2025年10月14日火曜日

大人とはどんな人?

頭のいい人が、世の中に必要な人とは限らない。
ちょっと違和感あるよね。世の中作るには、頭がいい人は必要です。
じゃあ、頭がいい=勉強ができる+やるべきことをできる+他人を思いやることができる という分解してみたらどうだろう?
△勉強ができる人が、世の中に必要な人である。
○やるべきことをできる人が、世の中に必要な人である。
○他人を思いやることができる人が、世の中に必要な人である。
少し解像度があがってきたね。もっとやれば、もっと解像度はあがりそう。「頭がいい」という言葉は、使いやすいからよく使ってしまう。反対の意味を自分に当てはめて「自分バカだからさ」とかつなげると、なんだかそれっぽく聞こえるから不思議である。

ここのところ、そうしたことを感じ取る場面があって、表現だけ紹介すると、
「勉強ができる人が、世の中のためになるとは限らない」ときたから、思わず柏手。
そういうことなんです。目的を失った理屈っていうのは、ただの屁理屈であって、一つ一つは相手に詰め寄る刃になるのかもしれないけれども、全体で見たら大きいだけの鈍器みたいなもので、そんなに切れ味が鋭いわけじゃない。そんなものを振り回す理由が、相手に伝わらないとなると「…あなた、何やってんの?」ということになる。で、そんなことに付き合わされている人が、世の中のためになることができるか、というと、そんなことはないわけで。
仕事の流れを A→B→C→D→E(完了)と考えた時に、Aがたとえ必要なことであったとしても、Bでそれを無用なものにしてCに引き継いだとしたら、Cはその仕事を継続する限りC→D→Eと無用なものが流れていき、無用なアウトプットが生じることになる。流れの上流で無用なものを流したら、その下流は無用なものが流れていくだけで、だれかがそれをやめにしてやりなおさない限り、無駄なものがただただ生産されていく。
まぁ、iyokiyehaさんが、今その下流にいる感覚を受けているのであって、日々「自分の仕事が世の中のためになっているのか?」と自問しています。

大人って、物事を有用なまま飲み込んで次に渡すことができる人なのでしょうし、もちろん物事を理解する頭のよさは必要ですが、やるべきことを自信をもって進めていくことができるべきで、かつそういうことを周囲や対象の視点を活かして進められる人のことだと思うのだよね。「頭がいい」を成熟したといった意味で使っていた人たちは、このあたりで認識を改めた方がいい。時に勉強ができる人の中には、他の要素を失っていることに気づかないまま、受け止めたことを「自分本位」で塗り替えて次に放り投げる人がいる。そして、その場面で変容する人間関係があったり、以下の仕事がすべて世の中のためにならない仕事になってしまうことすらある。いいたいことばっかりやっているのは未熟な証拠、できるといって微妙なことをやってしまうのも未熟な証拠。本当の意味での大人は、納得いかないことも一度は腹に収められる人のこと、言わなきゃ気が済まないことも言わないようにできる人、言うべき時にきちんと相手に届くように言える人、そういう人なのだと思う。それができない内はまだまだ未熟・おこちゃまと言われるのだろうよ。