2021年3月17日水曜日

伝える力3人の奮闘 毎日新聞 210309

 越智貴雄 パラスポーツからの贈り物伝える力3人の奮闘

NHKは、2017年に、東京パラニンピックに向けて障害のある人を対象にしたリポーターの公募を実施し、3人を採用した。障害のある人を、リポーターとして採用したのは初めて。聴覚障害のある後藤さんは、ナレーションにおける「抑揚」に気づく。以後、アナウンサーの発生を研究し、言語聴覚士とも相談し、抑揚の訓練を重ねて伝える力を高めている。脳性まひのある千葉さんは、緊張に伴い生じる不随意運動に悩んだ。しかし、「自分の手足ではなく、別人格だと思う」ことにより、あまり気にならなくなったとのこと。身体機能維持のために、リハビリを継続し、ジムに通い体幹を鍛え、今ではボールを投げられるようになった。生まれつき、左手の指が2本の三上さんは、自分の障害や思いをWebで発信している。

https://mainichi.jp/articles/20210309/ddm/035/050/005000c


障害の特性によって、技術的に不利になってしまうこともある。しかし、その特性を受け入れ、更なる高みに挑戦する姿には、今後も注目していきたい。

https://sports.nhk.or.jp/paralympic/article/reporter/20200331-mikami/

(三上大進と7本の指)

在宅介護従事者優先接種対象に 毎日新聞 210304

 在宅介護従事者優先接種対象に令和3年3月4日 毎日新聞2面(総合)

厚生労働省は、在宅サービスに携わる従事者に関し、自治体の判断で、新型コロナウイルスワクチンを優先接種できるようにする方針を固めました。

https://mainichi.jp/articles/20210304/ddm/002/040/030000c


優先枠をつくると、他の人たちは後回しになるわけだから、慎重な検討をしてほしいところですが、「在宅要介護者が感染した場合でも事業者が対応することができる」ということを理由にしています。感染者が在宅療養を余儀なくなれる、というのは、様々な報道で見聞きするのだけど、それも実態だ。要支援者が感染した場合でも、その人が生活を維持できるように、ということなんですが、この点はきちんと説明しておいた方がいいよね。認識が一致していないと「お前らワクチン打ってるんだから、いつも通りやってくれ」ということになりかねない。

精神患者6割転院できず 毎日新聞 210303

 毎日新聞 2021年3月3日23面(総合・社会)

「精神患者6割転院できず 『対応困難』で敬遠、死亡例も」


日本精神科病院協会(日精協)は、新型コロナウイルスの感染が確認された患者 1012人のうち、6割以上が、コロナ治療のための転院ができなかったとする調査 を発表しました。転院ができなかった理由として、精神疾患の患者対応は難しい とのイメージから一般病院が受け入れを拒否する傾向があることを指摘しています。


https://mainichi.jp/articles/20210303/ddm/012/040/092000c


ただでさえコロナ治療を理由とした転院は難しいのに、その上精神疾患まで…と いうイメージなのでしょう。実際のところ、いろんな人がいるわけですから、この6割の中には「適切な治療が受けられるのに、受けられない人」が含まれているものと推察されます。「クラスターを抱えながら籠城を余儀なくされている精神科病院が増えている」というのが、厳しい現状を突き付けているように思いました。

新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点があるから明るみに出たことのようにも感じます。要は、普段から精神障害者の入院に関して、いわゆる「一般病棟 (≠精神科)」での受け入れが難しい現実を目の当たりにします。「二度と連れてこないでくれ」とか言われる場面に出くわすこともあります。その人が何を やったか知ることも知らないこともあるわけで、ただわがまま言って暴れたならやむを得ないけれども、障害の症状として出た行動を否定するということは、医 療の本旨からは外れるんじゃないかとも思うわけです。もちろん、病院だって一事業所であり、その人の対応によって他の人の対応がおろそかになってしまうとかいう事情があるならば、ある程度そのかかわりを制限することはやむをえないと思うのだけれども、そうではない「ただ対応が大変だから」という理由で受け入れ拒否するというのには、やはり違和感があります。もちろん、患者さんは患者さんで、医学的に理由がある指示には従う必要はありますよ。

医療現場の逼迫、どこも大変忙しい、というのはよくわかります。ただ、それとこれとはちょっと別に考えなきゃいけないんじゃないかな、人の健康、そして生死にかかわることだから。

眼球使用困難症候群 支援を 毎日新聞 210302

 毎日新聞 2021年3月2日15面(くらしナビ)


光のまぶしさや頭痛などで目が開けられず、暗闇の中での生活を強いられている「眼球使用困難症候群」と診断された人達の生活を追う記事です。

医学的にはほとんど認知されておらず、脳の機能障害が原因とみられ、眼球や視力には問題がないため、障害認定されていません。

さらに難病指定も未だされていないため、公的支援が受けられないのが現状です。


https://mainichi.jp/articles/20210302/ddm/013/100/007000c


これは以前テレビの特集で何気に見て知った病気?症候群ですが、光を感じるとひどい目の痛みや頭痛、息苦しさや動悸が生じるなどの症状があるものとされています。

自宅でも光が入り込まないように窓に段ボールを貼りつけるなどの生活を余儀なくされており、外にも出られなくなるので、仕事も辞めざるを得なくなる、買い物にも出られないといった生活上の困難に直結するものと言われています。

脳の機能異常って本当に何でもありだなぁ、と圧倒的なすごさと怖さを同時に感じるとともに、診断基準などが整理されて早期に難病指定されることを願います。原因不明の症状によって社会生活困難が生じてしまう事態は、公的扶助によって何とか支えられるしくみになってほしいと切に願うところです。


参考

NHK視覚障害ナビ・ラジオ

2020年11月22日放送

「眼球使用困難症を知っていますか?」

https://www.nhk.or.jp/heart-net/shikaku/list/detail.html?id=47255#contents

2021年3月6日土曜日

常用漢字表への「碍(がい)」追加見送り 毎日新聞 210227

 毎日新聞2021年2月27日29面(総合・社会)


 文化審議会国語分科会(文化庁に設置された、文部科学大臣または文化庁長官の諮問機関)の小委員会は、「碍」の字を常用漢字表への追加を見送るべきだとの見解をまとめました。その理由として、追加を要するような使用頻度の高まりや広がりが生じているとは判断できない、という整理をしています。


https://mainichi.jp/articles/20210227/ddm/012/040/113000c


 地方自治体によっても対応は様々です。いろいろな考え方があると思いますが、「あえて『害』の字を使う理由としてあげられるのは、

1 障害は個人ではなく社会にあるとする考え方

2 「碍」の字の意味は「さまたげる」。そんなにいい意味とはいえない

3 「障」も良い意味ではない

4 平仮名にしたところで意味や業務は変わらない

5 表記の違いで混乱を招かないよう国の文書(法律等)に準拠する

とする見方もあります。

 地方自治体の感覚としては、4,5あたりが妥当なんでしょうが、1が本質的な意味ですね。2,3は「碍」推進の立場の人にとっては論の衝突部分かと思います。

 イメージの問題は大きいのでしょうが、「害」の字が世の中に与える悪い影響というのは計測が困難なので、対応に苦慮するところです。啓発とも関連しそうです。


文化審議会

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/about/


「生きたい」かなえて 毎日新聞 210227

  長野市内で一人暮らしをしているALS患者が、自治体に重度訪問介護の利用を求めるが、その支給決定ができないとの判断をされたことに対する意見と取り組みに関する連載です。結論としては、自治体が重度訪問看護24時間の支給決定を認めたことで、裁判は終結しています。


https://mainichi.jp/articles/20210227/ddm/012/040/140000c

(「生きたい」かなえて 公助願うALS患者門前払い)


  自治体が支給決定を認めなかった理由として<福祉の考え方の基本は「自助」→「共助」→「公助」です>という論については 、違和感があります。自治体のこの主張には、自助・共助・公助が同一線上に並んだ概念としてとらえ、「足りないなら公助へ」という意思が透けてみえます。この立場にあれば、「自分や周囲ががんばってなんとかなるなら、法定サービスの支給決定はしないよ」というのは妥当な考え方にも見えてくる。しかしながら、「法定サービス使う前に、自分でなんとかしてね、家族やご近所さんに助けてもらってね。何とか助けてもらってね」というのは福祉の本旨に合致するのだろうかという疑問が生じる。

 自助・共助・公助の考え方は、それぞれのサービス(や支援)の形式を表しているのであって、それぞれは重なる部分がありながらも、その対象や内容は大きく異なる、というのが個人的な見解です。守備範囲が違う、その内容も違う。ただし、公助としての福祉サービス(法定含む)はこの部分はしっかりやるよ、制度的にはこれらの組み合わせで、生活の維持はできるようになっているよ、というものだと思います。この事例であれば、地域の事情で「介護者がいないから、サービス利用は少し待って」はあったとしても、「支給決定しない(サービス使えないよ)」は妥当ではないと思います。実際の現場ではもっといろんなやりとりがあったのだろうとも察しますが。

2021年2月21日日曜日

佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』Kindle版。

 シリーズで通読した。おそらく15年ぶりくらいだろう。学生の頃に読んでいたのを思い出す。

(第1シリーズ 9巻(精神科編)より)

「弱くてかわいそうな患者達を、正義の味方の自分が守ってあげている。この感覚が差別といわれるものです」(No.111)

「守ろうとしている。これもある意味差別です」(No.114)

・守る意識が差別というなら、自分が仕事でやっていることは何なのだろうか。この引用を考慮すれば「差別」となる。スポイル、強制、依存、様々な感情の中でも、現場にいて「ふさわしくない」ものがあるのは分かっているつもりなのだけれども、「これでいい」と思った瞬間iに差別意識は入り込んでくる。

・だからといって、完全な自己否定は何も生み出さないし、純化した理論が現場の行動の妨げになることも、感覚レベルでは分かっている。

・おそらく、対人援助業務を続ける限り、ずっと付きまとう理屈だけれども、おそらく入り込んでくる差別意識に絡めとられないようにするためには、絶えず「~かもしれない」と考えることなのかと思う。考え続けて思考や行動が止まらないよう、自己矛盾を抱えながら行動し、考え続けることしかないように思う。

2021年2月20日土曜日

立場が変わると見えてしまうもの

 「しがらみ」って言葉があります。「いろいろなしがらみがあって…」と使いますが、調べてみたら、水流をせき止めるための柵のことなんですね。

しがらみ【柵】

1 水流を塞きとめるために杭を打ちならべて、これに竹や木を渡したもの。

2 転じて、柵(さく)。また、せきとめるもの。まといつくもの。

とあります。(広辞苑)

 人間関係につかう、冒頭の用例は辞書の2の意味の中でも、「望んでいなくても、まとわりついてくる」イメージで使っているということができます。

 人間関係って制御しきれないものですが、自分の立場が変わるとそれに伴っていろいろな人的環境の変化が生まれます。この内、自分の利益になる(と思える)関係を「人脈」、そうではなく面倒な、うっとおしいなど、不利益と位置づく関係を「しがらみ」などと言うのであれば、整理できるでしょう。

 さて、現実に目を向けてみると、Iyokiyehaは現在の職場の他にいくつかの人間関係があります。そのほとんどは上記「人脈」になっているのですが、ある立場関係で、自分の思いもよらない関わりが生じてくることがあります。「いやぁ、最近いろんなしがらみがあってさ」って感じです。漏れ聞こえてくることとすれば、地元の名士が私のある立場に関して「ご意見・ご質問」してくるとか、現状活動がまわりまわって全く事実無根の噂として「ご指摘」が入ってくる。なるほど、なかなか面倒だ。

 これまでの職場は、よくも悪くも理詰めが通用する社会が主流だったのだけれども、このいわゆる「よくわからない働きかけ」については、しょっぱなから殴り掛かられるような雰囲気で、何が偉いかわからないマウンティングを仕掛けられるので、慎重に距離をとっているのですが、相手が全く見えない(発信源が分からない)というのは、なんだか不気味ですね。まぁ、ご指摘の寄って立つ背景が全く事実無根なので、とりあえずは全く怖くないのだけれども、こんなやりとりがまかり通る社会を作り出してしまっている人達の思考が読めないので、なんだか面倒だなぁというのが本音です。事業の主旨ではなく、あくまで感情論の土俵で勝負されるのは、仕事だけで十分お腹いっぱいなんだけど、って感じで食傷気味なこの頃です。

 これって、しがらみ、でいいよね。

2021年2月13日土曜日

資料の共有

これまでに作成した資料等で、共有できるもの(公開されているもの、資料として提供しても問題ない加工を施したもの、もしくは私的なもの)を少しずつアップしていきます。ラベル「共有資料」で、この投稿にジャンプできます。リンクをクリックすると、資料閲覧・ダウンロード(ほとんどPDF)ができます。

○2020年4月23日(2020年5月6日、10日版に更新)
 職場で研修プロジェクトを立ち上げたのはいいのだけれども、コロナ騒ぎで集合研修がやりにくくなっています。悶々としながら、思いつきを形にしてみました。自動スライドショーにトークエディタ(CeVIOプロジェクト「さとうささら」)で作った講義音声を自動再生するようにしたもの。採用されたとしても、お蔵入りになったとしても、個人的には面白い成果物になりました。手ごたえがあるので、一部改変してアップします。好評なら第2弾があるかも。リンク先(Web上)だと組み込んだささらちゃんの音声(「普通」Ver.)が起動せず、スライドの閲覧だけになっちゃうので、お手数ですがリンク先ファイルをダウンロードして、スライドショーファイルとしてPowerPointがインストールされている端末で試してみてください。5月10日追記:なぜか全自動のプレゼンにこだわっていましたが、スライド切り替えは手動の方が便利だと思うので、手動版に調整しました。キーボードの↓キーで進めてください。
 研修資料 エピソード1 身体障害編
      エピソード2 知的障害編
      エピソード3 総合支援法編

○2020年3月5日
 プレゼンとかグループワークの心構え
 職場でプレゼンとかグループワークについて意見交換するのに雑感として吐き出したメモ。15分くらいで書き出したものなので、何のまとまりも根拠もないメモなのだけれども、なかなか面白いメモになったので、備忘録としてアップ。今後磨いていきたいもの。
 心構え(ドラフト)

○2020年1月25日
 北多摩北部地域 高次脳機能障害者支援ネットワーク協議会 主催
 市民交流事業「社会参加への道 ~高次脳機能障害を持った自分だからできること~」
 @まろにえホール(東久留米市立生涯学習センター)
 チラシ
 基調講演配布資料
 令和2年1月26日読売新聞多摩版朝刊26面
 業務外で基調講演なんかやってしまった。
 15年続いている市民交流事業に登壇させていただいた貴重な機会でした。私の講演内容はさておき、第2部のパネルディスカッションが秀逸でした。

○2017年
 今の職場で受験者のためにメッセージを書いてくれと言われ、原稿書いて作ってもらったもの。イラストレーターの仕事ってすごいな。パソコン環境によっては文字化けするかも。内容は「前職の仕事が漏れている」と評価されました。
 先輩メッセージ

○2016年
 日本職業リハビリテーション学会第44回大会京都大会プログラム・抄録集、124-125ページ。
 「精神障害者の雇い入れにおける事業所への支援プロセスの検討」
 本当はこの研究、完成させたいんだけどね。仕事が変わってしまい、障害者雇用の現場から離れて関われなくなっていることから、無期限中断です。興味がある方おられれば、共同研究者にきちんと紹介しますよ。

○2015年12月6日
 特定非営利活動法人 東京高次脳機能障害協議会(TKK) 主催
 高次脳機能障害実践的アプローチ講習会 第3回講習会
 @東京慈恵会医科大学 西新橋校
 講義3「高次脳機能障害者に対する就労支援」
 前職で最大規模の講師経験はこれです。今でも私の実名をGoogleで検索すると、この講習会の講師として登壇したことを全国各地で紹介されているものがヒットする。2020年の基調講演の時には、事務局が私のことをインターネットで調べて「各地で高次脳機能障害の講演をしているのですね」と勘違いされたという裏話がある。

○2015年10月
 伊藤郁乃、大塚麻里子、内田裕子、新藤直子、柳澤朋秀「医療・職業リハビリテーションのシームレスな介入により就労に至った高次脳機能障害の1症例」『医療 Vol.69』国立医療学会、2015年10月、438~442ページ。
 「医療・職業リハビリテーションのシームレスな介入により就労に至った高次脳機能障害の1症例」
 2020年1月25日の市民交流事業の基調講演につながる、2015年の市民交流事業のシンポジウムの事例について、一緒に登壇した先生方が専門雑誌に事例報告したもの。

○2015年
 日本職業リハビリテーション学会第43回大会東京大会プログラム・発表論文集、168-169ページ。
 「障害者雇用における事業所の取り組み状況の検討」

○2014年
 日本職業リハビリテーション学会第42回大会岩手大会プログラム・発表論文集、122-123ページ(共著)。
 「事業所の障害者雇用の取り組み状況に関する調査」
 2014年から2016年にかけて取り組んだ、業務外のこの研究は楽しかった。ものすごい勉強になったし、心の底から楽しかった。ただ、論文は共同研究者が99%作成したものです。

○2013年12月18日
 業務研究会 Bグループ論文集16-21ページ。 報告論文
 ノリノリで推薦されて、ノリノリで突っ込んでいったにも関わらず、本部でブ厚い壁にぶちあたったいい経験。長い目で見たら、ここで鼻をへし折られて私のキャリア的にはよかったんだけど、当時は公私ともどうかなりそうなくらいでした。ほとんど原型をとどめないこの原稿は、ほぼお蔵入りでしたが、反省の意味を込めてアップしておきます。

○2013年10月
 企業向け説明資料(障害特性・職業的課題編)
 そういう調子に乗りまくっていた頃だったからこそ、怖いもの知らずでした。良くも悪くも勢いがあったから、資料刷新に結びついたのかもしれません。テキストとスライドを分けるという手法は、この頃から始まったように思います。ここで作った資料は、プレゼンのスタイルとも合ったようで、今(2020年頃)でも使っている部分があります。

○2013年6月1日
 ノーマライゼーション促進研究会
 話題提供資料
 当時の障害者雇用の状況や制度についてまとめて報告するとともに、業務外ならではの持論を場に出させていただいた貴重な時間でした。この時の報告内容が学会報告(2014~2016@職リハ学会)につながりました。職業リハビリテーションに携わっていた時期の中で、一番尖っていた頃だったかもしれません。

○2004年 2003年度修士論文
 「精一杯生きるために ――森岡「生命学」がいのちの教育に与える新たな視野――」
 抄録
 全文
 今読み返すと恥ずかしい。修士課程2年間は目一杯ゆらいだ時期で、卒業論文で取り上げた体験活動はどこへやら。課外活動は熱心で、最もフットワークが軽い時期だったのに、真面目に読んでいる本は自分自身の内面に切り込んでいくような重みのあるものばかり読んでいました。論述は稚拙ですが、私の原点はここにあるな、と振り返れば確かに感じられる文章です。

○2002年 2001年度卒業論文
 「体験活動の可能性 ――自然体験活動とプロジェクトアドベンチャーを中心に――」
 全文
 勢いだけで書き上げたような、自ら参加した体験活動をこれでもかこれでもかと言語化した壮大な記録。何事にも本気で楽しんでいた20代前半戦の若さだけが輝いている文章です。こんな体験を論文の形にまとめさせてくれた指導教官には感謝しかありません。

2021年1月24日日曜日

夏目漱石『夢十夜 他二編』岩波文庫、1986年。

 ・文学にも触れようと、手に取ったもの。夏目漱石の「入門書」みたいに紹介されていたのと、大学入試問題なんかで取り上げられていたように記憶していたので読んでみた。

・率直に、難しいです。「夢十夜」は夢の話だから、比喩表現や「本来ありえないこと」が入り込んでくる。日常の何かを表しているのだろうとは察するのだけれども、出来事が突飛過ぎて、理解が追い付かない。

・それでも、おそらく人間の複雑な感情や、当たり前の感情を、言葉巧みに表現する日本語の使い方には、時々うなってしまうほどの迫力があった。「永日小品」に収められた短編には、特にその傾向が強い。

・しばらく経ってから、また読んでみることにしよう。小説は読み慣れていないこともあり、なかなか難しいものだとも思ってしまった。

2021年1月11日月曜日

ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』ハート出版、2013年。

・終戦時の引揚者による手記。朝鮮半島に住んでいた家族が、社会の不穏な雰囲気を察し、きっかけを経て、故郷日本まで逃亡する。その時に、生き別れとなってしまった兄と再開するまでの体験に基づくノンフィクション。
・以前、アメリカでは賛否両論あったようだが、確かに記述の内容がものすごい迫力である。特殊な技能も何もない普通の女性3人(著者、母親、姉)が、家を出て兄と合流しようとしながらも、鉄道、船舶の出発機会を逃さず、京都までたどり着く。朝鮮半島では、目の前で人が絶命する場面を目の当たりにし、日本人であることを隠しながら逃げ続ける。日本においても、京都では引揚者に対する差別の渦中で、わずかな理解者に支えられながら、たくましく生き延びる様を描く。
・淡々と経験を語るこの本は、読む人に淡々と響くものだろう。同情とかかわいそうとかでは片付けることのできない圧倒的な感情の渦を感じられた。戦争のどうしようもない、そしてとんでもない側面すら、生活に取り込まれてしまう、生活に位置づかざるを得ない状態を受け入れながら、その中で生き延びるためにはそうしたとんでもないことをも利用せざるをえない。「たくましい」という言葉には、これほどの覚悟をもって行動した人の歴史や背景があることも強烈に感じさせられた。

石田淳『行動科学を使ってできる人が育つ!教える技術』かんき出版、2011年。

 「教える」とは、相手から”望ましい行動”を引き出す行為である(25ページ)


 人に何かを教える時に、その成果を測る観点として「行動」がある。Iyokihehaは前職で「応用行動分析」を習って、現場でその考え方を適用して物事を分析してきたので、当たり前と言えば当たり前の観点であるが、転職して周囲を見ているとそうでもない、ことに気づく。多分、立場が違えば、必要な技能も違うから仕方がないこと。とはいえ、対人援助を生業とする上では、相談におけるクライアントの言語表現の他に、生活上の行動を丁寧に把握し、分析していくことは、その人への支援を検討する上で不可欠である。

 などと、支援技法の一つとして「行動分析」を使ってきたが、本著はこの基礎理論ともいえる「行動科学」をビジネス現場、それも社員教育に応用することを紹介したものである。そりゃそうだ、新入社員や異動者に仕事を教える行為は、突き詰めていけば「対象者の行動を変える」ことであり、行動が変わるための方法論の中に「行動分析」が位置づいても全く不思議ではない。なんで、こんな簡単なことにいままで気づかなかったんだろう。

 褒める、叱る、その技法と背景となる信頼関係(ラポール、とか)。行動分析的アプローチに不可欠な、先行条件→行動→結果、その結果が次の行動の先行条件になる、とか、作業(行動)分析の手法や応用など、抱負な事例とともに、非常にわかりやすくまとめられている。基礎理論は実験系の心理学なのだろうが、その成果を現実に適用するのに役に立つヒントが詰まった一冊でした。

 Audiobook.jpで、オーディオブック版も販売していたかと記憶しています。併せてご利用ください。

2021年1月1日金曜日

2020年総括、2021年の抱負

 あけましておめでとうございます。

コロナ禍でも相変わらずなIyokiyehaです。
淡々と2020年総括と、2021年の抱負をアップします。

2020年当初に掲げた抱負は以下の通り。
1 読書の継続
 40冊読書+Audiobook50冊分
2 身体を鍛え続ける
 10分体操+木剣22,000本(+ジョギング)
3 実家との関わり方
 調べる、帰省する
4 新しい仕事・勉強には進んで挑戦する

 読書については理由あって、朝読書を半分にしたため、少なくなりました。Audiobookは、感染症対策に関する情報収集のためにPodcastの利用を増やしたなどの変化がありました。結果、書籍は23冊、Audiobookは38冊分です。今年は下半期に読書時間を戻せる見込みなので、目標は据え置きで。また、昨年の傾向として、小説を読むことが増えたので、この傾向も維持していこうと思います。
 身体を鍛えることについては、木剣はコロナの影響で帰宅後すぐのそれまで定時だった時間にできなくなった(すぐに風呂に入ることにしていた)ことで4ヶ月ほど滞っていました。いろいろ模索して、朝の鍛錬の時間に組み込んでから数ヶ月となり14,340本まで挽回しました。今年は20,000本再挑戦ってことで。
 スマートフォンのアプリのおかげで、ラジオ対象+αの部分は、プランクやら開脚ストレッチを取り入れました。屋内でできるのがいいですね。
 懸案は合気道です。道場再開の目処が立っておらず、待つしかない。木剣がいい稽古にはなってますが、力の流れを意識する機会が減ってしまったので、何か取り組みたいところです。
 実家との関わりは、残念ながら今のところ実績なし、見込み未定となってしまいました。機会をつくって帰省しようと思っています。認知症や老化現象に関する学びは、読書と併せて継続していきます。
 新しい仕事や勉強について。去年初めの清瀬市の仕事(これは、謝金うんぬんでいろいろあったんですが、いい仕事させていただきました。資料は公開投稿を参照)後、資料回覧をきっかけにして、構想が動きました。今まで構想だけあった課内研修について、取り組みが形になりました。職場内での仲間付きといういい流れです。今年どんな展開になるかは、まだ動きながら作っていきますが、ここまでの成果は形としてリリースする準備も併せて進めています。実績ページでまた紹介できると思います。
 地域活動(PTA)は、一応取りまとめの年としました。今年もう一年がんばろうと思っていましたが、非常時のために規約超え(不正ではないよ)をやっている背景があるので、早めの交代がいい(歴史的にも独裁官は短期間しか維持されない!笑)と思ったことに加え、正直いろんなしがらみの中であまりいい思いをしなくなってきたので、ここら辺で一旦まとめておこうと思いました。
 勉強は、読書量とも関連してきますが、今年は一つ挑戦をするので、その結果で来年ふりかえることができると思います。昨年中は、コロナ関係で免疫系を中心に、人体や生物に関する勉強や情報収集が進みました。元々購読していた「ヴォイニッチの科学書」をハブに、中学校理科→人体へと学びが展開しました。課内の研修でも活かされましたね。
https://pages.audiobook.jp/podcast/voynich/index.html
 有料番組ですが、Podcastに登録できる(RSS配信)音声番組だけじゃなくて、PDF資料が毎週配信されるのもいいですね。
 あと、調べる過程でこんな老舗番組も見つけました。
 「医学講座」@ラジオNIKKEI 第18***回って、すごいですね。内容は少し難しいけれどもすごく勉強になる。
 この辺が、習慣に影響するいい発見かな。音声番組をもっともっと利用しつつ、書籍にもきちんと取り組みたいです。

 また、今年はおそらく異動になる年なので、どんな立場になったとしても、新しい環境に適応していくことを一番に考え、身体と家族を大切にしていこうと思います。

こうした総括を受けて、今年の目標です。
1 読書の継続(据え置き)
 40冊読書+Audiobook50冊分
2 身体を鍛え続ける(据え置き)
 10分体操+木剣20,000本(+ジョギング、合気道的なトレーニング)
3 機会をつくって帰省する
 帰省する、両親の様子をきちんと確認する
4 新しい仕事・勉強に前向きに関わり、柔軟に適応する

 基本的には昨年踏襲。コロナ禍と言われたって、それを切り抜けることのできる「いい習慣」を増やしていくことを意識して、「普通に」生活することを目標とします。
 今年もどうぞよろしくお願いします。

2020年12月19日土曜日

対人援助の本質に近づく

  雇用支援から福祉へと転身して5年目。様々な場面に直面させてもらっている。

福祉では、「要件を満たしたら補助」というものが多いのだけれども、一方で「生活の支えが少なくて不安定な人に対する援助」がある。今の私には、立場も手伝って後者のような雰囲気を感じとると、本質に近い仕事だ、と不思議な高揚感がやってくる。

 じゃあ、対人援助って何だ?と自問した時に、今まであまり言語化してこなかったことに気づく。最近考えているのは、生活に制度を貼りつける、という前に「対象者が支えの中で安定感を高めること」にあると言語化できた。

 「主訴を把握し、本人のニーズに沿った支援をする」ということが広まるにつれ、言語化・顕在化しているニーズに引っ張られがちだが、中には潜在ニーズについての言及もされている。最近の様々な経験から、この「潜在ニーズ」が見出せないクライアントも少なからず存在しており、言語化・顕在化の限界を感じているところである。

 要は、「人は何かを欲している」というのは必ずしも正しいわけではなく、「本当に何もない」ということもある。また、「欲していることに気づけない」ことも知的障害者を中心に、知的障害の有無を問わず、珍しくないことに気づいた。この「(今は)何もない」「ニーズに気づけない」ことが、意外と多いということを、支援者の立場の中にしっかり位置づけたことによって、上記言語化に至った。

 具体的な視点と段階は以下の通りである。

1 クライアントの中にあるエネルギーを見つける

2 エネルギーをクライアントの意識にあげる(増幅または言語化・顕在化)

3 エネルギーの範囲を確認して方向づけ

4 エネルギーの放出先を望ましい方向に促進する

 この「エネルギー」というのが特徴であり、曲者になる。私のイメージでは、その人の原動力・動き出すための意思・行動を起こすための何か、といったイメージである。

 何を働きかけても、口では「いいね」と言いつつ、結局動かない。動かないのではなく、動こうとしない。何か意思がありそうだけど、よくわからない。そもそも意思がそこにあるのかないのかわからない。生存のための行動はとるけれども、目的行動をとっているように見えない。こういう時に「エネルギーがない」と表現する。一方で、確認したことに同意をするのだけれども、とにかく違ったことをしてしまう。人に迷惑をかけてもお構いなし。言ったことはやらないのに、何かをしてしまう。問題行動が多かったとしても、こういう時には「エネルギーはある」と表現する。そういう使い方をする「エネルギー」である。

 対人援助というのは、この「エネルギー」を見据えて、このエネルギーに火を付けてあげる、クライアントに気づいてもらって、その原動力がいい方向に使われるように働きかけを続けていく、ということではないのだろうか、と考えるようになった。その見極めって、今まで自然に何となくやっていたのだろうな、と思う。

 あくまで主役はクライアントにあって、その行動が間違っていたとしても、支援者としてそれを罰するのはやはり間違っているのだろうな、と思うところでもある。とにかく「関わり続ける」「エネルギーを見据えて、関わっていく」ことが求められているのではないかと思うこの頃です。

2020年12月6日日曜日

知的能力が低いとは…

  前職でも現職でも「知的障害ってどういう人?」と問われることがある。前職では主に会社の人事担当者から、現職では悩んで窓口にやってきた当人からの質問にあるもの。障害のある人に対する支援に15年ほど関わっていて、折に触れて考えてきて、未だに「これだ!」という説明に出会えていない。

 確かに、都道府県毎の定めはあります。身近なところでは「18歳以前に発現している」「知能指数が70以下」「生活上の困難」という三要素があげられており、これを満たす人に療育手帳が交付されている。これを定義として紹介するのだが、よく考えている人はほぼ十中八九「知能指数が70以下ってどのくらいの人なんですか?」と継がれる。これに答えられない。よくある正規分布を取り出して説明していたこともあったけど、わかったようでわからない。「成長が止まってしまう」なんてことを言う人もいるけど、止まってないし、相対的だし、個人差あるし、としっくりこない。

 最近、研修講師をする機会があって、改めてこの点を説明する(しなければならない)機会があったので、考えて絵を描いて考えたところ、その人の認知機能(能力)に立脚して、

「見たり聞いたりして集める情報量の範囲が狭いことと、その判断や行動の方向の安定性が弱い」人達のこと。

 とひねりだした。要点は2つ。

 一つは、取り入れることのできる情報量が少なく、時に偏ってしまうこと。ヒトが五感を通じて情報収集することを、雨が降っている時に雨水をトレーで集めようとするイメージで考えると、そのトレーの大きさが小さいことと、トレーを置く位置がその時々で変わりやすいことである。知的能力が逆に高い人だと、トレーの面積が大きいだけでなく、そのトレーを配置する時に「効率よく雨水が集まる場所」における人になります。トレーが小さくて、その時々で置く場所が変わりやすいから、認識できる情報量とその種類の偏りが生じやすいということになる。

 もう一つは、認識したことを通じて判断したり行動する時の安定性である。こういう状態ならこうするのが常識、という結びつきの強さを「安定性」という言葉で表したものである。上記トレーのイメージを使うなら、集めた雨水の処理方法ということになる。「雨水はここに捨ててください」という指示があったり、貼り紙があったり、そもそもその町では雨水処理はこう!って決まっているなど、いわゆる「常識」の範囲で処理できるかどうかということである。「安定性」としたのは、問題行動も適応行動も説明できると思ったからである。すなわち、問題行動となる場合は、収集した情報から作った少ない選択肢の中から選んだ行動が常識の範囲を外してしまうことで表現できる。雨水処理をその辺にぶわっと捨ててしまう、楽しいからその辺に撒いてしまう、楽しすぎて人にかけてしまう、といったイメージである。一方で重度障害者であっても適応行動が定着している人については、収集した情報から作った少ない選択肢の中から選んだ行動が常識の範囲に収まっている、ということである。水が入っていたらここに捨てる、しか思いつかないようなイメージである。

 最重度の知的障害者でもかわいがられるような行動ができる人は、環境から得る情報はとても小さくても、自分がとりうる適応行動に必要なものだけ収集して、たとえ選択肢がちょっぴりでも、収集した情報と強い結びつきで適応行動となる(選ばざるをえない、それしかない、かもしれない≒安定)、という説明が成り立つ。一方で軽度知的障害者が問題行動を起こすということは、最重度の人と比べると収集できる情報も多く、そこから作る選択肢もいくつかあるのだけれども、そこからの選択に余計な情報が入り込みやすく、決まった行動に結びつきにくい(≒不安定)。

 内容も言葉もまだまだ磨く必要のある説明なのだけれども、「軽度知的障害者が問題を起こしやすい」とか、警察のやっかいになると「ボーダーだからね」と安易な発言に結びついて思考停止してしまわないように、あくまで能力と特性という観点から考えてみた現時点での到達点です。なんかね、正規分布との結びつきもピンとこないし、問題行動(←この定義もビミョー)と結びつけるのも安易だし、理解力っていっても適応行動と必ずしも結びつかないし(できることはできるもんね)、一歩俯瞰して考えているところです。

 いい説明あったら誰か教えてください。