2015年2月8日日曜日

養老孟司『からだを読む』ちくま新書、2002年。

若い頃に「身体のこと」を学ぼうと思って買った書籍の一冊。4年くらい前に点検読書をした記録はあるが、内容の詳細はよく覚えていなかった。
養老氏の独特の語り口調で、多少の皮肉を交えながら内蔵の役割を中心に、その置かれた位置や進化の過程(とされる)に関する考察や私見を語る。解剖学ならではの言葉の使い方にも触れており、身体のことそのものだけでなく、題名通りの「からだを『読む』」内容となっている。
「口はどこからどこまでか?」という境界問題。言葉は現実を切り取るのである。
難しい言葉が多数記載されているが、詳細な説明やたとえ話などが豊富に盛り込まれており、読み物としても大変おもしろい一冊である。

広瀬敏通『災害を生き抜く -災害大国ニッポンの未来をつくる』みくに出版、2014年。

・長年にわたりホールアース自然学校の代表をつとめ、災害時には現地での救援活動に携わってきた広瀬氏による著書。
・災害時に生き残る方法と、助ける方法について、経験に基づき豊富な事例から提案するもの。
・正しく恐れること、生き残ること、助けること。災害を自分事として捉える。
・本来、自然学校やエコツーリズムとは、単に自然体験をするだけではなく、地域の自然、文化、コミュニティをつなぎ直す活動でもある。(引用、219ページ)
・ヒエラルキーからアメーバ型組織へ。

安田正『英語は「インド式」で学べ!』ダイヤモンド社、2013年。

・英語+ヨーロッパの言葉は、日本語とは全く違う。
・1.発音は気にしない。
 2.新しい暗記はしない。
 3.sound,find,giveの3つの動詞で英文の形をつくる。
 sound: A =(sound) B
 find : S find A = B
 give : S give 人 物
・日本語 - 日英語(ここを目指す) - 英語
・話のポイントを押さえる(直訳しようとしない)。
・前置詞はat,withから。
・日本人が英語を話せないのは、つまづくポイントがわかっていないから。
・sound,find,giveに代表される英語の3つの型を身につけることで、英語表現ができる。

齋藤孝『大人のための 読書の全技術』中経出版、2014年。

・読書により、言葉が使えるようになる。伝わりやすくなる。思考の視点が増える。
・情報を受け取る速読、思考したり文章を味わう精読。どちらも重要である。
・速読について。同じテーマを6~7冊読む。
・締め切りを設定する。
・言葉の力は偉大です。言葉というものを中心に据えてはじめて私たちは自らの感覚や思考、個性などを整理し、人間関係能力を高めることができるのだと思います(81ページより)。
○ライフスタイル
・読書ルールをつくる「読めないのはいつ?」
・垂直思考を深めるのが読書。
○速読
・本をさばく。5分で読んでアウトプットするための技術は「ポイントやキーワードを押さえる」こと。
・二割の理解でいい。
○精読
 エッセンスを自分なりに咀嚼し、自分の中にとりこむこと。方法として「音読」と「引用ベストスリー法」がある。後者は、(1)好きな文章を3つ選んで引用する。(2)配列する。3つを選んだ自分というもの=自分のその作品への関わり方を整理すること。読んだら、本について話す。書き写す。
○アウトプットについて
・話題を見つけるための質問と、話題を掘り下げる質問を使い分ける。
・ものごとを究する=その人の言語能力を高め、思考力を高める。
・概念を自分の中で言語化し、活用出来るものに高める。
・新しい言葉をきちんと概念として使いこなせるか。
・書き言葉で思考できるようになる。書き言葉で話せるようになる。
・デザインシート(フォーマット:268ページ)
①対象
②タイトル・テーマ
③狙い-何のために
④テキスト(素材)
⑤キーワード-中心となるコンセプトは何か?
⑥段取り-具体的にどう行うか
⑦仕込み-準備はどうするか
○あとがき
・将来に目を向けて点と点をつなぐことはできない。何らかの形でつながっていくと信じなければならない。
・一冊の本は、自分の中に確実に1つの点をつくる。

【AudioBook】苫米地英人『「1日10分」でスピード脳に生まれ変わる』

・思考する=前頭前野が働くこと。記憶の照合ではない。
・ゲシュタルトとは、一つ上の抽象度でみること。
・大量の(圧倒的な)情報を得ることと、抽象度をあげることによってアイデアを生み出すものの見方となる。
・無意識に思考できるようになると、時間を何倍も効率的に利用できるようになる。
・実感が湧かない内容だった。思考プロセスをもう少し段階的に知りたい。

【AudioBook】ジョーン・G・ロビンソン『思い出のマーニー』

・映画化された長編小説。訳文は大変きれいな日本語となっている。
・最後にアンナがマーニーの孫であることに気づく場面が大変印象的だった。
・ただ、アンナとマーニーが一緒に遊んだ経験の記述など、ふりかえってもわかりにくく感じる箇所がいくつかあった。

【AudioBook】小野一之『あなたの大切な人が「うつ」になったら』

・うつ病当事者による、うつ病者周辺の人たちへの助言。
・薬物療法だけでは治らない病気であること。その根本原因へのアプローチの必要について説明している。
・本著以外にも、薬物療法-認知療法が治療の両輪となって回復に向かうとする治療方法の紹介や当事者の経験が語られている。
・実感のこもった内容であり、聴いていて大変わかりやすい内容であった。

2015年1月22日木曜日

アーロン・ロジャースが出場し続けた理由

今年のアメリカンフットボール(NFL)もいよいよ大詰めとなってきました。
残念ながら、私の好きなグリーンベイ・パッカーズはディビジョナルチャンピオンシップ敗退という結果となってしまいましたが、シーズン後半のロジャースのプレイを見ていて思うところがありました。
シーズン後半に入り、痛めたふくらはぎの影響で全力で走ることができず、ひどいときには簡単なステップを踏むにも痛みに耐えているような様子がみられました。そんな状態においてもエースQBとして試合に出場し続けたのはなぜなのか。
きっといろんな理由があるのでしょうが、ただ単にプライドの問題ということではなく、思うに「それでも勝利のためにはロジャースが必要」ということだったのだろうと思いました。
とかくパスの精度やスクランブル時の足の速さ等が注目されがちなQBですが、攻撃の要としての役割の大きなものとして、フィールド上でのプレイコールがあげられると思います。プレイコールの質が控え陣よりも圧倒的に勝っていたことが出場し続けた理由なのだと思いました。
ポケット内でのフットワークとクイックリリースとその正確さがアピールポイントといえるロジャースですが、それを目立たせるためのプレイコールと、それに加えて地味ですがオフェンスラインの活躍が、今年のパッカーズの強さだったのだろうと思います。
怪我した後の試合で身につけた、「最小限の動きで最大限のゲインをねらう」スタイルとパッサーとしての能力が融合し、ますますすごいQBとなって来年度のシーズンを迎えてほしいものです。
今年はあとスーパーボールですね。エキサイトしましょう。

2015年1月19日月曜日

意味を絞り込む

先日、スマートフォンからガラケーに切り替えた話題を投稿しましたが、この中で通話とショートメッセージだけに機能を絞り込んだことについて少し考えてみます。
11月下旬から12月上旬にかけて考えたことは、一言で言えば「どんなことに使っているか」ということでした。iPhoneは確かに便利です。現在もPodcastなどの音声コンテンツやGmailの送受信、ブラウザの使用やAmazonやfebeの通信販売など、使用を継続しているものがあります。他に辞書の機能や健康に関するもの(睡眠の記録や万歩計)、小遣い帳など、ちょっと考えて書き出すだけでも多岐にわたりますし、時間つぶしにやっていたちょっとしたゲームなどがある一方で、外出先でちょっとした書類のチェックや修正ができるようにカスタマイズしていました。カメラやオーディオにもなるので、外出時はこれ一台で何でもできる便利なツールで手放せないものでした。
この「手放せない感覚」にあえて疑問を持ち、書き出したり整理したわけです。その結果、何がわかったかというと、
・スマートフォンで書類チェックするのは効率が悪い。
・通信販売利用のほとんどは自宅で行っている。
・音声コンテンツの利用はダウンロードさえしておけば通信回線は必要ない。
ということがわかり、自宅でWi-fi環境があれば特に困らないだろうと思いました。また、
・細々したアプリの中で本当に外出先で必要になるのは、乗り換え案内程度。
・外出中のメールの送受信は避ける方向で考えれば通話とSNSで事足りる。
と考えました。

そもそも、自分はスマートフォンをどのくらいスマートに使っているのか、具体的には「スマートフォンでなければならない理由は何なのか?」と考えた時に、自分を納得させる回答が導き出されなかったということが、今回の対応の引き金となりました。
機能を絞り込むことによって、そのものの使い方やないものに頼らない準備など、物事の本質に近づくような感覚が得られたのは思わぬ副産物でした。この副産物は具体的には、周りの環境がよく見えるようになったことや余計な電話をしない、されないことによって(おそらく)一つのことに集中できる環境が手に入ったように思います。

とかく情報が氾濫する世の中と言われるようになりましたが、便利に使っていると思っていたものが、実はただ使われているに過ぎないんじゃないかと感じています。自宅でスマートフォン端末を触る時間が激減し、家族との時間や自分の勉強時間が少しながら確保できるようになりました。

以上、スマホからガラケーへの変更に関する経緯と考え方のまとめでした。新しい感覚が生じたらまた書きます。

見え方が変わる

先日の記述は不十分でした。眠い時に書くと中途半端になりやすい。
要は、応用行動分析を勉強し始めたら、人の行動が新たな角度から分析できるようになった、ということです。知識によって、自分のものの見方に代替可能性が生まれたといえます。だから「知識は武器になる」のだと感じたのでした。
ある知識を行動レベルで理解する(身につける)と、新しいものの見方ができるようになります。年末からようやくリベラルアーツを少しずつ勉強していますが、世界史を改めて学ぶことによって国際ニュースの読み方が変わってきますし、数学をやれば物事の判断の背景となる数理的処理が見えてきます。そうした構造がわからなければ、ニュースや出来事はそれ単発としてしか理解できないが、その背景となるものの知識があればもう一段広い視野で物事を読みとくことができます。
本当に優秀だと思える人が、新しいスキルを身につけていく。その背景には基本的な知識、具体的には高校で習った内容が高度な知見を読みとく土台となっているということを、昨年佐藤優氏の書籍で学びました。基礎をおろそかにすると飛躍もない、ということでしょう。
先日の投稿は、そういうことを書きたかったのだということで、補足というか書き直しでした。

2015年1月16日金曜日

応用行動分析を学び直す

知識は武器になる。
10年前、今の仕事を始める時の研修で基礎を学んだ応用行動分析の考え方ですが、仕事のスキルを磨くためにまた勉強をし直してみました。
きちんと勉強しておけば、これまでの仕事の中でもっともっといい支援(介入)ができたのかとも思うわけですが、過去のことはさておき、今の変化と今後の活かし方に注目します。

応用行動分析を学びなおした後で「変化した」と思えることに、指導時の課題整理がしやすくなったということです。要は、行動の原動力となるその人の気持ちや考え方を見極めて変容を促すのではなく、行動そのものに注目し、行動の前後で何が変わっているのかという観点からその人の課題を整理できるようになりつつあるのだと思う。
とりあえず、入門書を読破したので、今度は専門書も読んでみよう。

2015年1月15日木曜日

Blog再開します。

ご無沙汰しておりました。Iyokiyehaです。
しばらく更新を休んでいましたが、生活を少し変えて、また「書くこと」を再開しようと思った次第です。
復帰第一稿をどんな内容にしようかと思って数日経ってしまいましたが、時間のムダなので今まで通り、思ったことを思った時に書いていこうと思います。コアなみなさま、どうぞお付き合いください。

さて、昨年末に携帯電話の機種変更をしました。
iPhoneから3G(いわゆる「ガラケー」)への交換です。
友人からよく理由を問われるのですが、大きくは以下の2つです。
・月額使用料金が安い(今までの1/3くらいです)。
・最新機種を追いかけることへの違和感が膨らんだ。
両者が相まって、今回の決断に至りました。

iPhone6を店頭でいじった時に「ピン」とこなかったんですね。「ふーん」という感じの、なんだかしっくりこない感じが数日間続いたのがきっかけです。
そこに生活費の見直しが入ったのですが、こちらはおもしろくない話なのでやめておきます。しかし、動機としてはこれも大きい。

変更する前には、もっと不便になるかと思ったのですが、実際にはそうでもないというのが感想です。
おそらくレアな友人から「メールが届かないじゃないか」と「Eメール使えないなんて、不便!」とそのうちいわれそうですが(こうして、友達は減っていくのね)、自分が不便だと思わなければそれでいいのかなと、自然に思うこの頃です。

そういえば、自宅でも外出先でも、周囲を見回す余裕ができたような気がするこの頃です。

2014年11月10日月曜日

家事と育児

10月下旬に第三子が誕生しました。
それに伴い、こちらの更新も滞っていたわけですが、何をしていたのかというと、ほとんどは家事です。毎日毎日、掃除して炊事のことばかり考えていました。

第二子の時には、育児休業の制度を使って1ヶ月半程度仕事を休んで家事・育児に専念していたのですが、今回は特別休暇と年次有給休暇を組み合わせたいわゆる「隠れ育休」を2週間程度出産前後に習得することで乗り切りました。

http://iyokiyeha.blogspot.jp/2011/01/blog-post_03.html
(2011年1月3日投稿「育児休業を終えて」)
第二子の時の状況は上記および、ラベル「パパ」の始めの方をご覧ください。

周囲からは「イクメン」だの何だの呼ばれることも多くなり、その言葉の裏側に潜んでいる各人の思いが様々であることや、その捉え方が賛同するものであったり批判的なものであったりすることなど、その人の家事・育児に関する経験だけでなく、仕事に向かう姿勢にも影響されているのだなと思うところです。

ただ、仕事を休んで何をやっているかというと、冒頭にも書いたように、結局家事をしています。
朝起きて、子どもに食事と身支度をさせて幼稚園へ送り出す。
子どもが出かけたら、掃除・洗濯。掃除・洗濯しながら、昼食と夕食をどうするか考える。
乳児の世話なんてこの時期、オムツをかえるか抱っこするかです。父親ができることなんかほとんどありません。「イクメン」と言われると、さぞ子どもをかわいがっているかのようなイメージをもたれますが、排泄物にまみれ、泣きやまない子のオムツを替えて、泣き止むあてもなく肩こり・腱鞘炎になるまで抱っこしてあまり報われないというのが現実かと思います。

とはいえ、それが育児するということだと思います。
育児とは仕事とは違い、家のことをやるということ。
そして、子育ては疲れるものであること。

何かを批判したりするのではなく、育児の現実について思うことを書いてみました。

2014年10月2日木曜日

嫌みとものの言い方

最近、職場の人達から嫌みを言われる機会の多いIyokiyehaです。

嫌み・厭味:人を不快にさせる言葉

確かに、嫌みが多いです。
職場で事を動かす窓口になっており、たくさんの職員に声をかけて日程調整等する機会が多くなったこともあり、その先々でいろいろ言われるようになりました。
「いろいろ言われる」のは、普段思っていて口にしないことを言ってもらえることでもあるので、それほど悪いことばかりではないのですが、時々理不尽だなぁと思うこともしばしばあり、ちょうど昨日、本日と続いたところです。もう少しで胃が痛くなりそうですが、一歩手前で踏みとどまっている感じです。

要は「勝手に予定を決めるな、事前調整しなさい」という苦情ではあるのですが、昨日の件は相手がこちらの予定にぶつけてきたことを見つけて、その確認に行ったら余計な一言をもらったこと、本日の件は一ヶ月前から周知をかけていて具体的な予定を連絡したら「そこは無理だ。きちんと事前調整しろ」とこれまた余計な一言がくっついたメールを送りつけられたことでした。

もちろん双方少しずつ伝達が甘かった点はあるのでしょうが、私が気になったのはその言い方や(余計な)一言でした。そんなこと言わなくてもいいのに、そんなこと書くから証拠も残ってしまうのだろうし。

忙しいとついイライラして自分の正当性を主張したくなりがちです。とはいえ、今回の件から私が学んだことは、声の大きさで勝負はしないこと、誤読をさせない工夫を常にしておくこと、相手の非を指摘せざるを得ない時には穏やかに言うこと、という単純明快なことでした。
人と人との間を取り持つのに必要なことは、単に(といっても難しいのだけれども)論理的で理路整然と説明ができるということだけでなく、相手の感情に寄り添いながら相手の主張を聞きつつ、自分の主張に納得してもらうことなのだろうと思いました。

2014年9月19日金曜日

伝わる書き方とは?

「上梓(じょうし)」という言葉がある。
大学在籍中にこの言葉に出会い、辞書をひいて意味を知った時、私は指導教官に「わざわざ『上梓』なんて言葉を使わなくても、『出版する』でいいじゃないですか」と言ったような気がする。
最近、ある本のまえがきで「上梓」という言葉に出会い、そのことを思い出した。

「三年前、私は『○○』を上梓した。」
「三年前、私は『○○』を出版した。」
書き比べてみると、どちらも意味としては通るのだけれども、『○○』の著者であるということをより明確に伝えるには前者の方が適しているのだろう。後者だと前者の意味に加えて出版社の担当者の立場としても使えるかもしれない(正確にその意味を伝えるのならば「三年前、私は出版担当者として、■■著『○○』を世に送り出す一助を担った」とでもするべきだが)。

些細なことなのかもしれないけれども、明確な表現で文書を作成できる技術は、公の組織の中で報告や企画内容を広く知らせるために必須の技術である。
そして、その技術に関して、今の私は
・技術そのものが身に付いていない
・技術が発揮できない状況に置かれている
のいずれかまたは両方の状態であるといえる。

背景として、読書量が減っていることと、テキスト分析をする機会を作っていないこと、あるいは書いていないことや型が身に付いていないことなど、いくつか考えられることはあるのだけれども、上記状態のいずれか(または両方)であったとしても、それに応じた勉強を地道に重ねていくことしかできないのだろうと思う。