当時、中学生~高校生だった自分は、北海道拓殖銀行の破綻について「テレビでやっていたな」というくらいしか覚えておらず、正直なところ自分には関係のない出来事として記憶していることだ。率直に踏み込んで加えるならば、それは今でも変わらない。自分の生活には全くと言っていいほど影響がない出来事だ。だからこを、素直に本著を手にとって読み進めることができた。
もちろん、この出来事についても、事実と思惑が交錯しているのだろう。著者が本著で詳しく説明した上で、責任の所在に関する指摘もあった。ただ、いったんそれらを退けて読み進めた時には、本著はあるバンカーの奮戦記という側面が浮き彫りになる。事に関して10年以上、著者が職業人生を振り返りつつ、結果特別背任罪で実刑判決を受けて刑務所へ収監されたことを、20年沈黙した後に語る本著の内容は、そのすべてを理解して受け止められるようなものではないとはいえ、河谷氏の人生の重みというか、人生の先輩が語る職業人としての生き様のようなエネルギーが端々から発せられていることを感じた。
そして、何よりもIyokiyehaをうならせたのが、結論として語る職業人として大切にしてきたという、ものすごいシンプルなこと(後述・引用)と、本論の中でもたびたび登場して河谷氏の精神的な支えであったという節子氏の存在と感謝だったということだ。きっと河谷氏の心中はいろんなことが渦巻いていた時期もあったのだろうが、それでも語りの結びとして「後輩を大切にすること」「家族への感謝」を挙げているのは、人生の先輩として最敬礼に値する姿勢だと思う。
■引用
107 (企業が大変な状況の時に、何とかして助けたいと思うか、どうしようもないと思うかがあるという前置きがあり)
その違いを見分けるのに役立つのは、経営者の人柄や質にほかなりません。銀行マンにとって大切なのは「人を見る眼」だということをこの経験から学びました。
252 (節子氏の思い出から、ことあるごとに言われたという二つの言葉)
「自分の信念に背き、上にへつらってまで出世する必要はないからね、子どももいないのだし、2人ならなんとでもやっていけるんだから」
「外でどんなに偉くなっても威張るなよ。家に帰ってきたら、ただの人なんだからね。心得違いをするんでないよ。上にはへつらわないで、下の人を大事にするんだよ」
261 「動きすぎた」という後悔
私の銀行員生活を振り返ると、本当に私のやってきたことが正しかったのか、あれでよかったのかと、自問自答することがあります。
拓銀を何とか救おうと悪戦苦闘し、少し動きすぎたのではないか。(略・具体的な取り組み)このことが、かえって「そこまで拓銀の経営は苦しいのか」と世間に知らしめることになってしまったのではないか。結果的に拓銀の死期を早めてしまったのではないか。(略)
「正解」はどこにもありません。(後略)
(こんな考え方があるのかと、素直に驚きました。とはいえ、信念に基づき、プライドを持って問題と向き合い続けた著者だからこそ至った思考なのだと思います)
268 私は銀行員生活のモットーとして「悪いことはしない」「意地悪はしない」という二つだけは、頑なに守ってきたつもりです。亡き妻の教えもあり、後輩の面倒も、できる限りみてきたつもりです。
(上記の通り、私には及びもつかないほど仕事をしてきた人が「動きすぎたのか?」と迷うほどの境地に至っている反面、具体的には本当に人として基本的なことを大切にしているのだと、Iyokiyehaの学びポイントでした)
274 (おわりに・日浦統氏より)時代の「転換期」という荒波に、私たちが巻き込まれてしまう可能性はますます強まっています。だからこそ、河谷さんの体験から浮き彫りになる教訓を学んでおきたいと思います。世論は時代によって大きく変わり、政治も行政もその影響を大きく受けること。昨日までの常識が一夜にして変わる時があること。社会や国家というバケモノは否応なく、個人に襲いかかることがあること。