やさぐれる:すねる、なげやりになる。
「ここ数日の様子を教えてください」
と職場について問われたら、
「かなりやさぐれています」
と答えたくなりそうなここ数日。こんにちはIyokiyehaです。
何があったのか?と問われても、自分とは直接関係なさそうなので、へぇへぇと答えるしかないのですが、とはいえ自分の知らないところで仲間同士が衝突していることなんて全然気付かないわけです。気を遣われているのか、蚊帳の外なのか。
そこにきて、定例の人事の話もようやく決着が着き、これもいろいろと不安要素がちりばめられたものだったりします。バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていましたが、我が職場がそこまでホットポイントになれるかというとそうでもなく、せいぜい色んなことの「吹き溜まり」「しわ寄せ先」になっているのだなぁとつくづく。
そんな中でも前向きにやっていこう!とは思いますが、せめてこの気分が少しでも晴れないことには何ともならんなぁと思うので、数週間冬眠に入ることにします。しばらくおとなしくしているつもりですので、あしからず。
2014年3月18日火曜日
プレイコール
コール(call)という単語には様々な意味があり「天職という意味があるんだよ〜、神様に呼ばれるという意味でね」というのは、随分前に放送された連ドラ「ちゅらさん」の一場面。
それはそれで、今回の話題はcallのメジャーな意味「叫ぶ」とか「要求」とかそういう意味について。
Iyokiyehaはあまりスポーツ観戦しないのですが、アメリカンフットボールだけは毎年十数試合テレビ観戦しています。あの戦略とか、よーいドンで選手が一斉に動く様子は見ていてエキサイトするわけで。
いろんなプレイがあって、どのプレイにも見所はあるのですが、最近は自分の仕事とQB(クォーターバック)の役割を重ねて整理していることもあり、そんなことをあーだこーだ考えていたら「コール call」という言葉が浮かんできました。
優秀なQBのスキルは?
様々な角度から選手は評価されており、このQBはロングパスが正確、このQBは短いパスとスクランブル能力の高さ、このQBは自らランプレイができる、このQBは・・・と様々です。QBレイティングという数値も評価の尺度ですが、これはパス攻撃に特化した側面もあるため、一側面で順序づけることはできるのだけれども、QBの全体像を把握するには至っていないように思います。
パスの正確さ(ショートレンジ、ロングレンジ)、ハンドオフ、ラン能力、スクランブル能力など、個々の見えるスキルも去ることながら、Iyokiyehaが最近注目するのはQBが発するプレイコール(アサイメント(役割)の指示)の精度と正確さ、です。
ここで私の仕事と交差していきます。
たとえば、機会に恵まれないけれども優秀なクライアントには、そのストレングスで困難(相手ディフェンス)を超えられるところに最高のパスを投げ込んであげてTD(タッチダウン)させてあげるパス攻撃のイメージが基本戦略になります。その時のプレイコールは「○○のあたりになげるからフリーで走り込め!」になるわけです。
同様にして、継続就労にあたって綿密な支援が必要なクライアントには、やはり得意なことは見極めつつ支援チームで世の中や職場の困難に対応する必要があります。つまりランプレイ。その時のプレイコールは、クライアントの走路を切り開くためにラインメンに役割を正確に伝達し、ホールができる予定を確実にバックス(クライアント)に指示してボールを持たせて走り込ませる。「あなたはここ、あなたはそっち、ここにスペースができるからボールもって走り込んでね!」になるわけです。
いずれにせよ、自分の得意な攻撃方法を選択するにしてもプレイコール次第で失敗になることもあるし、シンプルな攻撃であってもプレイコール次第でビックゲインに結びつくこともあるわけです。
そんなイメージを勝手に考えて仕事に貼り付けてみましたが、あくまで自分のイメージなのであしからず。
今年度のアメリカンフットボールでは、Cam Newtonのプレイが非常に小気味いい感じだったのですが、職業人としてはやはり、Payton ManningやTom Bradyになっていかないといけないんだろうなと思うこのごろです。プレイコールに通ずる、基本的なスキルをもっともっとのばしたいものです。
それはそれで、今回の話題はcallのメジャーな意味「叫ぶ」とか「要求」とかそういう意味について。
Iyokiyehaはあまりスポーツ観戦しないのですが、アメリカンフットボールだけは毎年十数試合テレビ観戦しています。あの戦略とか、よーいドンで選手が一斉に動く様子は見ていてエキサイトするわけで。
いろんなプレイがあって、どのプレイにも見所はあるのですが、最近は自分の仕事とQB(クォーターバック)の役割を重ねて整理していることもあり、そんなことをあーだこーだ考えていたら「コール call」という言葉が浮かんできました。
優秀なQBのスキルは?
様々な角度から選手は評価されており、このQBはロングパスが正確、このQBは短いパスとスクランブル能力の高さ、このQBは自らランプレイができる、このQBは・・・と様々です。QBレイティングという数値も評価の尺度ですが、これはパス攻撃に特化した側面もあるため、一側面で順序づけることはできるのだけれども、QBの全体像を把握するには至っていないように思います。
パスの正確さ(ショートレンジ、ロングレンジ)、ハンドオフ、ラン能力、スクランブル能力など、個々の見えるスキルも去ることながら、Iyokiyehaが最近注目するのはQBが発するプレイコール(アサイメント(役割)の指示)の精度と正確さ、です。
ここで私の仕事と交差していきます。
たとえば、機会に恵まれないけれども優秀なクライアントには、そのストレングスで困難(相手ディフェンス)を超えられるところに最高のパスを投げ込んであげてTD(タッチダウン)させてあげるパス攻撃のイメージが基本戦略になります。その時のプレイコールは「○○のあたりになげるからフリーで走り込め!」になるわけです。
同様にして、継続就労にあたって綿密な支援が必要なクライアントには、やはり得意なことは見極めつつ支援チームで世の中や職場の困難に対応する必要があります。つまりランプレイ。その時のプレイコールは、クライアントの走路を切り開くためにラインメンに役割を正確に伝達し、ホールができる予定を確実にバックス(クライアント)に指示してボールを持たせて走り込ませる。「あなたはここ、あなたはそっち、ここにスペースができるからボールもって走り込んでね!」になるわけです。
いずれにせよ、自分の得意な攻撃方法を選択するにしてもプレイコール次第で失敗になることもあるし、シンプルな攻撃であってもプレイコール次第でビックゲインに結びつくこともあるわけです。
そんなイメージを勝手に考えて仕事に貼り付けてみましたが、あくまで自分のイメージなのであしからず。
今年度のアメリカンフットボールでは、Cam Newtonのプレイが非常に小気味いい感じだったのですが、職業人としてはやはり、Payton ManningやTom Bradyになっていかないといけないんだろうなと思うこのごろです。プレイコールに通ずる、基本的なスキルをもっともっとのばしたいものです。
2014年2月18日火曜日
原点回帰
特に意識しているわけではないのですが、今年は今所属している機構に入構して10年目を迎える年となりました。職歴全体としては(一応)10年目ということで、生活の変化は感じつつですが、新たなステージに向かおうとする意志がどこかで働いているような気がします。
年が明けてから何気なく手にとった書籍が『無痛文明論」(森岡正博、トランスビュー、2003年)だったりするところが、何だかそんな自分を暗示しているようにも思います。
いろんなことに悩み迷い、不安を常に感じながら過ごした大学院生の頃に、なんだか拠り所であるかのように読んで、修士論文にまで引用してしまった森岡氏の論文です。就職して今に至るまで、特に手に取ることはないのにいつも書棚の一角を占領している書籍達の一冊だったりします。
また、読み終わった時にレビューをあげようと思っていますが、文明が行き着く先にある悪夢としての無痛文明とそこに向かう社会の仕組みを無痛奔流が巧妙に形作る無痛化であるとして、社会構造を鋭く暴いた氏の渾身の論文です。そして、それに抵抗すること、戦いを挑むことについても論じられつつもその具体的な取り組みには触れられない矛盾をも説明し「悔いなく生ききるための知恵」という言葉でゆるやかに人がつながっていくことを提案しています。
私が今の仕事に(も)プライドを持っていられるのも、おそらくこうした下敷きがあるからなのかなと思うところも、10年後のIyokiyehaだから感じるところもあり、なかなか面白い読書時間になっています。
何気なく手にした一冊は、私の原点を確認するとともに、新しいステージでの戦い方をまた考えるきっかけになるのだろうなと思います。きっと今度の10年はまたあっという間に過ぎ去っていくのでしょうが、そんなときにこんな座右の書があることをまた思い出したいなと思うこの頃です。
年が明けてから何気なく手にとった書籍が『無痛文明論」(森岡正博、トランスビュー、2003年)だったりするところが、何だかそんな自分を暗示しているようにも思います。
いろんなことに悩み迷い、不安を常に感じながら過ごした大学院生の頃に、なんだか拠り所であるかのように読んで、修士論文にまで引用してしまった森岡氏の論文です。就職して今に至るまで、特に手に取ることはないのにいつも書棚の一角を占領している書籍達の一冊だったりします。
また、読み終わった時にレビューをあげようと思っていますが、文明が行き着く先にある悪夢としての無痛文明とそこに向かう社会の仕組みを無痛奔流が巧妙に形作る無痛化であるとして、社会構造を鋭く暴いた氏の渾身の論文です。そして、それに抵抗すること、戦いを挑むことについても論じられつつもその具体的な取り組みには触れられない矛盾をも説明し「悔いなく生ききるための知恵」という言葉でゆるやかに人がつながっていくことを提案しています。
私が今の仕事に(も)プライドを持っていられるのも、おそらくこうした下敷きがあるからなのかなと思うところも、10年後のIyokiyehaだから感じるところもあり、なかなか面白い読書時間になっています。
何気なく手にした一冊は、私の原点を確認するとともに、新しいステージでの戦い方をまた考えるきっかけになるのだろうなと思います。きっと今度の10年はまたあっという間に過ぎ去っていくのでしょうが、そんなときにこんな座右の書があることをまた思い出したいなと思うこの頃です。
雪掻きに見るご近所付き合い
先々週末、今週末と、関東では大雪となり、所沢でも20〜30cm程雪が積もりました。
初めは降雪にテンションがあがっていた子どもたちも、外出して長靴の中に雪が入ったり、いい加減まで雪遊びをして手が冷たくなるなどして、雪とのつき合い方を学んでいるようです。息子に至っては「もう帰る」を連呼するなど、楽しい(と思っている)事象の側面を肌で感じ取っているのだろうなと思うところです。
さて、大人はテンションがそれほど上がるわけではなく、むしろ下がるのですが、その大きな理由の一つは雪掻きでしょう。Iyokiyehaは静岡生まれの静岡育ちで雪とのつき合い方を知りません。かろうじて山梨県甲府に住んでいた時に降雪することがあり、当時ご近所さんから雪掻きの方法(夜に積もる前に一度掻いておくとか)やコツを教わったことがあり、現在の所沢においても雪が降るとせっせと雪掻きに出る週末でした。力の入れ方がわからずに筋肉痛になるという単純なことも気づきとしてはあるのですが、面白いなと思うのは雪掻きしながらご近所さんと自然にお話ができてしまうということです。同じマンションに住んでいて初めて話す人、通りを挟んだお向かいさんと排水溝の在処の情報交換をしたり、目の前で立ち往生する他人の車を「なんとなく」みんなで押し始めたりと、普段なかなかない接点ができるものだなと感じるところです。
こういう人間関係って意図して作ることって難しいものだと思うのです。全く知らない人に対して挨拶することもはばかられる昨今、そうは言っても毎日すれ違う人には軽く挨拶するIyokiyehaではあるのですが、この二週間でまたご近所さんの知り合いが増えたかなと思います。
大切なのは理屈じゃなくて人と人との交わりであって、それも同じ(ような)目的によってつながっていくこと。何となくですが、生活だけじゃなくて仕事にも通ずることなんじゃないかと思った週末の出来事でした。
それにしても、なれないスコップを数時間扱うと、普段痛くならないところが痛くなりますね…。
初めは降雪にテンションがあがっていた子どもたちも、外出して長靴の中に雪が入ったり、いい加減まで雪遊びをして手が冷たくなるなどして、雪とのつき合い方を学んでいるようです。息子に至っては「もう帰る」を連呼するなど、楽しい(と思っている)事象の側面を肌で感じ取っているのだろうなと思うところです。
さて、大人はテンションがそれほど上がるわけではなく、むしろ下がるのですが、その大きな理由の一つは雪掻きでしょう。Iyokiyehaは静岡生まれの静岡育ちで雪とのつき合い方を知りません。かろうじて山梨県甲府に住んでいた時に降雪することがあり、当時ご近所さんから雪掻きの方法(夜に積もる前に一度掻いておくとか)やコツを教わったことがあり、現在の所沢においても雪が降るとせっせと雪掻きに出る週末でした。力の入れ方がわからずに筋肉痛になるという単純なことも気づきとしてはあるのですが、面白いなと思うのは雪掻きしながらご近所さんと自然にお話ができてしまうということです。同じマンションに住んでいて初めて話す人、通りを挟んだお向かいさんと排水溝の在処の情報交換をしたり、目の前で立ち往生する他人の車を「なんとなく」みんなで押し始めたりと、普段なかなかない接点ができるものだなと感じるところです。
こういう人間関係って意図して作ることって難しいものだと思うのです。全く知らない人に対して挨拶することもはばかられる昨今、そうは言っても毎日すれ違う人には軽く挨拶するIyokiyehaではあるのですが、この二週間でまたご近所さんの知り合いが増えたかなと思います。
大切なのは理屈じゃなくて人と人との交わりであって、それも同じ(ような)目的によってつながっていくこと。何となくですが、生活だけじゃなくて仕事にも通ずることなんじゃないかと思った週末の出来事でした。
それにしても、なれないスコップを数時間扱うと、普段痛くならないところが痛くなりますね…。
2014年2月4日火曜日
佐藤真澄『小惑星探査機「はやぶさ」宇宙の旅』汐文社、2010年。
私は元々、イベント毎にはあまり興味がないので、2010年の「はやぶさ帰還」の頃にはそれほど騒がなかったのですが、その後映画化されたものを観て、改めてこの小惑星探査機の実績に感心しました。
地球からプログラムを送信して、はやぶさに届くのが16分後。それだけ離れたところを航行する探査機を研究者たちが操作し、小惑星からサンプルを採取する。本書は、様々なトラブルに見舞われながらも、途中交信が途絶えてしまっても諦めずにとりくんだ様子が簡単な言葉で描かれている書籍です。
帰還当時、「はやぶさ」が半ば擬人化されていることに違和感を覚えたものですが、本書を読んで改めてそれに値するドラマがあったのだと思いました。
地球からプログラムを送信して、はやぶさに届くのが16分後。それだけ離れたところを航行する探査機を研究者たちが操作し、小惑星からサンプルを採取する。本書は、様々なトラブルに見舞われながらも、途中交信が途絶えてしまっても諦めずにとりくんだ様子が簡単な言葉で描かれている書籍です。
帰還当時、「はやぶさ」が半ば擬人化されていることに違和感を覚えたものですが、本書を読んで改めてそれに値するドラマがあったのだと思いました。
2014年2月2日日曜日
2014年1月15日水曜日
海老原嗣生『雇用の常識 決着版 ー「本当に見えるウソ」』ちくま文庫、2012年。
2009年に刊行された『雇用の常識「本当に見えるウソ」ー数字で突く労働問題の核心』(プレジデント社)に大幅加筆訂正を加えた書籍。コンセプトは変わら(ないらしい)ず、作られた言説や錯覚を起こしがちな労働問題の「常識」を、基礎統計データを基に考察していくというもの。
著者の主張の一つに、「非正規雇用者の増加=若者の正規労働者減少=若年層かわいそう」と論じられることがいかに根拠に乏しいかというものがある。非正規雇用者およそ1700万人の内、主婦・高齢者・学生アルバイトでおよそ1300万人となり、かつ似た経済状況かにおいて20年前と今とでは正規労働者数が増加していることを、政府統計を駆使して論じている。他にも「終身雇用は崩壊していないこと」「ホワイトカラーに少子高齢化は無縁であること」「欧米諸国の『働き方』の実際」など、印象で語られがちな労働問を、データを基に検討することにより印象だけでは片づかないものであることがわかる。
労働行政の一旦を担う仕事をする自分として、今まで抱いてきた「違和感」がかなり解消された一冊でした。本来現場をもっている我々が、統計を駆使したこういう考察を重ねていかないといけないと思うと同時に、基礎データをきちんと確認することが(おそらく)クライアントから求められているのだろうと強く感じるに至った。
著者の主張の一つに、「非正規雇用者の増加=若者の正規労働者減少=若年層かわいそう」と論じられることがいかに根拠に乏しいかというものがある。非正規雇用者およそ1700万人の内、主婦・高齢者・学生アルバイトでおよそ1300万人となり、かつ似た経済状況かにおいて20年前と今とでは正規労働者数が増加していることを、政府統計を駆使して論じている。他にも「終身雇用は崩壊していないこと」「ホワイトカラーに少子高齢化は無縁であること」「欧米諸国の『働き方』の実際」など、印象で語られがちな労働問を、データを基に検討することにより印象だけでは片づかないものであることがわかる。
労働行政の一旦を担う仕事をする自分として、今まで抱いてきた「違和感」がかなり解消された一冊でした。本来現場をもっている我々が、統計を駆使したこういう考察を重ねていかないといけないと思うと同時に、基礎データをきちんと確認することが(おそらく)クライアントから求められているのだろうと強く感じるに至った。
2014年1月5日日曜日
制度の位置づけと使い方
昨日、斯波さんとお話していて改めて強烈に感じたこと。
それは、「制度」の位置づけと使い方に関することである。
今までにも感じていたことだけれども、言葉でまとめることがなかったので、一旦まとめてみます。
「制度は使って得するもの」ではなく「大切な課題解決を広く行うために制度ができる」ということ。
つまり、制度が課題を片付けるのではなくて、広く課題を片付けるために制度が生まれるということ。
言葉がまだ稚拙なのですが、例えば「制度があるから結婚する」のではなくて「(ほとんどの場合)愛情とか何らかの事情があって、結婚という制度を使う」ということと重なるように思います。もちろん全てではないですが・・・
行政機関に身を置く身として、これまでのモヤモヤの大きなところは、この認識の違いによって説明できそうです。それは、この期間中の組織内向けの論文作成の過程で気づいたこと、発表して思ったこと、研修に行って思ったこと、年末年始にあったいろんな人との対話で強く感じたことです。すなわち、「制度が限界を作っている」のではなくて「本質に迫ることができていない」ことが苦しいのであって、それを組織の問題、制度の問題に帰結させるのは、問題を自分で摩り替えていることになっているのではないかなと、そう思うに至ったわけです。
以前から「制度には息を吹き込むことが不可欠」と感じていたわけですが、それは制度を使いこなせてから言えることであって、それがない以上は何を言っても賛否両論が出てきて、みんなの納得感は得られない。問題の本質に迫る過程は、目的を同じくする人達には共通する課題となりえるわけであって、それが為されないということは(本質を外した政治力などは論外です)共通の基盤となるべき「何か」が欠けているか、課題や本質が共有できていないかということになるのでしょう。
先の結婚のくだりは、以前酒飲み話で誰かとした話題で、「結婚は制度じゃないか」と言われたことそのものです。単純にそこに愛情があるならば、愛情は結婚についてくるものがあるかもしれないけれども、本質的には愛情があるから結婚するのであって、結婚しない愛情も成立します。この場合は人間関係の視点に立てば、本質は愛情ということになります。結婚は愛情に一つの形を与える制度であって、それ以上にはなりません。
私の今の仕事も、共生社会の実現(先日、同期のみなさんともこの言葉で話ができて楽しかったです)を組織として目指しているのであって、現場でいうところの就職率の向上というのは共生社会の下位目標でしかないわけです。だからないがしろにできるものではなく「やってあたりまえ」のことであり、その向こうにある共生社会を意識しなければただの数合わせでしかないということですね。
こういった考え方に立てば、今ある事業や制度それに伴う数値目標といったものは、あくまで「ツール」であるわけで、「ツール」を使って職業的な自立を目指したいニーズを持つ方のニーズに応えることが目指すところをやはり組織目標だけでなく共生社会につなげていかなければなりません。
思うままに書いてしまいましたが、「主従を逆転させてはいけない」ということです。
こんなことを考えて、1日遅れで新年の勤務に臨みます。
意志ある方、共にやっていきましょう!
それは、「制度」の位置づけと使い方に関することである。
今までにも感じていたことだけれども、言葉でまとめることがなかったので、一旦まとめてみます。
「制度は使って得するもの」ではなく「大切な課題解決を広く行うために制度ができる」ということ。
つまり、制度が課題を片付けるのではなくて、広く課題を片付けるために制度が生まれるということ。
言葉がまだ稚拙なのですが、例えば「制度があるから結婚する」のではなくて「(ほとんどの場合)愛情とか何らかの事情があって、結婚という制度を使う」ということと重なるように思います。もちろん全てではないですが・・・
行政機関に身を置く身として、これまでのモヤモヤの大きなところは、この認識の違いによって説明できそうです。それは、この期間中の組織内向けの論文作成の過程で気づいたこと、発表して思ったこと、研修に行って思ったこと、年末年始にあったいろんな人との対話で強く感じたことです。すなわち、「制度が限界を作っている」のではなくて「本質に迫ることができていない」ことが苦しいのであって、それを組織の問題、制度の問題に帰結させるのは、問題を自分で摩り替えていることになっているのではないかなと、そう思うに至ったわけです。
以前から「制度には息を吹き込むことが不可欠」と感じていたわけですが、それは制度を使いこなせてから言えることであって、それがない以上は何を言っても賛否両論が出てきて、みんなの納得感は得られない。問題の本質に迫る過程は、目的を同じくする人達には共通する課題となりえるわけであって、それが為されないということは(本質を外した政治力などは論外です)共通の基盤となるべき「何か」が欠けているか、課題や本質が共有できていないかということになるのでしょう。
先の結婚のくだりは、以前酒飲み話で誰かとした話題で、「結婚は制度じゃないか」と言われたことそのものです。単純にそこに愛情があるならば、愛情は結婚についてくるものがあるかもしれないけれども、本質的には愛情があるから結婚するのであって、結婚しない愛情も成立します。この場合は人間関係の視点に立てば、本質は愛情ということになります。結婚は愛情に一つの形を与える制度であって、それ以上にはなりません。
私の今の仕事も、共生社会の実現(先日、同期のみなさんともこの言葉で話ができて楽しかったです)を組織として目指しているのであって、現場でいうところの就職率の向上というのは共生社会の下位目標でしかないわけです。だからないがしろにできるものではなく「やってあたりまえ」のことであり、その向こうにある共生社会を意識しなければただの数合わせでしかないということですね。
こういった考え方に立てば、今ある事業や制度それに伴う数値目標といったものは、あくまで「ツール」であるわけで、「ツール」を使って職業的な自立を目指したいニーズを持つ方のニーズに応えることが目指すところをやはり組織目標だけでなく共生社会につなげていかなければなりません。
思うままに書いてしまいましたが、「主従を逆転させてはいけない」ということです。
こんなことを考えて、1日遅れで新年の勤務に臨みます。
意志ある方、共にやっていきましょう!
ウイズ半田訪問
1月4日に特定非営利活動法人六星が運営するウイズ半田に伺い、所長の斯波千秋さんとお会いしました。年始回りの多忙な時期にも関わらず、いろんな話題があり3時間もおじゃましてしまいました。とても贅沢な時間でした。
この機会の発端は、半分仕事のこともあり静岡県内における視覚障害者の就労状況に関する情報収集という名目だったのですが、こんな機会は滅多にないことと、斯波さんとは何度もお会いしている(前職の関係です)にも関わらず、きちんとお話を伺ったことがないので、個人的には施設の歴史やミッション、斯波さんの考え方に触れたいと思っての依頼でした。
話題は本当に多岐にわたったわけですが、印象に残ったことを記録をかねて書き出しておきます。
・歩車分離の交差点で、視覚障害者の事故が起こっている。従来の横断歩道の渡り方(自分の進行方向と平行して走っている車の音が聞こえたら渡っても大丈夫)では、音の鳴らない交差点で間違って車道に出てしまう。健聴者にとって安全な仕組みが、全盲者にとって危険な仕組みになりかねない。
・障害者のリーダー養成に長年関わっている。東南アジアを中心に、15年ほどの取り組みとなっている。ダスキン愛の輪基金など、国際交流活動を継続して行うことが支援者、当事者ともに刺激となっている。帰国後、障害年金制度の創立に関わった修了者もいる。
・「視覚障害者にとって、パソコンは生活の質をあげるものであり、就職するのに有利な道具となりうるが、パソコンスキルを身につけることが即就職となるわけではない」。テープおこしは大都市など需要がなければ仕事として成り立たない。視覚障害者の職業的課題は古くて新しい課題そのもの。
・ウイズの対象者イメージは、1.盲重者、2.中途視覚障害者、3.リーダー養成=2~3割、7割、数名、である。ただし近年は、7割、2~3割、数名へと変化している。
・斯波さんは元々白状等、視覚障害者用の支援器具の企画・製造・販売をしていたが、視覚障害のある人と接する内に、彼らの居場所がないことを知る。またアメリカ研修で実感した「障害者が街に出れば、社会が変わる」という考えを強く持つことになり、ウイズの設立に至る。(紹介フィルムの、横断歩道にて自然にガイドをするアメリカ人の対応に感銘を受ける)。
・特に中途障害者は、障害受容うんぬんというよりも、仕事を失うとやることがない状態となってしまう。「やることのない人にやることを与える」という現在にも連なる思いから、既存の枠組みで小規模作業所(現在は就労継続B型)の設立・運営に携わることになる。
・仕事(作業)を通じて、リハビリテーションをする、という発想。そのための居場所であり、全国に作らないといけないが、まだまだ足りないと思われる。
・ニーズに応じて、と言われるが「ニード」ほど分からないものはない。障害受容なんて理屈通りにはありえない。そこにあるのはほとんど諦めである。
・ニードに気づかせることが支援者には求められる。知ること、選択肢が提示されること、考えられる余裕があること、発言できること。発言があって初めて、表出したニーズに「応じる」ことができるのであって、そのプロセス(ニードに気づかせる)は意識されにくい。「悲しい」「寂しい」「やる気がしない」のは「なぜなのか?」。態度や発言に隠れている背景に応えることができて初めてニードの芽になる。
・聖隷福祉事業団の跡地にウイズ蜆塚が設置される。利用者の構成は半田とは違い、ほとんどが65歳以上の高齢者。
・「制度は後からついてくる」。制度を作るためには、NPO等が機動力をもって試行して発言していく必要がある。データで語ることも求められる。ウイズの場合は「居場所」と視覚障害者の「リハビリテーション」を進めるために、小規模作業所という枠組みで活動してきた。行政の下請けとして事業をこなすことも求められる一方で、NPOの本質は「活動」にあり、問題意識とその解決に向けた取り組みが求められる。制度とは税金が使えるようになること。税金は「取られる」のではなく「預ける」、だから地域活動と連動し「見てもらう」ことが必要。
・制度よりも大切なこと。物事には本質があって、大切なこと、人権擁護のために制度が存在する。制度を成立させている「大切なこと」は何なのか?事業になると、特に新しい職員等は問題意識に欠けてしまうことが少なくない。
・「人間」とは?「間」を考えることができて「人間」となる。猿からヒトへ、ヒトから人間へ。そして今、人間関係の希薄化と共に「ヒト」化が進んでいるのではないかという斯波さんの問題意識があった。
特定非営利活動法人六星 ウイズ半田・ウイズ蜆塚
http://6seiwith.sakura.ne.jp/
ダスキン愛の輪基金
http://www.ainowa.jp/
ダスキン愛の輪基金報告書(2012年度)
http://www.ainowa.jp/pdf/report_j.pdf
この機会の発端は、半分仕事のこともあり静岡県内における視覚障害者の就労状況に関する情報収集という名目だったのですが、こんな機会は滅多にないことと、斯波さんとは何度もお会いしている(前職の関係です)にも関わらず、きちんとお話を伺ったことがないので、個人的には施設の歴史やミッション、斯波さんの考え方に触れたいと思っての依頼でした。
話題は本当に多岐にわたったわけですが、印象に残ったことを記録をかねて書き出しておきます。
・歩車分離の交差点で、視覚障害者の事故が起こっている。従来の横断歩道の渡り方(自分の進行方向と平行して走っている車の音が聞こえたら渡っても大丈夫)では、音の鳴らない交差点で間違って車道に出てしまう。健聴者にとって安全な仕組みが、全盲者にとって危険な仕組みになりかねない。
・障害者のリーダー養成に長年関わっている。東南アジアを中心に、15年ほどの取り組みとなっている。ダスキン愛の輪基金など、国際交流活動を継続して行うことが支援者、当事者ともに刺激となっている。帰国後、障害年金制度の創立に関わった修了者もいる。
・「視覚障害者にとって、パソコンは生活の質をあげるものであり、就職するのに有利な道具となりうるが、パソコンスキルを身につけることが即就職となるわけではない」。テープおこしは大都市など需要がなければ仕事として成り立たない。視覚障害者の職業的課題は古くて新しい課題そのもの。
・ウイズの対象者イメージは、1.盲重者、2.中途視覚障害者、3.リーダー養成=2~3割、7割、数名、である。ただし近年は、7割、2~3割、数名へと変化している。
・斯波さんは元々白状等、視覚障害者用の支援器具の企画・製造・販売をしていたが、視覚障害のある人と接する内に、彼らの居場所がないことを知る。またアメリカ研修で実感した「障害者が街に出れば、社会が変わる」という考えを強く持つことになり、ウイズの設立に至る。(紹介フィルムの、横断歩道にて自然にガイドをするアメリカ人の対応に感銘を受ける)。
・特に中途障害者は、障害受容うんぬんというよりも、仕事を失うとやることがない状態となってしまう。「やることのない人にやることを与える」という現在にも連なる思いから、既存の枠組みで小規模作業所(現在は就労継続B型)の設立・運営に携わることになる。
・仕事(作業)を通じて、リハビリテーションをする、という発想。そのための居場所であり、全国に作らないといけないが、まだまだ足りないと思われる。
・ニーズに応じて、と言われるが「ニード」ほど分からないものはない。障害受容なんて理屈通りにはありえない。そこにあるのはほとんど諦めである。
・ニードに気づかせることが支援者には求められる。知ること、選択肢が提示されること、考えられる余裕があること、発言できること。発言があって初めて、表出したニーズに「応じる」ことができるのであって、そのプロセス(ニードに気づかせる)は意識されにくい。「悲しい」「寂しい」「やる気がしない」のは「なぜなのか?」。態度や発言に隠れている背景に応えることができて初めてニードの芽になる。
・聖隷福祉事業団の跡地にウイズ蜆塚が設置される。利用者の構成は半田とは違い、ほとんどが65歳以上の高齢者。
・「制度は後からついてくる」。制度を作るためには、NPO等が機動力をもって試行して発言していく必要がある。データで語ることも求められる。ウイズの場合は「居場所」と視覚障害者の「リハビリテーション」を進めるために、小規模作業所という枠組みで活動してきた。行政の下請けとして事業をこなすことも求められる一方で、NPOの本質は「活動」にあり、問題意識とその解決に向けた取り組みが求められる。制度とは税金が使えるようになること。税金は「取られる」のではなく「預ける」、だから地域活動と連動し「見てもらう」ことが必要。
・制度よりも大切なこと。物事には本質があって、大切なこと、人権擁護のために制度が存在する。制度を成立させている「大切なこと」は何なのか?事業になると、特に新しい職員等は問題意識に欠けてしまうことが少なくない。
・「人間」とは?「間」を考えることができて「人間」となる。猿からヒトへ、ヒトから人間へ。そして今、人間関係の希薄化と共に「ヒト」化が進んでいるのではないかという斯波さんの問題意識があった。
特定非営利活動法人六星 ウイズ半田・ウイズ蜆塚
http://6seiwith.sakura.ne.jp/
ダスキン愛の輪基金
http://www.ainowa.jp/
ダスキン愛の輪基金報告書(2012年度)
http://www.ainowa.jp/pdf/report_j.pdf
2013年12月31日火曜日
新年の抱負2014
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
毎年恒例にしている昨年の総括と今年も抱負(「目標」タグ)です。
このタグは人に見てもらうというよりも、人の目に付くところに公開して自分に宣言するという位置づけですのでご了承ください。
また、この文書を作っているのが年末になりますので、「今年」=2013年、「来年」=2014年と読み替えると意味が通ります。ご了承ください。
今年の総括
(2013年の目標)
目標:家庭・仕事バランスの維持と向上を図る。課外活動を充実させる。資格取得に挑戦する。笑って年末を迎える。
■仕事
・専門性向上のため、読書内容に専門書を入れる(『職業リハビリテーション学』等複数冊)。
・仕事領域であるかないかに関わらず、仕事ではない(地域)活動に参加・参画する。
○17:30定時を意識したスケジューリングをする
○週5日は家族と食事する
○超過勤務は週1回までとする
■家庭
・妻の働きたいニーズに合わせて働き続けられるようにサポートする。
○育児・家事を毎日する。
・週末は家事または余暇の充実を考える。
■趣味・学習
・読書、情報収集を充実させる
・日商簿記3級取得
・社会保険労務士の勉強を始める
○20冊/年、単行本を読む(内2冊は英語)
○上記を含め、60コンテンツ/年を利用する(書籍、AudioBook、サマリー等)
○2012年に会わなかった人に会う(5人以上)
今年はいろんなことがあり過ぎた一年で、当初の目標を意識的に壊していく必要がありました。ざっと上げれば、
・仕事で計画通りにいかないことが多すぎた。
・身近な方の死去
・研究活動への協力
・仕事におけるマニュアル作成業務
・第三子の流産
・仕事における業務研究会での発表
といったあたりが、プライベートを直撃した一年でした。率直に6月一杯くらいは抜け殻のようになっていましたし、その後夏休み頃には研究活動とマニュアル担当箇所の執筆を並行して進めていました。これらが、週末に自宅でパソコンに向かう時間が増えた原因となっています。そのクライマックスに、第三子の件と相まってしまい、生き方を根幹から揺さぶられた一年でした。結果としては、仕事に偏った一年となってしまったように思います。
ただ、特に後半の取り組みに関しては、偶然が重なったこともありますが、目の前に敢えて流されて、特に仕事の上で新たな視野を切り開くといった意味においては大変有意義な時間となった側面もあります。まだ余裕はあるのだろうとは思うけれども、これまでの範囲を突き抜けたところで身一つで勝負して壁にぶち当たるという経験がここ数年なかったので、9年次のOFF-JT研修と相まって、仕事においては一つ違うステージに来たような感覚もあります。
こうした背景を踏まえて総括します。
仕事においては、上記のように当初の目標の達成とは大きく離れてしまった上に、バランス維持と逆行してしまったのですが、今の職場で働き続けるために必要な視野が拓けたことと、それに伴い業務の優先順位の付け方に変化が出てきているという点は、素直に今年の成果だと思います。知識的な専門性とは別の専門性の芽が出てきたのかもしれないという実感はあります。
ただ、それによって犠牲になった効率的な業務遂行はずいぶん妨げられてしまったのだと思います。研究活動を課外活動とすればそう読み込めますが、それ以上の広がりはないとも言えます。
家庭には上記のしわ寄せが来てしまいました。週末は仕事に費やす時間が多かったと反省。それに伴い、家事は単調になってしまったと素直に反省です。来年こそはもっと家族に時間を使いたいものです。
こうやって反省してみると、第三子のことも何か自分のライフスタイルが影響しちゃってるんじゃないか、なんて思いもよぎります。そうじゃないことはわかっているのだけれども、理屈じゃないところで考えてしまいます。家族に負担かけてしまったのかも…
趣味・学習はしわ寄せというか、上記の煽りを受けて壊滅状態でした。読書量は、単行本16冊(英語0)、AudioBook14コンテンツ(内小説系3コンテンツ)、雑誌(週刊ダイヤモンド、TOPPOINT)60冊程度、後は論文等が数本ありますが、やはり読書量は減りました。日商簿記は(十中八九)不合格で、社労士の勉強は始められていません。若干ファシリテーションの勉強を始めましたが、まだまだ読書レベルです。
ということで、目標の達成度合いに点数を付けるのならば55点くらいの不合格です。ただ、充実度でいえば振り返って少なくとも仕事においてはかなり充実したものになったので、それをもって今年は何とか「よい一年だった」としておきたいと思います。
(2014年の目標)
目標:生活と仕事のバランスを意識する。
■仕事
・職場内外ともに頼られる存在を目指す。
・職場内外共に通用する日本語を磨く。
・業務の優先順位を常に意識する。
・18時には事務所を出られるようにする。超過勤務は週末含め週2日まで。
■家庭
・平日にも家事をする。
・月1回は弁当を作る。月1回は夕食を作る。
・週末は予定以外の仕事をしない。勉強をする。
・子どもと過ごす時間を増やす。
■趣味・学習
・毎週200回木刀を振る、1時間分ジョギングをする、筋トレ1セットをする。
(週3回、20分ジョギング、素振り70本。週1回の筋トレ程度)
・日商簿記3級取得
・社会保険労務士の勉強を始める
○20冊/年、単行本を読む(内2冊は英語)
○上記を含め、100コンテンツ/年を利用する(書籍、電子書籍、AudioBook、雑誌等)
○2013年に会わなかった人に会う(5人以上)
今年はシンプルに。
現状、どうしても仕事が生活に踏み込んできていることは否定できません。仕事が長引くから生活が充実しない、生活のことを意識しにくくなる。かといって、仕事がすべて生活に優先するものかというと、仕事の本質をはずした仕事も多数含まれる(優先度合いと緊急度合いのマトリックスでいうと、優先度低・緊急に分類されるところ)ことは事実。その洗い出しと整理が必要と考えられます。やるべきこと、やらなくていいこと、自分がやる必要のないことを整理し、やらなくていいことは遠ざけ、人にやってもらえることは人にやってもらうことを意識しつつ、ファシリテーションを応用した場づくりにもこだわっていきたいものです。
内容的には、今までは苦手な土俵で勝負してこなかった回遊魚さながらの仕事スタイルでしたが、苦手な土俵(今の職場のフォーマルなやりとり)にも耐えうる仕事の仕方を工夫して、最強の回遊魚となっていく準備を着々と進めていきます。目下、通達類の読み込みと作文技術の向上です。
劇的な変化にはならなくても、結果として生活にしわ寄せのこない、取り返すことができる程度の業務量に押さえたいものです。
家庭に関しては、やはり手伝いから脱却して、生活を作る主体であることを意識できるようになりたいです。家のことにもっと関心もっていかないといけないし、いつのまにかカミさんに任せてしまっているようなことにもきちんと関わっていかないといけないです。こちらは目下、家計と幼稚園のことかと。
趣味・学習に関しては、今年読書量が減ったことを受けて、仕事の効率化によってできた時間を家庭だけでなく、何とか自分の時間にも振り分けて頭と身体をつくります。身体優位で、健康維持と「とにかくやる」習慣づけをもう一度して、勉強量を増やしていきます。
敢えて新しいことを取り入れなくても、こうした基礎を固めることを意識することで、自ずから課外活動はやってくると思うので、機会はつかめるよう準備していきます。
改めて土台を意識して30台半ばを迎えます。次のステップに移行する機会を見逃さないように、やはり愚直にやっていきたいものです。
今年もよろしくお願いします。
毎年恒例にしている昨年の総括と今年も抱負(「目標」タグ)です。
このタグは人に見てもらうというよりも、人の目に付くところに公開して自分に宣言するという位置づけですのでご了承ください。
また、この文書を作っているのが年末になりますので、「今年」=2013年、「来年」=2014年と読み替えると意味が通ります。ご了承ください。
今年の総括
(2013年の目標)
目標:家庭・仕事バランスの維持と向上を図る。課外活動を充実させる。資格取得に挑戦する。笑って年末を迎える。
■仕事
・専門性向上のため、読書内容に専門書を入れる(『職業リハビリテーション学』等複数冊)。
・仕事領域であるかないかに関わらず、仕事ではない(地域)活動に参加・参画する。
○17:30定時を意識したスケジューリングをする
○週5日は家族と食事する
○超過勤務は週1回までとする
■家庭
・妻の働きたいニーズに合わせて働き続けられるようにサポートする。
○育児・家事を毎日する。
・週末は家事または余暇の充実を考える。
■趣味・学習
・読書、情報収集を充実させる
・日商簿記3級取得
・社会保険労務士の勉強を始める
○20冊/年、単行本を読む(内2冊は英語)
○上記を含め、60コンテンツ/年を利用する(書籍、AudioBook、サマリー等)
○2012年に会わなかった人に会う(5人以上)
今年はいろんなことがあり過ぎた一年で、当初の目標を意識的に壊していく必要がありました。ざっと上げれば、
・仕事で計画通りにいかないことが多すぎた。
・身近な方の死去
・研究活動への協力
・仕事におけるマニュアル作成業務
・第三子の流産
・仕事における業務研究会での発表
といったあたりが、プライベートを直撃した一年でした。率直に6月一杯くらいは抜け殻のようになっていましたし、その後夏休み頃には研究活動とマニュアル担当箇所の執筆を並行して進めていました。これらが、週末に自宅でパソコンに向かう時間が増えた原因となっています。そのクライマックスに、第三子の件と相まってしまい、生き方を根幹から揺さぶられた一年でした。結果としては、仕事に偏った一年となってしまったように思います。
ただ、特に後半の取り組みに関しては、偶然が重なったこともありますが、目の前に敢えて流されて、特に仕事の上で新たな視野を切り開くといった意味においては大変有意義な時間となった側面もあります。まだ余裕はあるのだろうとは思うけれども、これまでの範囲を突き抜けたところで身一つで勝負して壁にぶち当たるという経験がここ数年なかったので、9年次のOFF-JT研修と相まって、仕事においては一つ違うステージに来たような感覚もあります。
こうした背景を踏まえて総括します。
仕事においては、上記のように当初の目標の達成とは大きく離れてしまった上に、バランス維持と逆行してしまったのですが、今の職場で働き続けるために必要な視野が拓けたことと、それに伴い業務の優先順位の付け方に変化が出てきているという点は、素直に今年の成果だと思います。知識的な専門性とは別の専門性の芽が出てきたのかもしれないという実感はあります。
ただ、それによって犠牲になった効率的な業務遂行はずいぶん妨げられてしまったのだと思います。研究活動を課外活動とすればそう読み込めますが、それ以上の広がりはないとも言えます。
家庭には上記のしわ寄せが来てしまいました。週末は仕事に費やす時間が多かったと反省。それに伴い、家事は単調になってしまったと素直に反省です。来年こそはもっと家族に時間を使いたいものです。
こうやって反省してみると、第三子のことも何か自分のライフスタイルが影響しちゃってるんじゃないか、なんて思いもよぎります。そうじゃないことはわかっているのだけれども、理屈じゃないところで考えてしまいます。家族に負担かけてしまったのかも…
趣味・学習はしわ寄せというか、上記の煽りを受けて壊滅状態でした。読書量は、単行本16冊(英語0)、AudioBook14コンテンツ(内小説系3コンテンツ)、雑誌(週刊ダイヤモンド、TOPPOINT)60冊程度、後は論文等が数本ありますが、やはり読書量は減りました。日商簿記は(十中八九)不合格で、社労士の勉強は始められていません。若干ファシリテーションの勉強を始めましたが、まだまだ読書レベルです。
ということで、目標の達成度合いに点数を付けるのならば55点くらいの不合格です。ただ、充実度でいえば振り返って少なくとも仕事においてはかなり充実したものになったので、それをもって今年は何とか「よい一年だった」としておきたいと思います。
(2014年の目標)
目標:生活と仕事のバランスを意識する。
■仕事
・職場内外ともに頼られる存在を目指す。
・職場内外共に通用する日本語を磨く。
・業務の優先順位を常に意識する。
・18時には事務所を出られるようにする。超過勤務は週末含め週2日まで。
■家庭
・平日にも家事をする。
・月1回は弁当を作る。月1回は夕食を作る。
・週末は予定以外の仕事をしない。勉強をする。
・子どもと過ごす時間を増やす。
■趣味・学習
・毎週200回木刀を振る、1時間分ジョギングをする、筋トレ1セットをする。
(週3回、20分ジョギング、素振り70本。週1回の筋トレ程度)
・日商簿記3級取得
・社会保険労務士の勉強を始める
○20冊/年、単行本を読む(内2冊は英語)
○上記を含め、100コンテンツ/年を利用する(書籍、電子書籍、AudioBook、雑誌等)
○2013年に会わなかった人に会う(5人以上)
今年はシンプルに。
現状、どうしても仕事が生活に踏み込んできていることは否定できません。仕事が長引くから生活が充実しない、生活のことを意識しにくくなる。かといって、仕事がすべて生活に優先するものかというと、仕事の本質をはずした仕事も多数含まれる(優先度合いと緊急度合いのマトリックスでいうと、優先度低・緊急に分類されるところ)ことは事実。その洗い出しと整理が必要と考えられます。やるべきこと、やらなくていいこと、自分がやる必要のないことを整理し、やらなくていいことは遠ざけ、人にやってもらえることは人にやってもらうことを意識しつつ、ファシリテーションを応用した場づくりにもこだわっていきたいものです。
内容的には、今までは苦手な土俵で勝負してこなかった回遊魚さながらの仕事スタイルでしたが、苦手な土俵(今の職場のフォーマルなやりとり)にも耐えうる仕事の仕方を工夫して、最強の回遊魚となっていく準備を着々と進めていきます。目下、通達類の読み込みと作文技術の向上です。
劇的な変化にはならなくても、結果として生活にしわ寄せのこない、取り返すことができる程度の業務量に押さえたいものです。
家庭に関しては、やはり手伝いから脱却して、生活を作る主体であることを意識できるようになりたいです。家のことにもっと関心もっていかないといけないし、いつのまにかカミさんに任せてしまっているようなことにもきちんと関わっていかないといけないです。こちらは目下、家計と幼稚園のことかと。
趣味・学習に関しては、今年読書量が減ったことを受けて、仕事の効率化によってできた時間を家庭だけでなく、何とか自分の時間にも振り分けて頭と身体をつくります。身体優位で、健康維持と「とにかくやる」習慣づけをもう一度して、勉強量を増やしていきます。
敢えて新しいことを取り入れなくても、こうした基礎を固めることを意識することで、自ずから課外活動はやってくると思うので、機会はつかめるよう準備していきます。
改めて土台を意識して30台半ばを迎えます。次のステップに移行する機会を見逃さないように、やはり愚直にやっていきたいものです。
2013年12月26日木曜日
2013年12月24日火曜日
【Audio book】高木敏子『ガラスのうさぎ』
いわゆる戦争モノというカテゴリーになるのでしょうが、この小説は臨場感や一人称の心のゆらぎを表したものとして、秀逸だと思います。
とにかく迫力がある、繊細である、喜怒哀楽が行間から伝わってくるというのは、こういう読み物なのか、と思わされた一冊でした。
テーマ、というか話題はとても現実的で、戦争の時代に多くの人たちが体験したのであろうことが、淡々と、しかしつい聴き入ってしまう内容で、AudioBookとはいえ「次はどうなるんだろう、だいじょうぶかな?」と何度も何度も思わされる作品でした。
今年、大変思い出に残る一冊でした。
とにかく迫力がある、繊細である、喜怒哀楽が行間から伝わってくるというのは、こういう読み物なのか、と思わされた一冊でした。
テーマ、というか話題はとても現実的で、戦争の時代に多くの人たちが体験したのであろうことが、淡々と、しかしつい聴き入ってしまう内容で、AudioBookとはいえ「次はどうなるんだろう、だいじょうぶかな?」と何度も何度も思わされる作品でした。
今年、大変思い出に残る一冊でした。
西内啓『統計学が最強の学問である ―データ社会を生き抜くための武器と教養』ダイヤモンド社、2013年。
今年度のベストセラーにもなっています。
統計学ブームの火付け役ともいえる一冊だと思います。手に取った方も多いのでは。
統計学の全体像を把握できる一冊だと思います。
ただし、統計の知識のない(自分のような)人が初めて手に取る本としては、まだやや難解かもしれません。Iyokiyehaも、この内容を受けて、もう少し基礎的な文献を当たっているところです。
数式や統計処理の具体的な適応方法など、詳細まで説明を求めるには少し物足りないかもしれませんが、(私のように)「統計学ってそもそも何?」という人には、とっかかりの一冊にはなりえると思います。
またまだ複雑な統計処理ができるわけではないのですが、それでも大変勉強になる一冊でした。
I keep saying the sexy job in the next ten years will be statisticians.
私はこれからの10年で最もセクシーな職業は、統計家だろうって言い続けてるんだ。
統計学ブームの火付け役ともいえる一冊だと思います。手に取った方も多いのでは。
統計学の全体像を把握できる一冊だと思います。
ただし、統計の知識のない(自分のような)人が初めて手に取る本としては、まだやや難解かもしれません。Iyokiyehaも、この内容を受けて、もう少し基礎的な文献を当たっているところです。
数式や統計処理の具体的な適応方法など、詳細まで説明を求めるには少し物足りないかもしれませんが、(私のように)「統計学ってそもそも何?」という人には、とっかかりの一冊にはなりえると思います。
またまだ複雑な統計処理ができるわけではないのですが、それでも大変勉強になる一冊でした。
I keep saying the sexy job in the next ten years will be statisticians.
私はこれからの10年で最もセクシーな職業は、統計家だろうって言い続けてるんだ。
2013年12月23日月曜日
レビューが間に合っていません。
ここのところ、外出が多かったこともあり、AudioBook中心に読書量があったのですが、レビューが全く間に合っていません。今、書籍を書き出したら11冊分もありました。
まぁ、ボチボチ書いていくとします。
あんまり楽しみにしている人はいないと思いますが、気長に待ってやってください。
まぁ、ボチボチ書いていくとします。
あんまり楽しみにしている人はいないと思いますが、気長に待ってやってください。
登録:
投稿 (Atom)