2024年10月14日月曜日

改めて、読書の秋

 じっくりと座って本を読むことが、すっかりなくなってしまったのだけれども、どんな生活状況に置かれたとしても、本は読みたい。本を読む理由を問われると、費用対効果とか、信頼に足る情報とか、以前から小説を読むのが好き、とか、適当な意味はいくらでも思いつくのだけれども、それよりも何よりも「自分の内側に人の意思が入り込んでくるような感じ」が味わえるから、というのが本音に近いのだと思う。「なんだコイツ?」と思われそうだし、ちょっと重めの話なので、人にはあんまり言わないけど。

 人と話をすることも同じようなことがあるけれども、知らないことを知る、知識を得るだけの時間と、自分と他者とが情報という知識の交換ではなくて、いわば内面の交換ともいうべき時間を過ごすことができると、それはとても充実した、時計の時間を超越したような時間を過ごす経験になりうる。「充実した」と思えるのは、こういう経験が背景にあるのだろう。

 これが、ひとりで本を読む行為にも時折訪れる。それは小説だけじゃなくて、ビジネス書であったり、思想や自己啓発を描いたものにもありうるが、一方でそういうことを期待して読んだ本が期待外れだったり、逆に何も期待していなかった本が、そういう存在になることも時々起こりうる。要は、その辺が偶然に依っている、というのも読書への期待になるのだと思う。やっぱりいろいろ読みたい。