何を今更、と思われるかもしれないが、山梨県甲府市の我が家では先週まで毎日夕方に放送していました。
昨年末に話題となった月9ドラマ。
私は、基本的にドラマは見ないのですが、嫁さんが第1回をビデオに撮っていて、夕食を食べながらそれを観て、すごく面白かったのがきっかけで、全話観ることに。
http://www.fujitv.co.jp/galileo/index.html
ガリレオ オフィシャルWebページ
スピード感のある構成と、「あっ」と思わせる内容、各回で完結する、毎回謎解きの作り(初めに犯行現場がある・なし、次第に犯人がわかる、など)が違う等、とかく飽きさせない。
久々に面白いドラマだった。
主人公を演ずる福山雅治。
この人は、演技させても知的に見せるし、ドラマの音楽は聞かせるし、ラジオとか聞いていても、バカやっても面白いし、トークも面白い。
正直、羨ましいです、はい。
世の中にはこんな人もいるんだなぁとも思った番組でした。
http://www.tfm.co.jp/talkingfm/
福山雅治のSUZUKI Talking F.M.(TOKYO FM)
2008年2月11日月曜日
「もし」を考える
「もし、○○だったら、どうする?」
あることを、○○であると仮定して、その時にどうするのかを問う質問である。
仕事であればよく使うこの質問も、プライベートとなると途端に考える意欲が失われる時がある。
この理由がどこにあるのかということを考えた時に、ふと浮かんだのが時間軸だった。
結論から言えば、
「将来、想定されうる状況を仮定して、その際の行動を準備する」目的であれば、考える意欲は失われない
ということだ。
ポイントは3点。
1)今よりも未来のこと
2)想定できる状況を仮定する
3)自分がどうすべきか、具体的に考える
この条件が揃った場合に、Iyokiyehaの思考回路が動くという仮説である。
1)は、「過去に想定することができたこと」であれば、多少思考するだろうが、それほどモチベーションは維持されないだろう。
例えば、仕事において「僕が就職してなかったら、どうしました?」などと聞かれた時には、「さぁ?」としか答えられない。
過去のことを「もし…」と振り返るのであれば、それは、将来再度似たような困難が想定されうる場合に、私の行動を準備しておくときに限られるのではないだろうか。
2)は、「想定できない」ことを考えることには、限界があるということ。
例えば、「今年、転勤になったらどうする?」という問い。
Iyokiyehaの職場は、毎年転勤の可能性があるため、転勤そのものは想定できても、どこに行くことになって、何を担当することになるのか、どこに住むのか、といったことは、全て具体的な話になってから「どうすべきか」と考えることになる。
だから「その時になったら、考えるよ」という回答になる。
3)は、「自分がどうするか」を考えなくていいのであれば、具体的に物事を考えないだろうということ。
上記の質問を借りれば「今年、Iyokiyehaが転勤になったら、どうすればいいの?」という質問であれば、「自分で考えてください」という回答しかないだろう。
危機的状況であれば、当事者に「□□したら?」と助言することはできたとしても、リアルにその状況を想定するには、何か他の要因が必要となってくるように思う。
なるほど。
こう考えてみると、いざ「何か」によって「もし…」と問い詰められるような状況であっても、自分にとって関係があることなのか、ないことなのかということを判断する基準にもなりうるように思う。
当然、人間であるIyokiyehaが引く基準だから、例外は認められるだろうが、生活する上で、一つ安心できる基準なのかもしれない。
あることを、○○であると仮定して、その時にどうするのかを問う質問である。
仕事であればよく使うこの質問も、プライベートとなると途端に考える意欲が失われる時がある。
この理由がどこにあるのかということを考えた時に、ふと浮かんだのが時間軸だった。
結論から言えば、
「将来、想定されうる状況を仮定して、その際の行動を準備する」目的であれば、考える意欲は失われない
ということだ。
ポイントは3点。
1)今よりも未来のこと
2)想定できる状況を仮定する
3)自分がどうすべきか、具体的に考える
この条件が揃った場合に、Iyokiyehaの思考回路が動くという仮説である。
1)は、「過去に想定することができたこと」であれば、多少思考するだろうが、それほどモチベーションは維持されないだろう。
例えば、仕事において「僕が就職してなかったら、どうしました?」などと聞かれた時には、「さぁ?」としか答えられない。
過去のことを「もし…」と振り返るのであれば、それは、将来再度似たような困難が想定されうる場合に、私の行動を準備しておくときに限られるのではないだろうか。
2)は、「想定できない」ことを考えることには、限界があるということ。
例えば、「今年、転勤になったらどうする?」という問い。
Iyokiyehaの職場は、毎年転勤の可能性があるため、転勤そのものは想定できても、どこに行くことになって、何を担当することになるのか、どこに住むのか、といったことは、全て具体的な話になってから「どうすべきか」と考えることになる。
だから「その時になったら、考えるよ」という回答になる。
3)は、「自分がどうするか」を考えなくていいのであれば、具体的に物事を考えないだろうということ。
上記の質問を借りれば「今年、Iyokiyehaが転勤になったら、どうすればいいの?」という質問であれば、「自分で考えてください」という回答しかないだろう。
危機的状況であれば、当事者に「□□したら?」と助言することはできたとしても、リアルにその状況を想定するには、何か他の要因が必要となってくるように思う。
なるほど。
こう考えてみると、いざ「何か」によって「もし…」と問い詰められるような状況であっても、自分にとって関係があることなのか、ないことなのかということを判断する基準にもなりうるように思う。
当然、人間であるIyokiyehaが引く基準だから、例外は認められるだろうが、生活する上で、一つ安心できる基準なのかもしれない。
誰かが見ている
前述した本を読んだわけだが、先日、仕事をしているときに、言葉としては似たようなことに遭遇した。
自分では気づかないことが、見えているのだなと。
たとえ、物理的に「見えていない」はずの人であっても、なぜか指摘は的確だったりするから不思議である。
もちろん、物理的に「見えている」人であっても、自分では気づけなかった側面を指摘されることもしばしば。
そういうフィードバックが受けられるのは、非常にありがたいこと。
前述した、「大部屋俳優の知恵」。
其の二と其の五あたりは、Iyokiyehaも普段から気にしていることだが、どうしても目一杯になると「欲」も出るし、自分を売り込もうとしてしまう節がある。
もっと、地味でも、本当の意味で「いい仕事」ができるよう努力したい。
そして、人から名前を尋ねられるようになりたいものである。
自分では気づかないことが、見えているのだなと。
たとえ、物理的に「見えていない」はずの人であっても、なぜか指摘は的確だったりするから不思議である。
もちろん、物理的に「見えている」人であっても、自分では気づけなかった側面を指摘されることもしばしば。
そういうフィードバックが受けられるのは、非常にありがたいこと。
前述した、「大部屋俳優の知恵」。
其の二と其の五あたりは、Iyokiyehaも普段から気にしていることだが、どうしても目一杯になると「欲」も出るし、自分を売り込もうとしてしまう節がある。
もっと、地味でも、本当の意味で「いい仕事」ができるよう努力したい。
そして、人から名前を尋ねられるようになりたいものである。
福本清三、小田豊二『どこかで誰かが見ていてくれる ――日本一の斬られ役 福本清三――』集英社文庫、2003年。
最近は少なくなったが、以前は時代劇を見ていた時、主人公と数回斬り合いをしてからやられていく役者さんがいるのに気づく。
「やられ役の中でも、上の方の人だろう」と勝手に思っていた。
以前、探偵ナイトスクープで取り上げられた福本氏。
その頃に出版された本の文庫版。
「人生哲学」などという大それたものではないが、一人の苦労人が、どのように人生を歩んできたか。
撮影所の大部屋役者として、役者の世界をどう生き抜いてきたか、インタビュー形式で表裏なく語り尽くす。
話し言葉でちょっと読みにくいところはあるけれども、全体としての内容は非常に興味深い。
文中に出てくる、大部屋俳優の知恵シリーズが興味深いので、引用しておく。
其の一:どっちにしても、しょうもない役だから、欲はかくな
(目立ちたくて、鎧を着ける役になってしまうと、重い鎧を着て走らされる羽目になる)
其の二:極端に目立ってはいけないが、少しだけ目立て
(与えられた役を、いかに上手くこなすかを考える)
其の三:どんな仕事でもいい、いい思い出を作れ
(駕籠(かご)かき一つにも、注文をつけるようなこだわりなど)
其の四:自分の名前を売り込もうとしない。相手から聞かれるようになれ
(一生懸命に取り組み「あいつは面白いやつだ」と思われるくらいになる)
其の五:知ったかぶりをしないこと。そうすると、必ず親切な人が現れる
先輩から「斬り方」は教わることができても、「斬られ方」は手本がない。
先輩の演技や、映画俳優の演技、または洋画でも「撃たれ方」を見て、参考にしてきたとのこと。
考えて考えて、ちょっと難しいことにも挑戦して、ちょっとだけ目立って、「あいつ面白いな」と思われる。
そんな、「きっと、どこかで見ていてくれる」ことを頭の隅に置きながら、できることを目一杯する。
もちろん、スターと呼ばれる有名な役者も、驕ることなく努力に努力を重ね、その名を広めてきたと言える。
福本氏は「飛ぼうとしなければ、落ちない」という言葉で、自らの位置を表現しているが、私がこの本を読んで感じたのは、時代劇は登場する(エンドロールの名前だけであっても)全ての人によって作られる芸術作品であるということだ。
もちろん、時代劇だけではない。
いわゆる「芝居」や、テレビでいえば「番組」というものは、関わった人全て揃って作られるものであるということ。
スターが目立つからといって、スター一人で劇ができるかというと、そうではない。
そして、脇役と呼ばれるような人たちだけで、いい作品ができるかというと、やはりそうではない。
全てが揃って、持ち場で最高の演技をして、働きをすることで初めて人に「面白さ」を与えることができるのだと思う。
おすすめ度:★★★★☆
「やられ役の中でも、上の方の人だろう」と勝手に思っていた。
以前、探偵ナイトスクープで取り上げられた福本氏。
その頃に出版された本の文庫版。
「人生哲学」などという大それたものではないが、一人の苦労人が、どのように人生を歩んできたか。
撮影所の大部屋役者として、役者の世界をどう生き抜いてきたか、インタビュー形式で表裏なく語り尽くす。
話し言葉でちょっと読みにくいところはあるけれども、全体としての内容は非常に興味深い。
文中に出てくる、大部屋俳優の知恵シリーズが興味深いので、引用しておく。
其の一:どっちにしても、しょうもない役だから、欲はかくな
(目立ちたくて、鎧を着ける役になってしまうと、重い鎧を着て走らされる羽目になる)
其の二:極端に目立ってはいけないが、少しだけ目立て
(与えられた役を、いかに上手くこなすかを考える)
其の三:どんな仕事でもいい、いい思い出を作れ
(駕籠(かご)かき一つにも、注文をつけるようなこだわりなど)
其の四:自分の名前を売り込もうとしない。相手から聞かれるようになれ
(一生懸命に取り組み「あいつは面白いやつだ」と思われるくらいになる)
其の五:知ったかぶりをしないこと。そうすると、必ず親切な人が現れる
先輩から「斬り方」は教わることができても、「斬られ方」は手本がない。
先輩の演技や、映画俳優の演技、または洋画でも「撃たれ方」を見て、参考にしてきたとのこと。
考えて考えて、ちょっと難しいことにも挑戦して、ちょっとだけ目立って、「あいつ面白いな」と思われる。
そんな、「きっと、どこかで見ていてくれる」ことを頭の隅に置きながら、できることを目一杯する。
もちろん、スターと呼ばれる有名な役者も、驕ることなく努力に努力を重ね、その名を広めてきたと言える。
福本氏は「飛ぼうとしなければ、落ちない」という言葉で、自らの位置を表現しているが、私がこの本を読んで感じたのは、時代劇は登場する(エンドロールの名前だけであっても)全ての人によって作られる芸術作品であるということだ。
もちろん、時代劇だけではない。
いわゆる「芝居」や、テレビでいえば「番組」というものは、関わった人全て揃って作られるものであるということ。
スターが目立つからといって、スター一人で劇ができるかというと、そうではない。
そして、脇役と呼ばれるような人たちだけで、いい作品ができるかというと、やはりそうではない。
全てが揃って、持ち場で最高の演技をして、働きをすることで初めて人に「面白さ」を与えることができるのだと思う。
おすすめ度:★★★★☆
2008年2月9日土曜日
「一人称」思考で、「しあわせ」を考える
人の「しあわせ」について考える機会がなぜか多くなった。
そういうことを言う人が回りに増えてきたからかもしれない。
(注:特定個人ではなく、なぜか最近私の周辺に複数存在する)
個人的な意見に過ぎないが、物事を一人称で考えることができるのは「哲学」とその周辺分野だけだと思っている。
私が、修士論文で引用した、森岡正博“生命学”は、物事を一人称で考えることに特化した考え方だが、生命倫理的、環境的、性的課題に限定されず、日常自分の身に起こることについて「一人称」視点で考え抜くことは、私が納得してよりよく生き抜くためには必要な視点であると考える。
http://www.lifestudies.org/jp/
LifeStudies.Org/JP
http://www.kinokopress.com/civil/0802.htm
「生命学とは何か」論文
「しあわせ」とは何だろう、と改めて考える。
昨日、会社の同僚(で一括りにしてスミマセン)と飲みながら、そんな話をした。
私なりにしゃべりながら整理できたことは、以下の通り。
まず、「しあわせ」は、私が生きていて「振り返った」時に感じられるものであって、将来に約束されたものではないということ。
2月3日の書き込みで、「本当の幸せとかをあれこれ考えすぎるのはアホらしい」というような内容があり、そのことを指摘されたが、その真意はここにあるように整理できた。
一生懸命、主体的に何かに取り組んで、私の力を存分に発揮して、思ったような結果にならなかったとしても、何かがそこに「生まれる」。
その「生まれた」もの(形の有無は問わない)について、唯一無二のものとして「愛おしく」感じる。
この感覚こそが「しあわせ」ではないのかと考えられるようになった。
それは、自分で「そう」思い込むものでなく、人から「そう言われる、そう思われる」ものではなく、自分の中で起こる「何か」によって実感できる。
Iyokiyehaは「ピンとくる」みたいな表現をする。
そして、「一生懸命、主体的に取り組む」ための原動力となるものが、私の中に確かに存在する「好奇心」や「興味」である。
だから、私は割りと何にでも「面白がって」手を出すし、たとえそれが「できない」ことであったとしても、面白い!と思えば、その「しあわせ」になれそうなものを「生み出す」ために目一杯取り組んで見る。
これに関しても「手当たり次第か?」ということを聞かれたが、上述した「好奇心」とか「興味」といったところで、ある程度の制限がかけられるのだろう。
何でもかんでも、というわけではない。
まとめると、「面白がって」何かに取り組んだ結果、得られた「何か」を「愛おしい」とか「すごい!」と感じた時に、自分の中に起こるもの、が「しあわせ」の正体と考える。
私の場合は、嫁さんとの関係、身体動作スキルであったり、思考の高度化・可視化、ネットワークなどといったものについて「しあわせ」を感じることが多いのだが、この点はあくまで私の「一人称」視点でのこと。
これを「二人称」として知り合いに般化させるつもりは毛頭ないし、まして「三人称」として自然科学的に証明する気などさらさらない。
そんなことを思い出し、考えることのできた一週間でした。
(参考)
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/02/blog-post_7874.html
「次世代を生き抜く遺伝子」2008年2月3日更新
http://iyokiyeha.blogspot.com/2007/10/blog-post.html
「『しあわせ』の定義」2007年10月4日更新
そういうことを言う人が回りに増えてきたからかもしれない。
(注:特定個人ではなく、なぜか最近私の周辺に複数存在する)
個人的な意見に過ぎないが、物事を一人称で考えることができるのは「哲学」とその周辺分野だけだと思っている。
私が、修士論文で引用した、森岡正博“生命学”は、物事を一人称で考えることに特化した考え方だが、生命倫理的、環境的、性的課題に限定されず、日常自分の身に起こることについて「一人称」視点で考え抜くことは、私が納得してよりよく生き抜くためには必要な視点であると考える。
http://www.lifestudies.org/jp/
LifeStudies.Org/JP
http://www.kinokopress.com/civil/0802.htm
「生命学とは何か」論文
「しあわせ」とは何だろう、と改めて考える。
昨日、会社の同僚(で一括りにしてスミマセン)と飲みながら、そんな話をした。
私なりにしゃべりながら整理できたことは、以下の通り。
まず、「しあわせ」は、私が生きていて「振り返った」時に感じられるものであって、将来に約束されたものではないということ。
2月3日の書き込みで、「本当の幸せとかをあれこれ考えすぎるのはアホらしい」というような内容があり、そのことを指摘されたが、その真意はここにあるように整理できた。
一生懸命、主体的に何かに取り組んで、私の力を存分に発揮して、思ったような結果にならなかったとしても、何かがそこに「生まれる」。
その「生まれた」もの(形の有無は問わない)について、唯一無二のものとして「愛おしく」感じる。
この感覚こそが「しあわせ」ではないのかと考えられるようになった。
それは、自分で「そう」思い込むものでなく、人から「そう言われる、そう思われる」ものではなく、自分の中で起こる「何か」によって実感できる。
Iyokiyehaは「ピンとくる」みたいな表現をする。
そして、「一生懸命、主体的に取り組む」ための原動力となるものが、私の中に確かに存在する「好奇心」や「興味」である。
だから、私は割りと何にでも「面白がって」手を出すし、たとえそれが「できない」ことであったとしても、面白い!と思えば、その「しあわせ」になれそうなものを「生み出す」ために目一杯取り組んで見る。
これに関しても「手当たり次第か?」ということを聞かれたが、上述した「好奇心」とか「興味」といったところで、ある程度の制限がかけられるのだろう。
何でもかんでも、というわけではない。
まとめると、「面白がって」何かに取り組んだ結果、得られた「何か」を「愛おしい」とか「すごい!」と感じた時に、自分の中に起こるもの、が「しあわせ」の正体と考える。
私の場合は、嫁さんとの関係、身体動作スキルであったり、思考の高度化・可視化、ネットワークなどといったものについて「しあわせ」を感じることが多いのだが、この点はあくまで私の「一人称」視点でのこと。
これを「二人称」として知り合いに般化させるつもりは毛頭ないし、まして「三人称」として自然科学的に証明する気などさらさらない。
そんなことを思い出し、考えることのできた一週間でした。
(参考)
http://iyokiyeha.blogspot.com/2008/02/blog-post_7874.html
「次世代を生き抜く遺伝子」2008年2月3日更新
http://iyokiyeha.blogspot.com/2007/10/blog-post.html
「『しあわせ』の定義」2007年10月4日更新
2008年2月4日月曜日
NHK プロフェッショナル仕事の流儀 高橋直夫(1月29日放送分)
プラント建設現場所長
高橋直夫「リーダーは太陽であれ」
サウジアラビアの砂漠のど真ん中に、「街」とも呼べるような大きな人工物。
東京ドーム400個分の広さの中に、日本と現地の企業との合弁会社が所有する石油プラントが建設中である。
高橋氏はそのプラントの建設現場所長。
7000人以上の労働者を率いるリーダーとして、その職にある。
非常に、元気が出る番組だった。
限られた予算、労働力を率いて、納期までに工事を終わらせる。
リーダーとしての高橋の極意は、「太陽であれ」。
部下から「悩んでいる顔を見たことがない」と言われ、いつも笑顔を絶やさない。
過去、納期を半年以上遅らせてしまい、数十億円の損失を出してしまったことがあった。
その経験をバネに、勉強に勉強を重ね、判断に足る知識を身につけた。
指示が現場の末端にまで通らないことが何より問題であるとして、経営学を学び方法を探った。
結果として、
・「決めないリスク」よりも「決めるリスク」をとる
・失敗を許す組織であれ
・相手の得は、自分の得
といった格言を生むに至る。
どんなに小さなことであっても、それが大切なことであるならば、しつこく伝え、誰よりも強く「できる」と信じること。
それが、リーダーとしての姿であり、それをあきらめたら終わりという。
どんなに厳しい状況におかれていても、それを笑い飛ばすくらいの勢いと深い知識が、前向きに仕事をする上では必要なのだということを、改めて知った。
楽観的だけではだめ。
頭でっかちだけではだめ。
その両方を、高いレベルで維持することの大切さと、それを支える「信じる」心。
これらのバランスがいいことが、リーダーとしての資質であるようにも思う。
高橋直夫「リーダーは太陽であれ」
サウジアラビアの砂漠のど真ん中に、「街」とも呼べるような大きな人工物。
東京ドーム400個分の広さの中に、日本と現地の企業との合弁会社が所有する石油プラントが建設中である。
高橋氏はそのプラントの建設現場所長。
7000人以上の労働者を率いるリーダーとして、その職にある。
非常に、元気が出る番組だった。
限られた予算、労働力を率いて、納期までに工事を終わらせる。
リーダーとしての高橋の極意は、「太陽であれ」。
部下から「悩んでいる顔を見たことがない」と言われ、いつも笑顔を絶やさない。
過去、納期を半年以上遅らせてしまい、数十億円の損失を出してしまったことがあった。
その経験をバネに、勉強に勉強を重ね、判断に足る知識を身につけた。
指示が現場の末端にまで通らないことが何より問題であるとして、経営学を学び方法を探った。
結果として、
・「決めないリスク」よりも「決めるリスク」をとる
・失敗を許す組織であれ
・相手の得は、自分の得
といった格言を生むに至る。
どんなに小さなことであっても、それが大切なことであるならば、しつこく伝え、誰よりも強く「できる」と信じること。
それが、リーダーとしての姿であり、それをあきらめたら終わりという。
どんなに厳しい状況におかれていても、それを笑い飛ばすくらいの勢いと深い知識が、前向きに仕事をする上では必要なのだということを、改めて知った。
楽観的だけではだめ。
頭でっかちだけではだめ。
その両方を、高いレベルで維持することの大切さと、それを支える「信じる」心。
これらのバランスがいいことが、リーダーとしての資質であるようにも思う。
2008年2月3日日曜日
雪、ゆき、ユキ・・・
お仕事鞄
お仕事鞄を新調した。

(兵庫県豊岡のお仕立て鞄)
http://www.itoyokado.co.jp/fashion/order/bag/index.html
イトーヨーカドーで注文できるのだが、イージーオーダーで、手作り革鞄が買える。
なかなか上品で、革製だからカッコイイ!(笑)
値段も、ビジネスマンにとっては、お手頃。
2年半くらい、今の仕事を頑張ったご褒美です。
この鞄に見合った仕事ができるようになりたいです。
(兵庫県豊岡のお仕立て鞄)
http://www.itoyokado.co.jp/fashion/order/bag/index.html
イトーヨーカドーで注文できるのだが、イージーオーダーで、手作り革鞄が買える。
なかなか上品で、革製だからカッコイイ!(笑)
値段も、ビジネスマンにとっては、お手頃。
2年半くらい、今の仕事を頑張ったご褒美です。
この鞄に見合った仕事ができるようになりたいです。
次世代を生き抜く遺伝子
山田玲司氏の著書『非属の才能』を読み、女性が男性を選ぶときには何を基準にするか、という記述があった。
思わず「ほーう」と思ったのは、女性が「次の時代に生き残れる遺伝子」を持った人を、本能的に嗅ぎ分けて選んでいる、というくだり。
ウチの嫁さんの本能レベルでの「嗅ぎ分け」が間違っていなければ、Iyokiyehaには「次の時代に生き残れる」遺伝子が存在している。
これは、面白い。
この中で「本能レベル」というのが曲者で、この「本能」が正常に機能しているかどうかが、結構重要なことだったりするのかもしれない。
私は、嫁さんに選んでもらったことには、すごく感謝しているし、何やってでも次の時代を生き抜かなければならないとは思っている。
結婚した後も、する前も、恋愛話にはあまり華が咲かないIyokiyehaだが、あまり数の多くない聞き取り調査(友人の話を聞いていて)で感じることは、「要らんことで迷うと、うまくいかない」ということ。
「普通は」とか「結婚って何?」「本当の幸せ」なんて、あらかじめ決められたものがあると仮定して、それが自分に合うか合わないかを判断するなんて、そんなアホらしいことはないと思うわけで。
迷うと、相手の悪いところばかり見えてくるし、冷静さを欠くと「自分の理想像」を相手に押し付けたところで話をしてしまいがちである。
ちょっとした行き違いが、大きな溝になってしまうことは、想像に難くない。
「身の危険(経済力を含む)」を感じないのであれば、その他のものは「一緒に作るもの」であって、女性視点からすれば、それは男性の「次世代を生き残る可能性」であったり、Iyokiyehaを含む男性視点からすれば「次世代を生き抜くことを支えてくれる」ことかもしれない。
男女は逆になっても、全く問題ないし、その両方であってもいいと思う。
要は、自分が次世代を生き抜く遺伝子を磨くことによって、「この人なら大丈夫」と思わせられるか否かだと思う。
思わず「ほーう」と思ったのは、女性が「次の時代に生き残れる遺伝子」を持った人を、本能的に嗅ぎ分けて選んでいる、というくだり。
ウチの嫁さんの本能レベルでの「嗅ぎ分け」が間違っていなければ、Iyokiyehaには「次の時代に生き残れる」遺伝子が存在している。
これは、面白い。
この中で「本能レベル」というのが曲者で、この「本能」が正常に機能しているかどうかが、結構重要なことだったりするのかもしれない。
私は、嫁さんに選んでもらったことには、すごく感謝しているし、何やってでも次の時代を生き抜かなければならないとは思っている。
結婚した後も、する前も、恋愛話にはあまり華が咲かないIyokiyehaだが、あまり数の多くない聞き取り調査(友人の話を聞いていて)で感じることは、「要らんことで迷うと、うまくいかない」ということ。
「普通は」とか「結婚って何?」「本当の幸せ」なんて、あらかじめ決められたものがあると仮定して、それが自分に合うか合わないかを判断するなんて、そんなアホらしいことはないと思うわけで。
迷うと、相手の悪いところばかり見えてくるし、冷静さを欠くと「自分の理想像」を相手に押し付けたところで話をしてしまいがちである。
ちょっとした行き違いが、大きな溝になってしまうことは、想像に難くない。
「身の危険(経済力を含む)」を感じないのであれば、その他のものは「一緒に作るもの」であって、女性視点からすれば、それは男性の「次世代を生き残る可能性」であったり、Iyokiyehaを含む男性視点からすれば「次世代を生き抜くことを支えてくれる」ことかもしれない。
男女は逆になっても、全く問題ないし、その両方であってもいいと思う。
要は、自分が次世代を生き抜く遺伝子を磨くことによって、「この人なら大丈夫」と思わせられるか否かだと思う。
やばい一週間
エネルギー枯渇を肌で感じる一週間だった。
毎日、午前午後に予定が入っていて、忙しくなることは予測していたところだが、それに加えてイレギュラーな細かい動きが次々と起こり、追い詰められていくのが実感できた。
心拍数が上がって、元に戻らない時は、どうなるかとも思った。
でも、そんな自分をモニタリングできていたので、最悪なことにはならないだろうと思っていた。
結果は間違いではなかったが、金曜から土曜にかけて11時間、一度も目覚めず眠ってしまったことが、エネルギーの枯渇を表していたのだと思う。
私は、ほどよいプレッシャーがかかると「燃える」タイプの人間だが、それが回避できない形で次から次へと畳み掛けられ、その上で「予定通りに物事が進められない」状況に陥ると、焦る。
焦ると、まず仕事のパフォーマンスが落ちる。
とにかく、仕事が遅くなる。
段取りもつけられなくなるし、そもそも仕事一つ一つの進みが遅い。
集中力が欠けるから、次から次へと気になることが頭に浮かぶのに、それらの優先順位がつけられないから、ちょっとやっては止まり、ちょっとやっては止まる。
決断に自信がなくなる。
自信がなくなるから、人の言うことが全て正しく聞こえるようになる。
自分が何を意図してプランを立てたのか、わからなくなる。
そして極めつけは、こんな風に一日過ごしてしまったことで、全然仕事が進んでないことに気づき、ひどく落ち込んでしまうこと。
「ここまでやった」という普段の小さな達成感ではなく、「これしかできなかった」という敗北感が残って帰宅する。
結果、家でも仕事のことを考えてしまう。
Iyokihehaはあまり怒りっぽくない性格(と思っている)なので、たまりにたまったストレスが外向きに発せられることなく、鬱々としてしまうわけで。
身体症状としては、心拍数の増加と、手の震え。
木曜日は寝つきも悪く、最悪だった。
こういう状況って、岡山時代に一度だけ味わったけれども、まさか山梨に来てこうなってしまうとは思ってもいなかった。
結果として、人に振れる仕事は次々と人に振ってしまった。
このとばっちりを受けた人には、申し訳ないですとしか言いようがない。
そもそも、同じ「場」にいるだけで、雰囲気が悪くなるのだから、仕事を振る振らないに限らず、ここ数日で私と関わった人には、まず申し訳ないです。
今回は出口が見えていたので、自分をモニタリングすることにして、あえて追い詰めてみたが、こんな状態は「異常」の二文字で片付けるべきで、他人はもちろん、私自身ももう二度と味わうべきではないと思う。
そして、一つわかったことは、この状態が続くと人間の脳の一部が異常な反応を起こすようになるのだろうなということ。
自分がその「異常」に気づけるかどうか、周囲の人がその人の「異変」に気づけるかどうか、そして、平素から自然な援助関係がそこに存在するかどうか。
こういったことができる「場」が、人間の力を充分に発揮させることができる場なんだろうなと、漠然と感じるに至った。
毎日、午前午後に予定が入っていて、忙しくなることは予測していたところだが、それに加えてイレギュラーな細かい動きが次々と起こり、追い詰められていくのが実感できた。
心拍数が上がって、元に戻らない時は、どうなるかとも思った。
でも、そんな自分をモニタリングできていたので、最悪なことにはならないだろうと思っていた。
結果は間違いではなかったが、金曜から土曜にかけて11時間、一度も目覚めず眠ってしまったことが、エネルギーの枯渇を表していたのだと思う。
私は、ほどよいプレッシャーがかかると「燃える」タイプの人間だが、それが回避できない形で次から次へと畳み掛けられ、その上で「予定通りに物事が進められない」状況に陥ると、焦る。
焦ると、まず仕事のパフォーマンスが落ちる。
とにかく、仕事が遅くなる。
段取りもつけられなくなるし、そもそも仕事一つ一つの進みが遅い。
集中力が欠けるから、次から次へと気になることが頭に浮かぶのに、それらの優先順位がつけられないから、ちょっとやっては止まり、ちょっとやっては止まる。
決断に自信がなくなる。
自信がなくなるから、人の言うことが全て正しく聞こえるようになる。
自分が何を意図してプランを立てたのか、わからなくなる。
そして極めつけは、こんな風に一日過ごしてしまったことで、全然仕事が進んでないことに気づき、ひどく落ち込んでしまうこと。
「ここまでやった」という普段の小さな達成感ではなく、「これしかできなかった」という敗北感が残って帰宅する。
結果、家でも仕事のことを考えてしまう。
Iyokihehaはあまり怒りっぽくない性格(と思っている)なので、たまりにたまったストレスが外向きに発せられることなく、鬱々としてしまうわけで。
身体症状としては、心拍数の増加と、手の震え。
木曜日は寝つきも悪く、最悪だった。
こういう状況って、岡山時代に一度だけ味わったけれども、まさか山梨に来てこうなってしまうとは思ってもいなかった。
結果として、人に振れる仕事は次々と人に振ってしまった。
このとばっちりを受けた人には、申し訳ないですとしか言いようがない。
そもそも、同じ「場」にいるだけで、雰囲気が悪くなるのだから、仕事を振る振らないに限らず、ここ数日で私と関わった人には、まず申し訳ないです。
今回は出口が見えていたので、自分をモニタリングすることにして、あえて追い詰めてみたが、こんな状態は「異常」の二文字で片付けるべきで、他人はもちろん、私自身ももう二度と味わうべきではないと思う。
そして、一つわかったことは、この状態が続くと人間の脳の一部が異常な反応を起こすようになるのだろうなということ。
自分がその「異常」に気づけるかどうか、周囲の人がその人の「異変」に気づけるかどうか、そして、平素から自然な援助関係がそこに存在するかどうか。
こういったことができる「場」が、人間の力を充分に発揮させることができる場なんだろうなと、漠然と感じるに至った。
テンションの制御
「身体」タグは合気道ネタが多いが、今日はちょっと趣向を変えて。
「やばい一週間」の状態ではあったが、仕事で使えるスキルとして一つ気づいたことがある。
それは「テンションを意図してコントロールする」こと。
ここのところ、毎朝同じトレーニングメニューで身体を動かし、最後に木刀を決まった回数振ることにして、自然と集中力が高まるよう工夫しているところである。
それとは別に、ここ一番の時、ピンポイントにテンションを操作することに、今回成功した。
よく言われることだが、「音楽」の力である。
Iyokiyehaの場合、
○Richard Wagner :
“Die Meistersinger von Nurnberg”, Prelude to Act Ⅰ
ワーグナー:ニュルンベルクのマイスタージンガー
○Richard Wagner :
“Die Walkure” –The Ride of the Valkyries
ワーグナー:ワルキューレの騎行
○kokua:Progress(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」主題歌)
○Mr. Children:箒星
○スキマスイッチ:ガラナ
は、テンションを上げて、研ぎ澄まされた感覚を一時的に作る時に使う曲。
大体、上から3つを使っている。
気分が乗ってきて、何でもできると思えるようになり、瞬時に周囲の情報や雰囲気を整理できる脳を準備することができる。
ただし、ものすごい疲れる。
ある状況に向け、自然とテンションが上がっていくのがいいのだが、ここぞというときには、よく使っている。
逆にリラックスの時には、
○村治佳織:Le ciel ~空~(『Amanda』収録)
○村治佳織:J. Rodrigo: Concierto de Aranjuez Ⅰ~Ⅲ
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲Ⅰ~Ⅲ
○Bill Evans Trio: Waltz for Debby
ビル・エヴァンス・トリオ:ワルツ・フォー・デヴィ
○Adiemus: Beyond The Century
アディエマス:世紀を超えて
○Adiemus: Adiemus
アディエマス:聖なる海の歌声
○Mr.Children:Any
寝る前とか、静かに読書したいときなどにかけている。
みなさんの「ここぞ」曲はどんなですか?
「やばい一週間」の状態ではあったが、仕事で使えるスキルとして一つ気づいたことがある。
それは「テンションを意図してコントロールする」こと。
ここのところ、毎朝同じトレーニングメニューで身体を動かし、最後に木刀を決まった回数振ることにして、自然と集中力が高まるよう工夫しているところである。
それとは別に、ここ一番の時、ピンポイントにテンションを操作することに、今回成功した。
よく言われることだが、「音楽」の力である。
Iyokiyehaの場合、
○Richard Wagner :
“Die Meistersinger von Nurnberg”, Prelude to Act Ⅰ
ワーグナー:ニュルンベルクのマイスタージンガー
○Richard Wagner :
“Die Walkure” –The Ride of the Valkyries
ワーグナー:ワルキューレの騎行
○kokua:Progress(NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」主題歌)
○Mr. Children:箒星
○スキマスイッチ:ガラナ
は、テンションを上げて、研ぎ澄まされた感覚を一時的に作る時に使う曲。
大体、上から3つを使っている。
気分が乗ってきて、何でもできると思えるようになり、瞬時に周囲の情報や雰囲気を整理できる脳を準備することができる。
ただし、ものすごい疲れる。
ある状況に向け、自然とテンションが上がっていくのがいいのだが、ここぞというときには、よく使っている。
逆にリラックスの時には、
○村治佳織:Le ciel ~空~(『Amanda』収録)
○村治佳織:J. Rodrigo: Concierto de Aranjuez Ⅰ~Ⅲ
ロドリーゴ:アランフェス協奏曲Ⅰ~Ⅲ
○Bill Evans Trio: Waltz for Debby
ビル・エヴァンス・トリオ:ワルツ・フォー・デヴィ
○Adiemus: Beyond The Century
アディエマス:世紀を超えて
○Adiemus: Adiemus
アディエマス:聖なる海の歌声
○Mr.Children:Any
寝る前とか、静かに読書したいときなどにかけている。
みなさんの「ここぞ」曲はどんなですか?
山田玲司『非属の才能』光文社、2007年。
“「非属」に属する”ことなく、群れずにつながりたい
他者に迎合しない生き方としての「非属」を一つの才能とし、引きこもりやニート、果ては、いわゆる「普通」に生きている人たちに、よりよく生きるための知恵(ギフト)を書ききっている。
著者自信の経験だけでなく、『絶望に効く薬』の連載や、著者自身の情報収集(読書や映画鑑賞他)を通して、著名人の生き方をひきながら、「和をもって属さない」生き方を説く。
「他の人とは違う」ことと「人と交わる」ことは矛盾せず、物事との適度な距離を保つことにより、独創性や、自由な発想が生まれるとする。
私は、どうなのだろう、と考えさせられる内容であった。
以前、私も学生時代にやはり「人と違うことがカッコいい」と思う時期があり、何となく自分の興味があることにいくつか手を出したことがあった。
そこには、大学では得られないような知識や経験に溢れ、他の学生には触れることができないだろう人間関係が広がっていた。
日本を代表するような人にもたくさん出会ったし、そうではない、いわゆる「普通」に生きてきた素晴らしい大人にもたくさん出会うことができた。
しかし、そんな時にふと「この心地よい関係に浸かりきってしまっていいのか」という不安がよぎる。
幸いにも、そこにいた大人達は、適度な距離を保ちながらお互いに刺激しあう関係になっていたように思う。
私は、そんな経験もあり「孤立」には強くなったように思う。
どんな場所でも、「とりあえず」の自分の意見は持てるようになったし、それを表現することへのためらいも少ない。
かといって、孤独かというと、なぜか気を許せる仲間もできている。
経験から、確信をもって「他の人と違う」ことと「人と交わる」ことが矛盾しないことはわかっていたが、それをクリアに書き表してくれている。
もっと、さらりと読み飛ばすつもりでいたが、人との距離の取り方をより詳細に考え抜く一つのヒントが埋もれているようで、じっくり考えながら読み解くことになってしまった。
おすすめ度:★★★★★
他者に迎合しない生き方としての「非属」を一つの才能とし、引きこもりやニート、果ては、いわゆる「普通」に生きている人たちに、よりよく生きるための知恵(ギフト)を書ききっている。
著者自信の経験だけでなく、『絶望に効く薬』の連載や、著者自身の情報収集(読書や映画鑑賞他)を通して、著名人の生き方をひきながら、「和をもって属さない」生き方を説く。
「他の人とは違う」ことと「人と交わる」ことは矛盾せず、物事との適度な距離を保つことにより、独創性や、自由な発想が生まれるとする。
私は、どうなのだろう、と考えさせられる内容であった。
以前、私も学生時代にやはり「人と違うことがカッコいい」と思う時期があり、何となく自分の興味があることにいくつか手を出したことがあった。
そこには、大学では得られないような知識や経験に溢れ、他の学生には触れることができないだろう人間関係が広がっていた。
日本を代表するような人にもたくさん出会ったし、そうではない、いわゆる「普通」に生きてきた素晴らしい大人にもたくさん出会うことができた。
しかし、そんな時にふと「この心地よい関係に浸かりきってしまっていいのか」という不安がよぎる。
幸いにも、そこにいた大人達は、適度な距離を保ちながらお互いに刺激しあう関係になっていたように思う。
私は、そんな経験もあり「孤立」には強くなったように思う。
どんな場所でも、「とりあえず」の自分の意見は持てるようになったし、それを表現することへのためらいも少ない。
かといって、孤独かというと、なぜか気を許せる仲間もできている。
経験から、確信をもって「他の人と違う」ことと「人と交わる」ことが矛盾しないことはわかっていたが、それをクリアに書き表してくれている。
もっと、さらりと読み飛ばすつもりでいたが、人との距離の取り方をより詳細に考え抜く一つのヒントが埋もれているようで、じっくり考えながら読み解くことになってしまった。
おすすめ度:★★★★★
再放送(M-1グランプリ)
フジテレビ系列の地方局のない山梨。
県庁所在地の甲府では、相変わらず4チャンネルしか受信しません。
土曜日に、夜更かししてTVつけていたら、こんな番組は始まってビックリしました。
「M-1グランプリ」
http://www.m-1gp.com/
昨年12月23日に放送されたものが、今頃、夜中にひっそりと放送されるこの土地って。
県庁所在地の甲府では、相変わらず4チャンネルしか受信しません。
土曜日に、夜更かししてTVつけていたら、こんな番組は始まってビックリしました。
「M-1グランプリ」
http://www.m-1gp.com/
昨年12月23日に放送されたものが、今頃、夜中にひっそりと放送されるこの土地って。
インパクトのあるCM(富士急ハイランド「ええじゃないか」)
Iyokiyeha嫁は関西のお笑い好き。
山梨で、金曜日の深夜に「吉本新喜劇」を放送しているのを見つけ、毎週ビデオに録画している。
大体土曜日にIyokiyehaと一緒に見るのだが、その番組CMでいつも放送されるCMがある。
富士急ハイランド「ええじゃないか」のCMである。
(母親が家族を乗せ古ぼけたワゴン車を運転)
子:お父さん、オシッコ
父:んっ?
子:我慢できないよぉ~
父:じゃあ、車ん中でしちまえよ
子:いいの?(喜)
父:ええじゃないかぁ、なぁ
母:ええじゃないか
全員:あっはっはっはっは…
(急ブレーキ。母親が突然キレた顔をし、次の場面では犬と共に車を降りている)
母:いいわけ、ないだろー!
(ワゴン車を持ち上げて投げ飛ばす)
(横転しながら飛んでいくワゴン車の内部が映し出され、「ええじゃないか」の文字)
以下、略。
文字では伝わらない、このインパクト。
You Tubeで探してみたが、古いCMしかアップされていないようです。
富士急ハイランド「ええじゃないか」CM
http://jp.youtube.com/watch?v=-q36TfPt8mE
これもなかなか。
この投稿、特に深い意味はありません。
山梨で、金曜日の深夜に「吉本新喜劇」を放送しているのを見つけ、毎週ビデオに録画している。
大体土曜日にIyokiyehaと一緒に見るのだが、その番組CMでいつも放送されるCMがある。
富士急ハイランド「ええじゃないか」のCMである。
(母親が家族を乗せ古ぼけたワゴン車を運転)
子:お父さん、オシッコ
父:んっ?
子:我慢できないよぉ~
父:じゃあ、車ん中でしちまえよ
子:いいの?(喜)
父:ええじゃないかぁ、なぁ
母:ええじゃないか
全員:あっはっはっはっは…
(急ブレーキ。母親が突然キレた顔をし、次の場面では犬と共に車を降りている)
母:いいわけ、ないだろー!
(ワゴン車を持ち上げて投げ飛ばす)
(横転しながら飛んでいくワゴン車の内部が映し出され、「ええじゃないか」の文字)
以下、略。
文字では伝わらない、このインパクト。
You Tubeで探してみたが、古いCMしかアップされていないようです。
富士急ハイランド「ええじゃないか」CM
http://jp.youtube.com/watch?v=-q36TfPt8mE
これもなかなか。
この投稿、特に深い意味はありません。
登録:
投稿 (Atom)