先週「悪意」について考えた通り、ここ2~3週間は、仕事の方で考えること、悩むこと、焦ること、困ることに囲まれて、とにかく余裕がなかった。仕事中に心拍数があがったり、気圧の変化にぐわんぐわんして眩暈がしたりと、心身ともに削られていた感じでした。
相変わらずやることは多いので、余裕があるかと問われるとそうでもないのですが、結局テンポが周り(上司とか)と合わないと、それはそれでちょっと大変な時はあるわけで。でも、それは言い出したらキリがないので受け入れつつ。
何がしんどいかというと、やっぱり「折り合いがつかない」状態が続くのがしんどいんですよね。削られるというか。それも「自分に責任がないとは言い切れない」状態が続くのがいかんともしがたい。分かり合えない、はある程度しょうがいないんだけども、相手が何を考えているのかわからない、あるいはその本音が「悪意」によって覆い隠されている、見つけられても相手が本音でかかわってくれないとなると、これは行き場をなくした感情が渦巻いて逃げ場がなくなってしまうわけです。離脱をかけているのに、それ以上の力で抜け出せないような、そんな感覚です。
とはいえ、それが今週はちょっとガス抜きができたのかな、と思える事象があって、ようやく感情が解放された感じがしました。自分が解放されれば、隘路に追い込まれないような行動はとりやすいので、巻き込まれないように、距離を慎重に測って関わっていけばいいわけで。ようやくストレス性の頭痛からも抜け出せるかな、というところです。
今回の反省点は、悪意と悪意の間で思わず巻き込まれてしまったこと。対面の場で感情が動いてしまったことが冷静な判断力を鈍らせてしまったのでしょうが、悪意対悪意というのがあまり経験のないところなんだなと気づく。善意対悪意の善意側に立つことは多かったのだけれども、悪意対悪意でどこにも真実がない、というのは第三者は邪魔なだけなんだなと思いました。早めに離脱しておかないといけないところに踏み込んでしまった、というのが今回の反省点でした。よし、今度は気を付けよう。
読書が再開できるかな、という兆しが見えるので、ちょっと無理してでも活字に触れることを再開しようと思います。ここのところ耳からばかりだったので。鍛錬は継続しよう。