2026年4月25日土曜日

カタルシス

 話をすることで、気持ちが軽くなるということがあるのだと、改めて実感する機会があった。Iyokiyehaさんは職業カウンセラーを名乗っていたこともあり、カウンセリングの効能とか、その副次的効果なんかも一応元専門職として認識しているわけだけれども、自分がクライアントの立場として、誰かに話をすることで共感を得たり、認識が整理されたり、思考が深まったり、そして気持ちが随分楽になるということを実感する場があった。・・・大げさなものではなく、ただの飲酒の機会に酔い話をした、というだけなんですけどね。

 後輩から「Iyokiyehaさん、あっちのテーブルでお呼びです。酒持ってきてください」と誘われ、「Iyokiyehaさんに、今日は毒を吐き出してもらおうと思う。ほらどんどんゲロゲロしてよぉ~」と先輩から促されたことをきっかけに、蓋をしていたことを「まぁ、ありえん話ですよ・・・」とあれこれ話をしてしまった。この件、私は既に3年以上気にはしていて、継続している人間関係ではあるのだけども、立場もあるので、①今、関わっている人達の邪魔は絶対にしない、②後任の取組には口は出さない、相談があれば全力でフォローする、と決めていることもあり、昨年度からは基本的に沈黙を守っているつもりである。あと、これは個人的なスタンスの話だけれども、③自分に矛先が向いているだけなら、いくらでも耐えられる(というか、Iyokiyehaがつぶれない・屈しないのでエスカレートしているという分析はしている。相手にはいつか「相手が私だから大事にならないでよかったですね~」と言ってあげたい。意図は伝わらないだろうが)のですね。③があるから、①②を断行できてるのだとも思う。そんな話をしていたら、先輩から「いや、実は俺もさ・・・」と対象の方は立場的に関係ないはずの人にも、要らん関わりをしているエピソードがごろごろ・・・。いや、よくない、よくないよ。

 日本の雇用環境は、雇用される人が守られる決まりによって秩序が保たれている、という認識は間違っていないと思う。雇用者と被用者はどうしても力関係が生まれるから、被用者を保護する、という雇用法全体の理念は決してまちがってはいない。ただそれは、人と人との「あたりまえ」の関わり(←これが人によって異なる、というのが判断を難しくしているのだが)があって初めて成り立っているのであって、そうでない人はアウトロー(法外)認定して放出することって、職場秩序を守る上では間違っていないと思う。ただ、それは被用者の権利を減じるのではなく、雇用者の責任を担保した上で初めて言えることであると思うので、その実現、法令整備はまだまだ先のことになるのでしょうが。だって、雇用者にもしょうもない人達が残念ながら複数存することを知っているので。

 結局、法令というのは、それを使う人が息を吹き込むことによって初めて理念に基づく使い方ができるのだと思います。Iyokihehaのこの認識は、障害者雇用促進法を武器にしていた20年前からほとんど変わっておらず、その武器が、障害者総合支援法、児童福祉法、子ども・子育て支援法に移り変わっても、根幹はぶれていないと思います。それを使う私の側が日々変化しているので、吹き込む息は時々チェックしておかないといけないんですけどね。

 話を戻しますね。カタルシス(浄化とか訳される※)。昨晩、お酒の力を借りて重い蓋を開けたことにより、実は俺も・・・、そういえば私も・・・がポロポロと場に出てきて、その場はほんと毒のゲロゲロではあったのですが、どこかしら笑い飛ばした上、上の日本の雇用について考えるきっかけにつながった事実もあり、私にとってはとても有益でした。ここでまた蓋をして過ごすわけだけれども、中身が詰まっていた状態から、余裕がある状態へ。私の気持ちもずっと楽になったし、似たような認識の人が、何をするわけではなくても、私の味方でいてくれる感覚というのは、何よりも心強いものです。

 Iyokiyehaの勝者の定義は「最後まで立っているやつ」ですから、こんなことでは折れずにやっていけるのだろうと思います。その方が職場を出るまで折れないでいてやろうと思います。仕事はそんなにできなくても、私、頑固ですから。残念でした、相手が悪いんですよ。


※ カタルシス 辞書的には「(略)2 精神分析で、抑圧された感情や体験を言葉や行動として外部に表出して、心の緊張を解消すること。3心の中に解消されないで残っていたある気持ちが、何かをきっかけにして一気に取り除かれること」(大辞林)カウンセリング用語で、クライアントが話をして気が楽になるようなことを指してつかう。