2026年3月1日日曜日

映画と梅蘭@エミテラス所沢

「ドラえもん 新・のび太の海底奇岩城」先日公開の映画です。昭和時代の長編ドラえもんにもあった作品だよね。コミックスで持っていたから、多分100回以上読んでいると思います。小5の娘が「行きたい」と言い、まだ父と行ってくれるようなので、さっそくエミテラス所沢の映画館へ。

泣くだろうな、泣いちゃうだろうな、あぁやっぱり泣けてきた、というアラフィフ男子の目に涙がたまってしまう物語。長編ドラえもんはパターンなので、俯瞰して観たらそんなに大差はないのだけれども。シリーズ全体でも、泣きポイントってこれと小宇宙のお別れシーンくらいなんだけど、ドラえもんは時々こういうのがある。とはいえ、現代に合わせた描写は楽しく観ることができました。バギーちゃんの人工知能は、昨今のAIチャットに寄せていたよね、今のこどもたちには身近なものとして理解できるんじゃないかな。

昼食は、建物内フードコートの内「梅蘭」をチョイス。炒飯好きな娘ですが、ここのフードコートに来ると、お手軽なこともあり、いつも丸亀製麺なので、ちょっといいものを。私は名物のあんかけ焼きそば(写真)。ここのお店はチェーン店ですが、どれも丁寧になかなかおいしい。値段を考えたらとても良心的なお店だと思う。中華料理だから人をあまり選ばないし、なんなら一品料理をつまみながら一杯、なんて使い方もできそうないい店です。娘も炒飯は満足なようで、炒飯ランキングとしては割と上位につけている模様。

ポイ活卒業とインターネット

 「歩くだけでポイントがたまる」といった類のアプリが数多く公開されている。動画広告にもいろいろ出てくる。Iyokiyehaは、徒歩通勤で休日も歩くことが多く、週末はジョギングとか出ているので、このキャッチコピーにはひかれた。数年前は数か月で区切りがきて、数百円から1000円分くらいの金券が入手できたので、複数のアプリをインストールしていろいろ試してみた。
 位置情報が動くとバッテリーの消費が激しいとか、データ通信が勝手に使われているようなものもあった。明らかに★5評価が怪しいものもあった。その中である程度バランスがとれたものをいくつか使ってきたのだが、時間が経つにつれ、動画広告の数が増加し、入手できるポイントも相対的に減少傾向にあることがじわじわと分かってきた。
 これは2つの点で面白くない。一つは、単純に「歩くだけでポイントがたまる」が誇大広告と感じられること、もう一つは可能性の広がるはずのインターネットの世界に、余計なコンテンツが増えているということへの不満だ。前者は、単に「だけで」が嘘だってことで、正確には「歩くことで、視聴すればポイントが付与される動画コンテンツを表示できる権利がもらえますよ」ということ。わらしべ長者・風が吹けば桶屋が儲かるのごとく、きっかけと結果の間に手順があることを隠している広告だっていうこと。とはいえ、還元率と消費時間にバランスのとれているものがいくつかあるので、そういうものを使えばよろしい。ただ、もう一つ後者の不満の方が私にとっては重大で、これは地味に世界中の問題なんじゃないの?ってこと。
 日本は少子化が叫ばれているけれども、世界中で見たら人口は爆発しているわけで、増えすぎた人がどうなるのか、食料問題とか、ってことが言われて久しい。いわばそれに似たことで、インターネットの世界全体のメモリの総量の中に占める動画とか広告の占める割合が、形を超えて様々であるものの、基本的には増加傾向にあるような気がするんです。そうなると、本来便利なツールであったはずなのに、ゴミだらけになって身動き取れなくなっている人のように、インターネットの様相が「窮屈感」として見えてくる。この手の広告は、響く人には響く(だろう)ものなので、「私にとって不要=世の中にとって不要」ではないのだけれども、とはいえ、機械がスパム認定する何かとか、ちゃんと注意を向けてみると不愉快になる類の広告や、「これ面白いから!」と言われて見てみて「…(よくわからんし、何が面白いのかわからんし、誰に響くのかもわからん)」となってしまうものなんかを整理(例えば削除)したら、きっとインターネットの世界はもう少し余裕と可能性が見えてくる電子空間になるんじゃないのかな、と思うのです。
 そんな中で起きた、ポイ活整理(これでほぼ卒業かな)でした。主力だったものはこれで卒業。ごく一部、私にとってまだ有益なものは残すので、その手の広告が目に入らなくなるわけではないですが、まぁ数分/日の削減にはなりそうなので、チリ積でそのまま読書に充てようかと思っています。

教祖様化論

 自分にとって有用な話をしてくれる人であっても、何かちょっとした言動で急に冷めてしまうことがある。理由はおそらくいくつかあるのだろうけれども、最近になって一つの形はある程度見えてきた。それを「教祖様化」と命名して整理してみる。
 あくまで主観であるが、いくつかの事例をつなぎ合わせてみると、いくつかの特徴がある。
1 自分の成功ケースを愛でて根拠とし、行動変容を促してくる
2 技能ではないのに「誰でもできる」と迫ってくる
3 根拠となるケースに背景情報がない
4 やらないことのリスクを煽ってくる
5 聴き手の都合をほぼ無視して、一方的な主張を繰り返す
 こんな感じで寄ってきたら要注意、というものです。
 私が急に冷めたように、ともすると、これは特徴を整理して学びながら、私Iyokiyehaがやっちゃいけない行動のリストにもなりうるので、折に触れて確認していきたい。
 そもそも、「成功から学ぶ」ということ、それ自体に再現性・信頼性があるとは思えないが、動画広告がはびこる昨今では、どうにもこの手のものが多いような気がする。いや、従来メディアでも広告はこんなものだったのだろうか。
 上記のような態度の表明を、初めましてから行う人はただの教祖様かその予備軍である。この手の人を察知した場合、Iyokiyehaさんは大体人との距離をとってしまうので、あまり問題にならないのだけれども、音声コンテンツを多用するようになって、やはり顔の見えない関係が増えたことによる弊害なのだろうか、それまで働いていたセンサーが機能せず、継続して情報に触れていたら、いつの間にか上記のような態度になっていた!というものが怖い。これを「教祖様化」とするものである。
 自分にとって有用な情報を発信してくれた人だったのに、Iyokiyehaが「これはないだろう」と思う人のコンテンツを、「これは一見の価値あり!」とか宣伝してきたり、「俺もそうだったから、○○すればいい」と押し付けてくる発言が次から次へとでてくるようになる。不思議なもので、そうなってくると自然と上記1~5のような言動が増えてくる。そうなると「教祖様化」である。課金は止めて、フォローも解除する。今や、私のルーチン化したコンテンツはそういう状況をともにくぐり抜けてきた先鋭達で占められている。