情報収集とメディアの評価、そういう角度から兵庫県知事選の結果に感じていたことを、森下和哉さんが的確に指摘してくれていました。情報の質と選び方ってとても大事だと思う。
#330 兵庫県知事選の結果を受けてテレビ局報道マンの個人的な本音
情報収集とメディアの評価、そういう角度から兵庫県知事選の結果に感じていたことを、森下和哉さんが的確に指摘してくれていました。情報の質と選び方ってとても大事だと思う。
#330 兵庫県知事選の結果を受けてテレビ局報道マンの個人的な本音
寛容 名 -かんよう
心が寛大で、よく人を受けいれること。過失をとがめだてせず、人を許すこと。(岩波国語辞典 第7版)
結局、まわりまわって自分のことしか考えていない人がいるということなんだよね。多いとか多くなっているとか、そういう変化ではなくて、人の言動を許せない人っていうのがいつの時代にも一定数いるわけで。そういう人たちが「安易に意見を表明できる」ツールを手に入れた時に、寛容さのなさが社会に垂れ流されていく。表現の稚拙さが、それに拍車をかけていく。近年、IyokiyehaがWeb閲覧の時間を削っているのは、この辺に理由がある。要は「眺めていて快刺激よりも不快刺激の方が多い」からだ。
人がやることをすべて受け容れられるとは限らないが、じゃあそれが「不快だ」と思ったときに、不快感情をWeb上ひいては社会に垂れ流すことに、世のためになる「何か」はあるのだろうか?と考えると、垂れ流しにする必要はないよね。なら、その感情は飲み込んでおいたらいい。飲み込むには辛いことがあるなら、そんな辛いことは不特定多数の人間じゃなくて、信頼できる誰かにきちんと相談した方がいい。
理想的には、「不快な感情」が自分にやってきたら、その要因となる人や言動に矛先を向けるんじゃなくて、その要因を許して、そんな感情に襲われている自分も許して、三方よし○印をつけられるのがいいと思う。そこから憎しみはうまれないはず。憎しみが外に出なければ、いざこざや小競り合いは起こらないはず。そういう姿勢を磨きながら、そういう姿を追いかけてもらえるような、感情の受け止め方ができるようになりたい。
「闇バイト」なんて言葉が、ラジオを聴いているとほぼ毎日聞こえてくる。社会問題と化している、ヤバい仕事だけど、それを提供する人たちの得体の知れなさと、それに手を出す若者たちが注目されているのだけれども、それとは少し視点を変えて、制度や社会的な構造みたいなところから、いわゆる「闇バイト」を見てみようと思う。
結論から言うと、個人的な要因として、働いて得るお金が「労働の対価」という認識が希薄になっていることが一つ。もう一つ、社会的な構造として、契約に基づく雇用という人と社会が作り上げてきた人を安心・安全の元で自由にするための仕組みが、得られる対価が少ない=効率の悪い営みだと勘違いされているように思える。
仕事に貴賎なしとは言うけれども、ここでいう「仕事」というのは、世の中のルールの中にあるものだという当たり前のことを、あえて記しておこう。世の中のルールというのは、法制度のように明文化されたものから、社会で生きていくための人としてのルールのような不文律のようなものまで含みます。そうした「ルール」に従って提供される仕事においては、その内容によって貴賎はないわけで、いわゆる「労働法」というものはそれを担保するためのもの、というわけです。労働法にのっとった仕事は(ブラックとかいろいろ言われるところも、そういうことも少なからずあるけれども)安心・安全に、人を社会のルールの中で自由にしていく機能を備えているといえる。
こう見ていくと、いわゆる「雇用者(雇われている人)」がイメージしやすいのだけれども、それを離れてみたときはどうだろう?最近ではフリーランスや自営業は身近になってきている。これらは「雇われる」ではなく、自分が使用者となって人を雇う立場になったり、個人であっても事業主として働く主体となるものである。これらの働き方は、労働法の一部は適用されないものの、人を雇う上ではルールに則った使用を求められるわけで、提供される、から提供する側に移ることにはなるが、やはり各種ルールの中に入っているものだ。個人事業主として働く場合はルールの中にとどまることも、そこから出ていくことも選択はできるのだけれども、ルールの中にとどまる選択をした人たちは、(基本的には)安心・安全が担保されることになる。
と、このようなことに「常識」なんてラベルを貼っておくと、こういうことはあまりに当たり前すぎて、常識ラベルが貼ってあることに気づかない人、あるいは悪意をもって働き方ルールの外側に飛び出している人が、「闇バイト」を提供し提供されることになる。「普通の若者が『闇バイト』に手を出してしまう」ということの背景には、こういう見え方がある。普通(カタギ)か普通じゃないかが問われているのではなく、まずは常識ラベルに自覚的であるかどうか、こういうことが課題になってくるんじゃないかな、と思ったわけです。
なにかというとSNSが取り上げられますが、これはただの道具であって「闇バイト」を支えたり、支持するものではないはず。道具の良しあしではなく、個人的な要因と、社会構造をしっかりと見据えていたいものです。