2025年12月30日火曜日

年末に向けて 人格の捨象と具体的に関わること

 2025年もあと数日。Iyokiyehaさんは、キャリアを通じて人と関わることについて、いろいろと考えてきているが、今年はとある音声コンテンツで聴いた「人格の捨象」という言葉の意味する地点でいろんな事象を考えた。人と人とが具体的にかかわり合う時に、そこに「人間関係」が生じるということだ。
 このことを考えるには、辞書的な言葉の意味が必要だった。
・捨象:概念を抽象する際に、抽象された諸表象以外の表象を考察の対象から切り捨てること。
・抽象:事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽き出して把握すること。
※その際、他の不要な性質を排除する作用(=捨象)をも伴う(略)。⇔具象
・具象:①目に見える形のあること。姿や形をもっていること。具体。⇔抽象 ②形でわかりやすく表すこと。
 物事を抽象化するときには、そのものを構成する様々なものを捨て去って本質に近づいていくことになるので、それは本当に知的な営みであると思っていたが、抽象化の過程はその「構成する様々なものを捨て去って」いくことで成立する。つまり、抽象化のために捨てられる事象があるわけで、それを「捨象」と呼ぶ。よって、抽象化は捨象を伴うといえる。逆に具体化は捨象されたものを取り戻していく過程ともいえる。なるほど、捨てられることを「捨象」と呼ぶのか、と説明を聞いたのち、これまでの経験の中でいくつかのことがつながってきた。
 私は、職業通じて、生活においても「人間関係」を大切に扱うようにしている。形の見えないことであるからこそ、自分のイメージと理性を同時に、交互に働かせないと構築できないし、できたと思っても崩れていくような脆弱性をも伴うもの・ことであるからこそ、古来より人は他人に対して様々な感情を抱くものであると考えている。何千年何万年と人間関係が繰り返されているはずなのに、良い・悪いで判断できない、あるいは「誰にとってもよい人間関係」が存在しないという現代のこの事実に、ライフワークとして考える興味がある、というのがより正確な表現だろう。研究者というよりも生活者、職業人としてのレベルで考えて表現することで、自らの生き方に反映させていきたいと考えている。
 この言葉の意味を意識することで、冒頭の表現に行き着く。「人と人とが具体的にかかわり合う時に、そこに『人間関係』が生じる」ということだが、これは人と人とが関わる中には、人格の捨象が進んだ関係を故意に作り出す人がいると思われることから、浮き彫りになった経験に言葉を与えたもの。要は、人と人との関わりには本当にいろんな形があるけれど、本当に「人間関係」と言える関わりは、その人とその人とが具体的なやりとりを行った時に通じる何かによって結びつき、構築されていくものであって、人格の捨象後のやり取りにおいては、損得が入り込む。「楽しければいい」「自分が得したい」「他者が得するのは許せない」といった考え、発言は、そのいずれにおいても、周囲の他人との間に「人間関係」は生じない。人間関係のないところに、仲間はできない。
 人格の捨象が当たり前に行われるところには、人間関係それも仲間となりうる人間関係は生まれないということ。それはつまり、人間関係を適切に構築するためには、具体的な関わりが不可欠であるということ。それはお互いの相互作用であって、片方では成立しない。
 どうだ、これはかなり本質をついた説明じゃないかな。言葉にすると「具体的」ってあまりに一般的過ぎて聞き流してしまいそうだけど、目の前にいるその人と、どのくらいきちんと関われるか、ということが人間関係の本質なのだろう。