2025年7月23日水曜日

悪意から逃れるのは難しい。

 すべての価値を金銭に置き換えると、他と比べる余地が大きくなる。資本主義っぽい近代国家っぽいことって、案外そういうところに基本原理があるのかもしれない。
 人をけなすことや、強い指摘を行うことって、その相手に不快な感情を抱かせるのだけれども、そうして感情が動いてしまった人が、理由はどうあれ反撃に転じた瞬間、主張の主と同じ土俵に立つことになってしまう。その理由が、たとえ「自分の身を守ること」だとしても、だ。真に自分の身を守るならば、一方的な刃に対し、捌いて無効化できれば優、刃が届かないところまで距離をとってそれを保つことができれば良、無視しきれれば可、といったところだろうか。「一矢報いる」「やられなければやられる」「これ以上やられる前にやっておく」みたいな、凡人の中にふと芽生えやすい感情は、それそのものが相手の刃の範囲内に取り込まれていくことになる。
 それで、同じ土俵に乗ったら、あとは比較の思想が奔流とともにやってきて、あれがいい、これが欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しいと、どこぞの歌詞のように(あの歌は名曲です、本論とは関係なし)本来不必要なこと・ものに「必要」「大事」のレッテルを貼って、自分自身を煽り立ててくる。こういう構造があるように思えるこの頃。

 あと、自分の中ではちょっと似たことで最近のトレンド、「悪意は防げない」。根拠がない、あるいはトンデモ話やデマというのは、「言ったもん勝ち」の側面が大きくて、自分の間違いをしくみの不備や不可能なことに転嫁してそれに関係する相手を責め立てる、というのが、ここのところ身の回りで起こっていることに共通する構造だと思う。ただ、その向こうで一貫しているのが、「間違えたのはあなた(方)のせい」「わたしはこう思っていた」「○○と読めてしまう」というあたりの感情と(屁)理屈だろう。言ったもん勝ち。
 周囲の出来事を透かして、(限定的に私が見聞きする)世の中の言説を当てはめてみると、○○ファーストとか、■■優先とか、そんな言葉になって広がっていく。だいたい「日本人ファースト」ってどこに線引いて、何をしようとしているのだ?ヘイトや差別の発想がカウンターバートから提出されているけれども、それを追い風にしつつ、「あなた(方)の言う『日本人』って誰よ。どの範囲なの?Iyokiyehaさんは当てはまるのかい?」と問う。私の身近な知り合いにも、外国ルーツの方はたくさんいるし、その人たちに「日本人ファーストだから、あなたはダメよ」とは言えない。もちろんそれに一言「俺もいいのか知らんけど」とつけることになるが。そのくらいおかしなことが、(私にとっては見苦しい)動画になって政治にも広く影響を与えているのが、本当に「気持ち悪い」と思った最近です。
 とはいっても、私の生活は変わらない(変えない)ようにしたいのだけれども。先日、ひょんなことで体験した「温活」が、身体によさそう。
 

話し方のレッスン

 ひょんなことからご縁があって、話し方のレッスンを受けてきました。
 これまでの経験もあって、プレゼンや人と話すこと、それ自体にはそれなりにスキルに自信はあるのだけれども、とはいえ、仕事以外のところできちんと教えてもらったことはないので、いい機会でした。
 学んだことは、言葉にすると月並みなんですが…
・(その話の中で)一番伝えたいこと/抽象度を高めた 一言をそえる。
・フィラー、語尾フィラーを減じる
 ということです。言葉にすると、どこかで聞いたことがあって、いろんな場面でいろんな人が言っている、ことですが、これをきちんとトレーニングする機会はとても貴重でした。
 頭使うし、話し方を気にするととっても窮屈だし…
 でも、録画してもらった自分の話し方を見て、たくさんの気づきがありました。印象的だったのは、「自分が思っているよりも窮屈さは見えにくい」こと。むしろ、自分が「窮屈」と思った話の方が、聞いている立場としては「話に集中できる」。内容が浮き彫りになる話し方、なんて言えるのだろうと思いました。
 「一言」ワークは、時々、丁寧に言葉選びをするようにしたら、きっと私があこがれる「難しいことを端的にずばっと言える」人に近づくのだろうな、と可能性を感じることができました。
 出不精な私にとって、研修とかセミナーってどうしても一歩踏み出すのに力が要るのだけれども、生活のベクトル(方向性)が合ったものは、必ず学びがあるな、と改めて思う次第です。仕事で参加する(しなくちゃいけない)説明会とか講習会に当たりはずれを感じるのは、このベクトルの重なり具合なんだろうな、とも感じる機会になりました。
 何より、今の言葉で言うならば「推し」が提供している講座に参加できたのは、自分にとっては、とってもとってもいい経験になりました。偶然とはいえ、こんな機会をいただいたことに、ほんと感謝です。

新庄耕『地面師たち ファイナル・ベッツ』集英社、Audiobook版。

 「地面師たち」というドラマがネットフリックスで公開されており、妻の勧めで一話を観て、それっきりになっていた。同名の小説が紹介されていたので試してみる。
 とにかく「気持ち悪い」と「人間が本能むき出しになる瞬間」が交差する。ドラマのエピソードとは異なるのか?とはいえ、ハリソンが主要な登場人物として現れるなど、どちらかがモチーフとなっているのだろう。
 ハリソンの人間描写やちょっと倒錯した性癖など、元アスリートが成績不振をきっかけにギャンブルに身を投じ、通常の思考あるいは本人が落ち着いた時の思考では「ありえない」行動を、自分の欲(感情)に従って選択してしまう様と、その結果によって現実を突きつけられ、後悔と他責と自責が混在して混乱しつつも冷めていく様子など、人間にありがちな感情の動きを、振れ幅大きく、とかく「気持ち悪く」描かれている。
 とにかく「気持ち悪い」のだが「気になる」読み物だ。登場人物一人一人のキャラクターが尖りすぎていて、元気のない時には気持ち悪さが優位になってしまう。ちょっと注意です。

米国戦略諜報局(OSS)著、越智啓太、国重浩一訳『サボタージュ・マニュアル:諜報活動が照らす組織経営の本質』北大路書房、Audiobook版。

 ちょっと変わった一冊。
諜報(ちょう ほう) 敵の様子をひそかに探り、味方に知らせること。また、その知らせ。(デジタル大辞泉より)

 イメージしやすいのは「スパイ」なのかもしれないが、様々な諜報活動があるなかで、その技術や知見を利用して「組織にダメージを与える」ことを知ることにより、組織の在り方を考えることを促す一冊。いろんな方法で、人間関係や組織の雰囲気に悪影響を与える方法、物理的に物的資産を故障、不具合、破壊する方法、ハードにもソフトにも、様々に紹介されているが、これらの内容は「自分がそれを試してみる」ではなくて「敵はこう考えて組織を壊しにくるから…(どうする)」と続く思考を促す一冊といえる。
 印象に残ったのは以下の部分。
・諜報員が見て、分析する、組織の弱点。
・諜報活動として、質的に円滑さを失わせて不協和音を生む方法と、物理的に資産を壊す方法がある。
・例えば、規則を頑なに守る、というのはそれによってクライアントや組織内に不便が生まれる。頑なに厳守を主張することにより、組織内の円滑さが失われる。
・機械ものは、砂や過剰な油分(ちょっとしたこと、あるいは適量ならば必要なもの)に弱い。

ジェイエル・コリンズ著、小野一郎訳『父が娘に伝える自由に生きるための30の投資の教え』ダイヤモンド社、Audiobook版。

 投資に関する考え方について、資産形成に成功した著者が未来を生きる娘に語る形で説明するもの。謙虚な姿勢が貫かれており、まさに投資のイロハと目標設定、考え方について論じる一冊。奇をてらう内容ではないが、着実にためることによって何を目指すのかということが語られている。要点は以下の通り。

・投資は、基本的に「箱にすべてを入れて待つ」のが、資産形成には有用。

・X%の金利で運用するとした時に、貯蓄のX%が年収に当たるところまで貯めることで、人生のステージが変わる。

・人生に選択肢がある安心感。

・まずは、半年分の収入を貯蓄すること。

2025年5月24日土曜日

もっとシンプルでいい。もっと現実から受けるものを大切に。

 毎年この時期に歳をとるので、目標を微調整したり、ちょっと振り返ったりするわけです。
 ここのところ、毎年職場環境が変わるため、あまり奇をてらったことは考えておらず、成り行きでどうするか考える、ということを繰り返しているわけですが、一方で自分の能力について考えさせられる機会も多く、ますます自分の立ち位置というのがわからなくなっています。
 とはいえ、それで悩んでいるかというとそうでもなくて、元々偏差値が高いわけではないので、やっぱり今の仕事は膨大すぎて時間がかかる。そういう側面だけ切り取ると、歳をとったことを理由にしたがる人ばかりなのだけれども、そうじゃなくて物事の扱いを、自分で複雑にして、自分にそれを課してしまっているのではないかな、と思うわけです。
 いい、悪いではなく。体調を崩したら「悪い」だけど、そこまではいっていない。ただ、生活上の負担はカミさんに寄ってしまっているので、それはやっぱりよくない。
 やらなきゃいかんことはあるけれども、もっと「やり方」「受け止め方」をシンプルに、一つ一つのことを丁寧にやっていきたい。

2025年5月11日日曜日

木澤千『雪の朝の約束』文芸社、2021年、Kindle版。

 これは、おそらくノンフィクションだろう。事実は小説より奇なり。木澤氏の生活には、家族との深い愛情と、それをきちんと守ってきた跡が感じられる。
 早逝された父親の最後となった一言「頼んだぞ、約束だ」という一言、そして母親からの「二人を頼むね」と、おそらくこの時には何気ない一言だったのだろうが、著者の記憶にずっと留まり続け、60年以上を経て母親が亡くなられた時に、その言葉の意味することを全うしたと実感をもったことが、小説を貫くモチーフとなっている。
 生まれ育った町の歴史、知人との付き合いと関わり、家族の関係、自分の生活、そして母親を介護する生活。いろんなことに押しつぶされそうになりながらも、そのたびに予期せぬ、決して大きくはないけれども、いろんな人の助けがあり、それでもうまくいかなくなりそうになったり、それにも助けが現れたり。決して楽でない、決して明るくない内容ではあるけれども、この話に含まれる感情は、人の生活そのものが表されていて、生々しい実感とともに伝わってくる思いが、行間の端々から読み取れました。静かに迫力がある読み物でした。

営みの総和は、言語表現の総和に非ず。

 そういえば、以前から「人の生活は煙のようなもの。制度は箱みたいなもの。」という表現でもって、対人支援の文脈における支援制度はそれをいくら足し算していったとしても、クライアントの生活の総和を満たすことはない、と言ってきた自分に気づいた。このことが、「言語表現によって、その伝えたい思いや思考をすべて表現できるわけではない」ということと接点があるような気がした。
 ここのところ、仕事でも書いて書いて読んで、読んで読んで書いて、ということを繰り返しているところがあり、その中でも「多分本質はここじゃないんだろうなぁ」と思いながら、ある言葉に言及して主張せねばならない場面もあり、なんというか、本当に本来の力の使い方じゃないよなぁという実感が生じて仕方がない。そもそも、私はそんなにできる人ではないので、ついていくのが精いっぱい、というか、着いていけているのかもわからないことが、そういうもやっとしたことであるから、なんとも言えない気持ちが湧きやすい。かたや、本質的な仕事が目の前に巨大な壁となって立ちはだかっているから、余計に焦りが生じてしまっている。あまり身体にはよろしくない。
 言葉によって表現しうることは、人の営みや思考・思いのほんの一部でしかなくて、それがゆえに何らかの感情によってそれらが刺激されている場合、言葉は形を変えてとめどなくあふれてくるものである。そのあふれているものに反応せざるを得ないという環境は、次から次へとあふれてくる湧き水を、器にとってどこかに移さないといけないような、そんな作業を彷彿とさせる。その移した先に(適切な)目標があるならば、それまではがんばろう、という考え方ができるかもしれないが、そうでないと途方もない作業を終わりなく続けなければならないということであり、これは考え物だ。本当はそれを生み出している感情や生活状況、思いや思考、こういったところをあらゆる方法で整理していかなきゃいけないのに。
 現業の時には、そういうことも知恵と行動とで、ある程度触れられる機会を作って、なんとかかんとかしようとしたり、そこに触れた上でクライアントの感情に働きかけて、本心はあきらめて次善の策に落ち着いてもらうような働きかけができたのに、今の事務職、法制度の範囲でやりとりしなければならないこの窮屈さは、今の仕事を続ける限り付きまとうものなのだろうと思う。それでいいところと、そうでないところがある、という(私にとって)当たり前に思えることを、当たり前と思ってもらえない人に、お互いが表出する言葉でのやりとりによってのみ主張し合う、というのは、何か世の中がよくなる方向に向かう一助となるのだろうか。

木下勝寿『チームX -ストーリーで学ぶ1年で実績を13倍にしたチームのつくり方』ダイヤモンド社、2023年、Audobook版。

 ストーリーという言葉で挑戦してみた一冊。ビジネス小説みたいなものをイメージしていたが、「事実は小説より奇なり」と言わんばかり、実話ストーリーでした。おそらく、著者がこの渦中にいる頃は、次から次へとやってくる課題難題に誠実に大胆に向き合って、悩んで切り抜けてきたからこそ生まれたストーリーであることを感じ取った。
 著者は北の達人コーポレーション代表取締役。自らが実績のあるプレイヤーであった経歴があったこと、組織を率いることの苦労と悩みなどを常に抱えつつ、会社を軌道に乗せてライジングしていった様子を、組織内のかなり突っ込んだ視点で紹介している。思いが共通言語にならないことのジレンマから、共通言語ができあがっていく過程、更に組織内にその「言葉」を通じて「思い」が浸透していく実感が示される。(評価するつもりはこれっぽっちもないが)生々しい言葉で綴るストーリーには、体系化しきれないほどの「思い」があふれており、経験を伝わる形に押し込めた感がある。木下氏には、語り切れないほどの思いと思考と経験が、まだまだたくさんあるのだろうと察する。他の著作にも期待である。
 月並みな感想かもしれないけれども、前例踏襲はあくまで踏み台であって、事業を創る、育てていくという局面においては、他と同じことをしていればいいかといえば、そうではなくて、あくまで目的を見据え、目的を適切にブレイクダウンした目標を一つずつクリアする。目標設定においては、その達成の先に必ず目的に近づくことができるものを掲げること。選択においては、データの収集は必要だが、予測を伴い選択にはデータのみから導かれる結論には要注意。一生懸命取り組むがゆえに視野が狭まっていることに気づきにくくなる状態には注意しつつ、いろんな見え方を大切にすること。議論を尽くして出てきた選択肢はABテスト(ランダム化比較実験)等を含めて検証することなど、基礎・基本の徹底が、結局はよりよい事業を生み出したり、事業がライジングしていく土台となることを、学ぶことができたように感じる。
 項目だけ拾っても、書籍を読まないとわかりそうで、わからないものであるが、要所の引用のみ。
○一瞬にして破滅へ導く「企業組織病」
1 職務定義の刷り込み誤認
2 お手本依存症
3 職務の矮小化現象
4 数字万能病
5 フォーマット過信病
○どん底からV字回復へ導く5つの「Xポイント」
1 KPI
2 教育の仕組み
3 共通言語化
4 タスク管理
5 風土

2025年5月3日土曜日

大地の恵みと植物間のコミュニケーション

 狭いながらも庭のある我が家にとって、この時期は複雑な気持ちになる。いわゆる「雑草」だ。むしってもむしっても、そんな私をあざ笑うかのように、毎日毎日株数を増やしている。昨日むしったエリアに、翌日新芽が生えているのを見ると、感心するとともに、途方にくれてしまう。雨上がりなど「人は無力だ」という言葉が頭に浮かんでくるほど、うぇーいという声が聞こえてくるような草たちから挨拶されているようで、ちょっと面白くなってくる。
 今年は、毎日朝散歩に出た後で、家に入る前5分くらいで部分部分の草むしりを行っている。おかげでぱっと見はそこそこ手の入った庭に見えるが、結構な作業量になっている。
 そんな最近の気づき。一部の自治体では駆除が周知されている「ナガミヒナゲシ」が、多分に漏れず近所にも生えている。明るいオレンジの丸っこい花を、ちょっと背を伸ばしてつけるもので、みなさんもどこかで見たことがあるかもしれない。我が家の庭にも2年ほど前に入り込んで駆除して今は平和であるけれども、自宅前の歩道にもちょくちょく生えてくるので、そちらも併せて見つけると抜いている。
 以前紹介した稲垣栄洋氏の本の中で、同じ植物でもそのエリアの状態によって花のつけ方が変わるという話があったことを思い出す。
 ナガミヒナゲシは茎をぐんと伸ばして、周囲の草花よりも高いところに花をつけるように見受けるのだけれども、群生し始めているそれらを抜くと、その次に生えてくる個体は、ずいぶん低く花をつけることが多い。これはむしった後の土壌の状態が反映されているように思えるのだけれども、不思議なもので、ほかの草花があってピンポイントで抜いた周囲に生えてくる次の個体も割と低く花をつけることが多いような気がするのですね。まぁ、これも土壌の状態が…ということで説明がつくのかもしれないけれども、これが意外と広い範囲で起こっている現象だということが、抜いては生えてくる繰り返しを通して感じられることなんですね。
 そこで先日「ヴォイニッチの科学書」を聞いていたら、知的生命体はなぜ人間だけなのか、という話題の中で「人間以外にもコミュニケーションをとっている生物はたくさんある。植物だって何かあるかも」みたいな話をしているのを聞いて、あぁ、こういうこともあるのかもな、と思った次第。ひょっとしたら、ナガミヒナゲシコミュニティの中で「あそこは今年、ヤバいおっさんがやたら抜いてくるぜ」という噂が広まっているかもしれません。
 そんな植物のすごさ、不思議に触れるこのごろです。

山本弘『詩羽のいる街』角川書店、2012年、Kindle版。

 まずは合掌。ご冥福をお祈り申し上げます。

 山本弘氏の小説は、読み始めまで時間がかかるのですが、読み始めると一気に読んでしまう。Iyokiyehaに響くフレーズが随所にあって、人と人とが「よく」関わりあう理想的な社会の一片を垣間見る感覚がじんわりと体に浸み込んでくるような、そんな気分になる。感動とか興奮ではなく、おだやかな気持ちがざわざわと湧き上がってくるような感じ。
 賀来野市で「お仕事」する詩羽という女性。その仕事はお金が仲立ちしない。人と人とがかかわりあうことによって、街を、社会を、世界をよくする、そんな仕事。人と人とをつなげ、あらゆる人が自分の「よさ」によって、街に、社会に、世界に貢献する。どんなに小さなとりくみだとしても、それらが確実に周りを「よく」していることを実感させる、その「触媒となっている」詩羽の仕事と、それに巻き込まれていく人たちの物語。
 こういう小説、大好きなんだよね。山本氏の小説に透けて見える現代社会への課題意識って、Iyokiyehaが感じたり考えたり、仕事や人間関係に組み込もうとしている「何か」に通じるものがあるような気がして、随所で「そうだ!そうだ!」と思いながら、ついつい引き込まれてしまう。眠くても、なぜか読めてしまう。寝る前に読むと、ついつい時間を忘れてしまう。そんな小説だった。
 いわゆるライトノベルに分類されるのだろうが、読み物としても(私にとっては)大変面白いし、世の中の見え方なんかは、上記のように考えさせられることが多い。この「詩羽」がとってもいいと思えたのは、シンプルな処方箋についての語りがあったこと。「(略)彼らは、正しい論理が理解できなかったんです。潰し合うんじゃなく協力し合う方が有利だってことを」(No.5,380)だから、協力し合うことを仕掛けている、ということが、それぞれの短編を貫いている本書のテーマだろう。一見、争ったり、競争したり、対立したりしているように見えて、結局は仲間と、他人と協力する、関わり合うことによって、妥協点や相互利益の地点を考えて調整していくことを詩羽は常に促し、仕掛けている。痛快でした。
 著者が他界されてしまったので、新しい作品を読むことができなくなってしまいましたが、これまでの著書を時々、ちょっと困った時に読んでみようと思います。私にとっては、『アイの物語』などと併せて、困った時のお悩み相談みたいな本たちです。

2025年4月20日日曜日

河谷禎昌著『最後の頭取 -北海道拓殖銀行破綻20年後の真実』ダイヤモンド社、2019年。

 人生の意味は、本人がどう感じてどう社会に位置づくのかを、いかに語るかによって、そこまでやって初めて、他人の評価の対象となる。
 当時、中学生~高校生だった自分は、北海道拓殖銀行の破綻について「テレビでやっていたな」というくらいしか覚えておらず、正直なところ自分には関係のない出来事として記憶していることだ。率直に踏み込んで加えるならば、それは今でも変わらない。自分の生活には全くと言っていいほど影響がない出来事だ。だからこを、素直に本著を手にとって読み進めることができた。
 もちろん、この出来事についても、事実と思惑が交錯しているのだろう。著者が本著で詳しく説明した上で、責任の所在に関する指摘もあった。ただ、いったんそれらを退けて読み進めた時には、本著はあるバンカーの奮戦記という側面が浮き彫りになる。事に関して10年以上、著者が職業人生を振り返りつつ、結果特別背任罪で実刑判決を受けて刑務所へ収監されたことを、20年沈黙した後に語る本著の内容は、そのすべてを理解して受け止められるようなものではないとはいえ、河谷氏の人生の重みというか、人生の先輩が語る職業人としての生き様のようなエネルギーが端々から発せられていることを感じた。
 そして、何よりもIyokiyehaをうならせたのが、結論として語る職業人として大切にしてきたという、ものすごいシンプルなこと(後述・引用)と、本論の中でもたびたび登場して河谷氏の精神的な支えであったという節子氏の存在と感謝だったということだ。きっと河谷氏の心中はいろんなことが渦巻いていた時期もあったのだろうが、それでも語りの結びとして「後輩を大切にすること」「家族への感謝」を挙げているのは、人生の先輩として最敬礼に値する姿勢だと思う。

■引用
107 (企業が大変な状況の時に、何とかして助けたいと思うか、どうしようもないと思うかがあるという前置きがあり)
 その違いを見分けるのに役立つのは、経営者の人柄や質にほかなりません。銀行マンにとって大切なのは「人を見る眼」だということをこの経験から学びました。
252 (節子氏の思い出から、ことあるごとに言われたという二つの言葉)
 「自分の信念に背き、上にへつらってまで出世する必要はないからね、子どももいないのだし、2人ならなんとでもやっていけるんだから」
 「外でどんなに偉くなっても威張るなよ。家に帰ってきたら、ただの人なんだからね。心得違いをするんでないよ。上にはへつらわないで、下の人を大事にするんだよ」
261 「動きすぎた」という後悔
 私の銀行員生活を振り返ると、本当に私のやってきたことが正しかったのか、あれでよかったのかと、自問自答することがあります。
 拓銀を何とか救おうと悪戦苦闘し、少し動きすぎたのではないか。(略・具体的な取り組み)このことが、かえって「そこまで拓銀の経営は苦しいのか」と世間に知らしめることになってしまったのではないか。結果的に拓銀の死期を早めてしまったのではないか。(略)
 「正解」はどこにもありません。(後略)
(こんな考え方があるのかと、素直に驚きました。とはいえ、信念に基づき、プライドを持って問題と向き合い続けた著者だからこそ至った思考なのだと思います)
268 私は銀行員生活のモットーとして「悪いことはしない」「意地悪はしない」という二つだけは、頑なに守ってきたつもりです。亡き妻の教えもあり、後輩の面倒も、できる限りみてきたつもりです。
(上記の通り、私には及びもつかないほど仕事をしてきた人が「動きすぎたのか?」と迷うほどの境地に至っている反面、具体的には本当に人として基本的なことを大切にしているのだと、Iyokiyehaの学びポイントでした)
274 (おわりに・日浦統氏より)時代の「転換期」という荒波に、私たちが巻き込まれてしまう可能性はますます強まっています。だからこそ、河谷さんの体験から浮き彫りになる教訓を学んでおきたいと思います。世論は時代によって大きく変わり、政治も行政もその影響を大きく受けること。昨日までの常識が一夜にして変わる時があること。社会や国家というバケモノは否応なく、個人に襲いかかることがあること。

2025年4月19日土曜日

最近思うこと びっくり朝活

 週末のトレーニングは、もう10年弱になる。最近は身体のこと(要は加齢ってやつです)も考えて、5km以上のジョグは週1~2回、ぶら下がりは中1日以上、木剣は毎日だけど重いものは週末だけ、という身体を気遣ったゆるいルールを適当に定めて汗をかくようにしている。これはこれでいいのですが、(自分にとって)結構なトレーニングを朝イチでやると、昼下がりはどうしても眠くなってしまうので、逆の発想で朝トレ前に、近所のコンビニでインプットの時間を作るようにした。これがなかなか都合がいい。
 喫茶店かコンビニか。継続のためには、コストを下げる必要があるので、だいたいコンビニのイートインでコーヒーを飲みながら30分程度、という取り組みなのだけれども、ここ数回同じ顔ぶれがあって、奥の2席であれやこれやと話をしながら新聞を読んでいる。「○○がきていますね」「▲▲もいいんじゃないですか?」「こないだ▲▲を見てきたけど、■■と同じだな」なんて会話。腹の中では「もう少し、声を小さくしてくれんかね」と思うのだけれども、こっちが少しがまんすればみんな円滑なので、こちらはこちらで集中する。
 で、それが数回あって今日判明したんだけど、「よし、今日は4番で流す」「第3レースが勝負ですね」「○○は芝がいいんですよね」と聞こえてきて「馬かーい?」と。さらに、「もう教案書いた?教頭から言われていて」とも聞こえてきて「教員?」と。別に先生だからどうってことはないんだけど、これまで複数回話が聞こえてきたのに、真相がつかめていなかったことに、びっくりと驚きがありました。

志駕晃『スマホを落としただけなのに 戦慄するメガロポリス』宝島社、Audiobook版。

 『スマホを落としただけなのに』『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』の続編。シリーズ第3作。内容はさらに大きく、東京五輪や朝鮮半島との関係など、国際的なスケースに物語は展開していく。さすがにここまでくると、小説としては面白いのだけれども、1作目に感じた「気持ち悪い・怖い」という新鮮な感覚は薄れてくる。エンターテインメントとしては面白い。
 が、しかし、Audiobook版に残念点。AI音声合成サービス「カタリテ」を使用しているとのことですが、これがホラー小説には合わないと感じた。もちろん、内容は伝わってくるし、AI音声合成もいい線いってるな、とは思うのですが、1作目、2作目のあの気持ち悪さ、や想像力を掻き立てて恐怖をあおってくるような描写が、すっきり片付けられてしまった。その意味でちょっと残念な点はあるけども、小説の内容としては面白いです。続きが気になる。

志駕晃『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』宝島社文庫、Audiobook版。

 先日感想をアップした『スマホを落としただけなのに』の続編。第一作がウライの人となりの描写をこれでもかこれでもかと畳みかけるようで、気持ち悪いやら怖いやら、帰宅時の夜道にはあまりそぐわない内容だったのですが、この第一作に負けず劣らずの怖さがありました。テーマが個々人から対組織へとシフトしているので、スケールの大きさが、ウライ本人の気持ち悪さを覆い隠しているようにも感じましたが、彼らを取り巻くほかの悪いヤツもまた怖い、気持ち悪い描写で、小説としては面白いのだけれども、現実との接点を感じると非常に怖い。スマホという電子機器をめぐる知略が飛び交うモチーフの中に、なんとも言えない人物描写がタイミングと鋭い内容で飛び込んでくる。続編にふさわしい内容でした。
(2025年3月25日アップ 志駕晃『スマホを落としただけなのに』)
https://iyokiyeha.blogspot.com/2025/03/audiobook_28.html