昨年度は自分のためのお休みをとることがほとんどできなかったので、年明けから年度末のストレスを解消するために、自分へのご褒美としてコンサートに行ってきました。市内のホールに村治佳織さんが来られるという情報を見て、チケットを買いに行ったら既にあと2席しか残っていないということで、迷わず購入したのが1月だか2月だか。
学生の頃、クラシックなんて小難しいと思っていた頃にアランフェス協奏曲を聴いて、言ったことのない街の情景のイメージが浮かんできたのが、私のクラシック原体験です。そういう聴き方ばかりじゃないのでしょうが、クラシック音楽には大体背景があって、その背景を自分なりに読み取ってから音楽を聴いたり、逆に音楽を聴いてから背景を調べてみたりすることで面白さが生まれる。コンサートの中の言葉を借りれば「音で旅をする」ということでしょうか。この「旅」には、旅行よりも広く「自分を解放して経験を受け止める」みたいな意味も含まれるのだろうなと、感じながら、三分の一くらいまどろみながら、すごくリラックスした午後の時間を過ごすことができました。
音をぶつけ合ったところに生まれる対話を楽しむジャズとは異なり、素直に音を受け止めて自分の中から浮かび上がってくる何かを、何か(言葉とか)で翻訳するんじゃなくて、何かを何かのまま受け止めて、広がる広げるだけ意識するんじゃなくて伸縮自在な動きもそのものとして、なんか動くものを動きっぱなしにしておいて自分がゆるんで解放されていくような、クラシックってそういう楽しみ方ができるのだと、ライブ演奏の中でプカプカと浮かびながら考えていました。そんな考えもジャズとの比較は使ったけれども、ジャズや他の音楽とぶつかるものではなく、共存。合気道で言えば。慣れれば慣れるほど力が抜けていって、片手持ちの技は「持たせておく」ことで生まれる力を意識する、みたいな。
言葉にすると、いつもまとまらないのだけれども、多分まとまらないものに出会って、それを楽しむ機会だったのだと記すだけにしておこう。クラシックギター道を突き進む村治さんの言葉には、軽妙な中に本質が感じられてとても心地よい時間でした。新しい感情とか経験とか、いくつになっても「いい」ものは、素直に良いと思える感性は大切にしたいなぁ。