だから、自分の行動も、すべてに理由があるかというとそうでもなくて、その時楽しいかどうか、それすらもあいまいなまま、何かを行う、あるいは行わないという判断を下して行動している。そういうものだ。
なんとなく時間が経っているのも、そういうことで、目的がない行動も日常の中にはたくさんある。それらを律して、すべてに目的を持たせるというのは、一見やった方がいいこと、道徳的なこと、やるべきこと、とついつい思ってしまいがちで、そう思われがちなんだけど、それって結局は、自分という人間を機械に近づけていくことに他ならないのかもしれないな、と思いました。堕落という言葉はあるけれども、それとは少し異なる目的のない間みたいな行動・時間、それも含めて人間だと考えれば、そうした間も人間を構成する要素であるといえるな。