2014年11月10日月曜日

家事と育児

10月下旬に第三子が誕生しました。
それに伴い、こちらの更新も滞っていたわけですが、何をしていたのかというと、ほとんどは家事です。毎日毎日、掃除して炊事のことばかり考えていました。

第二子の時には、育児休業の制度を使って1ヶ月半程度仕事を休んで家事・育児に専念していたのですが、今回は特別休暇と年次有給休暇を組み合わせたいわゆる「隠れ育休」を2週間程度出産前後に習得することで乗り切りました。

http://iyokiyeha.blogspot.jp/2011/01/blog-post_03.html
(2011年1月3日投稿「育児休業を終えて」)
第二子の時の状況は上記および、ラベル「パパ」の始めの方をご覧ください。

周囲からは「イクメン」だの何だの呼ばれることも多くなり、その言葉の裏側に潜んでいる各人の思いが様々であることや、その捉え方が賛同するものであったり批判的なものであったりすることなど、その人の家事・育児に関する経験だけでなく、仕事に向かう姿勢にも影響されているのだなと思うところです。

ただ、仕事を休んで何をやっているかというと、冒頭にも書いたように、結局家事をしています。
朝起きて、子どもに食事と身支度をさせて幼稚園へ送り出す。
子どもが出かけたら、掃除・洗濯。掃除・洗濯しながら、昼食と夕食をどうするか考える。
乳児の世話なんてこの時期、オムツをかえるか抱っこするかです。父親ができることなんかほとんどありません。「イクメン」と言われると、さぞ子どもをかわいがっているかのようなイメージをもたれますが、排泄物にまみれ、泣きやまない子のオムツを替えて、泣き止むあてもなく肩こり・腱鞘炎になるまで抱っこしてあまり報われないというのが現実かと思います。

とはいえ、それが育児するということだと思います。
育児とは仕事とは違い、家のことをやるということ。
そして、子育ては疲れるものであること。

何かを批判したりするのではなく、育児の現実について思うことを書いてみました。

2014年10月2日木曜日

嫌みとものの言い方

最近、職場の人達から嫌みを言われる機会の多いIyokiyehaです。

嫌み・厭味:人を不快にさせる言葉

確かに、嫌みが多いです。
職場で事を動かす窓口になっており、たくさんの職員に声をかけて日程調整等する機会が多くなったこともあり、その先々でいろいろ言われるようになりました。
「いろいろ言われる」のは、普段思っていて口にしないことを言ってもらえることでもあるので、それほど悪いことばかりではないのですが、時々理不尽だなぁと思うこともしばしばあり、ちょうど昨日、本日と続いたところです。もう少しで胃が痛くなりそうですが、一歩手前で踏みとどまっている感じです。

要は「勝手に予定を決めるな、事前調整しなさい」という苦情ではあるのですが、昨日の件は相手がこちらの予定にぶつけてきたことを見つけて、その確認に行ったら余計な一言をもらったこと、本日の件は一ヶ月前から周知をかけていて具体的な予定を連絡したら「そこは無理だ。きちんと事前調整しろ」とこれまた余計な一言がくっついたメールを送りつけられたことでした。

もちろん双方少しずつ伝達が甘かった点はあるのでしょうが、私が気になったのはその言い方や(余計な)一言でした。そんなこと言わなくてもいいのに、そんなこと書くから証拠も残ってしまうのだろうし。

忙しいとついイライラして自分の正当性を主張したくなりがちです。とはいえ、今回の件から私が学んだことは、声の大きさで勝負はしないこと、誤読をさせない工夫を常にしておくこと、相手の非を指摘せざるを得ない時には穏やかに言うこと、という単純明快なことでした。
人と人との間を取り持つのに必要なことは、単に(といっても難しいのだけれども)論理的で理路整然と説明ができるということだけでなく、相手の感情に寄り添いながら相手の主張を聞きつつ、自分の主張に納得してもらうことなのだろうと思いました。

2014年9月19日金曜日

伝わる書き方とは?

「上梓(じょうし)」という言葉がある。
大学在籍中にこの言葉に出会い、辞書をひいて意味を知った時、私は指導教官に「わざわざ『上梓』なんて言葉を使わなくても、『出版する』でいいじゃないですか」と言ったような気がする。
最近、ある本のまえがきで「上梓」という言葉に出会い、そのことを思い出した。

「三年前、私は『○○』を上梓した。」
「三年前、私は『○○』を出版した。」
書き比べてみると、どちらも意味としては通るのだけれども、『○○』の著者であるということをより明確に伝えるには前者の方が適しているのだろう。後者だと前者の意味に加えて出版社の担当者の立場としても使えるかもしれない(正確にその意味を伝えるのならば「三年前、私は出版担当者として、■■著『○○』を世に送り出す一助を担った」とでもするべきだが)。

些細なことなのかもしれないけれども、明確な表現で文書を作成できる技術は、公の組織の中で報告や企画内容を広く知らせるために必須の技術である。
そして、その技術に関して、今の私は
・技術そのものが身に付いていない
・技術が発揮できない状況に置かれている
のいずれかまたは両方の状態であるといえる。

背景として、読書量が減っていることと、テキスト分析をする機会を作っていないこと、あるいは書いていないことや型が身に付いていないことなど、いくつか考えられることはあるのだけれども、上記状態のいずれか(または両方)であったとしても、それに応じた勉強を地道に重ねていくことしかできないのだろうと思う。

2014年8月24日日曜日

絵本ライブに挑戦してきました。

8月の夏休みに入った頃、以前からお世話になっている吉田氏からお誘いを受けてイベントのお手伝いをすることに。本日、こっそりと埼玉県富士見市に行ってきました。

http://www.city.fujimi.saitama.jp/40shisei/danjyokyoudou/files/2014-0729-1752.pdf
(Webページが見つからないので、チラシのみ)

絵本ライブの助っ人としての参加です。
とはいえ、私の絵本ライブ経験は今回で二回目、助っ人というよりはツナギ役くらいでしたが。

「ウチで読む絵本よりもシンプルなものの方が盛り上がるな」とか、「擬音や繰り返しが多いお話は子ども受けがいい」など、絵本そのものに対しても学ぶところがあったのですが、読み方やテンションがあがった子どもたちへの接し方等、先輩方から学ぶことも多く、大変刺激的なボランティア活動になりました。

最近のテーマでもあるロジカルシンキングとか、「伝える・伝わる」表現といった観点からも反省というか学ぶ点がありました。
例えば自己紹介でも、ある程度話題を整理しておかないと、そもそも自分の何を紹介したいのか、分かりやすい表現になっているか等、考えれば考えるほどなかなかうまく発言できない自分がいました。
深く反省しているわけではないのですが、うまくわかりやすい説明ができるようになりたいと考えている今、ボランティア活動からも準備が大切であることや、相手に合わせることの具体的な方法について考えをめぐらせるいい機会となりました。

2014年8月17日日曜日

育児に関する認識の違い

先日の出来事。
職場の上司と飲みながら話をしていた時にふと出産・育児に関する話題となり、私の近況を説明しました。
「三人目が生まれたら二週間くらい休みます!」
里帰り出産だと子どもたちの幼稚園のこともあるし、何より「預けられた実家の負担が大きい」ので、私がしばらく家事をすることにしてマイタウン出産で乗り切る計画です。
(注:育児休業については、収入減が思いの他大きいので、選択肢から外しています)

これに対し、悪気のない一言。
「何で里帰りしないの?それぞれの両親に一人ずつ預けたらいいじゃん」
なるほど、と思いつつも上記を説明してみました。
「いやー、俺は里帰りするのがベターだと思うけどなぁ」
と納得には至らず、その話題を終えました。

このやりとりだけで何かと言うつもりはないのですが、別の話題の時にその先輩に聞いてみました。
「奥さんってフルタイム勤務ですよね?夕食とはどうしているんですか?」
「嫁が作るよ(何でそんなこと聞くの?くらいの雰囲気で)。それがなきゃ結婚してもねぇ・・・」
知っている・知らないの差も大きいですが、やはりこれまでの生活環境から「その人の常識」というのは作られるのだと実感しました。

現代の家事・育児の多様性を万人に伝える理屈というのはない代わりに、その人への伝え方というのがこれまで以上に重要になってくるのだなと思った一件でした。

2014年8月3日日曜日

夏休み総括

一足早く夏休みをいただきました。浜松の実家へ帰り、母校へ行ったり、旧友と会うなどしてきました。

迷ったら原点に返る。
そういえば、私の職歴のスタートとなったNPOで、当時の代表が事あるごとに言っていたことですが、最近まだ私の意識に浮上してきた言葉だと感じています。

そもそも近年「文書で伝えられない」「文書が書けていない」ということを、じわじわ感じていたところもある中で仕事をしていました。とはいえ、口頭で説明することやプレゼン資料の作成についてはある程度の自信もあったので、その延長で乗り切れるものと思っていたのですが、やはり同じ土俵で勝負するには技術も経験も足りていないのだという地点にようやくたどり着きました。

そんな時期に読んだ、佐藤優『読書の作法』などに触れる機会があり、そもそもの学力であったり本来身につけておくべき「読む」「書く」「計算する」力や、本の読み方、公用文の書き方など、10年前にやっておくべきことに立ち返ってみようという覚悟ができた夏休みとなりました。
最近動き出していたところに、母校での指導教官とのやりとり、活きのいい後輩達との出会いが、行動を後押ししてくれたような気がします。もちろん、その後地元に研究者として帰ってきた友人達と一献交わす機会をもったことも大きかったのですが。

そんなわけで、少し遠回りになりますが、新しい知見の取り入れは少し押さえて、大学受験の参考書などまで遡って半年くらい勉強してみようと思います。統計の勉強もそれからかな、と思います。
吉と出るか、凶と出るかはよくわかりませんが、学び続けることが全く間違った道へつながることはないと思うので、未知の方向でありながらも自信をもって進んでいこうと思います。

以上、夏休みのふりかえりでした。

2014年7月19日土曜日

ハラハラ~

「家事ハラ」なるハラが話題になっているようです。

http://www.asahi-kasei.co.jp/hebel/kajihara/index.html/

以前からいい調査をしていると思います。
ただ、何だろうこの違和感・・・

(この場合)「妻からの一言」が「ハラスメント」であるという意味での「家事ハラ」なんでしょうが、ハラスメントにしてしまっているところに対する違和感というか反発なんだろうなと思います。
中には嫌がらせをしている人もいるんでしょうが、こんなことでひるんでたら家事も育児(今回は入っていないけれど)もやってられないぞ、と思ったところでもありました。

とはいえ、ハラスメントは受け止める側の原則がありますから、それでいいってことで発表しているのだと思いますが。男が弱くなってどうする!と思ったところでもありました。何事も数こなさないとね。

とはいえ、このCM群はおもしろい。
http://youtu.be/5Ep3rMUWEbk

2014年7月14日月曜日

書けない、読めない・・・

まだまだ若手の域を超えられないな、と思う。
得意な土俵だけでやっていれば、それなりに動きもよくなるのだけれども、結果として仕事は増えるは、抜けは出るわで、原点回帰ができないまま流されてきた数年間でした。

教養関係の自分のスキルを冷静にふりかえる作業と併せて、仕事におけるスキルを冷静に、現状を踏まえてふりかえったときに、やはり露呈しているのは「書けていない」こと、そして本当に「読めているのか」という根本的な疑問が浮き彫りになる。

月並みだし、結局は「読んで」「書く」ことでもってしかこうした能力は磨かれないのだけれども、改めて『本を読む本』の熟読を始めた。
http://iyokiyeha.blogspot.jp/2011/04/mjcv1997.html
三年前に読んだ本だけれども、改めて読むとまた違った学びがある。
今度は読書メモを作りながら読もうと思います。こういう読み方もおもしろい。そして読み方を変えて、書き方も変わるところを目指して学びなおしです。

2014年6月22日日曜日

雲をつかむような・・・

どの職場にも「忘れられないだろう」体験がある。
いわゆる「いい」体験もあるが、時に消化不良だったり、頭をぶん殴られたようなショックのある体験もある。今回の話題はまた新しい感覚に陥った一生ものの体験。

結局「よくわからなかった」んです。
何を考えているのか、何を目指しているのか、どう思っていたのか。
クレームのようなショッキングな経験もあり、思いだけで突っ走っていく人を止められなかったことはたくさんあるのだけれども、今回の場合は何度話をしても本音が見えず、本音があるのかさえもわからなかった、そもそも何を言っているのかわからなかった、そんなやりとりをほぼ一年継続した果ての出来事でした。

なので、ショックを受けたのかというとそうでもないし、嫌な思いをしたのかというとまたこれも違う、だからといって新鮮だったのかといえば初体験ではあるけれどもそこに新鮮味というものはなかっただろうし、やりとりをしていて何か手ごたえがあったかというとそういったものがほぼ皆無だったことが唯一の気づきでした。
のれんに腕押し、ぬかにくぎ、雲をつかむような感じなのか、合気道できれいに併せ技をかけられて何だかよくわからないうちに身体を浮かされている感じに近いけどピタリとこない。このもやもや感というか手ごたえのなさに驚くのではなくショックでもなくただただ呆然とさせられた感じです。

結局、自分の前からは去ってしまったわけだけれども、最後の最後まで話は通じた感じがなかったのが何ともいえない気持ちにさせられる一因でした。
放っておいてもおそらく忘れない経験だけれども、それでも備忘録兼ねてメモ書きでした。

2014年6月18日水曜日

後藤忠政『憚りながら』宝島社、2010年。

ヤクザ、と呼ばれる生き方がある。
おそらくIyokiyehaにはあまりご縁のない世界のような気がするけれども、そんな世界が垣間見れるかもしれないと思い手に取った一冊。
山口組系の直系後藤組の元組長によるインタビューという形式をとっているが、話し言葉だからこそ伝わる思いや事実というものもあるように思う。

やくざ 
1.名・形動 役に立たないこと。まともでないこと。つまらないこと。また、そのさま。そのようなものをもいう。
2.名 博打うち。ならずもの。無頼漢。

ここでいうところのヤクザとは2.のことを指すのだろうが、その生き様はこれまでの見え方と随分違うように感じた。
社会悪、という言葉でまとめてしまうつもりはないが、なんというか、本来の制度や取り決めでは成り立たないグレーゾーンで活躍する人達であって、その行動原理は物事の筋や人の情といったものに立脚しており、時に法制度を超越することがある。そもそもヤクザの生き方は、人と人とのつながりや物事の道理・すじみちによって成り立っているものであり、何でもかんでも法制度を守らないというわけではない。むしろ、法制度違反の怖さを最もよく知っている人達であるともいえる。
政界や経済界、芸能界とのつながりが指摘されるようになったこの頃であるが、その背景はヤクザが活躍するところがあるからで、何も世の中の全てにたてついているわけではなく、ヤクザとしての行動原理に従っているだけの物事が大半を占めるということを本著から学んだように思う。

生きかたはIyokiyehaのそれと全く異なるけれども、制度の中で仕事をしている身として、ヤクザな生き方をしたいわけではないが、やはり法制度に人の感情を吹き込むことによって初めて円滑な社会を感じられるのだろうな、ぬくもりみたいなものを感じられるのだろうなと思った。
あまりない内容・形式の一冊でした。おもしろかったです。

2014年6月15日日曜日

【Audio Book】伊賀泰代『採用基準』ダイヤモンド社、2012年。

マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社において採用部門に十数年在籍してきた著者によるリーダーシップ論。「採用基準」という表題と書籍紹介や表紙に書かれた「マッキンゼー」という会社名から「マッキンゼーというコンサルティングファームはどんな人材を採用するのだろう」と思わせておいて、フタを開けたらマッキンゼーの採用活動からこれからの世の中を生き抜くためのスキルとしての「リーダーシップ」について語っている。マッキンゼーの提唱する「グローバルリーダーの育成」とこれからの日本あるいは世界で活躍するためのスキルを関連づけて、それは「リーダーシップ」であるとする。

伊賀氏のいうリーダーシップとは、「人をまきこんで、問題解決にあたることができる」スキルのことを表している。
マッキンゼーの提唱する「グローバルリーダー」とは、上記に加え「英語ができること」「専門的知識を持っていること」をあげ、採用においてはそのポテンシャルを見極めているとする。

コンサルティングという仕事において求められるのは、単に問題解決技法の扱い方や地頭のよさだけでなく、それをチームを率いて実施するポテンシャルがあるかどうかであるとする。仕事は一人でするものではないとする立場を明確に打ち出し、その環境の中で成果を出し続けるには、
・人を巻き込み、活かす。
・限られた時間内に検討し、決める。
・チームが力を最大限に発揮できるように目標を立て、伝える。
などの態度・姿勢が常に求められる。チームの一員だからリーダーシップは必要ないわけではなく、全員がリーダーシップを持っているからこそチーム力は最大限発揮されるとする。
さらに、日本における「リーダー不在」とはこの意味においてのリーダーシップポテンシャルが社会全体で決定的に欠けていることを表し、指摘するとともに「まずは自らのキャリアを見直す」ことを提案している。

伊賀氏は近年、以下のサイトを立ち上げた。 
http://igayasuyo.com/profile

組織の中で働く身として、改善欲求と違和感を覚えつつもルールとして飲み込んでいたことが、リーダーシップという言葉でもって浮かび上がらせるきっかけとなった一冊といえる。どんな組織においても自分で責任をとらない、自分で考えない、自分で決めないことが組織の硬直化につながっていくのだとあらためて感じることができた。伊賀氏のいう「リーダーシップ」のポテンシャルが自分にあるかどうかは別として、チームで課題解決を図ることにおいてはマッキンゼーのそれと手法や内容に異なる点はあるといえ、ベクトル自体は大きく変わらないと捉え直せば、やはり世の中の要求として自分にも「リーダーシップ」は求められているのだろうと思う。
今後の学びも大切だけれども、どう行動するかが問われてくるのだろう。

2014年5月25日日曜日

機械を使いこなすか、機械に使われるか。

最近、何か事件が起こると結構な割合で「LINEでやりとりしている」とか「SNSで知り合った」といったことが言われます。そのうち「LINEは犯罪に巻き込まれるから使っちゃいけません」とか言っちゃう人が出てきそうですが(もういそうだね)、これって携帯電話が普及し始めた頃にも似たような現象が起こっていませんでしたっけ?あと、インターネットの時も。

間違えちゃいけないのは、ツールが悪さするわけでも仕組みが悪さするわけでもなく、それを使う人が悪さをしたり、その悪さに巻き込まれるってことであって、LINEだってSNSだってゲームだって、それが悪いわけじゃない。
昔流行った「バイオハザード」なるゲームにはまったこともあるIyokiyehaですが、3Dプリンタで拳銃作っちゃった人には「?」を感じる大人になりました。

SNSとか、興味半分で始めてみたけれども、使えば使うほど「なるほど」と思わせる部分もあり、上手く使いこなす人は、それでビジネスしてみたり、生活を豊かにしていたりするのだろうなと思います。私はそこまでいかないけれども、ただこんな仕組みでもなければ連絡とらないだろうな、という人と再度連絡をとるようになったりと、なかなかおもしろいものだと思っています。

さっき見て「これはどうなんだろう?」と思ったのが、公園での出来事。
よく夫婦で子ども連れてきていて、お父さんがベンチでスマホに興じている様子は見るのだけれど、今日は母と子で公園に来ていてお母さんが絶えずゲームに夢中になっているという様子。そりゃ子どももおもしろくなくなって公園飛び出していくわ、と思ってしまいました。
それはきっかけだけれども、そんな様子を見て思ったのは「スマホは利用の仕方によっては人間関係を壊す」と思いました。スマホが悪いわけでもゲームが悪いわけでもなく、今日の例ならそんな状態を自覚できていない(のかわからんけど)お母さんがスマホ(やゲーム)を悪者にしているのではないかと感じました。

人のフリみて我がフリ直せ。
さて、昼寝から起きた息子のトイレにでも付き合うか。

【Audio Book】阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』新潮社、2000年。

オーディオブックで小説を聴くことのおもしろさを感じるようになって、「海賊~」の後に購入したのがこのデータ。
結論は「オーディオブックで小説を聴くのは有意義だけれども、この作品は少し難しかったか」というのが率直なところでした。

解説を聞いてようやっと「あぁ、そういうことか」と思うにあたり、作品中にちりばめられた伏線と真実を知らないからこそ感じるある種の不安定感というか違和感、矛盾・・・ではないけれども、という何ともモヤモヤさせられる作品でした。しかも、ちょっと痛い表現があり、この手の作品を好んで読んでいないIyokiyehaにとっては、好奇心と不安とが混在する感情を植えつけられてしまいました。

小説界での評価は知りませんが、小説としては十分楽しめる内容だと思います。裏の裏まで読みたい人には手ごたえがあるものなのか、捕まえてみようと思ったらすり抜けられてしまう類のものであるか、読者を選ぶ内容かと思われます。
う~ん、評価しがたい・・・

本川裕『統計データはおもしろい!』技術評論社、2010年。

公開されている様々なデータから、散布図、相関図を作成して公開している「社会実情データ図録」というWebページがあります。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/
(Web:社会実情データ図録)

本著の著者はこのサイトの主宰者で、民間企業で研究者をしている方のようです。おそらく仕事だけでも多忙を極めるような方がこのようなサイトの運営や執筆活動をされていることにも驚くのですが、その内容もまた興味深いものばかりです。
著者は本書の目的を、
(1)相関図がこんな風にもつかえるのかと、これから論文、研究・調査レポート、企画書を作成しようとしている方のガイドブックとなること。
(2)読者に、相関図の題材となった世界や地域、社会の実情により深く興味を抱いてもらうこと。
としており、また、
「社会通念に囚われず、種々の社会現象について、データそのものが語っているように見える法則性に関し、オリジナルな仮説を示し、真実を見極めようとする人々に検討材料を提供すること」をサイトの目標としています。
(3~4ページ。「はじめに」より引用)
さらに、本サイトが全体を見渡しにくくなっている現状を考慮しつつ、サイトのガイドブックとなりうるものとして本著を出版されたようです。

掲載されている散布図や相関図は、どれも「おやっ」と思わせるものばかりで、確かに興味深いものです。書籍の内容もさることながら、その根拠としてのグラフや元データの情報は、仕事でも生活でも大変参考になるものばかりでした。


【Audio Book】百田尚樹『海賊とよばれた男 上・下』講談社、2012年。

出光興産の創業者出光佐三の生涯をモチーフにした小説。限りなくノンフィクション小説に近い内容となっている。

キャラクターとしての国岡鐵造(出光佐三をモチーフとした)と鐵造が経営する国岡商店(出光興産をモチーフとした会社)、それを取り巻く個性的な店員と友人知人の姿、国岡商店が直面する石油メジャーとの駆け引きと国内での戦いが、先の戦争を背景に展開されてきた様子が、出光興産の発展の歴史をなぞりながら描かれている。

大変スリリングでテンポがいい小説でありながら、調べるまではノンフィクションだと思ってしまうほどのリアリティを見事に描ききった小説といえる。Audio Bookの形式でラジオドラマを聴いているような感じのある、大変おもしろい作品だった。
2012年の本屋大賞受賞作品とのこと。うなずける作品だ。