2025年10月14日火曜日

最近思うこと 251014

 今年の夏場は、仕事の中では「悪意」のことしか考えられなかったな。本当に、なんというか自分本位というか、相互理解を放棄して理解「できる/できない」ではなく「する/しない」のレベルで感情がぶつかりあうケースが散見されて、もうなんというかモチベーションがだだ下がるということばかり起こっていた。いや、今も継続しているのだけれども、さすがに呆れや諦めを一通り通り過ぎて、もはや「関わり合わない」ことを選択している自分がいる。これが福祉の現場で、今困っているその人を助けるためのやりとりであれば、もう少し変わったアプローチをするのだろうけれども(してきたのだけれども)、今の仕事で起こるのは「困っている」の意味がそれとは異なるように思う。すなわち、生活上のどうしようもない困りごとに対して「助けて」ではなくて、困りごとに自分の欲をのせて「どうにかしろ」が横行する。これは、(やりたくないけど)全面戦争の様相にしかならず、「どうしようもない、外れ論理で、反撃できない相手を責め立てる」側と、「背景が変わる中でやむを得ず守らざるを得ないことを守らないといけない」側との、不毛な言い争いが続くだけである。
 なるべく距離をとりつつ、うまく守って切り抜けるしかないのだな、と思うこの頃である。

 後ろ向きな話はここまでにして、生活自体の改善点。
 情報インプットのバランスを見直し続けている。もう少し活字からインプットしたいところであるが、もう少し割り切って聞く情報に頼ることを意識している。PODCAST、Voicy、ラジオあたりであるが、こうしたものに触れる時間を意識して増やしている。家事をしながらインプットできるいい習慣である。
 一方で、アウトプットはというと、書き捨ての日記を見直している。このBLOGの更新もがんばりたいところであるけれども、デバイス使用の時間を減らしている経緯もあり、手書きでちょっとした日記を続けている。寝る前のリラックスになるし、記録としていつまでも残るわけではないけれど、頭の中には残りやすい実感がある。
 で、上記を踏まえた学びについて、身体動作を組み合わせることの効能を改めて感じている。合気道のお稽古がとってもいい事例になっているのだけれども、もともと仏教分野では心身それぞれの修行は同格という考え方がある。頭だけではダメ、身体だけでもダメということである。双方のバランスをとることで昇華していくもの、と考えるのならば、私の合気道のお稽古にも通じるし、日々のトレーニングにもつながっていくものだと思います。少なくとも、朝のルーチンと歩き通勤とで、そこそこの運動量を保てている。
 改めて、「ゆっくり」読むことを味わっている。速読がいいと思い込んできたのだけれども、言葉にこめられてた意味を考えながら読む「熟読」のよさを、何十年かぶりに味わっているところである。