なんかもう、いろいろありすぎてお腹いっぱいなんだけど、今年の夏を一言で言い表すと、もはや「暑い」としか浮かばない。語彙力のなさを露呈するようで嫌なんだけど、もう単純に「暑い」んだよね。暦じゃ「残暑」とか言うのだろうけど、30度超えちゃったら真夏だよね。着るものも変わらないし、汗かくし、意識して塩分とらないとぼーっとしてくるし。
こまごま書き溜めていた日記を一緒にするのもちょっと面倒なので、ざっくりこの夏を振り返ると、
・6月下旬から続く咳・たんの絡みはどうやら喘息らしい。
今までこんなこと言われたことがなかったのだけれども、どうやらアレルギー性の喘息があると疑うのが、一番しっくりくる病名とのこと。ビレーズトリエアロスフィアという薬が処方されて、服用(吸引)を始めたら症状がずいぶん軽減した、というのが決め手らしい。かかりつけ医→耳鼻科→呼吸器科ときて、診断が出るまでざっと2か月。身体のことだから、気を付けないとね。
・不可解なことが多い。Amazonの謎。焼肉店の話題。
私とAmazonさんとの関係はもはやカミさんよりも長いので、私はWebで買い物といえばだいたいAmazonさんを使うのだけれども、最近、新刊本を検索すると同じものがやたらと高い値をつけて複数出てくる。そういうことをしたくなる理由はわかるようでいて、そういう行動をする人のことは理解し難いのだけれども、あんまりいい商売じゃないような気がするんだよね。不可解つながりで、最近新聞でもWebニュースなんかでも目にする某焼肉屋さんのセールに対する指摘の内容が、よくわからないようでいて、統一の主張になっていないような気がして、やっぱりよくわからない。世代間ギャップなら少し冷静に立場を保たないと老害まっしぐらなので気を付けないといけないのだけれども、それも含めて不可解だ。
・ちょっと距離のある、身近な人の他界に、気分が揺らぐ。
カミさんが働いていた会社の社長で、私の後輩の知人という方が、急逝されたことを知る。また、息子が通う学校の生徒さんが亡くなられたお知らせを聞いたところ、私の師匠の幼馴染のお子さんだった、ということを知る。身近なところで人が亡くなられるというのは、なんとなく胸がざわざわするんだけど、少し距離があると余計に何もできない感が強く感じられたりする。不思議なものです。
・お稽古の時間を増やす。
合気道がもっとうまくなりたい、と前向きに考えるようになった。黒帯間近なのもあるけれども、多分、一生モノの趣味になりつつあるのだろう。生活の中の動作にいかに型を組み込んでいくか、という発想にたどり着く。木剣を振るときには、基本動作を組み込んでやってみるとか、身体の向きを変えるときに、腰の位置を確認してみるとか、そういうことの繰り返しって、身体動作の質を変えていくように思えるのですよね。私器用じゃないので、繰り返し繰り返しやらないと身につかないから。
今年は結局、地震のせいで帰省もできなかったのだけれども、その代わりといっては何だが、深谷の室内プールへ行ったり、次女のお友達と明治の工場見学へ行ったり、今年再開した合気道の合宿へ行ったりと、なかなか詰め込んだ夏になったようには思う。子供たち目線だとどうかはわからないけれども、仕事しながら、カミさんと合わせながら、だとこのくらいになっちゃうのかな。長期休みはそれぞれの生活リズムが変わるので、それに合わせるのは大変。私自身のリズムを変えないようにしたいけれども、周りが変わると細部が変わってくるので、なんだか落ち着かない。そういうことも高校生、中学生の運動部、となってくると起こりうることなんだよね。とはいえ、私は変わらないところは変わらないように、うまく合わせていく、を心掛けたい。