2025年5月3日土曜日

大地の恵みと植物間のコミュニケーション

 狭いながらも庭のある我が家にとって、この時期は複雑な気持ちになる。いわゆる「雑草」だ。むしってもむしっても、そんな私をあざ笑うかのように、毎日毎日株数を増やしている。昨日むしったエリアに、翌日新芽が生えているのを見ると、感心するとともに、途方にくれてしまう。雨上がりなど「人は無力だ」という言葉が頭に浮かんでくるほど、うぇーいという声が聞こえてくるような草たちから挨拶されているようで、ちょっと面白くなってくる。
 今年は、毎日朝散歩に出た後で、家に入る前5分くらいで部分部分の草むしりを行っている。おかげでぱっと見はそこそこ手の入った庭に見えるが、結構な作業量になっている。
 そんな最近の気づき。一部の自治体では駆除が周知されている「ナガミヒナゲシ」が、多分に漏れず近所にも生えている。明るいオレンジの丸っこい花を、ちょっと背を伸ばしてつけるもので、みなさんもどこかで見たことがあるかもしれない。我が家の庭にも2年ほど前に入り込んで駆除して今は平和であるけれども、自宅前の歩道にもちょくちょく生えてくるので、そちらも併せて見つけると抜いている。
 以前紹介した稲垣栄洋氏の本の中で、同じ植物でもそのエリアの状態によって花のつけ方が変わるという話があったことを思い出す。
 ナガミヒナゲシは茎をぐんと伸ばして、周囲の草花よりも高いところに花をつけるように見受けるのだけれども、群生し始めているそれらを抜くと、その次に生えてくる個体は、ずいぶん低く花をつけることが多い。これはむしった後の土壌の状態が反映されているように思えるのだけれども、不思議なもので、ほかの草花があってピンポイントで抜いた周囲に生えてくる次の個体も割と低く花をつけることが多いような気がするのですね。まぁ、これも土壌の状態が…ということで説明がつくのかもしれないけれども、これが意外と広い範囲で起こっている現象だということが、抜いては生えてくる繰り返しを通して感じられることなんですね。
 そこで先日「ヴォイニッチの科学書」を聞いていたら、知的生命体はなぜ人間だけなのか、という話題の中で「人間以外にもコミュニケーションをとっている生物はたくさんある。植物だって何かあるかも」みたいな話をしているのを聞いて、あぁ、こういうこともあるのかもな、と思った次第。ひょっとしたら、ナガミヒナゲシコミュニティの中で「あそこは今年、ヤバいおっさんがやたら抜いてくるぜ」という噂が広まっているかもしれません。
 そんな植物のすごさ、不思議に触れるこのごろです。

山本弘『詩羽のいる街』角川書店、2012年、Kindle版。

 まずは合掌。ご冥福をお祈り申し上げます。

 山本弘氏の小説は、読み始めまで時間がかかるのですが、読み始めると一気に読んでしまう。Iyokiyehaに響くフレーズが随所にあって、人と人とが「よく」関わりあう理想的な社会の一片を垣間見る感覚がじんわりと体に浸み込んでくるような、そんな気分になる。感動とか興奮ではなく、おだやかな気持ちがざわざわと湧き上がってくるような感じ。
 賀来野市で「お仕事」する詩羽という女性。その仕事はお金が仲立ちしない。人と人とがかかわりあうことによって、街を、社会を、世界をよくする、そんな仕事。人と人とをつなげ、あらゆる人が自分の「よさ」によって、街に、社会に、世界に貢献する。どんなに小さなとりくみだとしても、それらが確実に周りを「よく」していることを実感させる、その「触媒となっている」詩羽の仕事と、それに巻き込まれていく人たちの物語。
 こういう小説、大好きなんだよね。山本氏の小説に透けて見える現代社会への課題意識って、Iyokiyehaが感じたり考えたり、仕事や人間関係に組み込もうとしている「何か」に通じるものがあるような気がして、随所で「そうだ!そうだ!」と思いながら、ついつい引き込まれてしまう。眠くても、なぜか読めてしまう。寝る前に読むと、ついつい時間を忘れてしまう。そんな小説だった。
 いわゆるライトノベルに分類されるのだろうが、読み物としても(私にとっては)大変面白いし、世の中の見え方なんかは、上記のように考えさせられることが多い。この「詩羽」がとってもいいと思えたのは、シンプルな処方箋についての語りがあったこと。「(略)彼らは、正しい論理が理解できなかったんです。潰し合うんじゃなく協力し合う方が有利だってことを」(No.5,380)だから、協力し合うことを仕掛けている、ということが、それぞれの短編を貫いている本書のテーマだろう。一見、争ったり、競争したり、対立したりしているように見えて、結局は仲間と、他人と協力する、関わり合うことによって、妥協点や相互利益の地点を考えて調整していくことを詩羽は常に促し、仕掛けている。痛快でした。
 著者が他界されてしまったので、新しい作品を読むことができなくなってしまいましたが、これまでの著書を時々、ちょっと困った時に読んでみようと思います。私にとっては、『アイの物語』などと併せて、困った時のお悩み相談みたいな本たちです。

2025年4月20日日曜日

河谷禎昌著『最後の頭取 -北海道拓殖銀行破綻20年後の真実』ダイヤモンド社、2019年。

 人生の意味は、本人がどう感じてどう社会に位置づくのかを、いかに語るかによって、そこまでやって初めて、他人の評価の対象となる。
 当時、中学生~高校生だった自分は、北海道拓殖銀行の破綻について「テレビでやっていたな」というくらいしか覚えておらず、正直なところ自分には関係のない出来事として記憶していることだ。率直に踏み込んで加えるならば、それは今でも変わらない。自分の生活には全くと言っていいほど影響がない出来事だ。だからこを、素直に本著を手にとって読み進めることができた。
 もちろん、この出来事についても、事実と思惑が交錯しているのだろう。著者が本著で詳しく説明した上で、責任の所在に関する指摘もあった。ただ、いったんそれらを退けて読み進めた時には、本著はあるバンカーの奮戦記という側面が浮き彫りになる。事に関して10年以上、著者が職業人生を振り返りつつ、結果特別背任罪で実刑判決を受けて刑務所へ収監されたことを、20年沈黙した後に語る本著の内容は、そのすべてを理解して受け止められるようなものではないとはいえ、河谷氏の人生の重みというか、人生の先輩が語る職業人としての生き様のようなエネルギーが端々から発せられていることを感じた。
 そして、何よりもIyokiyehaをうならせたのが、結論として語る職業人として大切にしてきたという、ものすごいシンプルなこと(後述・引用)と、本論の中でもたびたび登場して河谷氏の精神的な支えであったという節子氏の存在と感謝だったということだ。きっと河谷氏の心中はいろんなことが渦巻いていた時期もあったのだろうが、それでも語りの結びとして「後輩を大切にすること」「家族への感謝」を挙げているのは、人生の先輩として最敬礼に値する姿勢だと思う。

■引用
107 (企業が大変な状況の時に、何とかして助けたいと思うか、どうしようもないと思うかがあるという前置きがあり)
 その違いを見分けるのに役立つのは、経営者の人柄や質にほかなりません。銀行マンにとって大切なのは「人を見る眼」だということをこの経験から学びました。
252 (節子氏の思い出から、ことあるごとに言われたという二つの言葉)
 「自分の信念に背き、上にへつらってまで出世する必要はないからね、子どももいないのだし、2人ならなんとでもやっていけるんだから」
 「外でどんなに偉くなっても威張るなよ。家に帰ってきたら、ただの人なんだからね。心得違いをするんでないよ。上にはへつらわないで、下の人を大事にするんだよ」
261 「動きすぎた」という後悔
 私の銀行員生活を振り返ると、本当に私のやってきたことが正しかったのか、あれでよかったのかと、自問自答することがあります。
 拓銀を何とか救おうと悪戦苦闘し、少し動きすぎたのではないか。(略・具体的な取り組み)このことが、かえって「そこまで拓銀の経営は苦しいのか」と世間に知らしめることになってしまったのではないか。結果的に拓銀の死期を早めてしまったのではないか。(略)
 「正解」はどこにもありません。(後略)
(こんな考え方があるのかと、素直に驚きました。とはいえ、信念に基づき、プライドを持って問題と向き合い続けた著者だからこそ至った思考なのだと思います)
268 私は銀行員生活のモットーとして「悪いことはしない」「意地悪はしない」という二つだけは、頑なに守ってきたつもりです。亡き妻の教えもあり、後輩の面倒も、できる限りみてきたつもりです。
(上記の通り、私には及びもつかないほど仕事をしてきた人が「動きすぎたのか?」と迷うほどの境地に至っている反面、具体的には本当に人として基本的なことを大切にしているのだと、Iyokiyehaの学びポイントでした)
274 (おわりに・日浦統氏より)時代の「転換期」という荒波に、私たちが巻き込まれてしまう可能性はますます強まっています。だからこそ、河谷さんの体験から浮き彫りになる教訓を学んでおきたいと思います。世論は時代によって大きく変わり、政治も行政もその影響を大きく受けること。昨日までの常識が一夜にして変わる時があること。社会や国家というバケモノは否応なく、個人に襲いかかることがあること。

2025年4月19日土曜日

最近思うこと びっくり朝活

 週末のトレーニングは、もう10年弱になる。最近は身体のこと(要は加齢ってやつです)も考えて、5km以上のジョグは週1~2回、ぶら下がりは中1日以上、木剣は毎日だけど重いものは週末だけ、という身体を気遣ったゆるいルールを適当に定めて汗をかくようにしている。これはこれでいいのですが、(自分にとって)結構なトレーニングを朝イチでやると、昼下がりはどうしても眠くなってしまうので、逆の発想で朝トレ前に、近所のコンビニでインプットの時間を作るようにした。これがなかなか都合がいい。
 喫茶店かコンビニか。継続のためには、コストを下げる必要があるので、だいたいコンビニのイートインでコーヒーを飲みながら30分程度、という取り組みなのだけれども、ここ数回同じ顔ぶれがあって、奥の2席であれやこれやと話をしながら新聞を読んでいる。「○○がきていますね」「▲▲もいいんじゃないですか?」「こないだ▲▲を見てきたけど、■■と同じだな」なんて会話。腹の中では「もう少し、声を小さくしてくれんかね」と思うのだけれども、こっちが少しがまんすればみんな円滑なので、こちらはこちらで集中する。
 で、それが数回あって今日判明したんだけど、「よし、今日は4番で流す」「第3レースが勝負ですね」「○○は芝がいいんですよね」と聞こえてきて「馬かーい?」と。さらに、「もう教案書いた?教頭から言われていて」とも聞こえてきて「教員?」と。別に先生だからどうってことはないんだけど、これまで複数回話が聞こえてきたのに、真相がつかめていなかったことに、びっくりと驚きがありました。

志駕晃『スマホを落としただけなのに 戦慄するメガロポリス』宝島社、Audiobook版。

 『スマホを落としただけなのに』『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』の続編。シリーズ第3作。内容はさらに大きく、東京五輪や朝鮮半島との関係など、国際的なスケースに物語は展開していく。さすがにここまでくると、小説としては面白いのだけれども、1作目に感じた「気持ち悪い・怖い」という新鮮な感覚は薄れてくる。エンターテインメントとしては面白い。
 が、しかし、Audiobook版に残念点。AI音声合成サービス「カタリテ」を使用しているとのことですが、これがホラー小説には合わないと感じた。もちろん、内容は伝わってくるし、AI音声合成もいい線いってるな、とは思うのですが、1作目、2作目のあの気持ち悪さ、や想像力を掻き立てて恐怖をあおってくるような描写が、すっきり片付けられてしまった。その意味でちょっと残念な点はあるけども、小説の内容としては面白いです。続きが気になる。

志駕晃『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』宝島社文庫、Audiobook版。

 先日感想をアップした『スマホを落としただけなのに』の続編。第一作がウライの人となりの描写をこれでもかこれでもかと畳みかけるようで、気持ち悪いやら怖いやら、帰宅時の夜道にはあまりそぐわない内容だったのですが、この第一作に負けず劣らずの怖さがありました。テーマが個々人から対組織へとシフトしているので、スケールの大きさが、ウライ本人の気持ち悪さを覆い隠しているようにも感じましたが、彼らを取り巻くほかの悪いヤツもまた怖い、気持ち悪い描写で、小説としては面白いのだけれども、現実との接点を感じると非常に怖い。スマホという電子機器をめぐる知略が飛び交うモチーフの中に、なんとも言えない人物描写がタイミングと鋭い内容で飛び込んでくる。続編にふさわしい内容でした。
(2025年3月25日アップ 志駕晃『スマホを落としただけなのに』)
https://iyokiyeha.blogspot.com/2025/03/audiobook_28.html

2025年4月5日土曜日

SNSって何だろうなって思う

 いろいろなアプリを使ってみて、結局IyokiyehaはLINEとFacebookしかアカウントを残していないのだけれども、動画広告なんかで流れてくるSNSってたくさんあるんだな、と思う。アンケートに答えていて「普段使っているアプリを教えてください」なんて質問に、選択肢として並んでいるSNS?っぽい名称の中には、以前アカウントを持っていたものから、広告で見たことがあるものや、名前も知らないものも含まれる。いろんな目的を共有する人たちが集まるコミュニティが、Webツールレベルでもたくさんあるのだな、と思う。
 仕事の中でも、広報ツールとしてSNSを、という話もある。確かにスマートフォンが浸透している世代への広報には、一定の効果があるように思えるのだけれども、一方で自分のようにWebツールに疎い人たちに、そういう情報が届かないのも一側面だと思う。
 デジタルネイティブじゃない私にとっては、SNS他、Webツールが増えれば増えるほど、情報量が増えることは認めるけれども、そういう情報が自分の生活を豊かにするのか?と問うたら、それはY/Nで答えられない質問なのだと思う。個人的にはNなので、余計に疑問を感じるのかもしれない。
 なんか、最近起こるいろんな人間関係を見ていて、みんなリアル社会とネット上の社会の行き来と、それらの空間に行われる人と人との関わりに疲れ切っているではないか?と感じてしまう。

2025年3月22日土曜日

Audiobookを中心に、最近聞いたり読んだりしたもの

○池田晶子『14歳の君へ -どう考えどう生きるか』毎日新聞出版、2006年。

○セルバンテス著、牛島信明訳『ドン・キホーテ(前編1)』岩波書店、Audiobook版。

○アレクサンドル・デュマ著、山内義雄訳『モンテ・クリスト伯〈1〉~〈2〉』岩波書店、Audiobook版。

○佐々木常夫『40歳を過ぎたら、働き方を変えなさい』文藝社、Audiobook版。

 自分でやろうとしない。チームを含め、人の力を借りて組み合わせられることが、成果を出す一つの在り方。

○ジェリー・ミンチントン著、弓場隆訳『うまくいっている人の考え方 完全版』ディスカヴァー・トゥエンティワン、Audiobook版。

 自分の気持ちに正直になること。周囲の意見をきちんと確認すること。余計なことまでは確定しないこと、ほとんどのことは、自らの思い込みが作り上げてしまう幻想。

○宮島未奈『婚活マエストロ』文藝春秋、Audiobook版。

○精神科医Tomy『精神科医Tomyの気にしない力 -たいていの心配は的外れよ』大和書房、Audiobook版

志駕晃『スマホを落としただけなのに』宝島社文庫、Audiobook版。

  映画化もされていたと記憶していますが、現代版ホラー小説として、すごい。身近なツールがこんな風に乗っ取られ(る可能性があっ)て強請られるんだな、と、そこは素直に怖かった。シリアルキラーの行動も不気味で怖いし、終盤のどんでん返し(というか「えーっ」と思わせられる種明かし、が更に気持ち悪さを重ねてくれます。聴いていて楽しいものではないのだけれども、とにかく興味をそそられる内容で、一気に聴き通してしまいました。こわいこわい。

辻村深月『かがみの孤城』ポプラ社、2017年、Kindle版。

  中学性が抱える悩みや、論理的には矛盾しているように見える感情の描写が、これでもかと明確に伝わってくる小説。

 中学生になってから、クラスメートから受けた過剰な働きかけがきっかけで不登校になってしまったこころ。突然輝きだした自宅の鏡に手を伸ばすと・・・そこには現実離れした城、そしてオオガミさま、様々な事情で学校に行きたくても行けない中学生達が集められて、物語は展開していきます。

 人との関わりを大切にしつつ、周りに流されず、自分を大切にする選択について考えさせられるとともに、仲間達の背景が明らかになってくると、思わぬ事実が見えてきて、みんなが戻る現実世界での生き方に、少しずつ変化が生じてくる。

 辻村さんの文章って、すごくわかりやすいだけじゃなくて、見えないものをそっと見える形にするというか、「なんでそんなことも表現できるの?」ということを、すっとわかりやすい言葉を沿えて置いてくる感じがあります。じゃあ、その内容が複雑怪奇なのか?というと、そうじゃなくて、身近な人がそう思っているかもしれない、そう考えているかも知れないような、表現をするとなると陳腐になるかわかりにくくなりそうなことを、非常にクリアに明確にしてくれる。で、物語だって、終盤にかけて、宝箱が次々と開いていくかのように、序盤から随所に置かれてきた伏線が、全て回収されていくような、読書スピードが前半と後半とで全然変わってくる感覚がありました。小説として、私好みだし、いろんな人に勧めたい、こどもたちにも勧めたい1冊でした。

岸見一郎『アドラー 人生を生き抜く心理学』NHK出版、Audiobook版

  アドラー心理学って「嫌われる勇気」が、もう10年くらい前に流行った時に知って、ベストセラーを読んだ程度で、身につけるまで読み込んでいない状態が続いているのだけれども、「原因ではなく、目的に着目する」姿勢は、援助業務の中でも使うことがある。原因思考でどうしようもないとき、一般的な原因思考から進めようとするときのツッコミに、視野を広げたり、突破口を探すのに、多分以前読んだ考え方って生きているのだと思う。

 本書は、アドラーの著書(訳書)の主な主張となる部分を抜粋して、その意味や実際の活かし方、みたいなことを解説している。アドラー研究で有名な岸見氏が、その膨大な知識を整理して語ってくれているので、ブームに成ったときに聞きかじったような、私程度の興味でも充分参考になる内容だと思うが、初習者だとこの内容には面食らうかもしれないな、と思って聴いていました。


神山理子(リコピン)『女子大生、オナホを売る。』実業之日本社、Audiobook版。

  書名と表紙イラストがキャッチーなこともあって、一時期話題になっていましたが、内容はマーケティングの実践書。Iyokiyehaは商売はしないのだけれども、市場調査をするときには「できる範囲で、聴き取りをおこなうこと」と、顕在しているニーズだけでなく、潜在ニーズを読み取る努力を怠らないよう、進めていくことが肝要だということ。値段の付け方一つをとっても、そこには考えがあり、手探りでやるわけではない。もちろん、そこで視野を外していたら、進退含めてふりかえっているし、確実なことと、はっきりしなくても仮説を必ず立てて、都度検証している。何かプロジェクトを進める時には、少なからず、こうした確認と検証をセットで行うことについて、イメージができていく。そういうことが響く人とはきちんとつながり、何かあれば相談する必要があるのだろう。


森功『地面師 -他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』講談社、Audiobook版。

 Netflixで話題になっていたドラマ『地面師たち』。第一話を見て、ハリソン(豊川悦司)の演技がすごすぎて、それに加えて、人が死ぬ描写がすごすぎて、万が一にも子どもには見せたくない、と判断し、そのままになってしまっているもの。多分、私はこのまま観ないんじゃないかな。

 原作というかモチーフとなっている本のようだけれども、その内容はルポルタージュのような、「地面師」と呼ばれる、戦後からその存在が見え隠れしている詐欺集団(チーム)の活動を調べ上げているもの。正直なところ、土地の売買に明るくない私にとっては、その内容の巧妙さは読み解けないのだけれども、とはいえ、いわゆる詐欺の内実を知るにつれ、その手腕というか人たらしの技能というか、そういうことについて見習いたくはないけれども、どのようにして学習したのか、身につけたのか、ということは気になる。相手を意のままに動かすには、やはり準備9割、現場1割なのだが、その1割の部分だって、自分のように法制度を根拠に戦えるわけではないなかで、どのように「成功」を収めているのか、そのてんについては本書では読み解けていないのか、取り上げられていないのか、測りかねるところはある。

 とはいえ、読んで(聴いて)いて、そんなに気分のいい内容ではない。しかしながら、日本における裏社会の一旦をのぞくことのできる一冊だと思う。


佐藤純『「雨ダルさん」の本 ー「雨の日、なんだか調子悪い」がスーッと消える』わかさ出版、2021年。

  Iyokiyehaはいわゆる偏頭痛持ちで、かれこれ30年以上の付き合いだったりする古参です。薬もいろいろ試しながら、働き始めてからはおそらく偏頭痛やその周辺の体調不良と付き合ってきた人です。そんな自分が、数年前から「天気痛」という言葉が聞こえるようになり、天気痛≒偏頭痛であるらしいことまで突き止めたところで、長女も似たような症状があるとかないとか。妻から参考に買って欲しいと頼まれ、私も読みたいと思っていたのだけれども、娘の書棚に埋もれてしばらく読めなかった一冊。

 とても具体的な対策と、説明が一般向け平易にまとめられており、今からできる対策が抱負に盛り込まれています。くるくる耳マッサージは、習慣化することを勧められてはいますが、ゆっくりじっくりやってみると、即効性も感じられ、何より心地いい。タオル体操もやっぱり気持ちがいい。ツボはぐりぐりじゃなくて、時々じんわりと刺激することによって効果的になる。いずれも耳付近を暖めて、血行を良くするためのものだというシンプルな理屈で考案されているので、いつでもどこでもできそうなものが紹介されているのがいい。

 早速、今日から試してみよう。


ちきりん『自分のアタマで考えよう!』ダイヤモンド社、Audiobook版。

  とっても基本的なこと。ある事象に対して安易に反応しないこと。背景を知ること、比べること、自分の頭で考えること、反対意見を知ること。あたりまえのことなんだけど、「これがいい」と思うと、ついつい視野が狭くなってしまうことを改めて自覚した。昨今は、そうした言説が、フィルターを通らずにWebにアップされてしまうから、そうしたものをいくつか読んで「分かった気になってしまう」のが、考えることをやめてしまう一助になっているようにも思う。

 もちろん、様々なことを横断的に考える、比べるためには確かな教養が必要となるため、そうした学習は常に必要なのだと思うが、何をどこまでやったら充分ということはない。今あるものに、とりあえず必要なものを取り入れて、とにかく常に考える、何らかの結論を出す、その結論を検証する、ということを不断に行うことが考え続けることなのだと、シンプルに確認できた本でした。