人をけなすことや、強い指摘を行うことって、その相手に不快な感情を抱かせるのだけれども、そうして感情が動いてしまった人が、理由はどうあれ反撃に転じた瞬間、主張の主と同じ土俵に立つことになってしまう。その理由が、たとえ「自分の身を守ること」だとしても、だ。真に自分の身を守るならば、一方的な刃に対し、捌いて無効化できれば優、刃が届かないところまで距離をとってそれを保つことができれば良、無視しきれれば可、といったところだろうか。「一矢報いる」「やられなければやられる」「これ以上やられる前にやっておく」みたいな、凡人の中にふと芽生えやすい感情は、それそのものが相手の刃の範囲内に取り込まれていくことになる。
それで、同じ土俵に乗ったら、あとは比較の思想が奔流とともにやってきて、あれがいい、これが欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しいと、どこぞの歌詞のように(あの歌は名曲です、本論とは関係なし)本来不必要なこと・ものに「必要」「大事」のレッテルを貼って、自分自身を煽り立ててくる。こういう構造があるように思えるこの頃。
あと、自分の中ではちょっと似たことで最近のトレンド、「悪意は防げない」。根拠がない、あるいはトンデモ話やデマというのは、「言ったもん勝ち」の側面が大きくて、自分の間違いをしくみの不備や不可能なことに転嫁してそれに関係する相手を責め立てる、というのが、ここのところ身の回りで起こっていることに共通する構造だと思う。ただ、その向こうで一貫しているのが、「間違えたのはあなた(方)のせい」「わたしはこう思っていた」「○○と読めてしまう」というあたりの感情と(屁)理屈だろう。言ったもん勝ち。
周囲の出来事を透かして、(限定的に私が見聞きする)世の中の言説を当てはめてみると、○○ファーストとか、■■優先とか、そんな言葉になって広がっていく。だいたい「日本人ファースト」ってどこに線引いて、何をしようとしているのだ?ヘイトや差別の発想がカウンターバートから提出されているけれども、それを追い風にしつつ、「あなた(方)の言う『日本人』って誰よ。どの範囲なの?Iyokiyehaさんは当てはまるのかい?」と問う。私の身近な知り合いにも、外国ルーツの方はたくさんいるし、その人たちに「日本人ファーストだから、あなたはダメよ」とは言えない。もちろんそれに一言「俺もいいのか知らんけど」とつけることになるが。そのくらいおかしなことが、(私にとっては見苦しい)動画になって政治にも広く影響を与えているのが、本当に「気持ち悪い」と思った最近です。
とはいっても、私の生活は変わらない(変えない)ようにしたいのだけれども。先日、ひょんなことで体験した「温活」が、身体によさそう。