2024年6月29日土曜日

悪しき心が痛い 240523

 目の前にはっきりと「6月」と書かれている書面があるのに、「そんなことは知らない」「書いた覚えがない」「分からない」とわめき立て、4月から適用させろと一歩も引かない人。アベノマスクの時にも感じたけれども、定額減税の給与明細記載について、Web上で罵詈雑言を並べたてて騒ぐ人とか。望む結果を出すために手段を選ばず、多分不正行為だろうことをしてまで申請をする人。

 個人的には全く認められない。むしろ、公平性の原則を破る行為であるから、発覚した時点でお引き取りねがうものが、ここのところ立て続けに起こっており、正直なところ「気持ちが悪い」。

 バレなきゃいい、ワンチャン言ってみよう、うやむやにして大声を出してみよう、そもそも私のせいじゃない、しくみや制度のせい、自分と自分の身内が「当たる」なら他はどうでもいい、というか他人は気にしない。こういうことを考えているかどうか別として(なーんにも考えていない、という可能性が否定できない)、自分さえ良ければいい、が全面に出てくる事案が、ぼちぼち出てくることに「気持ちが悪い」。

 古き良き日本、というつもりはない。他者を気にする日本人、の文脈も持ち出さない。私が気になるのは「公平性を求めながら、どこまでも私利私欲に忠実で、望む結果のためなら人が犠牲になっていても気にならない」という矛盾に満ち満ちた行動を、「自分が正しい」としてとりつづける人が、どうにも理解できないだけである。

 今のところ「土俵が違う人(=拠り所となる思考が全く異なる人≒異文化に属する人)」として一線引いた対応をしてしまうのだが(←そうしないと、自分がしんどい)、自分と似たような生活をしているだろう人が、そうした行動をとって、その矛先がこちらに向く、という事案がある。私が「土俵が違う」という場合は、ほとんどの場合、ソーシャルランクや属性、人種、文化などが「異なる」人と冷静に接するために一旦カテゴライズしていたのだけれども、そういう「異なる」には至らない人が「気持ち悪い」言動をとる場面に直面すると、心が痛んでくる。

 いろいろ思うところはあるけれども、ここのところの世の中には、他人を揶揄する、人の言動を見下す、マウントをとって他人を見下す、どうでもいいことを世に発信する、自分中心に何かになりたいことを公言する、ことを是とするような雰囲気・グルーブみたいなやつが周囲にグルグルと渦巻いているように思う。その中で取り残されているからこそ、そういう言動に心を痛めてしまうのかもしれない。でも、こういうことを気にする感覚が麻痺してしまったら、世の中の期待通りに私もなぁなぁに、下品にゲラゲラ笑って、知らず知らずのうちにとりあえず心地のいい「気持ち悪い」になっていくのだろうな。