2025年3月9日日曜日

言葉や制度だって、丁寧に扱うべきもの

「エビデンスはあるの?」

「…? 説明は○○に書いてありますが…」

「だから、そのエビデンスは何?」

 不毛なやりとりのような気がしてならない。まがりなりにも、研究者の端くれに身を置いていた私としては、「エビデンス」という言葉は「科学的根拠」と訳されることの多い、「きちんと裏付けのある証拠。有識者の合議体による結論から、ランダム化比較実験で証明されたものまで、正確さに段階がある」くらいの意味で使っている。研究成果って、いかにエビデンスレベルを上げるか、に躍起になる段階があるくらい。なので、制度の説明をしていて「そのエビデンスは?」と聞かれることに、とっても違和感がある。「●●の時は□□になる」という説明をしているのに、「エビデンスは?」と問われる。要は、説明していることがどこに記載されているのか、ということを質問する文脈で「エビデンス」という言葉を使われると、その内容に関する証拠を問うているのか、よくわからなくなる。これは私の認識が甘いのか、言葉の使い方の問題なのか。

 前者は私の理解度だから、ある程度は仕方がない。でも、仕事の世界で「エビデンス」という言葉は、単に「根拠」を問う時に使われることが増えてきているような気がする。

「(集計の結果)○○という結果となりました」

「そのエビデンスは?」

みたいな使い方。ん?と思う。情報ソースを聞いているのか、科学的な根拠まで問われているのか?「私の知る範囲では証明されたものではありません」「そうじゃなくて、どこの数字なの?」という問答は、本当に不毛だと思う。そのまま「どこの数字からとってきたの?」と質問してくれよ。そんなことまでハイテクストなやりとりに入れ込まないでくれよ。

 とはいえ、せめてもの救いは、身内にこの使い方をする人はほぼいないということ。この疑問を身内に対して抱くようになってしまうと、これは面倒だ。あくまでお客さんとのやりとりだから、まだ我慢できるのだけどね。まぁ、ハラに近いやりとりでこれをやられると、なんか腹が立ってしまうこともあるが、まぁ、それも落ち着いて深呼吸、ですね。