2009年12月26日土曜日
竹内薫『[非公認]Googleの入社試験』徳間書店、2008年。
協力者(現役IT技術者、物理系大学院生、数学科出身の塾講師、スポーツインストラクターなど)に問題を解いてもらい、その解答と解説・模範解答が一部加えられている。
頭の体操になるような問題から、高度な数学知識、プログラムを書くスキルが問われる問題まで、様々なものがまとめられている。
じっくりと考えても、さらりと読み飛ばしても面白い。
この手の問題って、Iyokiyehaは苦手(割と型にはまって抜け出せなくなる人)なので、頭をやわらかくしたり、新しい知識を得るために、この手の書籍はいくつか試している。
その中でも、この本に納められている問題は、レベル1~4に分けられていて、3,4はちょっと別格である。
模範解答を読んでも、よくわからない。。
こういう問題を、さらりと解いてしまったり、少し考えてプログラムを書いて解いてしまったり、すばやく概算したり(フェルミ推定)できることが、Googleに入社する人には求められているのだろう。
もちろん、こういった問題が解ければ入社できるかといえば、それだけじゃないだろうし、逆に解けなくても入社できる人はいるのだろうけれども、望まれる能力として、このような思考方法ができるかどうかということが強調されているといえる。
例えば、レベル1のコラムにはこんな問題がある。
「一辺の長さが3未満の正方形に、一辺の長さが1の正方形を重ならないように5個詰めてください」
(12ページ)
こういうレベルのものから、有名なところでは、2004年にシリコンバレーの高速道路101号沿いに出現した広告看板の問題、
「{first 10-digit prime found in consecutive digits of e}.com」
(1ページ)
といったものまで様々である。
残念ながら、Iyokiyehaはレベル2までである。
文系・理系で人を分けるのは好きじゃないけれども、それでも高校で理系科目をとってきた人や大学で物理や数学を専攻していた人なら、もう少し最後のほうまで楽しめる書籍だろう。
オススメ度:★★★★☆(知的好奇心が旺盛な方なら、分野を問わず楽しめるかと)
選ぶことは、捨てること
などと、自己啓発本なんかにはよくありがちなフレーズだけれども、世の中そううまくはいかないんじゃないのかなと、30年生きてきて、そしてそのうち職業生活を5~6年生きてきて、切に考えるところである。
選べない人の多くは、数ある選択肢に次々とラベルを貼っていき、損得勘定で天秤にかけようとするから、選べなくなっているように思う。
質的に判断すべきところを、ラベリングによって量的に+-(プラス・マイナス)で考えようとすると、どうしても無理がでてくる。
「理屈としては+なんだけど、感情が邪魔する」なんてのは、ギャップが生じていることを自ら気づいていることではないのだろうか。
人間、よくできたもので、物事(人も含めて)について「悪いこと」を探すのは得意で、あることをテーマにそのことを批評(悪い方を中心に)すると、わんさかわんさか、これでもかこれでもかと発言できるのに、一つ条件をつけると、発言に勇気が要るようになる。
その条件とは「ほめる」こと。
グループワークのアイスブレイクや、よくある人間関係構築プログラムの導入部分で「いいところ探し」というものがよく使われるが、面白いもので発言を+の方向にチューニングしてあげるだけで、あら不思議。
自然と笑い声が聞こえてきて、自然とテンションがあがって、自然と抑制がとれてくる。
軽くお酒を飲んだときのように、メンタルブロックが一つコロリと剥がれ落ちるような感じすら覚える。
理屈で物事考えると、いろんなものが見えてきて、返ってそのものの本質をはずしてしまうということはよくあること。
選択肢を「選ぼう」と意気込むと、自らの本質から外れたところでいろんなことを考え始めてしまうのではないでしょうか。
人からよく思われたい、失敗したくない、損したくない、もっと得したい・・・などなど。
欲が介在することによって、さらに「選ぶ」ことが難しくなる。
さらに、考えれば考えるほど、ある選択肢をとったと思ったときに、他の選択肢の「得」な部分が目立って見えるようになる。
これぞ「隣の芝は青く見える」現象。
こうなってしまうと、本人はそう思っていなくても負のスパイラルが始まる。
「あぁ、こっちを選んでおけばよかった」「やめておけばよかった」。
さらにその矛先は、選択肢を選んだ自分にも向けられる。
「なんてバカなんだ」と。
世の中には、考えてわかることと、そうでないことがあるということを知ると、何かを「選ぶ」前に一つ考えなければならないことがわかってくる。
そして、一つを「選ぶ」行為そのものが、数あるものから優先順位をつけて一つを選び取ることではなく、実は選択肢を消していった結果残ったものを「かろうじて得ることができる」ことだということが見えてくる。
そういうものなんじゃないかと、思うのですが、どうでしょうか?
少なくともIyokieyhaは、多くの場合「選ぶ=捨てるのリスク」よりも「選ばない」ことを選択した場合のメンタルブロック(気になって、他のことに集中できない状態など)の弊害の方が大きいと考えているので、結論はできるだけ早く出すことを心がけています。
今回は、ある方へのいつぞやの質問の返答を兼ねて、「選ぶこと」そのものについて考えてみました。
中西貴之『からだビックリ!薬はこうしてやっと効く ――苦労多きからだの中の薬物動態――』技術評論社、2009年。
http://obio.c-studio.net/science/index.htm
(Web:ヴォイニッチの科学書)
お腹が痛い時に、飲み薬を飲んで効く、というのは感覚的にもわからないでもないのだけれども、頭痛になぜ飲み薬が効くのか?
風邪薬はどこにどのように効いて、症状が楽になるのか?
疑問に感じた方は、一読の価値ありです。
薬が私たちの体内で、どのような経過をたどって、どのように効果を発揮するのかということや、副作用が起こるのはなぜなのか、それらの薬を作る現場では、どのようなことに苦労しているのか。
「薬物動態」という学問分野があって、その成果を豊富な実例を基にわかりやすく説明しているのが本著です。
少し専門的な内容も含んでおり、高校生レベルかそれより少し高いレベルの生物学の知識が要る箇所もありますが、基本的には一般書として十分に読める内容です。
Iyokiyehaのもともとの疑問は、仕事をしていて「抗精神約や抗うつ剤って、何で飲み薬なんだろう」と感じことです。
それから、「薬ってどうして脳に作用するんだろう」ときて、「そもそも薬ってどうやって作用するんだろう」「飲んだ薬ってどうなるの?」という疑問に発展したところにPodcast「ヴォイニッチの科学書」のCMを聞き、購入したというわけです。
読感は、やや難しいけれども十分に読めて「なるほど!」が多い本でした。
薬といえど、身体にとっては基本的に「異物」。
人間の体内には、異物を排除するための様々な機能が備わっていて、薬の研究・開発とは、そうした様々な機能(酵素やたんぱく質の働きなど)をどうすりぬけたり、利用したりして疾患部位に効果を発揮させるか、ということとの戦いだということ。
そして、一番勉強になったのは、薬の成分の多くは小腸の柔毛細胞から血管に入り込み、血流にのって疾患部位にたどりつくということ。
抗精神病薬や抗うつ剤も、そのほとんどが経口投与されて、唾液や胃液の攻撃をかいくぐり、腸から血流に乗って肝臓でさらに激しい攻撃を受けた後、硬い守りに定評のある脳へと運ばれて作用するということがわかりました。
そりゃ、個人差もあるわ。
そもそもの疾患部位にも個人差ありそうだし、そこに至るための数多くの関門ごとに個性があれば、変数が増えていくのは必至です。
加えて、副作用=正常な細胞に作用してしまったこと、というシンプルな記述によって、わかることも多い、お得な書籍でした。
少し内容が専門的なので、万人うけする本ではないけれども、人体の不思議に興味がある人や、Iyokiyehaと同じ疑問をお持ちの方にはおすすめです。
オススメ度:★★★★☆(薬や人体のしくみに興味がある人におすすめです)
2009年12月25日金曜日
Forsight休刊!?
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/
(Web:新潮社Forsight)
ふりかえれば、NPO勤務時代に「できるだけ効率よく日本内外の状況を知ることのできる雑誌を講読しよう」と思い立って、一番お金がないときに、一年購読の申し込みをしたのが事の発端でした。
案の定、当時はちんぷんかんぷんでしたが、とりあえず字面だけでも、と毎月一冊をくまなく目を通しています。
今でも理解が怪しい記事が多いのですが、それでも半分くらいは読めるようになったかなと自負しています。
この雑誌、変に商売商売しておらず(定期購読のみの扱いで、店頭販売していません)、各記者の考え方がわかるのだけれども、誘導しているような感がなく、事実に即した内容がIyokiyehaには魅力でした。
セミナーCDが時々同封されていたり、「こんなん誰が読むんじゃい?」という絶版の書籍が書評されていたりと、とにかく硬派なないようで、くだらない突っ込みを入れながらも、知的好奇心をくすぐられる内容に、難しいながらも毎月楽しみにしていた雑誌でした。
ここのところの出版不況によるのでしょうか。
こんなすばらしい内容の雑誌が休刊になってしまうということが、残念でなりません。
それでも、今まで新聞を読まないIyokiyehaを支えていただきありがとうございました。
私事ですが・・・
間に合うタイミングだったので、とりあえず弔電は打ったのだけれども、何とも言いがたい感情がよぎる。
実際、何があったのかは知らないのだけれども、齢30でこの世を去ることは、今のIyokiyehaには想像もつかない。
同世代の知人が亡くなるというのは、今回が初めてではないけれども、どの機会も自分の中にぽっかり穴が空いてしまうかのうような感情が伴い、いかんともしがたい。
人の人生を背負えるわけもなく、また、背負うつもりはないけれども、改めて「強く生きよう」と思う。
「人の死を超えて」なんていう大げさなものではなく、こんなことでもなければこの深さで生きることを考えることなんかないので。
合掌。
仕事をめぐる環境も変わりつつある!
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122501000814.html
(Web:47NEWSより)
障害があっても働くことが普通の生活であることが、スタンダードになりつつあります。
職業リハビリテーションが、ますます社会から必要とされる時代へ。
事業仕分け?機構の統合?
まぁ、好きなようにしてくれや。
Iyokiyehaは、機構にとどまって、職リハの充実に取り組みます。
2009年12月24日木曜日
地味にリフレッシュ中。。
口内炎はひどいし、腰も膝も気づけばガタガタ、一番ひどいのが肩こりだということに気づき、心身ともに疲労が蓄積していたのだろうと。
そういや、11月から週末も何かとばたばたしていて、ゆっくり休んだっていう日がなかったことに気づく。
研修前に、風呂場で意識が急に遠のいて、今どこに立っているのかわからなくなったこともあったっけ。
研修中の宿も、結局、本部から歩いて30分以上歩く場所にあったし。
すなおに、送迎バス使えばよかったかも。
なんだかんだで、ほとんど毎晩お酒飲んでたし。
いやー、若くないのに、気持ちだけ若いまんまなんだなぁ、未熟な証拠だなぁと実感させられた。
インフルエンザも、もともと体内にいたやつが、研修終了の気の緩みと、寒波とのWパンチで猛威をふるったんでしょうね。
不幸中の幸いは、今回のインフルエンザは熱が上がらないこと。
咳と喉の痛みがあるので、無理はしていないのですが、完全防備でスーパーに買い出しに行きがてら、お散歩気分で歩いてみたり、PSWの国試対策を少しずつやってみたり、日頃読めなかった本をぐだぐだ読んでみたり、数独に挑戦してみたり、YouTubeで「おかあさんといっしょ」関連の動画を楽しんだりと、いつもの休日でもなかなかできないことをいくつかやってみています。
本来の意味とは、だいぶ違うけれども、ちょっとしたサバティカルかなと思ってみたり。。。
この辺の楽観主義って、どこで身に着けたのかなと、時々気になります。
にしても、「なくしてわかる健康」とはよく言ったものです。身体動かしたい・・・
2009年12月23日水曜日
東山紘久『プロカウンセラーの聞く技術』創元社、2000年。
一般書に分類された売り場で、今でも書店に並んでいるロングセラー。
出版から10年くらい経った今でも、内容は全く色褪せていない。
人と人とのやりとりというのは、今も昔もほとんど変化していないということを、この内容が示しているようにも読める。
カウンセリングに必要とされる「聴く」技術や、「間」のとり方など、実例を踏まえてその意味するところの考え方をわかりやすく説明している。
この本と初めて出会ったのは、実はIyokiyehaが岡山勤務している時。
その頃から気になっていたのだけれども、なかなか購入して読むというところに至らなかったことを思い出します。
購入のきっかけは、Febeのオーディオブックで同著が販売されていたこと。
とりあえず、音声で聴いてみようという軽い気持ちで購入して、聴いてみたところ、立ち読みでは残念ながら読み取ることができなかった言葉の使い方や、日頃対人業務に就いているIyokiyeha自身の仕事を振り返る機会にもなり、思わず書籍版を購入するに至った次第です。
先日、集合研修の場で、普段Iyokiyehaが言語情報に頼っていることが浮き彫りになったことも手伝い、自分が仕事の中で大切にしたいと考えていたことがようやく言語化できました。
人とのやりとりで全ての基礎となる、「人と人との接点」は、お互いの「共感」によって成立するという当たり前のことですが、もう一つ深めると、意外な事実に気づきます。
その共感は「自分の『真意』をわかってもらえた」という、実は一方通行の感覚の組み合わせによって成立するのではないかと。
「私は○○だと思うんです!」という相手の言い分に対して、「(俺は○○とは思わないし、△△だと思うんだけどなぁ)なるほど○○ですか」と、自分の真意は一旦置いておいても「同意」する。
このあたりの、自分の「真意」を場に出さない、察せられないようにするのがプロの技術と考えるわけですが、それはさておき、「思いを伝えた」→「(同意というレベルでも)わかってもらえた」という組み合わせによって、相手には「共感してもらえた」感があるのではないでしょうか。
この背景にあるのは、「相手の言い分を飲む」のではなく、「相手の真意をわかろうとする」ことに他ならないと思います。
この本で紹介されている技法やテーマとは、少し違うことかもしれませんが、Iyokiyehaの学びはこういうところにありました。
おすすめ度:★★★★★(おそらく、どんな仕事をしている人にも学びがあるかと)
2009年12月22日火曜日
2009年12月20日日曜日
久々にお腹が痛くなるほど笑いました。
2009年12月19日土曜日
研修を終えて
1a 〈要塞(ようさい)など〉攻撃されやすい.
b 〔…に対して〕すきだらけで,弱くて 〔to〕.
2a 傷つきやすい,感じやすい; 弱み[弱点]のある.
b 〔非難などを〕受けやすくて 〔to〕.
vl・ner・a・bly /‐bli/
ラテン語「傷つきやすい」の意
091218専門第二期研修
091217専門第二期研修
091216専門第二期研修
最近視聴した歌番組といえば・・・
2009年12月17日木曜日
専門第二期研修(2日目)091214
0.はじめに
・社会保険労務士とは
=会社の「人」に関することをする役割
保険や人事、雇用契約など
トラブル対応(対組合、対個人、など)
・労働基準法(労基法)
=刑法と同じ位置づけで、基準が定められ罰則もある。
労働者災害補償保険法も同様(窓口は労働基準監督署)
・労働契約法(契約法)
=民法と同じ位置づけで、具体的なことは、裁判などで決める。
相談の窓口は、労働問題に詳しい弁護士や社労士。
1.採用
労基法15条
使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間、その他の労働条件を明示しなければならない。
契約法4条
労働契約の内容の理解の促進
・文書で明示すべき項目
(1)労働契約の期間に関する事項
(2)就業の場所及び従事すべき業務に関する事項
(3)始業及び就業の時刻、所定労働時間を超える労働の有無、休憩時間、休日、休暇ならびに労働者を二組以上に分けて就業させる場合における就業時転換に関する事項
(4)賃金の決定、計算および支払いの方法、賃金の締め切り及び支払いの時期に関する事項
(5)退職に関する事項(解雇の事由を含む)
・口頭でも可能
(6)昇給に関する事項
・就業規則等で決まっていれば明示する
(7)退職手当の定めが適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算及び支払いの方法並びに退職手当の支払いの時期に関する事項
(8)臨時に支払われる賃金、賞与および最低賃金金額に関する事項
(9)労働者に負担させるべき食費、作業用品その他に関する事項
(10)安全および衛生に関する事項
(11)職業訓練に関する事項
(12)災害補償及び業務外の傷病扶助に関する事項
(13)表彰および制裁に関する事項
(14)休職に関する事項
*昇給・退職金・賞与の有無(「パートタイム労働法」=短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律)
*上記を変更する場合
-1~2ヶ月の短縮、等であれば、そのままの契約で構わない
-長期間継続するようであれば、契約を変更する
会社は、面接時に最も裁量権を有する(労基法に縛られていない)
・(軽)犯罪歴がある
・障害がある
ことを伝えるべきか否か。
「経歴詐称」との兼ね合いだが、「経歴詐称」により事業所は懲戒権を有する。
(よって、線引きは非常に難しい。個人のかかわりだけで悩まないこと!)
契約期間は、労基法14条によって定められている。
・期間の定めのないものをのぞき、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは、以下の各号に該当するものを除き3年を超えて締結してはならない。(以下は5年まで)
(1)高度な専門的知識を有する
ⅰ.博士の学位を有する者
ⅱ.国家資格を有する者
ⅲ.システムアナリスト・アクチュアリー試験合格者など
ⅳ.満60歳以上の者
会社は、従業員の「解雇」を避けたい!
理由:
(1)各種助成金の対象ではなくなる
(2)正当な解雇であることの証明をしなくてはならない
(雇い止めの場合、契約更新の条件を明示しておくべき)
(3)予告手当(30日分の賃金)の支払い
労基法「有期労働契約の締結、更新及び雇い止めに関する基準」(略)
*ハローワークの扱いは期間によって異なる
3年以上勤務しているのであれば、事業所都合
3年以下の勤務であれば、期間満了
として処理
2.労働時間・休憩・休日・休暇
原則:8時間/日、40時間/週 休憩時間はこれに含まない、休日は毎週1回以上
(労基法34、35)
例外:一ヶ月単位、一年単位、フレックスで勤務時間の調整は可能。
(略)
3.賃金
労基法24、27、28(最低賃金:最賃法7)、37(割り増し)
(1)賃金支払い5原則
ⅰ 通貨払い(例外:銀行振り込み)
ⅱ 直接払い(例外:やむをえない場合に家族に支払う。だから本人名義の口座が必要)
ⅲ 全額払い(税金や社会保険料は別)
ⅳ 毎月最低1回払い
ⅴ 一定期日払い(毎月、同じ日)
出来高払制その他請負制の場合、労働時間に応じて一定額の賃金保障が義務付けられている
(2)割増賃金
ⅰ 法廷時間外労働(8時間/日以上)=125%
ⅱ 深夜労働(22:00~5:00)=125%
ⅲ 法定休日労働=135%
(「法定」=労基法上の基準、「所定」=会社ごとの定め)
*家族にかかる手当ては除外されるが、本人にかかる手当て(資格手当など)は割増の対象となる
(3)最低賃金
・最低賃金の減額特例(以前の「最低賃金除外申請」)
生産性との兼ね合いで賃金設定する
4.解雇
契約法16
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」
労基法89(手続きのみ)
「解雇の場合には、就業規則に解雇事由を記載する事が必要」
・就業規則に載せられていることが重要。
・解雇の有効・無効に関する条件。
・かつ、従業員に周知していること。
(絶対的必要記載事項)
(1)始業及び就業の時刻、休憩時間、休日、休暇ならびに交代制の場合には就業時間転換に関する事項
(2)賃金の決定、計算および支払いの方法、賃金の締め切り及び支払いの時期並びに昇給に関する事項
(3)退職に関する事項(退職の事由とその手続き、解雇の事由等)
解雇-普通解雇(事業所都合)「雇用を継続すると、事業所として都合が悪い」
-懲戒解雇(本人責任)「お前が悪い」(犯罪や、事業所としての我慢の度合い)
(相対的必要記載事項)
略
解雇できない場合
(1)労働者の国籍、信条、社会的身分を理由としてなされた解雇(労基法3)
(2)労働者が業務上の怪我や病気にかかり、療養のために休業する期間とその後30日間になされた解雇(労基法19)
(3)産前産後の女性労働者が労基法65条の規定により休業する期間(産前6週間、産後30日)(労基法19条)
(4)労働者が、事業場が法令に違反している事実を労働基準監督署に申告したことを理由としてなされた解雇(労基法104)
(5)労働組合員であるきおとを理由とする解雇(労組法7)
(6)労働者が育児・介護休業の申し出をしたこと、又は育児・介護休業をしたことを理由とする解雇(育児・介護休業法10,16)
(7)女性労働者が婚姻・妊娠・出産・産前産後休業をしたことを理由とする解雇(男女雇用機会均等法6)
(8)労働者が、都道府県労働局長に対し、個別的な労使間のトラブルについて援助を求めたことを理由とする解雇(個別労働紛争解決法4)
事務手続き(労基法20)
使用者は、労働者を解雇しようとする場合においては、少なくとも30日前にその予告をしなければならない。30日前に予告をしない使用者は、30日分以上の平均賃金を支払わなければならない。
5.「働く」とは
(1)休職の考え方
「労働契約の関係」とは「労働者が使用者の指揮命令下で労働し」「使用者から賃金を得る」関係
「休職」は、法律上の条文はない。(例外「公務員法」?)厚労省のガイドラインのみ。
よって、例えば、診断書が出た時点で、そのことが解雇理由となりうる。復職を制度として整備している事業所は、新規雇い入れよりも諸々の状況から休職者を復職させた方が有利と考える場合。ただし、近年では「事業所の責任」を問われることも多いため、診断書提出即解雇とはなりにくい。
・安全配慮義務
ⅰ 事故にあわない(危険性)
ⅱ 健康で働ける環境(健康配慮義務、ともいわれる)
極論すれば、労働者が「働けない」のであれば、労働契約にならない。
就業規則に休職の規定がないと、休職できない。
(2)「休職」とは
労働者が労働することを、使用者が「しばらく免除する」こと。
「解雇猶予措置」という考え方が主流。
・うつ病(ならば)が、それが労災の対象となるか否かで、事業所としての責任の範囲が変わってくる。
休職期間満了時に、解雇であるか、自然退職(解雇ではなく、「退職」と同じ扱いとなる)となるか、就業規則により判断。
(労基法81、労災法19、契約法5)
・労災認定のライン
発症前1ヶ月におおむね100時間または発症前2ヶ月ないし6ヶ月にわたって、1ヶ月に80時間を越える時間外労働が認められる場合、業務と発症との関連が強いと評価できる。
(3)休職時の対応
ⅰ 休職した従業員が何をもって「ゴール」としているか確認
(「うつ病を治す」ことで合意が得られているか?「お金がない」「世間体」は復職とは別の次元。事業所の状況を配慮する)
ⅱ 精神疾患の発症が業務上か否かを考える
事業所の本音は「労災にしたくない」
感情的なもつれは避け、労災は労災として考える
ⅲ 精神疾患にかかっていることは「働けない」ことと=(イコール)ではない!
疾病性と事例性の違いを把握する
ただし、うつ病になったのに働かせた、ということにならないよう注意(安全配慮義務)
ⅳ 就業規則に休職規定があるか
ⅴ 職場復帰の決定の仕方
診断書を参考に職場復帰を決定するが、復帰させるかどうかは会社の人事権
(↑重要だけれども、すべてではない)
ⅵ 退職の場合の取り扱い
解雇なのか自然退職なのか(後者であれば、退職金など、会社の規定によって決定する)
ⅶ 休職と社会保険の関係
①休職期間中の所得保障は原則として、健康保険の傷病手当金(標準報酬月額の2/3、最大1年6ヶ月)
ただし、就業規則により会社から給与の支払いがある場合は、給与の支払いが優先される。
※1年6ヶ月は「もらい始め」から。途中で復帰した期間は、この期間に合算される。
②休職期間中の健康保険料・介護保険料・厚生年金保険料は通常とおり控除される。
会社と従業員で折半(多くは会社が立て替えている)
(4)復職が認められる治癒の考え方
医学的治癒と、人事労務上の治癒は違う
参考:以前は「従前の職務を通常の程度行える」程度であったが、最近の傾向としては、「直ちに従前の業務に復帰できない場合でも、比較的短期間で復帰可能な場合には、短期間の復帰準備時間の提供などが信義則上求められ、このような信義則上の手続きをとらずに解雇することはできない。
6.判断基準
(事例略)
(1)リハビリの考え方
・リハビリ出勤=通勤のみ等、職場で業務には従事しない。給料もない。
・リハビリ勤務=緩和勤務、作業あり。給料をどのように設定するか。
「リハビリ」の考え方は、法律の定めがないため、ケース毎に合意をとる。
(2)管理職や専門職の場合
正社員であれば、基本的には「他の正社員職(事務職、など)」で復帰ができれば、復帰できるという判断にすべきという判決はある。必ずしも従前と同じ職務は求められない。
○職業カウンセリング演習
0.はじめに
EAP=Employ Assistant Program
相談専門機関。保険会社が主導することが多い(早くリハビリして職場復帰させた方が、支払う保険料が少なくてすむ)
現場で難しいのは、退職が絡んだ相談
GLTD?=長期にわたり、所得保障するプラン
1.NIOSH職業性ストレスモデル
EAP実践における(メンタルヘルスの状況把握と改善における)基礎・原点となるモデル。
http://www.ne.jp/asahi/amano/matsuo/oh/14jobstress/stressmodel.htm
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2006dir/n2688dir/n2688_06.htm
(図はこのあたりを参照)
アセスメントはこの5つの視点から。
・職場アセスメント:ストレッサー評価
・個人アセスメント:個人の性格など
・疾患アセスメント:ストレス反応など
・緩衝アセスメント:Social Support
・家族アセスメント:協力体制など
「職場のストレッサー」だけで、「疾病」に至るわけではない。
同じ状況(職場のストレッサー)であっても、それを受け止める「個人的要因」や、家族など「仕事以外の要因」、これにSocial Supportとされる「緩衝要因」が相互に関わりあう。
この状況下で、ストレッサーに耐え切れなくなると「ストレス反応」を生じ、疾病へと至る。
モデル内の「疾病」を除いた5つの項目は、その人の状況を把握することや、改善の方法を検討する上で有用といえる。
また、改善の方法を検討する上で、多くの場合、職場のストレッサーは大きな変化を見込めない。緩衝要因をいかに高めるかが重要となることが多い。
DCSモデルといい、高Demand、低Control、低Supportの状況下におかれるとキツイ。
Q:職業カウンセリングと産業カウンセリングの違いは?
2.メンタルヘルスの問題把握に必要な二つの視点
(1)疾病性
その人の疾病自体の重症度レベル
(2)事例性(産業臨床や職リハの対象はこちら)
職場でどの程度問題となっているかのレベル
例:本人の不適応行動が職場のルールや風土に触れてくると、事例性のレベルは上がる
■Question
状況を説明できるケースは簡単なケース。困難ケースとは「状況を説明できない」ケース。
「現代型うつ」への対応には、治療とは別の「育成」の視点が必要ではないか?
※以前は地域社会や、宗教上の教会やモスクにおける「育成」の価値そのものが失われつつある。
新しい価値を生み出すのが「Social Action」。
3.EAPサービス
・定義:
(1)職場組織が、生産性に関連する諸問題に着手すること
(2)従業員であるクライアントが、職務上のパフォーマンスに影響を与えうる個人的問題に気づき、解決をすること
以上2点を援助するために作られた、職域におけるプログラム。
・サービス概要
(1)問題の確認・アセスメント・リファー
(2)危機介入
(3)短期問題解決
(4)モニターとフォローアップ
(5)組織リーダーへのトレーニング
(6)組織リーダーへのコンサルテーション
(7)組織に関するコンサルティング
(8)プログラムの推進と教育
・留意点
EAPにおいては、疾病性は扱わず、パフォーマンスに関わるサポートを実施する。
事例性を扱うのがEAPであり、産業臨床全般のスタンス。
自分自身で活かせないから、専門家が必要ですね、という文脈。
・連携における重要点:特に管理部門への関わり。
マネジメントコンサルテーション=情報のフィードバック、アカウンタビリティ =就業規則の確認は大前提
(組織・就業規則の「理解」→理解したものを「説明」可能にする→具体的な「対応」→手柄は人事や管理職に「フィードバック」)
わかりやすく噛み砕き、現状を「わかりやすく説明」する
その上で「どうしたいの?」と問うことと、カウンセラーとして「○○と思う」という意見を述べる
※即対応を考えるのではなく、状況把握とその伝達に努める。
■One of Answer
相手が変わらない状況というのは、カウンセラーにとって徒労感が強い。
それであっても、クライアントの目の前に「いる」のが、カウンセラーたるゆえん。
4.カウンセラーが目指すもの
専門サービスが目指す究極的な目標は「いなくてもいる」こと。
実際のサービスがなくなっても、顧客組織やクライアントにサービスが「内在化」されること。
内在化のために必要なこと:
(1)現象をわかりやすく整理・説明する
(2)顧客企業に伝えていく
※困難な事態を外部に丸投げで専門的に解決していくことでは、専門サービスへの依存性が高まるだけで、問題は低減しない
当初は外的存在として活用され、中期にカウンセラーの言動を組織・クライアントが取り込んで内在化し、最後に再び外的存在として活用されなくても良い状態となり役割を終える
・カウンセラーが活躍しすぎない=当事者にできることは、積極的に「任せる」=ソーシャルサポートへ育っていく(⇔イネイブリング)
・コンストラクティブ・コンフロンテーション
(資料参照)
問題→指摘→反省→改善
→問題継続→改善目標の明確化(本人の入る余地を残す)→自己努力→改善
→問題継続→問題の客観的情報を集める→本人に伝える(直面化)→一定期間内で自己改善を指示→改善がない場合、関わりの手を引く→改善
・ナラティブアプローチ
自らの経験を語り、自らの物語を組み立てること。
自分に異質なものを取り込むには、語ることが最も効果的
経験を語ることの成功が、人生と経験に連続感と意味を与える
5.ディスカッションから
・理解なくして、対応なし
(状況を必ず把握する)
・困難ケースへの対応
(上司の意向で復職支援を実施する場合、例えば打ち合わせの場で「○○がだめだったら、△△してください」などの交渉は欠かせない。
対応に明確な答えはない。
・コンストラクティブ・コンフロンテーション
まず、本人の意向に沿ってやってみて、「駄目だったらどうしますか?」という文脈で対応する。
-客観情報を集める
-直面化
やってみてできない場合に、自分の力では無理だったということ→「専門機関の力をかりましょう」と機関へつないでいく
コンストラクティブ・コンフロンテーションをそのまま適用すると、臨床的には本人が満足しないこともある。
「これだったら、できると思う」を本人から引き出すことも必要。
無理難題を課せられ、対応が変わらないようであれば「関わりの手を引く」ことを見せる。
(ポイントは「私」としてやる)
・復職とは・・・
フルタイム勤務ができること!
2009年12月13日日曜日
超便利ツール「EVERNOTE」
日本障害者フォーラム(JDF)編集『みんなちがってみんな一緒!障害者権利条約』日本障害者フォーラム、2008年。
められた冊子。
Iyokiyehaは、山梨で手話を習っているときに、この話題に触れ、たまたま販売していたこの冊子を買ったもの。
政権交代があり、障害者自立支援法の廃止が話題となっている中で、ひっそりとこの条約の名前を目にしたこともあり、再度手に取って
みた。
買ってすぐに、目を通したときにも感じたことだけれども、この条約の批准によって自分の仕事は大枠から大きく変わってくるのではな
いかと感じている。
ただ、普段勤務していても、われわれの周辺(雇用・就労支援の現場。特に福祉関係者の話題)から、こうした話題がほとんど聞かれな
いことがどういうことなのかと、今でも気にはなっている。
現在、たまたま会社の集合研修の時期と重なり、本省の方の講義の中でもそれほど多くは語られないこともあったので、少しだけ食いつ
いてみたのだけれども、公開できる情報としてはそれほどでもない、ということのみ確認できた。
議論は各論が提出されつつある段階で、それほど進んでいるわけではないということだった。
研修中に、同期の相棒殿と飲んだ時に、飲んだ勢いで普段しない話をしたわけだけれども、そこで語ったことはそれほど間違っていない
ように思う。
すなわち、この条約批准に関連して、障害者雇用の現場に「合理的配慮」が高らかに導入されることが、法に明記されるようなことにな
れば、今までとは違った圧力が障害者雇用の現場にのしかかることになる。現場における、超柔軟なやりとりに本質的な変わりはないか
もしれないけれども、公的なシステムとして事業所に求められるものは、必然的に大きくなる。
それに伴い、職業リハビリテーションの実践内容も変わってくるように思われる。
それくらいのインパクトがあると思うのだけれども、実際はどうなんでしょうか?
私なりに情報は集めてみようと思います。
091212専門第二期研修(一日目)
2009年12月11日金曜日
091210中堅職員研修(4日目:最終日)
2009年12月10日木曜日
091209中堅職員研修(3日目)
091208中堅職員研修(2日目)
091207中堅職員研修(1日目)
2009年11月28日土曜日
雑記091128
どうあれ、人に指示を出す、人に動いてもらうのは、負荷がある。
「自分なら絶対やらん」と思っていることを、悪気なくやられてしまうのはたまらん。
疲労感、胃痛、別の軸へかける迷惑など、考えるとキリがない。
個人的には、職場で何かあると、全く関係ない家族に迷惑かけてしまう申し訳なさと、帰宅することそれ自体が嫌になるストレスが、一気にかかる。
時々、なーんにもしないで、全てほっぽらかして、どこかへ行ってしまいたい衝動にもかられる。
こういううんぬんを、家族にぶつけない仕掛けが、一杯ひっかけることだとも思うけど、そうもいかず。
この閉塞感をどう解消するか。当面の課題です。
11/26
Thanks giving dayだそうです。
あまり気にならないですが。
夕方、カミさんからメール。
「何がでる〜 豚肉と玉葱で〜」
(注:「おかあさんといっしょ」にこんなコーナーがある。だいすけおにいさんとたくみおねえさんが、箱に二つのものを入れると、それらが合わさったものが出てくるというもの)
・・・き、気になる。
とはいえ、今日は超過勤務に入ってから計画書を三人分、過ぎ去った出張の命令伺いを2週間分、その他もろもろをやらねばならず、気にしつつ仕事。
カツ丼?野菜炒め??
3歳児に分かるわけなーい、と思いつつ。
帰る前に、カミさんに電話。
「何が出たの?」
「・・・串カツ・・」
なるほど。
か?
このコーナー、本当に無理があって、Iyokiyeha的にはすげぇ面白いんだけども、おかあさんといっしょの抽選を勝ち取ったこどもたちにはどうなるんだろう?と要らんことも考えてしまいます。
いやー、好きだな、おかあさんといっしょ。
11/25
目まぐるしい毎日。
ちょっと疲れているなぁ。
今は担当ケースが多すぎてしんどい。
動きすぎて書き物が全く間に合っていない。
システム上は9月末くらいから、Iyokiyehaは、あんまり働いていないことになっている。
にしても、支援の内容は「創る」ことなのだなぁとつくづく考えさせられる。
話を聴くことで、クライアント自身(障害者であれ、事業主であれ)に気づきを与える。
困っている人は、自分の頭の中がこんがらがっていることがほとんど。
こんがらがっているものは、見える形(物理的でなくとも)していくことで、「なんとなくの解決策・落としどころ」が見えてくる。
支援の項目と具体的な計画は、この「お互いに見えているギャップをどう埋めるか・調整するか」という視点で立案される。
電話依頼じゃ「どうしようもない」状況でも、話を続ける内に自ずと整理されてくる。
不思議なもので、こういう状態に直面すると、Iyokiyehaの役割って何だろうなとも思ってしまう。
胸張ってやる仕事ではあるけれど、その専門性ってホント言語化しにくい。
・今日の勉強
戦後社会福祉は、戦争によって国民の多くが貧困状態に陥ったことに端を発する。
3法体制とは、
生活保護(最低水準の生活を維持)生活保護法
孤児対策(親を戦争で亡くした子どもへの救済)児童福祉法
身体障害(戦争被害者の救済)身体障害者福祉法
社会救済の覚え書き-1951社会福祉事業法
11/24
脳の処理能力を上回るジャンクなものがIyokiyehaのワーキングメモリを占有しているような気もしている。
無事、研修に行けるのかどうかも心配。
噂通り、研修には宿泊がつかず、諦めが入っている。
凹むなぁ。
依頼人の「オススメ」は、そんなにオススメじゃないことも実感する。
こちらの思惑は次々と裏切られる。
そうした調整もまたワーキングメモリを消費しているのだろうなぁ。
天気も悪いので、頭の働きそのものが悪い。
早いところ休むとしよう。
帰りの東上線。
酔っ払いが大声で隣に座ったおじさんに絡む。
近くに乗っていた若い兄ちゃんが、今にも手が出そうな雰囲気でも負けず、襟首掴まれながらも駅まで見事に時間を過ごし、車掌さんと共に酔っ払いを駅で降車させる。
交渉の場でどこまでも粘る時の自分と重なりながらも、腕っぷしのない自分には到底できないことだと割って入った男性に脱帽。
2009年11月23日月曜日
上田渉『脳が良くなる耳勉強法』ディスカヴァートゥエンティワン、2009年。
2009年11月22日日曜日
Twitterという「つぶやき」
二人称を越えて伝わるもの
報道の様子を自分なりに追ってみて、自分の仕事をふりかえる。
誰が何を言おうと、公的機関で公金を財源とした業務に就いている身として「効率とは何ぞや」と考える。
とりあえずの結論としてたどり着いたのは、「Iyokiyehaが直接仕事しなくても、Iyokiyehaの仕事を知ってもらえて、伝えてもらうことができる仕組みを、どうつくるか」ということ。
カウンセリングはIyokiyehaの持つ専門技能ではあるのだけれども、今の仕事でそれだけを磨けばいいかというと、そうじゃないのではないか。
目の前の人の内側に火を灯すことがあってこそだけど、そこで満足せずに、飛び火するくらいをやらないと。
例えば、本当に感動した時って、その事をつい人に話したくなる。
それと同じこと。
目の前の人にメッセージを明確に伝える。
工夫して、わかりやすいことはもちろん、「目からウロコ感」を付与して、相手を超えて思いを突き抜ける。
伝えた相手から思わず他へと伝わっていく。
世の中を変えるインパクトは、カウンセリング、ケースワーク、講演他全ての支援を通じて、それくらいの種を巻き続けることによってでしかありえないのではないだろうか。
資料の使い回しを悪いとは思わないけれども、高次脳機能障害支援をとにかく「メモとらせる」でまとめ続けるスライドに違和感持たない人も微妙だし、作成者に遠慮してそれにいれないのも微妙。参加者アンケートの結果が悪いことを、指示された内容に起因させるだけじゃ、何も変わらないと思う。
それを「効率的」と言うことへの反論の根拠として、「広がらない内容にしかまとまっていない」と言い切ることができるだろう(言わないけど、大人だから)。
次のステージへの、一つのとっかかりになりそうだ。
雑記091122
Twitterをはじめてみました。
興味のある方は、Twitter内でこのブログの名前を検索してみてください。できるだけフォローしていきます。
与野イオンにて半日過ごす。
冬用のコートと、下着類をゲット。
11/20
会社で働くなら知恵を出せ。
知恵のないものは汗を出せ。
汗も出ないものは静かに去って行け。
有名な言葉みたいですね。
文字情報で読んだのは初めてです。
自戒を込めて。
11/19
通勤電車にて、おばさま方が円陣組んでしゃべりまくる。
東京では初めて見る光景。
イヤホンを忘れて出張に出る。
いつもは常時音声情報に身を晒しているが、周囲の雑音を楽しむのもまた面白い。
時間がゆっくり、電車もゆっくり進む気がする。
目は口ほどに物を言う。
依頼者はあれこれと、情報はくれるのだけれども、本人を横に本音は話しにくい様子。
でも、雰囲気は「困ってるのよ、何とかしてほしいの」がありありと。
案の定、結論を言えば安堵の表情。
こういう情報の把握と分析力も、この仕事の専門性だろう。
こっちが「どう考えるか」ではなく、相手が「こう考えているのだろう、だってこうだから」と説明できて、初めて制度に息が込められる。
11/18
ここのところ話題の「事業仕分け」。
我が機構の担当者は結構善戦したらしいですね。就職率6割弱の実績があればこそ、ですが。
ただまぁ、やっぱり経費削減は盛り込まれる。どうなるのかな。
11/17
事務処理もそこそこ。打ち合わせもそこそこ。
事業仕分けは「想定範囲内」とのこと。
天下りについて考える。
天下りがないと、国とやりとりできない予算編成が円滑にならないところにも仕組みの歪みがあるように思う。ウチの機構は、現場には自信があっても、公的機関として本省とやりとりしたり、情勢から適切に旗を振るといったところでは、まだまだプロパーじゃ物足りないのかもしれない。
仕事しない人は論外だけど、仕組みそのものを批判することには躊躇いもある。
そんな中、現場でできることは、確かな現場をつくることにもう一工夫することだと思う。
Iyokiyehaのやり方がいい悪いは別として、如何に自分が動く以外に良い情報を動かすか、ということにはこだわって仕事している。
自分で「自分達、いい仕事しまっせ」と言うのと、例えば同業者がその人の人脈に「Iyokiyehaさんとこっていい仕事するぜ、おすすめよ」と言ってもらうのとでは、質も広がりも全く違う。
そんな仕掛けをいかに多く作れるか。営業の基本だろうけれども、地道な取り組みの繰り返しだろう。
電車のお尻が暖かくなる暖房は苦手。
11/16
我が機構も、いよいよ行政刷新会議の事業仕分けに乗せられるらしい。
あの委員達の、信念は見えながらもやや無理のある「検討」によって、ありがたい指導止まりになるか、整理となるのか、廃止となるのか(おそらくないだろうが、やれるもんならやってみな)。
先日、某対外的な会議でやや茶化しながら語ったことだけれども、現場では粛々と一部でアドバルーンをぶち上げてやっていくしかないよなぁ。
切符があるのなら、いずれ組織を育てる役割を担いたいとも思う、この頃。
足をすくわれそうになった件、こちらも粛々と型にはめて落ち着いたか。
時間はかかったけど、まぁ。。
事業仕分けうんぬんの話を聞けば、こんなことに時間をつかう暇はない。
11/15
富士見市主催の国際交流フォーラムに顔を出す。
良くも悪くも行政主導のイベントのように感じたけれども、生活の中に仕事と趣味以外のチャンネルがあるのは、とても刺激になる。
これは純粋にカミさんのおかげ。
いろんな国の民族衣装を見て、歌を聞いて、心地良くなって寝る。そんな休日も悪くない。
11/14
やはり土曜日は疲労回復に努めなければしんどい。
今週は、カミさんの機嫌がイマイチだったこともあり、仕事もやや激務だったので、少ししんどかった。
にしても、人前で話す機会も多く、上司から分析的な良質のフィードバックが得られたおかげで、自己理解も進んだ。
・自問自答型のプレゼンで、自分の言葉になっている
・専門用語を散りばめているが、深く言及しないので嫌味がない
正のフィードバックもここまで分析的だと、次にもいかせるだろう。
ありがとうございます。
2009年11月15日日曜日
雑記091115
23時前の池袋。
昼間の人混みはマシだけど、ちょっと寂しい感じもあり。
そこに姿勢良く警備にあたるお巡りさん。
頼もしいね。
今日は研修講師。5障害(3障害+PDD+CODY)の特性と対応を一時間半で説明するという、何とも無理がある講義枠。
とかく終了したときに不完全燃焼感があったのですが、知り合いから「もっと聞きたかったですね」と言われたのはうれしかったです。
研修後、上司と助成金業務の処理で残業中、「新鮮だったよね」と好評価。
曰く、
恐縮しながらハッキリ言う。
専門知識と事例が混ざり合っている。
どちらもしつこくないので、嫌味がない。
伏線が結論で結びついている。
とのこと。
仕掛けたところもあれば、そうでないところもあり。
今までの経験と、いい先生に恵まれたんだろう。
プレゼン資料の作り方を変えたら、話し方もかわったと思う。
11/11
悪天候。
明日の研修会資料作成に燃える。
ベースがあったので、なかなか自分好みのレイアウトにはならなかったが、おそらく元のスライドよりはわかりやすいだろう。
明日は熱く語るのみ。
昨晩は、ここのところの遅い帰宅にカミさんに怒られる。
仕事とはいえ、帰宅が遅すぎるのは自覚しているので、黙って聞くことにした。
人の話、ちゃんと聞くって大
11/10
仕事で新宿へ。
とにかく人は多いけれども、出張先は静かな空間を見事に作り出しており、のんびりしたくなってしまう。やることがなければ、少しは見て回りたいところなんだけどなぁ。
出張帰り、中央線がとまる。また人身事故。あんまりいい気分はしない。
昼は蕎麦、22時過ぎに事務所を出て夕食は立食い蕎麦。
蕎麦好きじゃなきゃしんどい食生活。
富士蕎麦万歳。
11/9
「広報」とは何だ?
本部で隔月くらいで開催されているスキルアップセミナーに参加する。
「組織の目となり口となる」というシンプルな説明は、何とか理解できたけれども、残念かな、現場しか知らないIyokiyehaにとっては、ちょっと雲の上の話題だった側面も否定できず。
もっと勉強せにゃいかんけれども、今できることをきちんと見据える必要も感じた。日々の業務では「いい仕事してまっせ」と伝わる仕掛けを創っていく視点が必要だということ。
人目につかず「いい仕事やってるぜ」っていうのは、格好良くても認められない。一定水準の認知度があれば別だけど、ニッチな仕事を素でやっていくなら、もう少し外向きになってもいいのかなと。
考える余地ありです。
今週は、研修ウィーク。
今日は一日しゃべりすぎて疲れました。
毎日飲み歩くでもなし。
やけにカミさんの機嫌が悪い。
多分、帰るのが遅いとかいう理由なんだろうが、ここまで飲んで帰ることに理解がないのも、正直少しキツい。
11/8
休日。
ようやくPSW国家試験対策で、過去問にとりかかる。
これまでに、スクーリングを担当した講師が皆口々に「過去問をやりなさい」というのもうなずける。
わからなくても、間違ったところをおさえていくことで、随分勉強になる。
併せて、読書の効率をあげていく。どちらか一方をと思っていると、多分両方中途半端になっていくから、どちらも回転数をあげていくことにする。
アウトプットが減るかもしれませんが、御了承ください。
娘の発熱は、おそらく突発性発疹。今日、熱が下がり、夕方からポツポツと斑点。
一見、ぎょっとする発疹だけど、ほとんどの人がかかるというから、不思議。
2009年11月8日日曜日
「足元をすくわれないように」
報告を兼ねて、上司に相談した時に言われた一言。「私は、足元をすくわれないようにも注意してきたかなぁ」
なんてことのない一言なのに、Iyokiyehaの弱点を見事に言い当てられた気がした。
多分、客観的にも、社会人としてイマイチなことを言われているだけとは思うのだけども、それでも敢えて自分のことを掘り下げてみる。
・当人がまとまった報告をしないことを指摘せず、話し始めるリスクを回避したため、結果としてコミュニケーションが減り、方針の微調整が伝わりにくかった。
・上記と重なりつつ、当人に伝わる言葉で説明できていたかは疑問が残る。
・上記と重なりつつ、支援実施以前の、職業リハビリテーションに関する理解の度合いを把握していなかった。
・支援の目標が、言葉しか伝わっていなかったため、具体的な支援が目標と連動していなかった。
・そもそも、年上の人かつ、苦手な人に指示を出すことを避けようとしたIyokiyehaの弱さが表出しただけだろう。
今までより更に言葉を磨き、遠慮、ためらいを捨て、言うべきことはハッキリと言っていくことが、組織の中で人と一緒に仕事をする上で、大切なことのように思った。コミュニケーションは、和気藹々だけでなく、鋭い指摘や目標といい旗振りも、大切なコミュニケーションだと考えるに至った。
雑記091108
例により、くたくたになった週末は、朝起きて、朝食後に昼まで寝る。
身体にいい生活じゃないと思う。
まして、今週は3日しか勤務していない。
組織の内側での要らんやりとりが、相当ストレスフルだったんだろう。
久々のPSWの受験講座。
先日まで籍のあった専門学校が、高田馬場にあるため、よく歩く街なのだが、道は狭い、人は多いで、どうも好きになれない。
帰りの電車、今、目の前に並んで座っているカップルの空気がイマイチ。
喧嘩でもしているのだろうか。
明日がいい一日になりますように。。
11/6
娘が発熱し、夜中に何度も起きるため、記憶にはないが眠りが浅くなっているらしい。とにかく眠い。
朝の電車では、前の人に頭突き。ごめんなさい。
午前中は青山。
久々に、会社に「入れない」クライアントの支援。待ち過ぎた感もあるが、一時間の立ち話はクライアントにとって有益なものであってほしい。
ここのところ問題となっている職員さんに足りないのはこういうアプローチなんだろうな。正解が外側にあると思っているのが間違いのモトだろう。気をつけよう。
青山の街はスタイリッシュ。
スーツなら違和感ないけど、Iyokiyehaの普段着じゃ浮く街ですね。
中野は定期的に何度も通っていて、結構好きな街。行くたびに昼食を食べていたカレー屋さんがつぶれてしまい、残念。
先日からの面倒も続いており、勘弁してくれって感じ。業務でならいくらでも時間割かれていいけど、くだらない中年のわがままに時間を費やすのは、無駄以外の何者でもない。
帰りの電車では気持ち悪くなり、途中下車。休んで乗り換えた電車で乗り過ごす。
結局帰宅は午前様。
11/5
昨晩から娘が発熱しており、心配しながらも、おそらくほとんどの子が罹る突発性発疹だろう。子どもの身体はよくできている。
でも、娘はしんどそうで、よく泣く。
出張の出掛けに声をかけ、自分のことばかり話す輩がいる。
見事なストレッサーである。
急いでるって言っているのに、話は長く、的を射ない。挙句のはてには「納得できません」。
また大きなため息。
11/4
組織上Iyokiyehaが指示を出す相手となる職員さんの愚痴(?)に1時間以上付き合うことになり、業務は動かず。
Iyokiyehaは、そうでなくとも業務が回っていないのに、こういうことがあると二重にしんどい。
じっくり話を聞いて、結局お互いの認識の違いがギクシャクする原因になっていることはよくわかったのだけれども、行動が感情に基づいた判断によっていることに「気づけない」人に、論理的な説明を求めても、的を射ない回答になるばかり。びっくりするくらい疲労困憊した。
仕事で疲れるのはまだしも、何も生み出さないことで疲れてしまうのは、時間の無駄以外の何者でもない。
あー、久しぶりにため息が出た。
11/3
浜松から富士見へ帰る。
海老名SAのイカ焼きは、地味にすごくおいしい。
11/2
昨晩は、浜松に帰った後、豊橋に住んでいる白樺君と飲みに行く。
「むつぎく」「出世」とハシゴ。
前者は、浜松でも屈指の餃子の店。カミさん曰く、行列が出来てはいれないこともあるらしいが、日曜日の夕方ということもあり、快適に浜松餃子を味わう。
後者は、学生時代に屋外活動をやっていたときの師匠に連れて行ってもらった正統派居酒屋。値段もそれなりだが、地酒も料理も美味い店。
店もさることながら、肴の話が面白く盛り上がったため、本日はひどい二日酔い。
今の仕事を中長期的に、地元密着で考えられる仲間なので、お互いに生意気になっていくという、何とも正しいお酒の飲み方をしました。
ただただ目の前のケースマネジメントに埋没したら、国の仕事として位置付けられなくなってしまう。
多かれ少なかれ、形は土地毎にどうあれ、その土地に合ったSocial Actionを如何に促進していくか、どう周りの資源を巻き込んで行くか、如何に当事者に寄り添う(ニーズに応じる)か。
自分なりに考えて、職リハに立脚しながら議論を重ね、丁寧に現場を創る。
小さな積み重ねが引き継がれる仕組みを、人材育成を含めてやっていかなきゃ、全国異動のスケールメリットが裏目に出て、現場が分断されていく。
このくらいの危機感を持ちながら、現場に制度にこだわっていきたい、と再確認できました。
ありがとう、白樺君。
そして、仕事も生活もがんばってね。
11/1
Iyokiyehaとカミさんの後輩同士が結婚するということで、娘同伴で招待され一路清水へ。
Iyokiyehaの後輩は、某商社マン。
カミさんの後輩(子分・笑)は、語学堪能でマルチに活動する市の嘱託職員。
幸せになってください。
おめでとう!
結婚式の話題は豊富すぎて全てはお知らせできないのですが、とりあえず一番の見せ場「Iyokiyeha娘が新郎に花束を渡す」時に、寝てしまう我が娘。
この子は、きっと大物になる。
当日、高速道路を使った関係で、アルコールは控えていたのですが、キリン「フリー」は傑作だと思った。
いろんなことを言う人はいるのだろうけれども(味は、少し違和感あるし)、充分「ビール」気分を味わえました。
お料理もおいしくいただくことができ、娘はよく泣いたけど、一参加者としても充分楽しめました。
10/28
仕事で関わりができた某鞄ブランド。
依頼を検討する席まで聞いたことも見たこともないぶらんどだったのだけれども、いざ担当するようになってからは、ここにもある、そこにもあるって感じでびっくり。
一つは、人間の認識や知らず知らずにかけている感覚のフィルターについて。
もう一つは、自分が全くかかわらないところで、たしかな成長企業があるということ。
今の仕事をしていて思うこと。
それは、職場不適応の本質はニーズの不一致と、課題への対応に振り回された人達が、自らのパフォーマンスが発揮できなくなってしまうことのように思い至る。
10/27
朝イチで上野公園を散歩するのが日課になっている。
ボチボチ事務所に向かう時に、パンダ橋(上野駅の陸橋)を通るのですが、今日のように雨あがりの朝に時々橋の上が光ることがある。
眩しくて、はっきりと目が開けられないくらいなのだが、それがまた神々しい。
10/26
午前中は、担当ケースを棚卸し。
とにかく書き出していったら、結構見逃しているものがあって驚いた。
メールで仕事をするときは、定時チェックを徹底しないと収拾がつかなくなる。
事業主相談に抵抗はなくなったが、雇用に関する法的な事をもっと知らないと、テンポよく相談できないように思う。
NPOの立ち上げをよく促される。
認めてもらえているのか、みんなして夢見てるのかは、率直にわからない。
今日話をしていて、一つだけはっきりしたのは、今の仕事を続けるのであれば、多様な働き方を支えられるようになっていくことを目指そうと考えていること。
10/25
スタジオAliceにて、写真撮影。
今日は10:30予約だったので、写真撮って帰って2時間くらいは国試対策ができると思っていたのだけれども、帰宅は17時過ぎ。思い通りにはならないものだ。
こういう日は、本当に待つしかない。
焦って、取り返そうとすると、焦りが苛立ちになってくる。
思い通りにならないことばかりだ。まして、もうじき1歳になる子どもを相手にするなら、思い通りにことを進めようとすること自体が微妙なことなのかもしれない。
2009年10月24日土曜日
働く理由
雑記091024
優柔決断という書籍があるとのこと。
「優れて柔軟」ということ。近いうちに読んでみよう。
ケース会議にて。
支援チームが実は機能していないことを実感する。
好き勝手しゃべらせてみて、担当者さんにごめんなさいというのが率直な気持ちなのだが、結局Iyokiyehaが伝達したことは、あまり活かされていない。
にしても、対象者のニーズを作ってしまう、支援者の姿勢には辟易した。
「〜になって欲しい」のは誰だ?「わたしは〜になってほしいと思ってたんですが」は、誰の希望だ?
10/22
充実しているが、疲労困憊しているのも事実。
とにかく眠い、眠い。
やることは次から次へと降って来るかのよう。
もっとテキパキとやらなきゃいけないんだろう。
しかし、眠い。
10/21
支援機器の様子を見るために、出張の合間に本部へ。
受付で声をかけても誰も動かないとか、フロアが耳鳴りするほど静かだったり、結局お目当てのソフトの説明は一切なかったとか、つっこみどころは満載だが、それはおいて、支援機器のフィッティングの難しさを改めて知る機会になった。
10/20
スキルアップセミナーの後、T氏他と飲みに行く。
久々だが、あまり変わっておられず、安心する。
10/19
いろんな出会いがある。
ひょんなことから、ある会社の人事担当者さんと会う。
障害者雇用の担当者になったが、どうしたらいいかわからないとのこと。
この仕事の、難しくて楽しいところは、「働きたい」「雇いたい」という一見わかりやすいニーズに、様々な思惑が隠れていること。
お互い隠すつもりはなくとも、明確な形で伝えられることは少ない。
様々な情報をやりとりすることによって、そこに具体性が生まれ、論点が整理されることによって、やりとりが一気に深まっていく。
この「通じた!」と思える瞬間が、たまらなく面白い。
10/18
プロフェッショナル仕事の流儀
■三友盛行 立ち止まり足るを知る
立ち止まることは停滞ではない。世の中の見え方が変わる。立ち止まることと成長は無縁ではない。
量の拡大だけでなく、質の向上に通ずる。
ベストを尽くし、結果を受け入れる。
自然と共に暮らす人々には「生かされている」意識のもとで、よりよいもの、自然へのダメージが少ないものを生み出そうとする、熱い気持ちを持っている人がいる。
自然に対する謙虚な気持ち、そして如何なる結果からも、そこから目を反らさず、知恵を振り絞り、時には立ち止まって見方を変えつつ、進化していこうとする。
2009年10月22日木曜日
2009年10月18日日曜日
プリマヴェーラ クラシック
雑記091018
駅のホームで働く従業員さん。
だらだら仕事している人もいたら、キビキビと指差し確認している人もいる。
同じ仕事をしているのに、周りからの見え方はこんなに違うのだなぁ。
PSWの国家試験の対策講座に、開始時間には遅れながらも参加。この講座、受験対策が全面には出ているけれど、なかなか面白い。
ただ、講師によって随分内容に差があるのも事実。
以前、岡山で勤務していた時に、駅の地下街にスターバックスコーヒーがあったことを思い出した。仕事帰りに、駅前で飲みに行く時や帰省する時に、いつも寄っていくお店だったのだけれども、ここのある店員さんはよく声をかけてくれた。
「これって静岡のご当地タンブラーですか?」とか「これから飲み会ですか?」
いい意味で「要らない一言」が言える人って素敵だと思う。
身近なことだけども、やる気とニーズの合致と工夫とで、ここまで違うように見えるのだな。
おそらく、立場が逆になれば見え方も逆になるのだろう。
気をつけよう、自分の振る舞いやヤル気にも。
10/15
仕事が山ほどある時は、すべきことを書き出して、優先順位をうまくつけて、外的阻害要因をできるだけ排除することを心掛けることで、ナンボかすっきり片付く。
支援先で、久々にたっぷりカウンセリング。
多分、今の仕事の中で得意と言えるスキルはと問われれば、クライアントから引き出すスタンスを強調して、話を聴きながら大体構造化できてしまうようになった、このカウンセリングの技法だろうとは思っている。まだまだ奥が深いことは実感しているけれども、相談でとれる情報量には、少し自信がある。
東京という街には、何でもあるように感じる。仕事度外視で歩くだけでも何かと楽しい。人混みを歩くのは疲れるし、わけのわからん人も少なくないのだけれども、それでも楽しいと思える理由については少し考えてみよう。
10/14
新しい支援先。
一つは青山、もう一つは品川。どちらもオフィス街という感じである。
そこへいくと、上野の入谷方面は下町だと思う。
おかげで助かっているところもあるけれども、東京のオフィスというには少し物足りない。Iyokiyehaは大好きなんですが。
毎月の助成金時期真っ只中。
今月は完全に予定の立て方を失敗したので、業務と並行してがりがりやってます。
昨晩はあまり寝ていないので、省エネモード。
朝は山手線が止まり、帰りは東上線が遅れる。
ここのところ電車にはツキがないのか、ただどんくさいのか。
夕方出張先から逆方向の電車に乗ったのは、注意不足か。
鶴瀬についたら雨が降る。こういう日に限って傘を持っていない。偏頭痛はしんどいし、風邪っぽいので喉もしんどい。
そういや、iPhoneのコネクタにつけているカバーをなくす。
振り返ると、ちょっとした寝不足と天気によるちょっとした不注意で、結構無駄のある一日だった。
寝不足と不注意は、心掛けで少しは改善できるので、早寝と確認を意識しよう。
10/13
東武東上線が遅れる。
これまで大幅な遅れはなかったのだが、今日は朝も晩も少しずつ遅れた。
人身事故だけでなく、信号トラブルなどもあるのだなぁ。
先日、登録したYahoo!の路線情報メールサービスが、早速動いたが、朝は池袋に着いてからメールを受信する。
イマイチ。
それでも、情報がないよりはマシ。午後は、覚悟を決めて岐路につけた。
10/12
休日に、特にどこへ出かけるでもなく、近所の公園を歩く。
そのまま、「散歩」だが、家族がいるとそんなことも楽しいと思える。
10/11
ここのところ、朝出勤時には寝ていて、夜帰宅時には寝ている我が娘。
週末に一日一緒にいると、成長、というか変化が見てとれて面白い。
最近は、我が出てきて、嫌なことは絶対やろうとしない。顕著なのが、食事の時に「自分で」食べたがること。
スプーンでご飯を口に持っていっても、プイッと横を向く。「食べたくない」時の仕草と同じなので、どうしたものかと思うわけだが、手づかみ食べができるようにしてあげる(ご飯は海苔に巻いてあげる、など)と、得意気に食べ始める。
パクパクと食べるだけでなく、遊びながら食べるので、手は汚れるし、テーブルもカピカピになってしまうのだが、それを「ダメ」とするのは、大人の都合なんだなぁと、食べる娘を見てしみじみ。
そのうち、悪戯する娘と一緒になってバカやってるところを、カミさんに怒られるようになるんだろう。それもまた楽しみ、か。
10/15
仕事が山ほどある時は、すべきことを書き出して、優先順位をうまくつけて、外的阻害要因をできるだけ排除することを心掛けることで、ナンボかすっきり片付く。
支援先で、久々にたっぷりカウンセリング。
多分、今の仕事の中で得意と言えるスキルはと問われれば、クライアントから引き出すスタンスを強調して、話を聴きながら大体構造化できてしまうようになった、このカウンセリングの技法だろうとは思っている。まだまだ奥が深いことは実感しているけれども、相談でとれる情報量には、少し自信がついてきた。
聴く力を伸ばすことで、更に深いカウンセリングができるようになると思う。カウンセラーを名乗る以上、相談とアセスメントができてナンボだと思う。
10/14
新しい支援先。
一つは青山、もう一つは品川。どちらもオフィス街という感じである。
そこへいくと、上野の入谷方面は下町だと思う。
おかげで助かっているところもあるけれども、東京のオフィスというには少し物足りない。Iyokiyehaは大好きなんですが。
毎月の助成金時期真っ只中。
今月は完全に予定の立て方を失敗したので、業務と並行してがりがりやってます。
昨晩はあまり寝ていないので、省エネモード。
朝は山手線が止まり、帰りは東上線が遅れる。
ここのところ電車にはツキがないのか、ただどんくさいのか。
夕方出張先から逆方向の電車に乗ったのは、注意不足か。
鶴瀬についたら雨が降る。こういう日に限って傘を持っていない。偏頭痛はしんどいし、風邪っぽいので喉もしんどい。
そういや、iPhoneのコネクタにつけているカバーをなくす。
振り返ると、ちょっとした寝不足と天気によるちょっとした不注意で、結構無駄のある一日だった。
寝不足と不注意は、心掛けで少しは改善できるので、早寝と確認を意識しよう。
10/13
東武東上線が遅れる。
これまで大幅な遅れはなかったのだが、今日は朝も晩も少しずつ遅れた。
人身事故だけでなく、信号トラブルなどもあるのだなぁ。
先日、登録したYahoo!の路線情報メールサービスが、早速動いたが、朝は池袋に着いてからメールを受信する。
イマイチ。
それでも、情報がないよりはマシ。午後は、覚悟を決めて岐路につけた。
10/12
休日に、特にどこへ出かけるでもなく、近所の公園を歩く。
そのまま、「散歩」だが、家族がいるとそんなことも楽しいと思える。
10/11
ここのところ、朝出勤時には寝ていて、夜帰宅時には寝ている我が娘。
週末に一日一緒にいると、成長、というか変化が見てとれて面白い。
最近は、我が出てきて、嫌なことは絶対やろうとしない。顕著なのが、食事の時に「自分で」食べたがること。
スプーンでご飯を口に持っていっても、プイッと横を向く。「食べたくない」時の仕草と同じなので、どうしたものかと思うわけだが、手づかみ食べができるようにしてあげる(ご飯は海苔に巻いてあげる、など)と、得意気に食べ始める。
パクパクと食べるだけでなく、遊びながら食べるので、手は汚れるし、テーブルもカピカピになってしまうのだが、それを「ダメ」とするのは、大人の都合なんだなぁと、食べる娘を見てしみじみ。
そのうち、悪戯する娘と一緒になってバカやってるところを、カミさんに怒られるようになるんだろう。それもまた楽しみ、か。
2009年10月12日月曜日
苦情というか・・・何というか・・・
2009年10月11日日曜日
雑記091011
2009年10月4日日曜日
遠藤拓郎『4時間半熟睡法』フォレスト出版、2009年。
こうの史代『この世界の片隅に(上・中・下)』双葉社、2008~2009年。
やりとりは、何を「言ったか」ではなく、どう「理解されたか」
雑記091004
2009年9月27日日曜日
相川章子、田村綾子、廣江仁著『かかわりの途上で ――こころの伴走者、PSWが綴る19のショートストーリー』へるす出版、2009年。
2009年9月22日火曜日
池上彰『わかりやすく<伝える>技術』講談社現代新書(2003)、2009年。
2009年9月21日月曜日
ドラマ:官僚達の夏
2009年9月18日金曜日
おとうさんといっしょ
作っているなぁと。
大御所「おかあさんといっしょ」は、もちろんおとうさんと観てもいいわ
けで、「いないいないばぁ」と双頭をなしているわけであります。
言葉をどこまで理解してるのかはわからないけれども、ポップな歌には反
応する我が娘。「モノランモノラン」(注:我々の世代では
「にこにこぷん」に相当)への反応は鈍いのに、「ぱわわぷたいそ
う」(注:中西圭三が高らかに唄いあげる体操の歌。たいそう
のよしおにいさんの身体のキレに注目)が始まると、泣いていても
ゴキゲンに。
どちらかといえば、寸劇もちょっと意味の込められた「おかあさんといっ
しょ」よりも、ワイワイガヤガヤな「いないいないばぁ」の方が反応がい
い。うーたんが「きゃははは」と声をあげていると、娘も「あー」と声を
出したり。
日々成長してるなぁ。
そんな生活を続けていると、聴くCDも子ども向けに。前述した中西
圭三。「Woman」とか「Ticket to Paradice」などの名曲を
世に出したIyokiyehaが好きなアーティストの一人なんですが、今
や彼の代表曲といえば「ぱわわぷたいそう」と「ぼよよーんこうしんきょ
く」へと更新されています。
ぱわわぷたいそうを全力で踊りまくって、筋肉痛になる
Iyokiyeha。
そんな自分も、嫌いじゃないこの頃。
2009年8月31日月曜日
森岡正博『最後の恋は草食系男子が持ってくる』マガジンハウス、2009年。
粛々と月末
一週間のPSWスクーリングを終え、課題レポートもなんとなく仕上げたので、何ヶ月ぶりかのぐうたら休日。
たまには悪くない。
引越し当初から気になっていた、書棚周りを片付け、ようやくモバイル勉強環境が整備できつつあります。無線LANの整備や、書棚の整理、机は食卓を使うことで、ギリギリまで省スペース。隙間時間の活用がますます加速しそうです。
金曜日。
学生時代にお世話になった恩師の一人から着信。
「おー、珍しい」と思いつつ、電話に出ると第一声、
「Iyokiyeha君、19時に新橋に集合ということになったから」
2年半前の私の結婚式に参加していただいて以来会っていないのにも関わらず、相変わらずな先生です。
私もこの間、仕事するようになり、結婚して、子どももできたということで、少しだけステージが違う話ができたかなと。
「Iyokiyeha君も出馬せんとな」
くらいのことを言われ、冗談と思っていたので茶化しました。
某市議が国政へと行ったら、ということなんでしょうが、なかなか面白かったです。
全く可能性ゼロということにはせずに、私自身の周りにそういう風が吹いてきたら、勉強してみてその時考えます。
日曜日。
娘とバカみたいに遊びつつ、選挙速報。
世の中は激震かと思うほどの変化が起きている。
「マスコミが煽りすぎた」と、私の感覚と報道とを一致させて感想を言うことは、あまりに簡単だし、「民主党お手並み拝見」なんて言ってしまうのも、それほど難しくない。
ただ、個人的な感想としては、「どこが政権をとろうが、信念を貫いて政治の仕事をして欲しい」ということだけである。
民主党政権、どうなるのかという楽しみと、これまで政界であまり活躍の場がなかった、優秀な人達の活躍が見られることが楽しみとが同居した感覚を味わっている。
勤務している組織に、自分の知らない「終わり」があるのならば、その日はまた5年くらい縮まったのだろうが、まぁそのあたりはその時にならないとわからないこと。
私がすべきことは、万が一の失業となっても家族を食べさせていくだけの腕と人脈を作っておくことだと、改めて確認する。
柳井正『一勝九敗』新潮文庫、2006年。
ユニクロでご存知、ファーストリテイリングの柳井会長兼CEOが、2003年頃までの同社の沿革を、柳井氏の経営理念とともに語った著書。
前衛的な経営が店舗運営にも反映されているようにも思われる同社の経営、運営方針から、一社会人として学ぶことも多い。
柳井氏とファーストリテイリングのこれまでの経緯全体を読んで感じたことは、「試行錯誤」を徹底してやっていくのであれば、スピード感と何が何でもやってやろうとする執念というか、強い意志が不可欠であるということ。
のんびりと失敗、再検討を繰り返していたら、それこそぬるま湯の蛙のように、いつの間にか煮立っていることに気づかず、事業で言えば沈没-整理という一路をたどることになる。
自らの仕事も同様。可能なところで、如何にスピード感を保つか、意志と情勢を如何に調整させていくのか、ということが、現代を生き残る上で不可欠な要素であるかということを改めて確認できた。
いくつか気になる点(ドッグイヤー的に)は以下の通り。引用含みます。
・試行錯誤の土台は、スピードとがむしゃらさ。とにかくスピードが要求され、常時リストラ(再構築の原意で)、失敗した場合の「即時撤退」が鍵。
・広告宣伝は、0か100かの評価。ほどよい、はありえない。広告を見る人を信頼し、「伝える」のではなく「伝わる」表現方法を、コンセプトを解釈した上で、自由な発想で考える。代理店に丸投げするのではなく、広告主がクリエイターに「伝える」ことを怠ってはいけない。
・「店長でいる」ことが最終目標。店長はスタートでありゴールである。顧客の最前線で店舗を運営する。本部の意向をくんで、逐一本部の指示を仰ぎ、マニュアルをこなすのではなく、現場の意向を本部の方針に反映させるために、優秀な店長が現場にいることが大切。
ユニクロの広告戦略は、最近本当に「上手い」と思うところであるけれど、長年通じて積み重ねられた経験の賜物であることを実感できた。
「伝える」も大切だけれども、「伝わる」ことが最も大切であること。
そして、自分が伝えたとおりに「伝わる」かどうかは、かなり差があること。
広告戦略とはいえ、自らのカウンセリングにおいても、いかに「伝える」かと同時に、どう「伝わる」のかということを意識したやりとりが実は大切なんじゃないか、今までやっていて感じることのあった「違和感」は、ひょっとしたらこういうところ(要は、私が伝えたと思っていて、相手を観察した伝わったと思っていることが、実は相手にしてみたら私の意図とは違うように伝わっていた、という状況)にあるのではないかと、経験を再検討するきっかけになった。
あとは、現場主義。
この感覚だけは、私が今後どんな立場になっても忘れないようにしようと、再確認できた。
「立場上」ということを、感じ、場合によっては言う必要もでてくることがあるかもしれないけれども、現場で何が起こっているのか、最前線では何がトピックなのか、ということをできれば自ら体験するくらいの意欲をもって、現場に対峙していきたいと思った。
おすすめ度:★★★★☆(働いている人におすすめ)
2009年8月26日水曜日
内橋克人『共生の大地 ――新しい経済が始まる』岩波新書(新赤版381)、1995年。
今読んでも、全く色褪せない新書。
こういう本を名著と言うのだろう。
利益を追求してきた高度経済成長期を経て、バブル崩壊、再期をかけて社会のあらゆる人達が奮闘していた時期に、経済的な利益だけではなく、安い言葉かもしれないが、世のため人のため後世のために奮闘していた組織とそれを構成していた人達の記録である。
内橋氏は「多元的経済社会」という言葉を使いつつ、行政、政治主導の地域活動ではなく、企業や企業人の有志、果ては今では特に珍しくないが、市民活動に触れ、そこに多様な価値を見出していく。真の問題解決とは何か、よりよく暮らすとはどういうことかといったことについて、淡々と事例をおいながら考えさせる。
NPOを名乗る、行政の出先機関と化した団体も少なくない昨今、非営利活動とは一体何なのか、その本質や醍醐味、価値を、統計や数的データではない手法で見事にあぶり出している。
出版されてから既に15年くらいになる新書。
実はIyokiyehaの書棚にも学生の頃から並んでいた。
お世話になっていた、ある先生から「これは読んでおけ」と十回以上言われていて、なかなか読破できなかった本でもある。当時は紐解いたのだけれども、その面白さや迫力に気づけず、何度も延期扱いになった記念すべき書籍でもある。
当人がこのブログを見ているかどうかは分かりませんが、一応、報告も兼ねて。
専門書、ではないけれど、書籍としての成果は大きい、インパクトのある読み物だった。
社会人として、公的機関に所属する立場となったから、また違う読み方ができて、一気に読みきれたのかもしれない。
この迫力は、学生にもひよっこ社会人にも、ベテラン社会人にも味わってもらいたいものである。