲学の教室』
哲学書を読み始めると、言葉にひっかかって読み進めなくなり、わからないまま本を閉じてしまうことがあるのだけれども、このAudioBookは哲学者達の講義形式をとっていることで、「なんとなく」わかった気にさせられる内容といえる。だからといって、内容が薄いのかというと、きちんとキーワードを読み砕いて現代の経験に合うように説明されているため、各人の要点となる論点はわかりやすく説明されている。再度聴いてみたくなる内容でした。
○【AudioBook】中野信子『脳はどこまでコントロールできるか?』
茂木健一郎氏が「脳科学」を世に広めてから、一般書としても脳に関する内容のものが多くなったように思う。私も精神疾患のある方に長年接してきた経験から、脳に関する読み物はなるべく意識して読むようにしているが、本書は脳科学(?)や心理学の知見を取りまとめて大変読みやすく説明している。特に「脳の癖」と言うべき、「こうなりがち」な人間の行動を脳の働きから説明しており、さらに悪癖から脱するための方法についても提案されている。
これらの提案がすべてできるようになるには、節制や我慢も必要であるが、自分でも気づかない癖を客観的に見つめ、それを好ましい行動へと修正していくための一助となるように思われる。
○【AudioBook】喜多川泰『君と会えたから』『上京物語』
最近お気に入りの作家。自己啓発本を何冊も上梓されているようだが、単純な物語でありながら、ちょっと心を打つ内容で、思わずもう一回聞きたくなってしまう。
以下、『上京物語』から、「破るべき5つの常識」をメモしておく。
1.幸せの基準を他人と比較して決めること。
2.今ある安定がずっと続くものであること。
3.幸せと行動の基準が「お金」になること。
自分の価値観を持つための3つの方法
・時間を投資する。
・頭を鍛える。
・心を鍛える。
4.稼げることの中からやりたいことを選ぶ。
真にやりたいことは、経験して工夫して本気で取り組んだことの中から出てくる。
5.失敗しないように生きる。
○青木裕司『青木世界史B講義の実況中継①』語学春秋社、2005年版。
大学受験の時からお世話になっていて、去年買いなおしたもの。今でも何回目になるかダラダラ通読中。
世界各国、どの国や地域でも、イギリスやフランス、後年はアメリカやロシアがやってくると大体戦争になって内戦が続くことになる、なんてことが読み解けるようになってきたのだけれども、最近そこに中国が入ってくるように感じられるようになってきた。中国って「帝国主義」って感じはしないのだけれども、歴史を読み解くと(①の内容)この国はずーっと国内で争いが続いているんですね。イギリスに(一部を)支配されたようなイメージがあったのだけれども、それだけではないということと、近年の近隣諸国への外交態度なんかを重ねてみると、受験の頃に学んだ中国とは全く違うそれが見えてくるようになりました。
最近、歴史が面白いです。
2016年6月27日月曜日
仕事の内容
4月からの仕事は、これまでとは異質なものになりました。
採用枠が「一般事務職」であるので、これまでの経験を踏まえた配置でどんぴしゃだったとしても、その仕事内容は全く違います。これまでに気づいたことをいくつかメモ書きにしておきます。
1.デスクワークが多い
前職もここ2,3年は、業務と直結しない事務作業は多くなっていました。年次も中堅を過ぎたので、組織のことについても多少関わるようになっていました。
今の職場は、本来相談業務が主となる職場のはずですが、どちらかといえば半分以上は紙で仕事をするところです。話を聞いて何かを解決するだけではなく、話を聞いた上で申請書と添付書類を提出してもらうことで、後程そのペーパーワークが発生します。
今までの「相談→計画策定」の流れとはちょっと違って、課題を正確にこなしていくドリル的な作業が多いです。頭の使い方がちょっと違うので、慣れるまでは戸惑いました。
2.お客さんの層が違う
前職のクライアントから「身体障害者の応募はないんだが、いったいどこにいるのですか?」といった主旨の質問をよく受けた。当時は「技能のある方は、いい条件で就労継続している」などと回答していました。
間違っているわけではないですが、当時統計を見てもあまりピンとこなかったことを今では実感しています。それは「労働年齢を超えた人が多い」ということです。
後期高齢者医療や介護保険を利用している人も窓口には来られます。今まで雇用に関わってきて「50代は高齢」だと思っていた自分が少し恥ずかしくなってきました。
3.職員の知識レベルが異なる
1.にも関連しますが、今の職場にいると、前職は専門家集団だったのだなと改めて痛感させられます。現在の窓口は精神障害のある方は対象ではないので、私も日々勉強しながら仕事をしていますが、障害特性という言葉が共通言語になっておらず、内容によっては下っ端の私が一番詳しい内容なんてのもあるかもしれません。
ただ、今までの仕事とは異なる分野でもあるので、確実に視野は広がっています。
今のところ、まとめられる段階での振り返りでした。
採用枠が「一般事務職」であるので、これまでの経験を踏まえた配置でどんぴしゃだったとしても、その仕事内容は全く違います。これまでに気づいたことをいくつかメモ書きにしておきます。
1.デスクワークが多い
前職もここ2,3年は、業務と直結しない事務作業は多くなっていました。年次も中堅を過ぎたので、組織のことについても多少関わるようになっていました。
今の職場は、本来相談業務が主となる職場のはずですが、どちらかといえば半分以上は紙で仕事をするところです。話を聞いて何かを解決するだけではなく、話を聞いた上で申請書と添付書類を提出してもらうことで、後程そのペーパーワークが発生します。
今までの「相談→計画策定」の流れとはちょっと違って、課題を正確にこなしていくドリル的な作業が多いです。頭の使い方がちょっと違うので、慣れるまでは戸惑いました。
2.お客さんの層が違う
前職のクライアントから「身体障害者の応募はないんだが、いったいどこにいるのですか?」といった主旨の質問をよく受けた。当時は「技能のある方は、いい条件で就労継続している」などと回答していました。
間違っているわけではないですが、当時統計を見てもあまりピンとこなかったことを今では実感しています。それは「労働年齢を超えた人が多い」ということです。
後期高齢者医療や介護保険を利用している人も窓口には来られます。今まで雇用に関わってきて「50代は高齢」だと思っていた自分が少し恥ずかしくなってきました。
3.職員の知識レベルが異なる
1.にも関連しますが、今の職場にいると、前職は専門家集団だったのだなと改めて痛感させられます。現在の窓口は精神障害のある方は対象ではないので、私も日々勉強しながら仕事をしていますが、障害特性という言葉が共通言語になっておらず、内容によっては下っ端の私が一番詳しい内容なんてのもあるかもしれません。
ただ、今までの仕事とは異なる分野でもあるので、確実に視野は広がっています。
今のところ、まとめられる段階での振り返りでした。
2016年6月25日土曜日
育成会の「お仕事」
新しい職場は時期的な忙しさ、いわゆる繁忙期というものがあり、一年で一番忙しいのが6月だそうです。私も慣れない(?)職場でとりあえず3ヵ月突っ走ってきて、ようやくひと段落です。自分が何をやっているのか、ということも分かってきました。
そんな時期の週末に、育成会の「お仕事」をしてきました。
育成会支部で地域の夏祭りに出店するとかで、その顔合わせの場で、ちょっとゲームでもしましょうというもの。
役員のお母さんが中心でやっているのですが、まぁお母さんばかりというところも気になるし、ウチのカミさんが「アンタなんかやってたんでしょ」と言い出したので、そういう流れなら「お役に立てるならば」と首を突っ込んでみたところです。
何年生が何人集まるかわからない。
なかなか場のイメージができずに、いくつか分岐を作る程度の準備はしていったのですが、蓋を開けたら、高学年の女の子3人とウチの娘、途中参加で4年生の男の子、あとは就学前の男の子2人と女の子1人。想像するだけで、混沌としているでしょ?
なかなか面白い場でした。
ただ、まぁ当初のイメージとは違うので準備していったアクティビティもいくつかアレンジして…
なんてやっていったら、結構疲れる2時間になりました。
場の雰囲気を読みながら、準備したプログラムに修正を加えながら場を切り盛りする、なんてのは大人相手のグループファシリテーションとあんまり変わらないなと思った一日でした。
たまには、こういう活動も面白い。
そんな実感のある、充実した一日でした。お疲れさまでした、自分。
そんな時期の週末に、育成会の「お仕事」をしてきました。
育成会支部で地域の夏祭りに出店するとかで、その顔合わせの場で、ちょっとゲームでもしましょうというもの。
役員のお母さんが中心でやっているのですが、まぁお母さんばかりというところも気になるし、ウチのカミさんが「アンタなんかやってたんでしょ」と言い出したので、そういう流れなら「お役に立てるならば」と首を突っ込んでみたところです。
何年生が何人集まるかわからない。
なかなか場のイメージができずに、いくつか分岐を作る程度の準備はしていったのですが、蓋を開けたら、高学年の女の子3人とウチの娘、途中参加で4年生の男の子、あとは就学前の男の子2人と女の子1人。想像するだけで、混沌としているでしょ?
なかなか面白い場でした。
ただ、まぁ当初のイメージとは違うので準備していったアクティビティもいくつかアレンジして…
なんてやっていったら、結構疲れる2時間になりました。
場の雰囲気を読みながら、準備したプログラムに修正を加えながら場を切り盛りする、なんてのは大人相手のグループファシリテーションとあんまり変わらないなと思った一日でした。
たまには、こういう活動も面白い。
そんな実感のある、充実した一日でした。お疲れさまでした、自分。
2016年5月22日日曜日
青空Beer
昨日、前職の友人と会ってきました。
積もる話も、親の介護のことなど、考えさせられる(私にとっては、宿題となっている)こともたくさんあったのだけれども、東京について気づいたこと。
久々に人込みに出て、電車の中で必要以上に揺れている人を見たりして、改めて「東京っていろんな人がいるなぁ」と思いました。そして、久々に人に酔うこともあり、改めて都会不適応であることを感じました。東京勤務の時期や、電車で出張に出た時に、やたらと疲れるのは乗り物酔いと人酔いなんだろうと、数年かけて気づいたことでもあります。
そして、その対処方法はというと、「気にしない」ことなのでしょう。
人込みの人は、一人ひとりが一人の人間でその人生があるのだけれども、周りの人を気にせずスマホの画面に見入ってぶつかってもそのまま行ってしまう人なんかにいちいち気を巡らせていては、この人込みを乗り切ることができない。この場合は、動くモノとして、思いを巡らせない、思考を麻痺させることが有効なのだと思いました。
そういう期間が長くなると、いろんな感覚がマヒしてくるのだろうな、とも思いますが、その辺までは踏み込まず。
そんな人込みの歩行者天国で、友人がもってきた焼き鳥をつまみに缶ビールで乾杯する中年二人。この年になってこんなことをすると思っていなかったのだけれども、これもまたよし。
街行く人は誰も我々を気にせず、私も気にせず、おまわりさんも軽く会釈して通り過ぎていく。
こんな雰囲気も悪くない。悪くないけど、やっぱり人酔いはするんだなと思った土曜の午後でした。
最近、超過勤務も続いていたのでちょっと息抜きになりました。7月まではこんな調子かな。
積もる話も、親の介護のことなど、考えさせられる(私にとっては、宿題となっている)こともたくさんあったのだけれども、東京について気づいたこと。
久々に人込みに出て、電車の中で必要以上に揺れている人を見たりして、改めて「東京っていろんな人がいるなぁ」と思いました。そして、久々に人に酔うこともあり、改めて都会不適応であることを感じました。東京勤務の時期や、電車で出張に出た時に、やたらと疲れるのは乗り物酔いと人酔いなんだろうと、数年かけて気づいたことでもあります。
そして、その対処方法はというと、「気にしない」ことなのでしょう。
人込みの人は、一人ひとりが一人の人間でその人生があるのだけれども、周りの人を気にせずスマホの画面に見入ってぶつかってもそのまま行ってしまう人なんかにいちいち気を巡らせていては、この人込みを乗り切ることができない。この場合は、動くモノとして、思いを巡らせない、思考を麻痺させることが有効なのだと思いました。
そういう期間が長くなると、いろんな感覚がマヒしてくるのだろうな、とも思いますが、その辺までは踏み込まず。
そんな人込みの歩行者天国で、友人がもってきた焼き鳥をつまみに缶ビールで乾杯する中年二人。この年になってこんなことをすると思っていなかったのだけれども、これもまたよし。
街行く人は誰も我々を気にせず、私も気にせず、おまわりさんも軽く会釈して通り過ぎていく。
こんな雰囲気も悪くない。悪くないけど、やっぱり人酔いはするんだなと思った土曜の午後でした。
最近、超過勤務も続いていたのでちょっと息抜きになりました。7月まではこんな調子かな。
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